閑話 過去に生まれ変わった科学者その2~融合炉の国際プロジェクトへ
焦げた珈琲の匂いが、研究室に充満していた。
1942年12月、ロスアラモス。窓の外では雪が舞い、ラジオからはドイツのクーデターによる休戦の臨時ニュースが流れ続けている。
私は震える手でカップを置いた。
(これで、核爆弾は作らずに済む?)
甘い考えだった。
ドアが勢いよく開き、オッペンハイマーが駆け込んでくる。
「カヴェンディッシュ、聞いたか? ルーズベルトが──」
言葉が途切れる。彼の顔は蒼白だった。
「大統領が急死された」
二重の衝撃。ドイツの休戦と、アメリカ指導者の死。
世界の軸が、音を立てて傾いていく。
(歴史が、変わり始めている)
胸の奥で、何かがざわめいた。これも他の転生者たちの影響なのか。私だけじゃない。きっと世界のどこかで、誰かが必死に未来を変えようとしている。
***
翌週、緊急会議が召集された。
薄暗い会議室に、主要な科学者たちが集まる。皆、疲労と不安を顔に刻んでいた。
「マンハッタン計画は規模を縮小する」
新たに着任した軍の代表が、感情を殺した声で告げる。
「予算は三分の一。人員も同様だ」
安堵と落胆が、複雑に入り混じる。
核爆弾開発の圧力から解放される一方で、多くの同僚が職を失うことになる。
「これは好機かもしれない」
私は立ち上がった。視線が集まる。
「核分裂の軍事利用から、平和利用へ。今こそ方向転換すべきです」
沈黙。そして──
「理想論だ」
エドワード・テラーが吐き捨てる。
「エネルギー問題の解決? 結構なことだ。だが現実を見ろ。予算は削られ、政府の関心も薄れている」
「だからこそ、です」
私は譲らない。前世の記憶が、私を突き動かす。
「核融合なら──」
「核融合?」
テラーの目が光る。彼もまた、その可能性に魅入られた一人だった。
***
深夜の実験室。
私は数人の協力者と共に、密かに作業を進めていた。既存の設備を改良し、小規模な核融合実験装置を組み立てる。
「本当にこれで上手くいくのか?」
若い研究員が、配線を繋ぎながら呟く。
「1940年代の技術では限界がある」
正直に答える。でも──
「基礎理論さえ確立できれば、道は開ける」
手を止め、彼らを見回す。
「核融合炉が完成すれば、人類は無限のエネルギーを手にする。石油も石炭も要らない。戦争の原因の一つが消える」
希望。それが彼らの目に宿った。
だが現実は厳しかった。
計算は膨大で、真空管のコンピュータでは処理しきれない。プラズマの制御も、今の技術では夢物語だ。
(もっと高度な計算機があれば──)
祈るような気持ちで、研究を続けた。
***
1947年春。
奇跡のような報せが、イギリスから届いた。
「トランジスタ製の汎用コンピュータ?」
電報を読み返す。手が震えた。
アラン・チューリング博士と、日本人留学生の共同開発。真空管の時代に、トランジスタ。
(これは──)
即座に購入手続きを進めながら、その日本人学生について調査を命じた。数週間後、驚くべき報告が上がってきた。
「ケンブリッジ大学、電子工学専攻」
助手が資料を読み上げる。
「入学後すぐに頭角を現し、イギリス貴族の子弟たちを──これは何かの間違いでは?」
「続けて」
「満州の大慶油田を発見し、日本政府に売却。その資金で電子部品メーカーを設立」
油田の発見。前世の知識なしには不可能だ。
(転生者)
確信した。でも──
会いたい衝動を、必死で抑える。自然な出会いでない限り、接触は危険だ。転生者同士が意図的に協力すれば、歴史への影響は計り知れない。
それでも、彼の存在は心強かった。
(私だけじゃない)
孤独が、少しだけ和らぐ。
***
新しいコンピュータが到着した日、研究室は興奮に包まれた。
「信じられない」
オッペンハイマーが、筐体を撫でる。
「真空管の10分の1のサイズで、100倍の処理速度」
早速、核融合の計算を始める。
プラズマの挙動、磁場の制御、エネルギー収支。今まで不可能だった複雑な計算が、次々と解かれていく。
「理論的には可能だ」
深夜、計算結果を前に呟く。でも──
「実現には、まだ技術が足りない」
その時、ドアがノックされた。
「失礼します」
軍服の男が入ってくる。嫌な予感が背筋を走った。
「カヴェンディッシュ博士、大統領命令です」
封書を受け取る。中を見て、血の気が引いた。
『核分裂反応爆弾の即時開発を命ずる』
(結局、逃れられないのか)
手が震える。広島と長崎の幻影が、目の前でちらつく。
「お断りします」
「命令違反は反逆罪だ」
男の声が、氷のように冷たい。
「それでも?」
***
結局、私は開発を引き受けた。
ただし──
「時間と予算が必要です」
軍の担当者に、淡々と説明する。
「現在の研究は平和利用が前提。兵器転用には、根本的な設計変更が必要です」
「どれくらいかかる?」
「最低でも3年」
嘘だった。本気でやれば1年で完成する。
でも、その間に──
(必ず、別の道を見つける)
深夜、一人で設計図に向かう。
わざと効率の悪い設計。意図的な欠陥。ペンを走らせながら、胸が痛む。
(これは裏切りか?)
