第61話 双胴空母計画、始動
国防総省からの呼び出し状を手にした時、俺は困惑した。
紙の重みが妙に手に残る。※1総合軍事戦略本部。士官学校生の俺には縁遠い場所のはずだった。
胃の奥で何かがざわめく。
制服を整え、深呼吸をした。朝の空気が肺を満たす。冷たさが気管を刺激する。手のひらがじっとりと湿っていた。
***
会議室に足を踏み入れた瞬間、肩に見えない重圧がのしかかった。
長方形のテーブルを囲むように、軍服とスーツの人間が十数名。階級章が光る。金属の輝きが目に痛い。
視線が突き刺さる。でも不思議なことに、彼らは俺を見ても驚かなかった。
「上杉か。座れ」
簡潔な指示。俺は指定された席についた。椅子が軋む音が大きく響く。
隣に見慣れた顔があった。柴田さんだ。
普段は白衣姿が多いが、今日は軍の制服を着込んでいる。肩が少し強張っている。
「なんで柴田さんまで?」
小声で聞く。
「私も呼ばれただけよ」
彼女が肩をすくめた。
「でも、多分……」
俺の足を誰かが蹴った。振り向くと、向かいに座った海軍の女性士官がニヤリと笑っている。
「上杉君よね?噂は聞いてるわ」
からかうような口調。でも目は真剣だった。
「天才技官さん」
「あ、えっと……」
「私は海軍の森中尉」
差し出された手を握る。思ったより力強い握手だ。
「※2UCAV運用の専門家よ。よろしく」
扉が開いた。
空気が一変する。温度が下がったような錯覚。背筋が勝手に伸びる。
小野中将が入室した。統合戦略本部次長。白髪混じりの髪、鋭い眼光。その視線に射抜かれて、喉が渇く。
「諸君、時間を取らせて申し訳ない」
中将の声は静かだが威厳に満ちていた。
「本日は、極秘計画について話がある」
手元のノートPCに暗号化されたファイルが届いた。キーボードを叩く指が微かに震える。
パスワードを入力し、開く。
息が止まった。
『次期双胴船型空母基本計画案』
画面に映し出された設計図。瞳孔が開く。
全長380メートル。双胴構造の巨大な飛行甲板。
「海上要塞だ」
思わず呟いた。
「その通りだ」
小野中将が頷く。
「我々はこれを、次世代の海軍力の中核と位置づけている」
心臓が高鳴る。血が熱くなっていく。
***
スクリーンに詳細な仕様が映し出される。
UCAV120機搭載可能。※3量子コンピューターによる統合管制システム。
「建造期間4.5年?」
柴田さんが資料を見ながら呟いた。声に驚きが滲む。
「通常なら10年はかかる規模なのに」
「ロボット工学と自動化技術の進歩だ」
技術部門の責任者が説明を始める。眼鏡の奥の目が輝いている。
「影武者の開発で培った技術を応用する」
俺は納得した。指先で机を軽く叩く。思考のリズムだ。
「待ってください」
俺は手を挙げた。掌に汗が滲んでいる。
「UCAV120機の同時運用となると、通信遅延が問題になります」
会議室がざわついた。椅子が軋む音があちこちから聞こえる。
「衛星通信では0.1秒のラグが発生する。戦闘では致命的です」
小野中将が俺を見据えた。その視線の重さに、背中に汗が流れる。
「では、どうする?」
「自律型AIによる分散制御しかありません」
即答する。喉が震えないよう意識した。
「ただし、完全自律は危険です。中央管制との連携を保ちつつ、各機に判断能力を持たせる」
「ふむ」
中将が顎に手を当てる。
「技術的に可能か?」
「可能です」
柴田さんが前に出た。足取りがしっかりしている。
「私たちが開発中の階層型AIシステムを応用すれば、実現できます」
彼女の説明は的確だった。声に自信が宿っている。
「前世の……」
俺が口を開きかけて、舌を噛みそうになる。
「いや、全世界の研究では、群知能アルゴリズムによって遅延を最小化できることが分かっています」
森中尉が鋭い視線を向けてきた。
「前世?」
「あ、いや、ぜ、全世界の研究では、という意味で……」
頬が熱くなる。
柴田さんがくすりと笑った。
