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閑話 華族保守派の動き

 二条家は、かつて華族保守派を束ねる中心的な家系だった。

 侯爵家としての威光はもちろん、第2次世界大戦前までは大手鉄鋼企業の中核を担い、軍部とも深い関係を持っていた。そのため、戦時中は軍需産業の要として潤沢な資金を得ており、華族保守派を率いる立場にあった。

 しかし、戦後の改革によって民主化が進むと状況は一変する。

 新興企業が次々と台頭し、二条家の経営する企業は、一族や親交の深い華族、使用人の家族を優先的に採用する旧来の体制を維持したままだった。

 時代の変化に適応できなかった企業は次第に市場での競争力を失い、戦後数十年の間に鉄鋼業界のトップの座も新興企業に奪われる。特に、上杉グループの技術革新と経営戦略が市場を大きく変え、二条家の影響力は決定的に失墜した。

 二条雅信が家督を継いだ頃には、すでにかつての栄華は見る影もなく、保守派内部でも発言力が低下していた。それでも彼は貴族院における保守派の首座としての地位を維持しようと、必死に画策していた。

 彼の前に並ぶのは、二条家の繁栄の歴史を記した古い資料。埃臭い紙の匂いが鼻を突く。喉の奥がむず痒い。

「戦後、我々は守りに入りすぎたのか……」

 雅信は、祖父の時代の華族会議の記録を手に取りながら、何が間違いだったのかを振り返る日々を送っていた。ページをめくる手が、わずかに震える。老いを感じさせる皺が、手の甲に刻まれている。

 彼は焦っていた。胸の奥で何かが急き立てる。

 貴族院での主導権を維持するためには、上杉家の台頭を何としてでも阻止する必要があった。しかし、対抗策を打つには、かつてのような資金も影響力も足りない。

 華族自体もかつては1000家を越えていたのに今や600家程しか残っていない。資金力の乏しい華族から没落していったのだ。特に戦後改革以降、華族の特典も減少し、締め付けも厳しく——今、保守派に残っているのは殆どが地元企業経営者か土地成金だけだ。資金力にも劣る。

 考えた。額に手を当てる。こめかみが脈打つ。

 今のままでは、二条家は華族社会の中で埋没し、やがて消えてしまう。それだけは絶対に許せなかった。奥歯が軋む。

 今や、保守派内部での発言権さえ危うくなりつつある。だが、彼の中には未だに誇りがあった。まるで朽ちた柱に縋るような、危うい誇りが。

「我々こそが、真の華族である」

 でも、本当にそうなのだろうか? 胃の奥で何かがざわめく。

 いや、今はそれを考える時じゃない。首を振る。

***

「何が上杉家だ!所詮は戊辰戦争で朝廷に楯突いた賊軍だろう!」

 二条雅信は興奮しながら、手に持ったグラスをテーブルに叩きつけた。ガラスが木製のテーブルに当たる鈍い音。ウイスキーが飛び散り、テーブルクロスに染みを作る。

 部屋に響く怒声に、周囲の者たちは一瞬息を呑んだ。空気が凍りつく。

 しかし、その場にいた北山伯爵がすぐに口を挟んだ。眉間に皺を寄せている。

「侯爵様、この場には戊辰戦争で賊軍についた家もありますので…」

 指摘を受け、二条雅信はバツの悪そうな顔をしながら咳払いをする。喉が詰まったような音。頬に赤みが差す。

「オホン……兎に角、あの家は華族の中心的立場ではなかったはずだ!」

 その言葉には根強い嫉妬があった。声が上ずっている。

 上杉家はもともと貴族院の中で政治的な動きをしてこなかった。それがいつの間にか、近衛家や一条院と手を組み、貴族院研究会とも結びついている。

「このままでは、保守派の立場が弱まる……。全てはあの秋葉原の怪人のせいだ!」

 拳を握りしめる。爪が掌に食い込む。

 最近、貴族院内の議論でも上杉家に賛同する者が増えつつあるという報告が届いていた。

「時代の変化に対応するべきだ」

 という声が強まり、保守派の影響力は低下しつつあった。肩が震える。怒りか、それとも焦りか。

「上杉家は、何を企んでいる……?」

 二条雅信は上杉家の動向を探るため、独自に情報収集を始めるよう指示を出した。さらに、裏で手を回し、上杉家の政治的な動きがどこまで広がっているのかを把握しようとしていた。