いや、違う。これは──
(未来への責任だ)
1950年、また驚きのニュースが飛び込んできた。
「ICを使ったコンピュータ?」
今度は日本製。あのトランジスタコンピュータを作った留学生が、帰国後に開発したという。
(彼は、どこまで未来を知っているんだ)
技術の進歩が、歴史を加速させている。
このままでは──
***
1955年、ネバダ砂漠。
灼熱の太陽が、観測所のコンクリートを焼く。
3年かけて作った核爆弾の、最初の実験日だった。
「カウントダウン開始」
スピーカーから、機械的な声が流れる。
10、9、8──
(頼む、失敗してくれ)
設計図に仕込んだ欠陥が、正しく作動することを祈る。
3、2、1──
閃光。
そして──何も起きなかった。
「不発だ!」
観測所が騒然となる。私は安堵を隠しながら、驚いたふりをした。
「原因を調査します」
3ヶ月後の再実験では、爆発した。
ただし、威力は予想の3分の1。
「なぜだ?」
軍の幹部が詰め寄る。
「理論と現実の差です」
用意していた言い訳を並べる。そして──
「興味深い現象を発見しました」
データを示す。爆心地近くに置いた電子機器が、全て破壊されていた。
「電磁パルスです。核爆発が強力な電磁波を発生させ、電子機器を無力化する」
幹部たちの目が光る。
「つまり?」
「高高度で爆発させれば、都市機能を麻痺させられます。直接的な破壊より、効果的かもしれません」
餌に食いついた。これで地上への直接投下は減るはずだ。
***
1956年、私は大きな賭けに出た。
国際会議の場で、ある提案をしたのだ。
「核融合の国際共同研究を提案します」
会場がざわめく。
ソ連の代表が立ち上がる。
「資本主義国との協力など──」
「このままでは、全ての国が核兵器を持つことになる」
私は声を張り上げた。
「すでに理論は拡散している。時間の問題だ」
沈黙。
そして──
「ならば、管理すべきだ」
イギリスの代表が口を開く。
「核融合の平和利用を前提に、核兵器の数を制限する。違反国には──」
「無条件の制裁」
私が続ける。
「全ての国が監視し合う。それが抑止力になる」
議論は深夜まで続いた。
不信と疑念。でも、恐怖がそれを上回る。
最終的に──
「準備委員会の設置に合意する」
小さな一歩。でも、確実な前進だった。
***
ホテルの部屋に戻り、窓の外を見る。
街の灯りが、星のように瞬いていた。
(未来は、変えられる)
前世では不可能だった国際協力が、この世界では芽生えようとしている。
でも、油断はできない。
人間の欲望は、いつだって理性を上回る。
(それでも、諦めない)
目を閉じる。
前世の記憶が、鮮明に蘇る。広島の惨状。焼け焦げた大地。影だけを残して消えた人々。この世界では、まだ起きていない悲劇。
(絶対に、起こさせない)
拳を握りしめ、誓いを新たにする。
核の炎を、破壊ではなく創造へ。
その道は険しいが、歩み続ける。
窓の外で、流れ星が一筋、夜空を切り裂いた。
まるで、未来からのメッセージのように。
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