表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/122

閑話 過去に生まれ変わった科学者その3~融合の時代

 汗が背中を伝った。

 1973年、ジュネーブ。円卓を囲む各国代表の顔に、疑念の色が浮かんでいる。

「カヴェンディッシュ博士、あなたの理想論はもう聞き飽きた」

 ソ連代表の声が、会議室の空気を凍らせる。

(ここで折れるわけにはいかない)

 私は立ち上がった。17年。この瞬間のために戦ってきた17年間が、今、試されている。


「理想論?」

 声が震えないよう、意識する。

「では、現実を見てください。中東で何が起きている? 石油を巡る紛争が、また始まろうとしている」

 

 会議室の窓から、レマン湖が見える。

 穏やかな水面とは対照的に、室内の空気は殺気立っていた。

「核融合炉があれば、エネルギーを巡る争いは──」

「綺麗事だ!」

 フランス代表が机を叩く。

「技術を共有すれば、軍事転用のリスクも共有することになる」


 胸が締め付けられる。

 また同じ議論だ。信頼と疑念の堂々巡り。

(それでも、諦めるわけにはいかない)


***


 1956年、国際原子力研究所の設立から17年。

 髪に白いものが混じり始めた私は、鏡に映る自分の顔を見つめていた。

 63歳。前世より長く生きている。でも──

(まだ、核融合炉は完成していない)


 ホテルの部屋で、古い写真を見る。

 研究所設立時の記念写真。若かった顔が並んでいる。その半分は、もうこの世にいない。

 

 ドアがノックされた。

「アーサー、いるか?」

 坂本裕二の声だ。彼も髪が薄くなり、眼鏡が厚くなった。

「入ってくれ」


 坂本は疲れた顔で入ってきた。

「また揉めてるな」

「ああ」

 私はウイスキーを二つ注ぐ。氷が音を立てる。

「17年前と同じ議論だ」

 

 坂本が苦笑する。

「いや、違う。あの頃はまだ希望があった」

 その言葉が、胸に突き刺さる。

「今は?」

「今は……疲れた老人たちの繰り言さ」


 窓の外で、雪が舞い始めた。

 ジュネーブの冬は厳しい。研究所の暖房費だけでも、年間予算の相当部分を占める。

「なあ、アーサー」

 坂本が呟く。

「本当に、できるのか? 核融合炉なんて」

 

 答えられなかった。

 前世の記憶では、21世紀になってもまだ実用化されていなかった。この時代の技術で、本当に可能なのか?

(でも、やるしかない)


***


 翌日の会議は、さらに紛糾した。

「予算を削減すべきだ」

 ドイツ代表が言い出す。

「17年間、成果なし。いつまで夢を追い続けるつもりだ?」

 

 賛同の声が上がる。

 インド、イラン、そして──

「日本も、再考の余地があると考えています」

 坂本が立ち上がった。驚きで息が止まる。

(裏切りか?)

 いや、違う。彼の目には苦渋の色が。


「ただし」

 坂本が続ける。

「あと2年。2年だけ猶予をいただきたい」

 会場がざわめく。

「日本は、新しいセンサー技術を開発しました。プラズマの安定性を飛躍的に向上させる可能性があります」

 

 希望。

 かすかな、でも確かな希望が見えた。

「2年で結果が出なければ?」

 ソ連代表が問う。

「その時は……」

 坂本が私を見る。

「計画の大幅縮小もやむなし」


 2年。

 たった2年で、30年分の夢を実現しなければならない。

(できるのか?)

 いや──

(やるしかない)


***


 1974年、フランス南部の建設現場。

 巨大なドーナツ型の構造物が、少しずつ形を成していく。※1 トカマク型核融合炉。人類の夢を載せた、鋼鉄の輪。

 

「磁場コイルの設置完了」

 若い技術者が報告する。彼らの目には、まだ輝きがあった。

「プラズマ容器の真空度も基準値をクリア」

 

 順調に見える。でも──

「センサーの調整が追いつかない」

 坂本が頭を抱える。

「理論上は可能なはずなんだが」


 深夜の制御室。

 コーヒーと煙草の匂いが充満している。モニターの青い光が、疲れた顔を照らす。

「もう一度、最初から」

 私は言う。何度目だろう。

「磁場の配置を0.01テスラずつ調整。温度勾配も──」

 

 突然、アラームが鳴った。

「真空漏れ! セクター7!」

 全員が動き出す。またトラブルだ。

(間に合うのか?)

