表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/62

蛸盤談‐2

 しばらく過ごしていると、少しずつだが水槽の中のことも分かってきた。




 エサは定期的に上から降ってくる。食べるには十分な量で、味も悪くない。絶えず水は浄化がされているようで、常に清潔感が漂っている。魚たちは、そこここで話をしながら暮らしているようだった。


「慣れてしまえば、結構居心地のいいもんだな。あのタコ壺がないのが残念だが……」


「そうだな」


 ただ、日に何度か、水槽の中に網のついた棒が入れられることがある。水槽の魚たちは単純にそれを「網」と呼んでいる。網はやってくると、中にいる魚をすくい上げてどこかへ行ってしまう。そんなときは一様に、水槽の中の空気が少し静かになる。




 ある日、タコ壺の親父がその網に捕まった。


 親父は最初、網を避けていた。しかし、網は明確にタコ壺の親父を狙っていたようで、とうとう最後には捕らえられてしまった。


 タコ壺の親父は網の中から、怯えた目でタコ八に訴えた。


「おい、俺は嫌だ。引き揚げられたらどうなるんだ?なんで誰もそれを教えてくれない?八公、助けてくれ」


 タコ八はなんとか網を破ろうとしたが、無駄だった。親父は、そのまま上へと引き上げられていった。


 呆然とするタコ八の背後から、ブリが声を掛けてきた。


「あの老いぼれには、網に捕まったらどうなるのかは伝えなかった。どうせ教えても、余計に怯えさせるだけだと思ってな」


 タコ八はブリの方を振り向いた。ブリはタコ八の顔を見てから、水槽の外側に顔を向けた。


「あそこで人間が食っている食べ物があるだろう。あれはお前、ここにいた連中が混ざってるんだ。」


「なんだって?」


 タコ八は改めて外を見た。


 そこではたくさんの人間が賑やかそうに飲み食いしている。赤や白や緑、茶、様々な色の物を食べている。タコ八にはそれが、いままで水槽にいたタイやヒラメ、そうしてタコ壺の親父だとはあまりすぐ想像できなかった。


「ほら、いま皿が出てきた。あの中にあの老いぼれが入っている筈だ」


 ブリにそう言われて、タコ八は新しく出てきた皿に注目してみた。


「ああ!」


 信じたくはなかったが、確かにその皿の中には、彼が日頃親しく見知っていた親父の腕が、ブツ切りになって盛られていた。それを、外にいる人間達は実においしそうに食べるのだった。


「つまり、親父は殺されたのか」


「そうだ。網に捕まって、帰ってきたやつはいない。奥でさばかれているんだろう」


「………………」


「怖くなったかい」


「怖いもんか、俺はしっかりと覚悟を決めておくぞ」




 タコ八はいつ自分が網に捕まってもいいように、日々決心を固めているようになった。


 だが、タコ八は長く水槽にとどまった。その間、新しく来た魚もあれば、引き上げられていく魚もあった。




「なんで俺は引き上げられないんだ?」


 ある日、耐えられなくなったように、タコ八はブリにたずねた。


「そりゃあお前が、そうするに値しない奴だからさ」


 ブリはせせら笑うように言った。


「何故だ。俺はりっぱに死んでみせる。ここにいるどの魚よりも、男らしい最期を迎えてやる」


「ふん、口ではどうとでも言えるさ」


「なんだと」


「嘘つきになりたくなかったら、行動で示してみるんだな」


 ブリはちらりと上を見上げた。


「ほら、また網がやってきた」


 二人が話している間に、網はいつものように水槽の上方にあらわれた。


「ようし、見てろよ。ちゃんと捕まってやるから」


 タコ八は決心して、網に近付いた。しかしいくらまとわりついても、網はすげなくタコ八を追い返した。




 網はなかなか目当ての魚を見付けられないようだった。


「おい、あの網は、ひょっとしてお前を探しているのではないか」


 戻ってきたタコ八はブリにそう言った


「そうかもな」


 ブリはさほど興味がないように答えた。


 網はしばらくさまよっていたが、最終的にブリを捕らえた。


「とうとう俺の番か。ようやく来てくれた」


 ブリの顔には、どこか安心したような色があった。


「じゃあな。もう会うこともないだろうが、達者でやれよ」


 網に入れられたブリは、タコ八の方をじっと見た。


「俺はずっと死ぬ勇気がなかった。いつもいつも、連れていかれる仲間たちを尻目に、のうのうと暮らしていた。……最初のうちは辛くてたまらなかったが、そのうち感覚がマヒしてきたんだ。連れていかれる魚が俺じゃないことに、ほっとしている自分がいた。タコ八、お前がうらやましい。俺は、お前のようにはなれなかった。

 念を押しておくが、ここから生きて出られる方法は万に一つもない。これは俺の予感だが、お前はなかなか引き上げられることもないだろう。お前は一体、この水槽の中でどう生きるつもりだ?……いつか、あの世で俺に教えてくれ」


 そう言って、ブリは上へと引き上げられていった。




 タコ八は、自分がそう簡単には引き上げられないだろうというブリの予測を、奇妙な実感を持って受け止めていた。だからと言って、ブリのように、すべてを諦め生き永らえることもタコ八には考えられなかった。




 タコ八は次第にものを食べなくなっていった。定期的に、上から降ってくるエサはある。水槽の魚はそれを濁った眼で食べている。タコ八はそれに断じて口をつけようとしなくなった。そんなタコ八を、水槽の面々は意識しながらも、つとめて見ないようにしていた。ブリがいなくなって以来、タコ八に話しかける者は誰もいなかった。




 何日も経ったのち、タコ八はやつれはてて息絶えた。




「店長、このタコ、死んでますよ」


 ある日、タコ八の死に気付いた店員が、店長に報告をした。


「ああ、珍しいな、水槽の中で死んだのか。……もったいないが、店の裏に捨てておけ」


「分かりました」


 店員によって、タコ八だったものは店の裏のゴミ捨て場に投げ入れられた。それをかえりみる者は、誰もいない。




 ただ月の光だけがさし込んでいて、このタコを静かに照らしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