理想郷
げんなりする。
私は食べ進めていくうちに、箸を置いてしまった。
熱意、独創性、そして肝心の味……。どれをとっても到底許容できる出来ではなかった。
「十点だ」
私は口を拭きながら、そう伝えた。
目の前にいた料理人の顔は、みるみるうちに蒼ざめていく。
「先生、それだけはご勘弁を! ! 」
いまにも泣き出しそうな勢いだ。
「新村」
私は近くに控えていた男に声をかける。
「お客様がお帰りだ」
はい、と男は軽く一礼し、料理人を無理やり連れだし、部屋の外へと追いやっていった。
外からはまだ未練がましい声が聞えていたが、家のドアが閉まる音とともに、やがて聞えなくなった。
「まったく近頃は」
私は部屋に飾ってある盆栽の手入れをしながらつぶやいた。
「ディストピア飯の作法が分かっておらん」
二〇××年、世界は人口爆発の危機にさらされていた。
加速度的に増えていく人間、減りゆく食料、連日のニュースは至るところで地球の終わりを叫んでいた。
そんな折、ひそかに進められていた計画が、後に「ディストピア飯計画」と呼ばれる一連の人口抑制政策だった。
それは政府が推奨する薬品が注入された食物を食べるように強要する政策だった。その食物を食べれば、不思議と人口は減少していく仕組みらしかった。
当然反発は起こったが、政府の巧みなメディア規制により、政策をもとにした法案は可決されていった。
そこで加熱したのが、昨今の「ディストピア飯ブーム」だ。
法案が可決された以上は、なかなかそれを変えることは難しい。そこで人々はそれを逆手に取り、その食物を使って「ディストピア飯」を作り始めた。最初は意識の高い活動家が批判と抵抗の意味を込めて積極的に作っていたのだが、目新しさも加わり、次第に味、形、口ざわり、そうして「ディストピア飯とは何か」という思想――――。それらを総合した芸術性のある料理の分野となり、和食や洋食と同じように独自の地位を確立していった。
私はそんな業界の中に住まう、ディストピア飯評論家の一人だった。
何もはじめからこの業界で生きていこうと思っていた訳ではない。
小さい頃から古い映画が好きで、そこに出ている食べ物を見るのも好きだった。中でも特に好きな食べ物のジャンルが、後に「ディストピア飯」と呼ばれるものだったのだ。
銀色のプレートにのせられた、あの無機質な四角いかたまり! 食欲をそそらぬ着色は人間における食のよろこびとは何かということを、実に逆説的に示していた。
なによりそれは、日常で食べることの出来ないものだった事実が、いやがうえにも私のあこがれを高めていた。
駄菓子屋で、平べったいグミのようなものが並んでいる菓子をつまようじで一つ一つ食べたことがある。それは硬さと軟らかさをあわせもった菓子で、私は口の中で溶けるのをじっと待っていた。しかし頭はまだ見ぬディストピア飯のことでいっぱいだった。口の中の菓子は、まだ何かが足りないような気がしていた。
大人になって、私は料理の世界に身を置いていた。洋食を中心に店を開き、一線を退いたあとは、もっぱら料理の評論家としてその地位を確立していった。
その間、私のディストピア飯への嗜好はけっして表に出さなかった。
子供っぽい好みではあるし、人に話して共感してもらうものでもあるまい。
私は一人でこの趣味を楽しんでいた。
ディストピア飯ブームが起こったのは、私が老齢にさしかかった頃の話だった。
連日紙面に表れるディストピア飯の情報は私の心をざわつかせた。あらゆるところで、世間がこの新しい潮流に沸いていた。
それを私は、どんな思いで眺めればよかったのだろうか。
私のところにもディストピア飯の評論依頼がやってきたのは、それから間もなくのことだった。
はじめは断ろうと思った。
気難しい顔をしている私を見て、友人でもある馴染みの編集者は不思議そうな顔をした。
「珍しいな、お前が乗り気じゃないなんて。まあ、若者の流行りだから、その気は分からんでもないが」
違う、そうじゃないんだ、と相手に伝えたかったが、私はなんと言っていいのか分からなかった。
「まあ、物は試しだ。新しい発見もあると思うから、やってみてくれないか」
丁寧な編集者の誘いに、私は結局引き受けることにした。
都心のレストランに、件のディストピア飯を食べに行った。以前も来たことのある店だったが、こういった種類の料理も提供しだしたらしい。
「どうだ。なかなか評判がいいらしいぞ」
注文をして、しばらくすると料理が出てきた。新聞などでは目にしたことがあるが、実際に現代のディストピア飯を見たのはこれが初めてだった。
「ささ、おひとつどうぞ」
彼にうながされて、最初の一口を口にする。
銀色のプレートに載ったその料理は、昔夢想したディストピア飯のそれよりも洗練された見た目だった。かすかな薬品臭さを残しつつ、満足感のある味に仕上げる手腕は見事だと感じ入った。
だが…………。
私は食べている途中でナイフとフォークを置いた。
「どうした? 味わうのもいいが、もっと食えよ」
目の前の編集者は、もくもくと美味しそうに食べている。
私の頭は静かに混乱していた。
どうしたのだろう?
これは私が夢見ていた未来ではないか? 私はいつでも、あの理想郷の食べ物を思い浮かべていたはずじゃないか?
いま、料理は目の前にある。
しかし私がかつて思い描いていたあの食べ物たちは、なぜだか以前よりも遠くに行ってしまったかのように感じられた。
ひとまずの食事を済ませ、編集者と別れたあと、私は書斎の椅子に腰かけて、一人もの思いにふけっていた。
目の前には原稿用紙がある。書いてゆくための筆記用具もある。それにもかかわらず、いつもは軽快に出てくる言葉が、容易には浮かんでこなかった。
一晩たち二晩たち、やっとの思いで書き上げた評論は、このような書き出しで始まっていた。
「実を言うと、私はディストピア飯についての文章を書くのに、ある種のためらいがあった。」
続けて、こう書かれている。
「私にとって、ディストピアとは、ある種のユートピアだったのだ……」
ぽつりぽつりと語りかけるその文章の中で、私はけっして自分の過去を語らなかった。ただ自分なりに、ディストピア飯について考えたことを、ゆっくりと文字にしていった。
どこかで誰かの気持ちに触れたのだろうか。
その文章を発表して以来、私のもとには少しずつディストピア飯の評論依頼が舞い込むようになっていった。
私はその依頼を受けた。
ディストピア飯に対する自分なりの誠実さを果たすため、ひとつひとつの料理に向き合っていき、いつしか私は、その道の大家と呼ばれるようになっていた。
今日も私はディストピア飯を食べることだろう。
幼い日の夢想を砕くことでしか、この夢を生き永らえさせることが出来ないのだろうと感じながら。




