第63話 目指すべき未来
研究室の窓から夜景を眺める。光の粒が瞬いている。
双胴空母の計画を知ってから一ヶ月。頭の中で同じ問いが響き続けていた。
机の上に開きっぱなしのノート。そこには、これまでのAI開発の軌跡が記されている。データ解析、最適化アルゴリズム、機械学習の改良。
全て、効率を追求するためのものだ。
ペンを置いた。指先が震えている。
「AIに任せれば楽になる」
つぶやきが漏れる。
「でも、ミスをした時、誰が責任を取る?」
窓ガラスに映る自分の顔。目の下にクマができている。瞼が重い。
AIは謝らない。仲間が犠牲になっても、冷たい計算を続けるだけだ。
胸の奥で何かがざわめく。これが俺の求める未来なのか。
***
翌朝、食堂で高橋と向かい合っていた。
「軍事AIの最新版、見たか?」
高橋がサンドイッチを頬張る。パンくずが飛んだ。
「ああ。効率は上がってる」
「でも?」
「でも、それだけじゃダメだ」
コーヒーカップを握る。熱が掌に伝わってくる。
「例えば戦場で『損害を最小にしろ』って命令したら」
声が震える。
「AIは部隊の半分を切り捨てる判断をするかもしれない」
「……」
高橋の咀嚼が止まった。
「合理的だが、そんな選択を人間ができるか?」
「できないな」
高橋の顔が青ざめる。
「だから俺は、AIに『人間らしさ』を入れたい」
拳を握る。
「データ分析だけじゃなく、人の気持ちや倫理を考慮して、判断を助けるAIを」
「理想論だな」
「理想論で何が悪い」
声が大きくなった。周囲の研究員たちの視線が突き刺さる。
「道具として人間を支える」
胸を張る。
「それが俺の目指す未来だ」
***
その夜、研究室に一人残っていた。
モニターに新しい設計図が表示される。従来のAIとは根本的に異なる構造。
※1倫理判断モジュール、※2感情認識システム、※3多角的視点生成アルゴリズム。
これらを統合したものを「戦略思考型AI」と名付けた。
携帯が震えた。美樹さんからだ。
『まだ研究室?』
『ごめん』
返信する指が重い。
『たまには早く帰ってきてよ』
『これは大事なことなんだ』
『……分かった。でも無理しないで』
画面を見つめる。目が熱くなった。
人間の温もり。それこそが、AIには決して真似できないものだ。
***
不意に前世の記憶が蘇った。
量子コンピューターの前で、同じような問題に直面していた。頭が割れそうに痛む。
倫理と道徳をAIに学習させようと試みた。上司と衝突した。同僚と口論になった。
でも諦めなかった。喉が渇く。
AIと人間の共存。その理想に魅せられていたから。
「人の倫理と道徳を学習したAI」
キーボードに手を置く。指が勝手に動き始めた。打鍵音が静かな研究室に響く。
***
数時間後、基本設計が完成した。
画面を見つめる。目がショボショボする。
このAIの特徴は三つ。
第一に、複数の選択肢を提示すること。
第二に、それぞれの選択が持つ倫理的・感情的な影響を分析すること。
第三に、最終的な判断は必ず人間に委ねること。
「これが完成したら」
声が掠れる。
「戦場だけじゃない。政治、災害対応、外交……」
窓の外を見る。東の空が白み始めていた。
また徹夜か。でも体の奥から力が湧いてくる。心臓が力強く脈打つ。
***
朝日が研究室を照らし始めた。
戦争で人が死なない世界。
それは夢物語かもしれない。背筋が伸びる。
でも、AIが発達すれば、いつか「AI同士の戦争」で人的被害を最小限に抑えられるかもしれない。
金融市場への介入、サイバー攻撃、情報戦。これらをAIが担えば、実際の戦闘を回避できる可能性もある。
「少なくとも、人が死ぬよりはマシだ」
立ち上がる。背伸びをした。体のあちこちが軋む。関節が鳴った。
PCを閉じる前に、プロジェクト名を入力する。
『Project: Strategic Thinking AI』
戦略思考型AI。
キーを叩く指に力がこもる。
研究室を出ると、廊下で清掃員のおばさんに会った。
「おはようございます」
おばさんが微笑む。
「また徹夜ですか?」
「ええ、まあ」
苦笑いが漏れる。
「若いうちは無理がきくけど、体は大事にしなさいよ」
その言葉に、肩の力が抜けた。
そうだ。俺も人間だ。
朝の光の中を歩く。足取りが軽い。
新たな決意を胸に刻んだ。拳を握る。
この手で、未来を創る。
人とAIが共に歩む、新しい時代を。
***
※1 倫理判断モジュール:AIが行動の倫理的影響を評価するシステム
※2 感情認識システム:人間の感情状態を分析し、配慮した判断を行う機能
※3 多角的視点生成アルゴリズム:複数の立場や価値観を考慮した選択肢を生成する仕組み




