びいどろ
「びいどろ百円、いらんかねえ」
外から聞こえてくるびいどろ屋さんの声に、私は目を覚ました。
ベランダから外の通りを見てみる。夕焼けで街全体がオレンジがかった空気に包まれている中、びいどろ屋さんは旗をひらめかせて進んでいた。
「びいどろ屋さん」
私は声をかけた。
びいどろ屋さんは声を聞いて、屋台を止めた。声の主を探しているようだ。
「ここよ、びいどろ屋さん」
私は手を振った。
「おお、妙ちゃんか」
ようやく気がついたびいどろ屋さんは、ベランダにいる私に向かってほほ笑んだ。
「いま行くからね。そこにいて」
「はいはい」
私は財布を握りしめて、外の通りへと急いだ。
果たして屋台はそこにあった。びいどろ屋さんは道のわきで屋台を止め、休憩している。
「びいどろ一つ、くださいな」
「へえ、毎度ありがとうございやす」
びいどろ屋さんは目をくしゃくしゃにしながら、キラキラと光るガラス玉を手渡してくれた。
「わあ」
私は夢中になって、このびいどろを見つめた。
「妙ちゃんも好きだねえ、このびいどろ」
「うん、家にあるビー玉なんかとは、全然違うもの」
「そうかいそうかい、うれしいねえ」
私はびいどろ屋さんの方を向いた。
「ねえ、びいどろ屋さん」
「なんだい」
「このびいどろ、誰にも売らないで。私だけのものにして」
びいどろ屋さんは相変わらず目をくしゃくしゃにしている。
「ああいいとも、妙ちゃんがそう望むなら……」
私の目はそこで覚めた。
あたりを見回す。何の変哲もない、いつもの自分の部屋だ。
「懐かしい夢だったなあ」
私は頭を手ぐしで整えながら、そう思った。
びいどろ屋さんは、私が子供の頃に近所できらきらとしたガラス玉を売っていた。それはきれいな色をしていて、中に入っている気泡が、ガラス玉の中をいっそう神秘的な世界につくり上げていた。
「あんな話も、したことがあったのかなあ」
今となっては、昔のことなど思い出せないが、夢の中でびいどろ屋さんと交わした会話は、やけに現実感があった。
「あ、もうこんな時間だ」
時計の時刻に気がついた私は、急いで会社に行く支度を整えた。
「行ってきまあす」
誰もいない部屋に向かってこう声をかけるのがすっかり習慣になってしまったが、なんだか今日だけは、夢の中で買ったびいどろが返事をしてくれるような気がした。