第66話 士官学校生と技術者の狭間で
寮の部屋に戻り、デスクにスマホを置く。画面には未読の通知がいくつか並んでいたが、その中のひとつに目が留まった。
「お兄さま、願書の話だけど、覚えてる?」
受験か……そういえば、もうそんな時期だったか。
「ああ、もう提出済みだろ?」
「そうなんだけどさ……」
「結局、ちゃんと読んでくれた?」
……願書。玲奈が進学するための大事な書類。
俺も事前に目を通しておくべきだったかもしれない。だが、このところの開発業務と士官学校での訓練で、それどころではなかったのも事実だ。
「悪い……開発で手が回らなかった」
一瞬の沈黙の後、玲奈から返信が来る。
「やっぱりね。でも、まあいいや。もう決めたし」
その言葉に、少し胸がざわつく。
俺はスマホをベッドに放り投げ、天井を見上げる。
玲奈の受験――もちろん気にはしていた。でも、俺が何かを言うまでもなく、彼女は自分で決めるだろうと思っていた。
俺自身、士官学校に進むと決めたとき、誰かに相談したわけじゃない。周りの意見を聞くことなく、自分の意思で選んだ道だった。
玲奈も同じなのだろう。
だが、それが正しいことなのか。
家族として、兄として、もっと何かできたのではないか――そんな考えが頭をよぎる。
俺があれこれ言うことではない。
玲奈はもう、自分の道を決めたのだから。
しかし、そう思いながらも、俺は無意識のうちにスマホを手に取り、玲奈の送ったメッセージをもう一度読み返していた。
***
第6世代航空機の開発がいよいよ佳境を迎え、実機シミュレーターのテストが始まった。
これは、パイロットの操作感を確認し、最適なユーザーインターフェース(UI)を確立するための重要な工程だった。
「上杉君、このインターフェース、レスポンスが少し遅れるぞ」
エンジニアの一人がモニターを指さしながら言う。
映し出されたデータを確認すると、確かに応答速度が数ミリ秒遅れていた。
「おかしいな……ここの処理を最適化したはずだが」
俺は端末のログをチェックする。
計算負荷の分散を図り、優先度を調整したはずだったが、意図した通りに動作していない。
試しにパラメータを修正し、再度シミュレーションを実行。
すると、今度は別の箇所でエラーが発生した。
「ここを修正すると、次のプロセスで別のエラーが出る……」
「こっちを変えたら、次は制御アルゴリズムのバランスが崩れる」
まるで無限ループだ。
一つを改善すれば、別の問題が発生する。
この連鎖が続けば、いくら時間があっても足りない。
俺は深く息を吐いた。
「やっぱり、簡単にはいかないか……」
通常のAIなら、こんな調整は不可能だっただろう。
AIは、自らのコードを改修することができない。
それは、人間が自分の脳の構造を直接書き換えられないのと同じだ。
だからこそ、俺はAIの挙動を監視し、必要に応じて改修できる「別のAI」を事前に用意していた。
単独のAIでは、システムの改修は困難を極める。学習は出来ても完全な自己改良は技術的難しい。
しかし、監視AIが存在することで、異常を検知し、適切な修正をできるようになっていた。
「この監視AIがなければ、開発工数が10倍は増えていたな……」
端末に流れる無数のログを見ながら、俺は静かに呟いた。
前世、同様の技術的課題に直面したことがあった。
その経験が、今の俺を支えている。
それでも、まだ終わりではない。
シミュレーターの調整は続く。
次の試験まで、残された時間はそう多くはなかった。
***
年末が近づく中、開発現場は依然として慌ただしさを増していた。
第6世代機のシステム最適化もようやく形になり、細かなバグ取りと調整作業へと移行していたが、まだまだ手が抜ける状況ではない。
そんな中、開発チームに新たな戦力が加わった。
「柴田さん、久しぶりですね」
作業場の扉が開き、ペットボトルを片手に柴田さんが入ってきた。
彼女は軽くペットボトルを振りながら、俺の方を一瞥し、ため息混じりに笑う。
「ええ、久しぶり。でもこっちは飛燕改で散々振り回されたんだから、また忙しくなるのは勘弁してほしいわ」