 机の引き出しから密書を取り出す。紙が指に張り付く。湿っている。

 二条雅信は、口元に不敵な笑みを浮かべながら続ける。唇の端が歪む。まるで蛇が獲物を狙うような、冷たい笑みだった。

「あそこの家の跡取りは幸い軍にいる。戦死や事故死はつきもの。跡取り以外に娘しかいなかったはずだ。ならば、その娘を傷物にして、我々の中から婿養子に迎えれば、あのグループごと我々のものにできる」

 跡取りの謀殺を唆す彼の言葉に、部屋の温度が下がったような気がした。窓の外から冷たい風が吹き込む。カーテンが不吉に揺れる。

 一部の者は熱に浮かされたような顔をしていたが、半数以上は呆れや失望の表情を浮かべていた。中には、露骨に侮蔑の眼差しを向ける者さえいた。

 視線が突き刺さる。背筋に冷たいものが走る。

 しかし、二条雅信はその異様な空気に気づかず、独り言のように自らの策を誇らしげに語っていた。瞳孔が興奮で開いている。

「上杉家が力を持つのは危険だ。貴族院の中で主導権を握られれば、我々の影響力はさらに削がれる。ならば、次の世代で巻き返すしかない」

 だが、この発言は思わぬ結果をもたらした。

 今まで彼に賛同していたはずの保守派の一部が、眉をひそめ、席を立ち始めたのだ。椅子が床を擦る音が、妙に大きく響く。

「私はこれ以上、この話に付き合うつもりはない」

 男の声は冷たかった。背を向けて歩き出す。

「そうだな。彼らは時代の流れを読めていない」

 もう一人が続く。革靴がカーペットを踏む音が遠ざかっていく。

 こうして、保守派の約3分の1が二条雅信から離れることになった。これにより、保守派は分裂の危機を迎える。

 空気が重くなった。残された者たちの呼吸音だけが聞こえる。

 誰もが感じていたが、口にする者はいなかった。二条雅信の額に、汗が浮かんでいる。それを拭おうとした指が、微かに震えていた。

 唾を飲み込む。喉が鳴る。

***

 二条雅信が練った策は、その日のうちに上杉家へと伝わった。

「保守派の一部が、上杉家を潰そうと画策している」

 その報告を持ち込んだのは、保守派の中から逃れた一部の者たちだった。彼らの顔には、恐怖と後悔の色が滲んでいる。

 しかし、上杉家の諜報部はすでに動いていた。もちろん、この動きを知らないはずがない。

 華族内部の情報戦はすでに始まっていた。二条雅信が動けば、必ず上杉家も動く。

 

 上杉家の書斎。静寂が支配している。

 上杉義之は静かに呟いた。声は低く、感情を押し殺している。

「……思ったよりも愚かだな」

 手に持った報告書を机に置く。紙が音もなくテーブルに触れる。

 その目は冷たく光っていた。まるで氷河の奥底で燃える炎のように。

 彼らは気が付いていなかった。玲奈に手を出すことが眠れる龍を起こすことだと。

 義之の拳が、ゆっくりと握られる。関節が白くなるほど力が入る。

 でも、表情は変わらない。ただ、瞳の奥で何かが燃えている。

 静寂が屋敷を包んでいた。でも、その静けさは嵐の前の静寂だった。

 時計の針が進む音だけが、異様に大きく聞こえる。

 何かが動き始めている——そんな予感だけが、夜の闇に響いていた。

 窓の外で、風が木々を揺らす。まるで何かが迫ってくるような、不穏な音だった。

 義之の呼吸が、一度だけ深くなった。胸が大きく膨らみ、そして縮む。

 戦いは、すでに始まっている。

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