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閑話 美樹視点:士官学校の日常と秩序の中で

 夢の中にいる。広々とした室内、パーテーションで区切られた座席、机に並ぶ電源の切れたディスプレイ。

 研究所だ――前世の記憶がそう告げる。懐かしくもあり、どこか現実離れした違和感があった。

 隅に目をやると、段ボールを敷いて眠る人影。

「何……?」

 喉が詰まる。戸惑うと、記憶が流れ込む。深夜残業、終電を逃した仲間たち。

 さらに人が増え、誰も言葉を交わさず、スマホで座席を探す。頭に響く説明――

 社内アプリで予約するシステム。席は社員の三分の一しかない。残りはテレワークだ。

「私は誰? ここはどこ?」

 問うが、答えはない。胸が締め付けられる。夢が霧のように薄れ、覚醒が近づく。

***

 目が覚める。薄暗い部屋の中、ベッド脇の時計に視線を向ける。

 起床5分前。

 体内時計は、今日も狂いなく正確に動いている。まるで機械仕掛けの人形のように。

 まだ辺りは静かで、隣の部屋では仲間たちが眠っている。

 起床ラッパが鳴るまでの、わずかな猶予。

 美樹は、その5分間をまどろみの中で堪能する。身体が布団の温もりに沈み込む。

 目を閉じると、夢と現実の境界が曖昧になり、先ほどまで見ていた夢の余韻がぼんやりと蘇る。

 ――あのオフィスの光景。

 ――俯瞰視点で見下ろしていた世界。

 意識を手繰り寄せようとするが、夢は霧のように消えていく。指先が微かに震える。

 今は、それを追う時間ではない。

 次第に心が落ち着き、静寂の中で最後の安らぎを噛み締める。呼吸がゆっくりと整っていく。

 この5分が、士官学校の朝における唯一の贅沢。

***

 そして。

 起床ラッパが鳴り響く。鼓膜が震える。瞬間、静寂だった寮内が一斉に動き出し、誰もが機械的にベッドから跳ね起きる。

 美樹も例外ではない。布団を払い、素早く制服に袖を通し、髪を整える。指が髪を撫でる。

 最低限の身支度を整え、すぐに部屋で待機する。寮内には足音と短い指示が飛び交い、すでに下級生の部屋では点呼が行われていた。

 美樹は4年生なので個室が与えられているが下級生は相部屋なので部屋毎におこなわれる。

 点呼では部屋毎に上級生か指導教官が訪れ鋭い視線で名前を呼び確認していく。

「1年生、下山望」

「はい!」

 生徒の声が響く。美樹の部屋にも指導教官が現れる。背筋が自然と伸びる。

「4年生、一条院美樹」

「はい!」

 腹の底から声を出す。整然とした声が響き渡る。点呼は淡々と進むが、美樹の頭の中には別の考えが浮かんでいた。

 男子生徒の中には、ごく稀に※1脱柵者(逃亡兵)が出ることがあるらしい。理由の多くはいじめだと聞く。

 胃の奥がざわつく。

「いい年して、いじめなんてバカげてる……」

 そう思うが、世の中はそう単純ではない。普通の企業でもいじめはあると聞くし、士官学校だけの問題ではない。

 社会構造的な問題なのかもしれない。

 ただ、士官学校という特殊な環境が人を追い詰めるのかも知れない。まるで圧力釜の中で煮詰められるように。

 脱柵者に関しても、美樹は思うところがある。

 肩が強張る。自分の意思で入ったのだから、辞めたいなら逃げ出さずに正式に辞めると告げればいいのに、と考える。

 士官学校は軍隊の一部であり、脱柵者は形式上処分される。公務員には一生なれないし、履歴書に記入しなければ、発覚した際には※2有印私文書偽造に問われることすらある。

 息が浅くなる。もっとも、美樹自身はいじめにあったことがないから、そう言えるのかもしれない。

 直接いじめに遭ったことはないが、庶民出身者からの隔意のようなものを感じることはあった。視線が突き刺さるような感覚。

 先輩の華族出身者も同じことを言っていた。この違和感は、美樹だけのものではないのだ。

 点呼が終わり、朝の訓練へと移行する。その間も、美樹の考えはまとまらないままだった。