飛燕改の開発では、特にUCAV(無人戦闘機)との連携システムの構築が実戦で高く評価され、その成果が今回の第6世代機開発に活かされることになった。
そのため、柴田さんは正式に第6世代機の開発チームに合流し、今後の調整や統合作業を担うことになった。
「で、第6世代機はどこまで進んでるの?」
柴田さんは作業テーブルにペットボトルを置きながら、モニターに映し出されたシミュレーションデータに視線を落とす。
俺は作業用のタブレットを見せつつ、現在の進捗状況を説明した。
「一応、最適化の目処は立ちました。今はシミュレーターで最終調整をしているところです」
柴田さんは頷きながらデータをスクロールし、解析ログを確認する。
「最適化ねぇ……」
しばらくデータを眺めた後、彼女はペットボトルのキャップをひねり、一口飲んでからぼそっと呟く。
「まぁ、どうせこれからが本当の地獄なんでしょうけど」
その言葉に、俺は苦笑するしかなかった。
最適化が完了したからといって、実機テストがスムーズに進む保証はない。
シミュレーター上で問題が解決していても、実機では予期せぬ挙動が発生することが多い。
特に今回の第6世代機は、新技術の導入が多く、センサーフュージョンや戦術AIの統合にはまだ課題が残っている。
「ま、年内にはある程度の形にはなるでしょ」
柴田さんはそう言いながらも、データのチェックを続けている。
「上杉君、年末はどうするの? 実家に帰る時間くらいはあるの?」
「さあ……この進捗次第ですね」
気づけばカレンダーはすでに12月半ば。
世間は年末の雰囲気に包まれつつあるが、開発現場ではそんな空気は微塵も感じられない。
俺たちの戦いは、まだ続く。
***
「柴田さんは、飛燕改の成功で休暇をもらえたんですよね?」
開発室の端末を操作しながら、俺は何気なく尋ねた。
隣のモニターには、最適化の進捗ログが延々と流れている。
「えぇ、そうよ?」
柴田さんは、作業台に置いてあったペットボトルを軽く振り、キャップをひねった。
小さく「プシュッ」という音が鳴り、彼女は一口飲むと、肩をすくめた。
「まあ、束の間の休息ってところだけどね。たった1週間よ。何年も苦労したのに。年末のうちに戻ってこいって言われたしね」
「……俺は?」
思わず口をついた言葉に、柴田さんはペットボトルを机に戻し、俺を見た。
「士官学校生なんだから、そんなものあるわけないでしょ?」
軽い調子の返答だったが、俺には冗談では済まされない話だ。
納得いかねえ……
俺は開発の現場にほぼ常駐し、技術者たちと同じレベルで作業をしている。
いや、それ以上に深く関わっていると言ってもいい。
それなのに、報酬もなければ、休暇もない。
「俺だって働いてるのに……」
「でも、あなたは士官学校の生徒。兵士としての鍛錬と教育が優先されるのは当然でしょ?」
柴田さんは、少し困ったような笑みを浮かべながら言う。
軍に属する立場なら、規則に従うのは当然。
それは分かっている。分かってはいる。
だが、それでも――
「……この状況、いつか変えてやる……」
俺は小さく呟きながら、再び作業端末へと視線を戻した。
***
作業端末の画面に視線を戻す。
無機質なログが流れ続ける中、俺の中には静かにくすぶるものがあった。
士官学校生だから仕方ない。
軍の規則だから当然。
そんな言葉で片付けられるのは分かっている。
だが、俺は技術者としても、士官学校生としても、確かにここで成果を上げている。
それなのに、評価されるのは軍籍を持つ正規の技術者だけ。
俺の貢献は「実績」にも「休暇」にも反映されない。
……今は、そういうものだと受け入れるしかない。
だが、この状況をいつまでも続けるつもりはない。
俺の知識と技術は、この世界に必要なものだ。
その証明をするためにも――俺は前に進み続けるしかない。
画面に流れる無数のデータを確認しながら、俺は深く息を吐いた。
まだ、やるべきことが山積みだ。
そろそろ日付が変わる。
明日もまた、変わらぬ開発作業と士官学校での訓練が待っている。
今日も終わり、明日が来る。
それだけのことだ。




