第40話 無名權波の亡霊と情報の攻防
夏季休暇中、自宅のソファでくつろいでいた。
紅茶の香りが鼻をくすぐる。平和な午後――
インターホンが鳴る。
手が止まる。この時間に?
モニターを見る。夏見だ。※1USTIの局長。
胃の奥がキュッと締まる。
休暇中の訪問。ただ事じゃない。
「休暇中にも関わらず、ありがとう」
玄関で声をかける。喉が渇いてる。
「諜報関係者として当たり前のことです」
相変わらず固い。でも、その声に緊張が滲んでる。
リビングに通す。
夏見が座る。背筋がピンと伸びてる。でも、指先が微かに震えてる。
「……この情報は、慎重に扱ってください」
全身の毛が逆立つ。
夏見がこう言う時は――本当にヤバい時だ。
持参した資料を広げる。
写真、データ、地図。紙の匂いが新しい。急いで用意したんだ。
「目下のところ、我々が最優先で注視している対象は『無名權波一味』です」
無名權波。
その名前で、背中に冷たい汗が流れる。
暗号通貨を狙った奴。まだ生きていたのか。
「彼らが持つ技術力については詳細が判明していません」
夏見の声が震える。恐怖? いや、苛立ちか。
「ただし、サイバーテロを起こす能力を有しており、極めて危険な集団です」
危険。
その言葉で、空気が重くなる。
「現時点で分かっているのは、彼らが高度なサイバー攻撃を可能にする未知の技術を保有していること」
未知の技術。
心臓がドクンと跳ねる。
転生者の知識か? ……いや、考えすぎだ。でも――
「そして、その目的が我が国の防衛機能を無力化することにある可能性が高い」
防衛機能。
手のひらがじっとりと湿る。
「未知の技術か……」
軽く返す。でも、声が上ずってる。
夏見が資料をめくる。ページをめくる音が、やけに大きく響く。
「無名權波の動きは不審です」
一枚の写真を指す。暗号通貨取引所のログ画面。
「複数の取引所をハッキングしています」
「狙いは金か?」
「それもあるでしょう。ただ――」
夏見が言葉を切る。唇を噛んでる。
「それだけじゃない可能性が高い」
それだけじゃない。
喉の奥が締め付けられる。何を企んでる?
「奴らが狙っているのは、情報操作の可能性があります」
情報操作。
データの改竄。歴史の書き換え?
頭がグルグル回る。こめかみがズキズキする。
「我々だけでなく、義之様の協力も非常に重要だと考えています」
夏見の目が真剣だ。瞳の奥に、必死さが見える。
「もし技術的な分析が必要になったら、すぐに声をかけてくれ」
即答する。でも、手が震えそうになる。押さえる。
「ところで、あいつらの技術の正体について、何か手掛かりは?」
核心に迫る。
夏見の顔が強張る。言いたくない? それとも言えない?
「現段階では断片的な情報しかありません」
歯切れが悪い。
でも続ける。声を絞り出すように。
「ただし、いくつかの痕跡から彼らが特定の企業や研究機関と接触している可能性が」
企業や研究機関。
背筋に冷たいものが走る。内通者がいる?
夏見が立ち上がる。
帰り際、振り返る。
「必ず守るべき情報が見つかるはずです」
意味深な言葉。
何を知ってる? でも聞けない。
これが諜報の世界。
***
数日後の午後。
またインターホン。夏見だ。
今度は表情が違う。
目が輝いてる。興奮? いや、戦意か。
「義之様、お伝えすべき情報があります」
資料をテーブルに広げる。
航空写真。建物の見取り図。赤いマーカーの印。
「現在、無名權波一味が拠点としている施設を特定しました」
特定。
胸が高鳴る。ついに尻尾を掴んだ。
「イギリス治安組織と軍の協力を得て、明日、その拠点を強襲する予定です」
明日。
早い。早すぎる。
何か引っかかる。胸騒ぎがする。
「いよいよ彼らを追い詰める段階に来たというわけか……」
呟く。でも、口の中が苦い。
簡単すぎないか?