***

 4年生になり、最上級生となったことで周囲の視線が変わった。

 1年生の頃は、何より時間がなかった。

 朝の準備は常に時間との戦いだった。心臓が早鐘を打つ。男子生徒の中には、歯を磨く時間すら取れず、口内洗浄液に頼る者もいた。

 そんな状況の中で、規律を守ることが最優先される。個人の快適さは後回しだった。

 髪型も厳しく管理されていた。男子は入校と同時に丸刈りにされ、女子はおかっぱ頭に統一された。

 鏡を見るたびに、違和感が胸を締め付けた。2年生以降になると多少の自由が与えられるが、1年生には選択肢がない。入学と同時に外見すらも士官学校の一部となる。

 服装や外出にも制限があった。

 1年生の時は、制服以外の服を着ることが許されず、外泊なんて夢物語だった。

 訓練で教官に怒鳴られ、汗と涙で制服が重くなった日もある。塩辛い味が口に広がる。2年生で緩和されたけど、1年生には縁のない話だった。

「こうやって、軍隊の秩序というものを身をもって学ばせるのかもしれない……」

 喉が渇く。4年生になった今、最上級生として階級社会の理不尽さを思い知る。下級生がミスれば私が責任を取る、そんな日々が続いてる。

 首筋に重圧がのしかかる。結局、どこにいても「秩序」に縛られる。

 士官学校の厳格な上下関係、序列、規則。それは軍隊だけじゃなく、社会のどこにでもある。まるで見えない鎖のように。

 夢と現実の違いを考えながら、私は結論を出した。拳を軽く握る。

「だったら、私はこの世界の秩序の中でどう生きていくのかを考えればいい。義之君と一緒に、この規律を力に変えて、未来を切り開くために」

 誰もが何かに縛られて生きているのなら、その枠組みの中で何をするのかが重要なのだ。

 そう思いながら、美樹は朝の準備を終え、いつものように士官学校の一日を迎えるのだった。

***

 朝の訓練を終えた後、美樹は静かに息を整えながら、ふと考えた。額に汗が滲んでいる。

 この士官学校での4年間は、自分を形作るものとなった。

 夢の記憶はすでに霧散し、細部を思い出すことはできなかった。しかし、なぜか心の奥にわだかまりのようなものが残っていた。胸の奥で何かがくすぶる。

 それは軍隊の規律とは異なりながらも、同じように個々の自由を制限し、効率を求める世界だった。

 結局、どこにいても「秩序」は存在する。

 士官学校での厳格な階級制度は、理不尽さを感じさせることもあったが、それはただの規律ではなく、生きる上での枠組みを学ぶものでもあった。

 ここで学んだことは、ただ理不尽なルールに従うことではない。その秩序の中で、自分がどのように振る舞い、生き抜くのかを考えることだ。

 唇を噛む。決められた秩序の中でどう振る舞うのかを求められるかは、結局、華族社会も同じなのだ。

 あのオフィス、どこかで見たような……AIが動かす世界だったのかしら?

 瞼の裏に義之君の姿が浮かぶ。今の義之君は鋭く整った黒髪に、静謐な意志を湛える切れ長の瞳。

 白い士官制服に身を包み、言葉よりも背中で語る少年――それが義之君だ。

 その姿には、技術者としての知性と、未来の創造者としての覚悟が同居する。

 感情を多くは語らないが、彼の瞳の奥には常に誰かを救いたいという、祈りのような決意がある。まるで灯台の光のように、闇を照らす意志が。

 美樹は小さく息を吐き、思考を締めくくる。肺から空気が抜けていく。

「私は、私の道を見つける。義之君と一緒に歩く道を」

 そう決意し、背筋を伸ばす。彼女は再び士官学校の日常へと戻っていった。

 足音が廊下に響く。それは確かな一歩だった。


***

※1 脱柵者(逃亡兵):軍隊や士官学校から無断で逃げ出した者。正式な手続きを経ずに離脱すること

※2 有印私文書偽造:公的な書類に虚偽の内容を記載する犯罪行為

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