第57話 士官学校の上杉ブース
生体認証キーに指を押し当てる。冷たい金属が体温を奪っていく。
士官学校の一角に設けられた俺専用のブースで、今日も国防研究所とのテレワーク会議に参加していた。
扉の外側で、警務隊の実銃装備が擦れる音がする。金属の重みが空気を震わせた。
この異様な設備が設置されたとき、廊下に足音が殺到した。好奇心に満ちた視線が肌を刺す。
「まぁ、上杉なら仕方ない」
北園がいつもの調子で言い放つ。
ざわめきが潮のように引いた。喉の奥で苦い笑いが込み上げる。
モニターの青白い光が網膜を焼く。研究者たちの声がヘッドセットを通じて鼓膜を震わせる。
「第6世代機の制御AI、順調ですね」
「自律戦闘機動の精度が上がってます」
画面に映る戦闘機動のシミュレーション。胸の奥が熱くなる。従来の第5世代機を凌駕する機動に、背筋が自然と伸びた。
ただ、首筋に嫌な汗が滲む。
技術開発に没頭するあまり、実機訓練の時間が減ってしまった。手のひらの感覚が変わっている。操縦桿を握る感触が、わずかに遠い。
先日の実技シミュレーション。北園に一敗を喫した。血が頭に上る。奥歯を噛みしめた。
その後本気を出して3勝1敗で勝ち越したが——
「お前を倒すのに、どれだけ時間がかかったか分かるか?」
模擬戦のリプレイ映像を見る北園の瞳が輝いていた。
「……たった一回だろ」
俺は肩の力を抜く。
「そのたった一回が大事なんだよ、義之」
北園の声に熱がこもる。
「次は連勝してやるさ」
俺の掌に汗が滲んだ。
「この調子なら、逆転する日も近いな!」
喉が渇く。油断はできない。脈拍が速まった。
***
教官の足音が廊下に響く。重い。
「上杉」
教官が立ち止まった。
「お前の成績があまりに優秀すぎる」
何を言い出すんだ。鼓膜が震える。
「よって、レポートと定期試験で優良判定を取れば、主席で卒業させることになった」
首が勝手に上を向いた。天井の蛍光灯が眩しい。
「ただし」
教官の眉間に皺が寄る。
「実技は北園に勝ち越すことが条件だ」
胃の奥で何かがざわめく。
つまり、座学と研究に専念すれば卒業できる。技官としての道が開けている。
士官学校の生徒なのか、技官なのか。頭がぐらつく。
上層部からの期待が重い。鎖骨の辺りに鉛を詰め込まれたような感覚。俺の研究が日本の次世代航空戦力の根幹に関わっている以上、この道を進むしかないのか。
「まぁ……やるしかないか」
呟いた声が、防音壁に吸い込まれて消えた。
***
翌日の朝。光がブースの隙間から差し込む。
キーボードを叩く指が機械的に動く。研究所との打ち合わせをこなし、午後には実技訓練へ。
北園が待ち構えていた。口角が上がっている。
「今日はまた一勝しちゃうかもな」
「そうはさせないさ」
シミュレーション装置のシートに体を預ける。合成皮革の匂いが鼻を突く。
操縦桿を握る。冷たい金属が掌に馴染む。
飛燕改のシミュレート機体を操る。Gが全身を襲う。実際には動いていないのに、三半規管が混乱する。
AIの助けを最小限に。北園との読み合い。呼吸が重なる。
実機訓練の重要性が骨身に染みた。
この日も結果は3勝1敗。
「ちっ、もう一歩だったのに……!」
北園の下唇に歯型がついている。
「でも、やっぱり楽しいよな」
表情が緩んだ。
「お前との勝負は」
俺の頬の筋肉も動く。
「そうだな。俺にとっても、いい刺激になってる」
汗で湿ったフライトスーツが肌に張り付く。この競い合いは続いていく。
***
教官の部屋。扉が重い。ノックの音が大きく響く。
「上杉」
教官が書類から顔を上げる。
「お前のAI開発の成果を基に、次期戦術研究の会議に参加するよう指示が下った」
喉の奥に鉛を飲み込んだような重さ。技術者としての立場が固まっていく。
「お前がどんな道を選ぶかは自由だ」
教官の視線が突き刺さる。
「ただし、どの道を選んでも、お前には期待している」
俺は喉を鳴らした。
「分かりました」
声が掠れる。
「俺なりに、できることをやります」
その夜、足が勝手にブースへ向かった。
セキュリティキーが指紋を読み取る。画面に映る第6世代機の設計図。青白い光が瞳に映り込む。
新たな挑戦に向けて、背骨に力が入った。
***
翌日。北園の足音が近づいてくる。軽い。
「お前のブースって、ついに士官学校の施設の一部になったんだな」
「まぁ、そうみたいだな」
肩をすくめる。関節が小さく鳴った。
「そのうち、お前専用の滑走路とかできるんじゃないか?」
北園が笑う。空気が震える。
俺の頬がぴくりと痙攣した。
「それはないと思うが……」
苦笑いが漏れる。
「もしできたら、お前も使わせてやるよ」
「楽しみにしてるぜ」
北園の笑い声が廊下に響きながら遠ざかっていく。
耳に残る余韻。友との日常が、まだここにある。