 カレンダーを見る。残り8ヶ月。


***


 1975年11月。

 約束の2年が、もうすぐ終わる。

 最終調整が続く中、各国の代表団が到着し始めた。成功すれば英雄。失敗すれば──

「準備はどうだ?」

 坂本が聞く。顔色が悪い。昨夜も徹夜だったらしい。

「理論上は完璧だ」

 嘘じゃない。でも、理論と現実の間には、いつも深い溝がある。


 実験当日。

 制御室には、百人を超える人間が詰めかけていた。各国代表、報道陣、そして──

「始めましょう」

 私は深呼吸した。

 手が震える。でも、もう後戻りはできない。


「真空度、確認」

「正常です」

「磁場強度」

「基準値内」

「冷却系統」

「オールグリーン」

 

 チェックリストを一つずつ潰していく。

 心臓が早鐘を打つ。喉がカラカラだ。

「プラズマ注入、開始します」


 スイッチを押す。

 その瞬間、時間が止まったような気がした。

 

 モニターに、かすかな光が現れる。

 温度が上昇し始めた。1千万度、5千万度、8千万度──

「磁場が不安定です!」

 警告音が鳴る。

(ダメか?)

 

「センサー補正、実行」

 坂本が叫ぶ。彼の新技術に賭けるしかない。

 数値が激しく振れる。制御室に緊張が走る。

 そして──

 

 安定した。

 

 1億度を超え、さらに上昇。

 プラズマが、美しい輪を描いている。

「反応開始を確認」

 技術者の声が震えている。

「出力、上昇中。100キロワット、500キロワット、1メガワット──」


 制御室が、息を呑む静寂に包まれた。

 そして──

「成功だ」

 最初に呟いたのは、誰だったか。

 

 次の瞬間、歓声が爆発した。

 抱き合う者、泣き崩れる者、呆然と立ち尽くす者。

 私の頬にも、熱いものが流れていた。

 

 30年。

 前世から数えれば、200年。

 ようやく──ようやく、ここまで来た。


***


 祝賀会の喧騒を抜け出し、一人でバルコニーに立つ。

 地中海から吹く風が、火照った顔に心地よい。

 

「おめでとう、アーサー」

 坂本が隣に立った。シャンパンのグラスを2つ持っている。

「君のおかげだ」

「いや、みんなのおかげさ」

 

 グラスを合わせる。

 澄んだ音が、夜気に響く。

「これで終わりじゃない」

 私は呟く。

「始まりだ」

 

 坂本が頷く。

「実用化への道は、まだ長い。でも──」

「でも、第一歩は踏み出せた」

 

 星空を見上げる。

 あの星々も、核融合で輝いている。人類がようやく、星の力を手に入れた。

(これで、広島も長崎も起きない)

 そう信じたい。でも──

 

「人間の欲望は、技術より根深い」

 坂本が呟く。まるで私の心を読んだように。

「それでも、希望は捨てない」

 私は答える。

「次の世代に、より良い世界を残すために」


 風が強くなってきた。

 二人で制御室に戻る。まだ仕事は山積みだ。データの解析、次の実験の準備、そして──

「ところで」

 坂本が振り返る。

「君、いくつになった?」

「82歳」

 嘘をつく。本当は83歳。前世も含めれば──数えたくない。

 

「まだまだ現役だな」

「ああ、死ぬまで現役さ」

 

 笑い合う。

 でも、お互い分かっている。時間は、もうそれほど残されていない。

 だからこそ──

(できることを、全てやり尽くす)

 

 制御室のドアを開ける。

 若い技術者たちが、興奮冷めやらぬ様子でデータを見つめている。

 彼らが、次の時代を作る。

 

 私にできるのは、道を示すことだけだ。

 でも、それで十分。

 核の炎は、ようやく希望の灯となった。

 

 モニターに映るプラズマの輪が、静かに輝き続けている。

 永遠の炎のように。

***


*1:強力な磁場でプラズマを閉じ込めて核融合を起こす装置。

簡単に言うと、人工の太陽を作って無限に近いエネルギーを生み出す技術

推測で通常の原子力発電所2~3基分の発電量


------------------------------------------------------------

この作品を応援してくださる皆様へお願いがあります。

なろうでは「ブックマーク」と「評価ポイント」が多いほど、多くの読者に届きやすくなります。

「続きが気になる!」と思った方は、ぜひ ブックマーク&★評価 を押していただけると、今後の更新の励みになります!


感想も大歓迎です! 一言でもいただけると、モチベーションが爆上がりします!


次回もお楽しみに! ブックマークもしていただけると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