「上杉君、緊張してる?珍しいわね」
「そ、そんなことないです」
声が上ずる。
小野中将が咳払いをした。
「話を戻そう。上杉の提案は興味深い」
助け船に安堵する。でも森中尉の視線がまだ突き刺さっている。
***
議論は白熱した。
声が飛び交う。熱気で室温が上がっているような錯覚。
この空母は戦争の形を変える。胸の奥で何かが燃え上がる。
「上杉」
小野中将が俺を指名した。
「君はこの計画において、どのような貢献ができると考えるか?」
全員の視線が集まる。肌がちりちりと痛む。
「三つあります」
俺は背筋を伸ばした。深呼吸。肺に空気を満たす。
「第一に、AIシステムの最適化」
「第二に、パイロットとしての視点から、有人機とUCAVの連携戦術を構築します」
「第三に」
心臓が一拍飛ぶ。
「この技術が人類の未来にとって正しく使われるよう、倫理的な制御システムを組み込みます」
何人かが眉をひそめた。空気が変わる。
「倫理的制御、か」
中将が興味深そうに頷く。
「具体的には?」
「AIが下す判断に、人道的配慮を組み込むということです」
沈黙が流れた。時計の針の音だけが響く。
「面白い」
中将が微笑んだ。目尻に皺が寄る。
「君のような若者がいることが、この国の希望だな」
安堵で膝が震えた。
***
会議が終わり、廊下を歩いていた。
足音が静かに響く。緊張が解けて、体が重い。
「ちょっと待って」
森中尉が追いかけてきた。腕を組んで俺を見つめる。
「さっきの『前世』って何?」
心臓が跳ね上がる。
「だから、全世界の……」
「嘘つくの下手ね」
言葉に詰まる。
「森中尉、上杉君は時々、専門用語を言い間違えるんです」
柴田さんが助け船を出す。
「研究に没頭しすぎて」
「ふーん?」
森中尉がにやりと笑った。
「まあいいわ。それより、今度の双胴空母の模擬演習に参加しない?」
「模擬演習?」
「VRシミュレーターでUCAV運用の実験をするの」
俺の目が輝く。
「ぜひ参加させてください!」
「即答ね。気に入った」
森中尉が俺の肩を叩く。結構痛い。
「来週の金曜日、シミュレーター室で。遅刻したら承知しないわよ」
彼女は颯爽と去っていった。
「新しい仲間が増えたみたいね」
柴田さんが苦笑する。
「仲間……ですかね」
「すごいプロジェクトに巻き込まれちゃったね」
柴田さんの頬に疲れが見える。
「でも、わくわくしない?」
彼女の目が輝く。
「私たちの技術が、新しい時代を作るのよ」
「ええ、でも」
俺は立ち止まった。足が動かない。
「本当に、これでいいんでしょうか」
胸の奥がざわめく。
「難しい問題ね」
柴田さんの眉間に皺が寄る。
「でも、あなたが言った通り、技術に倫理を組み込めれば」
彼女が俺の肩に手を置いた。温かさが伝わってくる。
「違う未来が作れるかもしれない」
その手が、少し長く置かれていた気がする。柴田さんの頬がほんのり赤い。
「あ、ごめん。つい……」
慌てて手を離す。
「いえ、その……ありがとうございます」
二人して顔を赤くして立っている。
「あら〜、青春してるわね〜」
森中尉の声が廊下の向こうから聞こえてきた。
「ち、違います!」
「そうそう、仕事の話をしてただけよ!」
必死に否定する俺たちを見て、森中尉は愉快そうに笑った。
「はいはい、仕事の話ね」
ウインクを残して去っていく。
気まずい沈黙に包まれた。
窓の外には青い空が広がっている。喉が詰まる。
「よし、やるぞ」
俺は拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。
双胴空母計画。心臓が力強く脈打つ。
不安と期待が入り混じる。でも、前に進むしかない。
***
※1 総合軍事戦略本部:国防総省内の最高意思決定機関の一つ
※2 UCAV:Unmanned Combat Aerial Vehicle(無人戦闘航空機)
※3 量子コンピューター:量子力学の原理を利用した超高速計算機