「俺は何か手伝えることが?」
聞いてみる。でも、答えは分かってる。
「義之様はここで朗報をお待ちください」
夏見が首を横に振る。申し訳なさそうに。
「士官学校に国外渡航申請を出していない以上、現地に行くことは不可能です」
そうだ。俺はまだ学生。
拳を握る。爪が掌に食い込む。
「わかった。何か進展があればすぐに」
歯痒い。でも仕方ない。
待つしかない。
***
翌日、報告が来た。
夏見の顔が青い。
何があった?
「作戦は成功しました。でも――」
声が震えてる。
「戦闘はほとんどなく、無名權波はあっさりと拘束されました」
あっさり?
背中がゾクッとする。罠じゃないのか?
「だが、捕縛後の彼の言動が関係者たちを困惑させています」
資料を見せる。手が震えてる。
録音の書き起こし。文字を追う。
――中国が分断国家なんておかしい
――21世紀は中国の物だった
――分断はアメリカと日本の謀略だ
――上杉グループなんて存在するはずがない
目眩がする。
何だこれは。妄想? それとも――
別の世界線の記憶?
心臓が早鐘を打つ。
まさか。でも――
「彼の言動は理知的で、狂信者のような印象はなかったと」
理知的。
なのに妄想。矛盾してる。
いや、矛盾じゃない。
彼にとっては、それが真実なんだ。
喉が詰まる。息ができない。
「資金源についての情報も判明しました」
夏見が話題を変える。
俺の動揺に気づいた?
「世界各地から少額の※2BTCを抜き取り、それを※3黒社会に流して資金源に」
手口が巧妙だ。
でも、今はそれどころじゃない。
頭の中で、ある可能性がグルグル回る。
転生者。俺と同じ――
「……つまり、奴らの目的は単なる妨害じゃなく、情報の操作だと?」
なんとか言葉を絞り出す。
「そう考えています」
そして――衝撃の報告。
「無名權波は……トイレで首を括り自死しました」
自死。
全身から力が抜ける。
椅子にもたれかかる。
なぜ?
「奴が自ら命を絶つなんて……」
言葉が出ない。
胸が痛い。敵だった。でも――
同じ転生者だったとしたら。
違う世界線の記憶を持って、この世界に絶望したとしたら。
「彼にとって祖国の現状に耐えられなかったのかもしれない」
呟く。声が震える。
中国が分断国家。
彼にとっては受け入れられない現実。
「だが、それでも、もっと違う道があったはずだ」
そう言いながら、自分に問う。
俺だって、この世界に順応するのに苦労した。
もし、俺の知る日本が存在しなかったら?
背筋が凍る。
「これで一つの脅威は去ったが、同時にまた新たな謎が生まれたようだな……」
無名權波の正体。目的。
そして――
他にも転生者がいるのか?
「これで終わり、だといいのですが」
夏見の言葉に不安が滲む。
俺も同じ気持ちだ。
むしろ、これは始まりかもしれない。
窓の外を見る。
平和な街並み。人々が普通に歩いてる。
でも、その中に――
別の世界の記憶を持つ者がいるかもしれない。
手を見る。
まだ震えてる。
無名權波は死んだ。
でも、彼の亡霊はまだ生きてる。
データの中に。
ネットワークの中に。
そして――
俺の恐怖の中に。
次の脅威に備える。
それしかない。
でも、違和感が消えない。
彼は何を見ていたのか。
どんな世界を夢見ていたのか。
答えは、もう聞けない。
胸の奥で、何かが疼く。
同情? 恐怖? それとも――
共感か。
***
※1 USTI:上杉特別情報局(Uesugi Special Technology Intelligence)。上杉グループの諜報・防諜組織
※2 BTC:ビットコイン(Bitcoin)。暗号通貨の一種
※3 黒社会:犯罪組織や地下経済を指す言葉。主に中華圏で使われる
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