当たるも八卦-1
山本忠五郎はしがない労働者だ。ひとつの勤めが長くは続かず、気付けばその日暮らしの生活をするようになっていた。決められた場所へ出向き、バスでどこかに運ばれ、その日限りの作業を終えてまたバスで帰る。わずかな日銭も飲み喰いに費やし、忠五郎にはおよそ貯金と呼べるようなものは残っていなかった。
ある日、忠五郎がいつものようにバスに乗り込んで外を眺めていると、あとから隣に座った人間が、話しかけてきた。忠五郎が振り返ると、それは田所という男だった。雑多な人間がひしめくこの日雇いバスの中で、田所と忠五郎は、比較的よく顔を合わせる間柄であった。いつもは無口な忠五郎も、この田所とは、たわいのない会話を交わすことをたまの気晴らしとしていた。
今日の田所は、いつもよりもやや興奮気味に、忠五郎に話しかけてきた。
「なあ、いつも同じような仕事ばかりで、お前もうんざりしてるだろう。簡単な内容なんだが、少し別の仕事を試してみないか」
ふだんの落ち着いた表情にも似ず、田所は世間話が済んだあと、こう切り出してきた。
「なんなんだ、その仕事っていうのは」
「それはだな……」
田所は他の人間に聞かれないように、声をひそめて言った。
「占い師さ」
「占い師?」
「ああ、知り合いの店で、欠員が出たようなんだ。なかなか穴を埋めてくれる人がいないみたいでな。やってみないか」
「占いなんて、やったことないぞ」
忠五郎は、思ってもみなかった仕事の内容にためらいを感じた。
「なに、心配することはない。誰にだってできる、簡単な仕事だ。お前もすぐ慣れる」
「でもなあ」
渋る忠五郎に、田所は両手を合わせて頭を下げた。
「頼む、人手がいなくて困ってるんだ。報酬には色をつけるから、協力してくれないか」
忠五郎は、こんなに熱心にものを頼む田所をいままで見たことが無かった。よほど困っているらしい。
「わかったよ。そこまで言うんなら、引き受けよう。ただし、あまり期待するなよ」
その言葉を聞いて、田所の顔はパッと明るくなった。
「ありがとう、恩に着る」
後日、忠五郎は指定された場所を訪れた。先に待っていた田所が出迎える。
「おう、よく来てくれたな」
田所は、そこから少し歩いたところにある雑居ビルに忠五郎を連れて行った。その中の一角に、占いの店はあった。
忠五郎は、そのまま店の中へと案内された。
「なあに、しばらくの間ここに座って、来るお客の悩みを聞いてやればいいんだ。そうして何か、適当なことを言ってやれ。一応答え方のマニュアルもあるが、あんまり難しく考える必要はない。思ったことを喋るといい。」
田所はそういいながら、答え方のマニュアルと服を手渡してきた。
受け取りながら、どうにも妙なことになってしまった、と忠五郎は思った。
渡された服に着替えて、パラパラとマニュアルを読みながら、椅子に座って客を待っている。少し時間が経ってから、薄暗い店の中に、風采の上がらない男が入ってきた。
男はとぼとぼと忠五郎に近付いていき、椅子に座った。しばらく黙っている。
「……経営していた会社が倒産してしまったんです。私は一体、どうすればいいのでしょう」
冗談じゃない、いきなり深刻な客が来てしまった。忠五郎はこっそり田所の方を見たが、あいにく別の場所に行っているようで、姿が見えない。自分でどうにかするしかないようだった。
「ええと……」
忠五郎は先程渡されたマニュアルの中身をぼんやり思い出しながら、なるべくおごそかに男に話しかけた。
「ご事情承りました。お気を落としてはなりません。全て、あなたには必要なことだったのです」
「はい……」
「あなたには、これからの人生を切り開くための方法をさずけましょう」
すがるような目つきの男に、忠五郎はこう続けた。
「まず、この建物を出て分かれ道にさしかかったら、右左右左右と、左右を間違えずに五回曲がりなさい。決して振り返ってはいけません。そうして最後の通りに出た時。そこで最初に見たものが、あなたのこれからの運命を決定づけるでしょう。しっかりおやりなさい」
自分でも、変な占いをしたものだと忠五郎は思った。
しかし、店の雰囲気、照明、声のトーンなど、すべての空気がかみ合っており、話を聞いていた男の表情は真剣そのものとなった。
「ありがとうございます!早速実行してみます!」
男は忠五郎に礼を言い、明るい足取りで帰っていった。
「いいぞ、なかなかうまいじゃないか」
いつの間にか戻って、陰から見ていた田所が声を掛けた。
「お前、あんな重たい相談が来るなんて聞いてないぞ」
忠五郎は田所にぼやいた。
「まあまあ、無事に答えられたことだし、よかったじゃないか。その調子で頑張れよ」
「なんだかなあ……」
その後もさまざまな客が、忠五郎のもとを訪れた。
「部屋に花を飾りなさい」
「よくない縁です。距離をとるといいでしょう」
「しっかりとした運勢です。そのまままっすぐ進みなさい」
