閑話 過去に生まれ変わった科学者その3~融合の時代
汗が背中を伝った。
1973年、ジュネーブ。円卓を囲む各国代表の顔に、疑念の色が浮かんでいる。
「カヴェンディッシュ博士、あなたの理想論はもう聞き飽きた」
ソ連代表の声が、会議室の空気を凍らせる。
(ここで折れるわけにはいかない)
私は立ち上がった。17年。この瞬間のために戦ってきた17年間が、今、試されている。
「理想論?」
声が震えないよう、意識する。
「では、現実を見てください。中東で何が起きている? 石油を巡る紛争が、また始まろうとしている」
会議室の窓から、レマン湖が見える。
穏やかな水面とは対照的に、室内の空気は殺気立っていた。
「核融合炉があれば、エネルギーを巡る争いは──」
「綺麗事だ!」
フランス代表が机を叩く。
「技術を共有すれば、軍事転用のリスクも共有することになる」
胸が締め付けられる。
また同じ議論だ。信頼と疑念の堂々巡り。
(それでも、諦めるわけにはいかない)
***
1956年、国際原子力研究所の設立から17年。
髪に白いものが混じり始めた私は、鏡に映る自分の顔を見つめていた。
63歳。前世より長く生きている。でも──
(まだ、核融合炉は完成していない)
ホテルの部屋で、古い写真を見る。
研究所設立時の記念写真。若かった顔が並んでいる。その半分は、もうこの世にいない。
ドアがノックされた。
「アーサー、いるか?」
坂本裕二の声だ。彼も髪が薄くなり、眼鏡が厚くなった。
「入ってくれ」
坂本は疲れた顔で入ってきた。
「また揉めてるな」
「ああ」
私はウイスキーを二つ注ぐ。氷が音を立てる。
「17年前と同じ議論だ」
坂本が苦笑する。
「いや、違う。あの頃はまだ希望があった」
その言葉が、胸に突き刺さる。
「今は?」
「今は……疲れた老人たちの繰り言さ」
窓の外で、雪が舞い始めた。
ジュネーブの冬は厳しい。研究所の暖房費だけでも、年間予算の相当部分を占める。
「なあ、アーサー」
坂本が呟く。
「本当に、できるのか? 核融合炉なんて」
答えられなかった。
前世の記憶では、21世紀になってもまだ実用化されていなかった。この時代の技術で、本当に可能なのか?
(でも、やるしかない)
***
翌日の会議は、さらに紛糾した。
「予算を削減すべきだ」
ドイツ代表が言い出す。
「17年間、成果なし。いつまで夢を追い続けるつもりだ?」
賛同の声が上がる。
インド、イラン、そして──
「日本も、再考の余地があると考えています」
坂本が立ち上がった。驚きで息が止まる。
(裏切りか?)
いや、違う。彼の目には苦渋の色が。
「ただし」
坂本が続ける。
「あと2年。2年だけ猶予をいただきたい」
会場がざわめく。
「日本は、新しいセンサー技術を開発しました。プラズマの安定性を飛躍的に向上させる可能性があります」
希望。
かすかな、でも確かな希望が見えた。
「2年で結果が出なければ?」
ソ連代表が問う。
「その時は……」
坂本が私を見る。
「計画の大幅縮小もやむなし」
2年。
たった2年で、30年分の夢を実現しなければならない。
(できるのか?)
いや──
(やるしかない)
***
1974年、フランス南部の建設現場。
巨大なドーナツ型の構造物が、少しずつ形を成していく。※1 トカマク型核融合炉。人類の夢を載せた、鋼鉄の輪。
「磁場コイルの設置完了」
若い技術者が報告する。彼らの目には、まだ輝きがあった。
「プラズマ容器の真空度も基準値をクリア」
順調に見える。でも──
「センサーの調整が追いつかない」
坂本が頭を抱える。
「理論上は可能なはずなんだが」
深夜の制御室。
コーヒーと煙草の匂いが充満している。モニターの青い光が、疲れた顔を照らす。
「もう一度、最初から」
私は言う。何度目だろう。
「磁場の配置を0.01テスラずつ調整。温度勾配も──」
突然、アラームが鳴った。
「真空漏れ! セクター7!」
全員が動き出す。またトラブルだ。
(間に合うのか?)
