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第61話 貴族院の役割

 「戦略思考型AI」か。

 窓の外を見つめる。言葉が頭の中でぐるぐる回った。

 AIに人間の思考プロセスや倫理観を持たせるには膨大な学習が必要だ。さらに高性能な※1量子コンピューターの小型化も不可欠。

 でも問題はもっと根本的なところにある。

 現在のAIは、膨大なデータから最適解を導き出せても、その判断が本当に「人間社会」にとって適切なのかを理解できない。

 例えば、戦争を防ぐための戦略。一時的に軍事的優位を確保できても、長期的には外交関係を悪化させ、結果として紛争を招く可能性がある。

 こめかみがズキズキした。

 窓の外で鳥が鳴いた。甲高い声が耳に突き刺さる。

 政治の領域でAIを活用するには、まず日本の政治構造を正しく理解する必要がある。特に、この国特有の——※2貴族院という存在を。

***

 カフェの窓際の席。午後の陽光が斜めに差し込んでいる。

 美樹さん、沙織さん、千鶴さん、真奈美さんと向かい合った。コーヒーの香りが鼻をくすぐる。

「日本の貴族院について、みんなの意見を聞きたいんだ」

 俺が切り出す。

「政治の話なら、沙織さんが適任ね」

 千鶴さんが身を乗り出した。スマホをテーブルに伏せる。

 美樹さんが沙織さんに話を振る。沙織さんはティーカップをそっと置いた。

「確かに民主主義の日本に貴族院が存在し続けているのは珍しいわ」

 沙織さんが髪を耳にかけた。いつもの癖だ。

「イギリスにも上院という名の貴族議会があるけど」

 一呼吸置く。

「今の主流は※3一代貴族や聖職貴族よ。世襲貴族の影響力はかなり小さくなっているの」

「一代貴族?」

 真奈美さんが首を傾げる。

「お殿様って、今でも家来とかいるの?」

 場の空気が和らいだ。沙織さんの口元がほころぶ。

「家来はいないわよ」

 苦笑いが漏れる。

「一代貴族っていうのは、政府が功績のあった人物に与える、世襲できない貴族の称号よ」

「なるほど」

 俺は腕を組んだ。

「でも、日本の貴族院は、どうして存続しているんだ?」

 沙織さんがティースプーンを軽く回す。指先が震えているのが見えた。

「実は、日本の貴族院は単なる伝統ではなく」

 声が少し硬い。

「国民の間でも一定の支持を受けているの」

「どういうこと?」

「日本の華族は、元名家出身者や元大名家の子孫で構成されているわ」

 沙織さんの目が遠くなる。

「だから、元大名家系の貴族は今でも『地元のお殿様』という意識が強いの」

「でも、今の時代にその影響力が続いているのはなぜ?」

「それはね」

 沙織さんが言いかけて、唇を噛んだ。

「華族が単なる名誉職じゃなくて、地域経済を支えているからよ」

「経済?」

 俺は身を乗り出した。椅子が軋む。

 千鶴さんがペンを取り出す。メモを取る準備だ。

「華族の多くは経済基盤を持っていて、地域社会と強い結びつきがある」

 沙織さんの声に熱がこもる。

「貴族院の存在は単なる政治の問題じゃない。経済と社会の安定にも影響しているの」

 俺はコーヒーを一口飲んだ。冷めていた。舌に苦味が残る。

 首筋が凝っている。肩を回した。

「封建的な要素が良い方向に作用している?」

 喉の奥で何かが引っかかる。

「その通りよ」

 沙織さんが頷く。でもその表情に陰りがあった。

「華族が経営する企業が地域経済を支えることで、地方の衰退を防ぐ役割を果たしているわ」

「お殿様の会社って、何を作ってるの?」

 真奈美さんが口を挟む。

「刀とか?」

 千鶴さんが吹き出した。

「さすがに刀は作ってないでしょ」

「多くは地域の伝統産業や観光業、あとは普通の製造業よ」

 沙織さんが微笑む。でも目は笑っていない。

***

「国政レベルでも華族の存在は無視できないのよ」

 沙織さんがペンを取り出した。ナプキンに簡単な図を描き始める。

「憲法では衆議院が優位に立つことになっているけれど」

 ペンが紙を走る。

「戦後改革で貴族院には『衆議院への差し戻し権』があるの」

「差し戻し権?」

「貴族院の2/3以上が賛成すれば、衆議院は55日以内に再可決しなければならないわ」

 俺の背筋がぞくりとした。

「実際にこの権限が使われたことは?」

「過去に何度かあるわ」

 沙織さんの声が低くなる。

「そのたびに政界再編や修正法案の可決が起きたの」

「強行採決の抑止力になっているのか」

 つぶやきが漏れる。知らなかった。いや、知ろうとしなかった。

「それに、貴族院の選挙費用は衆議院と比べて格段に安いから」

 沙織さんが続ける。

「『政治と金』の問題とは無縁なの。だから、国民の支持も一定数あるのよ」

 誰かがドアを開ける音がした。新しい客が入ってきた。

 俺の拳が無意識に握られる。封建的な制度を改革したいという思いがあった。でも——

「衆議院の政治家も、地元の華族から不興を買えば次の選挙で苦労する」

 沙織さんの言葉が胸に突き刺さる。

「だから衆議院の暴走を防ぐ意味でも、貴族院の存在は重要なのよ」

「確かに議員の高齢化や、派閥もあるから」

 沙織さんが付け加える。

「いい面ばかりじゃないけど」

 完璧なシステムなんてない。胸の奥が重くなった。

「義之君はリベラル志向だから」

 沙織さんが俺を見つめる。

「華族制度の改革も考えているのかもしれないけれど」

 視線が鋭い。

「慎重になったほうがいいわよ」

「どういう意味?」

 声が掠れた。

「私が思うに、貴族院の名称を『上院』に改め」

 ティーカップを持ち上げる。

「一代貴族制度を導入するぐらいにとどめるのが無難ね」

 一口飲んでから続ける。

「それ以上の改革を進めようとすれば、華族全体を敵に回すことになるわ」

 俺の喉が渇いた。唾を飲み込む。

「でも上院化に対して保守的な貴族勢力が反発する可能性もある」

 千鶴さんが口を開く。静かだが鋭い指摘だった。

「一代貴族制度が導入されることで、既存の世襲貴族の権威が揺らぐ懸念もある」

「改革を目指すなら」

 千鶴さんが俺を見る。

「義之君の影響力を拡大する必要があるわ」

 影響力、か。

 胃の奥で何かが蠢いた。

***

 カフェを出ると、夕暮れが街を染めていた。

 オレンジ色の光。人々が家路を急ぐ足音。どこか遠くで子供の笑い声。

 戦略思考型AIの政治面の設計方針。まだ固まってはいない。でも方向性は見えてきた。

 政策の選択肢を提示し、その社会的影響を助言する程度の機能に留める。政治をコントロールするのではなく、あくまで補助する存在として。

 空を見上げた。雲が不思議な形をしている。龍のような、船のような。

 胸の奥で何かがざわめいた。理由はわからない。でもその光景が妙に心に残った。

 夕風が頬を撫でる。冷たい。でも心地よかった。

***

※1 量子コンピューター:量子力学の原理を利用した超高速計算機

※2 貴族院:日本の議会における上院に相当する機関。華族により構成される

※3 一代貴族:その代限りで世襲されない貴族の称号

★評価+ブクマが次回更新の励みになります!

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