当てずっぽうにどんどん答えていく。客はぽつぽつと訪れ、それなりの盛況だった。
長いようで短いような一日が終了し、忠五郎は近くの飲み屋で田所と落ち合った。
「お疲れさん」
「お疲れ」
いくらかのつまみと、ビールで乾杯をする。冷えたビールが体にしみ込んだ。
料理をつつきながら、今日の仕事についての話に花が咲いた。
「お前、案外向いてるかもな」
そんなことを、田所は忠五郎を見ながらぽつりと言った。
「自分ですすめておいて、よく言うよ」
半ば呆れながらも、忠五郎は内心自分が認められたようで、まんざらでもなかった。
「それにしても占いなんてものは、当たるも八卦、当たらぬも八卦なんて、考えついた奴はよく言ったもんだ」
田所が酒を飲みながら、そう呟いた。
「どんな意味だい」
忠五郎がたずねる。
「言ったことが当たるのも占い。しかし言ったことが当たらない、それもまたれっきとした占いだって意味さ。なあ忠五郎、要はなんでもありなんだ」
「なるほど、俺にも出来たわけだ」
にやりと顔を見合わせ、二人は大笑した。
「なあに、お客さん占いできるの」
途中から話を聞いていた店の女が、話に入ってきた。
「できるも何も、この人は本職の占い師だよ」
冗談めかして田所が応じた。
「おいおい」
「すごい、あたしも占ってもらいたいわ」
女の顔が好奇心で輝く。占いに興味津々のようだ。
「勘弁してくれよ、営業時間外だ」
「そんなこと言って、きっと凄腕の占い師なのね。尊敬しちゃうわ」
「まあね」
笑ってごまかしながら、話を続ける。女はその間に別の常連客のところへと行ってしまった。
「そろそろ行こうか。お会計たのむよ」
「はあい」
田所は忠五郎に外へ出るよううながし、自分で会計を済ませた。
店の外で、田所は封筒を渡してきた。
「今回は俺がおごるよ。これが、今日の給料だ」
受け取りながら、忠五郎は礼を言った。
「なんだか申し訳ないな。至れり尽くせりだ」
「いいや、俺の方も助かったんだよ。ありがとう」
田所は手を上げ、通りがかったタクシーを停めて忠五郎を乗せた。
「またやりたくなったら、連絡してくれ。あまり厳しくない仕事場だ、いつでも席は用意しておくよ。じゃあな」
「ああ、じゃあな」
忠五郎はその後、気が向いたら田所に連絡をして、週に一,二回は占いをするようになった。
忠五郎の話しぶりや雰囲気には不思議な説得力があるようで、彼のもとを訪れる客は順調に増えていった。
占い師の仕事もそれなりに慣れてきたころ、店に立派な身なりの紳士が入ってきた。店の空気が、少し変わる。
紳士はまっすぐ忠五郎の方へ向かってきて、真正面に立った。
「先生、その節はありがとうございました!」
そう言って、深々と頭を下げてくる。忠五郎は、見知らぬ客にいきなり感謝をされてうろたえた。
「ど、どちらさまでしょうか」
「私ですよ、以前、会社が倒産した時に占ってもらった者です」
「ああ、あの時の」
忠五郎は、ようやく男のことを思い出した。
分からなかったのも無理はない。身に着けている服から髪型まで、何もかもが以前とは違い、自信に満ち溢れている様子が見て取れた。
「失礼、名刺をお渡ししていませんでした。今はこういうものをやっています」
紳士が名刺入れから名刺を渡す。忠五郎はそれを手に取って読んだ。
「ヤナガワ家具株式会社……」
「ええ、輸入家具を扱っています」
紳士は改めて、椅子に座って話し始めた。
「あの日の私は、いままで手塩にかけていた会社が倒産して、もう目の前が真っ暗になっていました。占い屋に入ってみたのも、藁にも縋るような心地だったんです。
それが、あの占いに従って道を歩いて行ったら、もう何年も会っていなかった古い友人がいるじゃありませんか。不思議に思って声をかけると、丁度向こうは輸入家具の商売を始められる人を探しているようでした。
こちらは一回会社を倒産させた身ですが、ある程度の経営ノウハウはあります。占いのこともありますし、これが最後のチャンスだと思いました。ぜひやらせてくれと、その友人に頼んだんです。
それ以来、必死になって働きました。もう二度と倒産なんてことにはならないよう、注意に注意を重ねました。
そのかいあってか、今ではどうやら会社も軌道に乗りました。おかげさまで、順調です」
「そうですか、成功なさったようで、何よりでした」
忠五郎は、自分の占いが良い方向へ転がったことを素直にうれしく思った。
「これは少ないですが、ほんのお礼です。」
男は懐から封筒を取り出して、忠五郎に渡した。
外からでも分かる、かなりの厚さだ。
「そんな、いただけませんよ」
「私にとって、先生は命の恩人なんです。どうか受け取ってください」
「いや、しかし……」
いくらかの押し問答があった後、とうとう忠五郎が折れて、封筒を受け取った。
「ありがとうございます。これからも、折に触れて通わせていただきます」
そう言って、紳士は去っていった。