カレンダーを見る。残り8ヶ月。
***
1975年11月。
約束の2年が、もうすぐ終わる。
最終調整が続く中、各国の代表団が到着し始めた。成功すれば英雄。失敗すれば──
「準備はどうだ?」
坂本が聞く。顔色が悪い。昨夜も徹夜だったらしい。
「理論上は完璧だ」
嘘じゃない。でも、理論と現実の間には、いつも深い溝がある。
実験当日。
制御室には、百人を超える人間が詰めかけていた。各国代表、報道陣、そして──
「始めましょう」
私は深呼吸した。
手が震える。でも、もう後戻りはできない。
「真空度、確認」
「正常です」
「磁場強度」
「基準値内」
「冷却系統」
「オールグリーン」
チェックリストを一つずつ潰していく。
心臓が早鐘を打つ。喉がカラカラだ。
「プラズマ注入、開始します」
スイッチを押す。
その瞬間、時間が止まったような気がした。
モニターに、かすかな光が現れる。
温度が上昇し始めた。1千万度、5千万度、8千万度──
「磁場が不安定です!」
警告音が鳴る。
(ダメか?)
「センサー補正、実行」
坂本が叫ぶ。彼の新技術に賭けるしかない。
数値が激しく振れる。制御室に緊張が走る。
そして──
安定した。
1億度を超え、さらに上昇。
プラズマが、美しい輪を描いている。
「反応開始を確認」
技術者の声が震えている。
「出力、上昇中。100キロワット、500キロワット、1メガワット──」
制御室が、息を呑む静寂に包まれた。
そして──
「成功だ」
最初に呟いたのは、誰だったか。
次の瞬間、歓声が爆発した。
抱き合う者、泣き崩れる者、呆然と立ち尽くす者。
私の頬にも、熱いものが流れていた。
30年。
前世から数えれば、200年。
ようやく──ようやく、ここまで来た。
***
祝賀会の喧騒を抜け出し、一人でバルコニーに立つ。
地中海から吹く風が、火照った顔に心地よい。
「おめでとう、アーサー」
坂本が隣に立った。シャンパンのグラスを2つ持っている。
「君のおかげだ」
「いや、みんなのおかげさ」
グラスを合わせる。
澄んだ音が、夜気に響く。
「これで終わりじゃない」
私は呟く。
「始まりだ」
坂本が頷く。
「実用化への道は、まだ長い。でも──」
「でも、第一歩は踏み出せた」
星空を見上げる。
あの星々も、核融合で輝いている。人類がようやく、星の力を手に入れた。
(これで、広島も長崎も起きない)
そう信じたい。でも──
「人間の欲望は、技術より根深い」
坂本が呟く。まるで私の心を読んだように。
「それでも、希望は捨てない」
私は答える。
「次の世代に、より良い世界を残すために」
風が強くなってきた。
二人で制御室に戻る。まだ仕事は山積みだ。データの解析、次の実験の準備、そして──
「ところで」
坂本が振り返る。
「君、いくつになった?」
「82歳」
嘘をつく。本当は83歳。前世も含めれば──数えたくない。
「まだまだ現役だな」
「ああ、死ぬまで現役さ」
笑い合う。
でも、お互い分かっている。時間は、もうそれほど残されていない。
だからこそ──
(できることを、全てやり尽くす)
制御室のドアを開ける。
若い技術者たちが、興奮冷めやらぬ様子でデータを見つめている。
彼らが、次の時代を作る。
私にできるのは、道を示すことだけだ。
でも、それで十分。
核の炎は、ようやく希望の灯となった。
モニターに映るプラズマの輪が、静かに輝き続けている。
永遠の炎のように。
***
*1:強力な磁場でプラズマを閉じ込めて核融合を起こす装置。
簡単に言うと、人工の太陽を作って無限に近いエネルギーを生み出す技術
推測で通常の原子力発電所2~3基分の発電量
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