第39話 夏空の挑戦
7月初旬。厚木飛行場。
アスファルトからの照り返しが、顔を叩く。目を開けていられない。
「曹長(仮)として扱う」
教官の言葉に、背筋がピンと伸びる。
士官候補生じゃない。現場の一員だ。
最初の任務は※1FOD除去。
滑走路を横一列に並んで歩く。小石一つ、ボルト一本も見逃せない。
「これが訓練?」
隣で誰かがぼやく。
「エンジンに吸い込まれたら墜落だ」
教官の声が飛ぶ。全員の顔が引き締まる。
炎天下。汗が目に入る。痛い。
腰を曲げたまま歩く。背中がビリビリと痛み出す。
「おい、上杉」
北園が肩を叩く。
「楽しそうだな」
「まさか」
でも、口元が緩んでるのが分かる。
仲間と一緒だから、耐えられる。
***
翌日。荷物の仕分け作業。
輸送機から次々と降ろされる箱。重い。
持ち上げる。腰に激痛。
「うっ」
声が漏れる。
「大丈夫か」
班員が心配そうに見る。
「平気だ」
嘘だ。腰が悲鳴を上げてる。
でも、弱音は吐けない。
「持ち方が悪い」
教官が近づく。
「膝を使え。腰じゃない」
やってみる。確かに楽になる。
でも、太ももがパンパンに張る。
夕方。全身が鉛のように重い。
食堂で箸を持つ手が震える。
「明日は※2耐G訓練だってよ」
誰かが言う。
耐G。
胃の奥がキュッと締まる。不安? いや、期待かもしれない。
***
耐G訓練室。
巨大な遠心機が目の前にある。洗濯機みたいだ。
「これから9Gまで上げる」
教官の説明。9G。体重の9倍の力。
喉がカラカラになる。
シートに座る。ベルトをきつく締める。胸が圧迫される。
「呼吸法を忘れるな」
回転開始。
最初は普通。でも――
3G。
顔の肉が下に引っ張られる。重い。
5G。
胸が潰れる。息ができない。
腹筋に力を入れる。呼吸法。短く、早く。
7G。
視界の端が暗くなる。トンネルみたいだ。
血が下半身に引っ張られてる。頭に血が行かない。
必死で脚に力を入れる。筋肉を締める。
血を上に押し戻せ。
9G。
世界が点になる。
意識が遠のく。ダメだ。堪えろ。
歯を食いしばる。奥歯がギリギリ鳴る。
腹筋が千切れそう。太ももが爆発しそう。
でも――耐える。
回転が止まる。
一気に重力から解放される。
「はぁ、はぁ、はぁ」
荒い呼吸。全身汗びっしょり。
でも、意識はある。耐えた。
「上杉、筋がいいな」
教官の言葉。嬉しい。でも――
立ち上がろうとして、膝がガクンと折れる。
慌てて手すりを掴む。情けない。
「次、北園」
北園が代わる。
彼は――すごかった。
9Gでも涼しい顔。いや、楽しんでるみたいだ。
「化け物か」
思わず呟く。
***
※3複座戦闘機での体験搭乗。
本物だ。飛燕の後部座席。
エンジン音が骨に響く。
身体全体が振動する。
「行くぞ」
パイロットの声。
離陸。
背中がシートに押し付けられる。
内臓が後ろに引っ張られる感覚。
急上昇。
胃が喉まで上がってくる。抑える。
急旋回。
世界がグルンと回る。上下が分からない。
横を見る。
地面が真横にある。いや、上? 下?
頭がグラグラする。
胃液がこみ上げる。飲み込む。酸っぱい。
「うぅ……」
隣の席から声。振り返れない。
でも分かる。誰かが吐いた。
匂いが鼻をつく。
連鎖反応。俺も――
いや、堪える。
目を閉じる。深呼吸。でも息が詰まる。
マスクの中が熱い。汗でベタベタ。
酸素を吸う。でも足りない。
着陸。
やっと終わった。
キャノピーが開く。
外の空気。生き返る。
でも、立てない。
脚がプルプル震えてる。
「よく耐えたな」
パイロットが肩を叩く。
見回す。
ほとんどの同期が蒼白。何人かは……ご愁傷様だ。
俺と北園だけが、なんとか耐えた。
でも、俺は限界ギリギリ。
北園は――
「最高だった! もう一回!」
バケモノだ。
***
夜。宿舎のベッド。
全身が痛い。筋肉痛じゃない。もっと深い痛み。
「今日はきつかったな」
北園がベッドから声をかける。
「お前には楽勝だったろ」
「いや、最後はさすがにキツかった」
嘘つけ。でも、その気遣いが嬉しい。
「でもさ」
北園が続ける。
「これを乗り越えたら、本物のパイロットに近づける」
そうだ。
今日の苦しみは、明日への一歩。
窓の外。
星が見える。あの空を、いつか自分の力で飛ぶ。
そのためなら――
「明日も頑張るか」
「ああ」
二人の声が重なる。
疲れてるけど、不思議と力が湧いてくる。
***
訓練最終日。
滑走路に立つ。
最初に歩いた場所。
あの時は、ただの石拾いだと思ってた。
でも、違った。
全てに意味があった。
FODを見逃せば、仲間が死ぬ。
Gに耐えられなければ、任務は果たせない。
「お前ら、よく耐えた」
教官が言う。
「だが、これは始まりに過ぎない」
分かってる。
でも、越えられない壁じゃない。
仲間がいる。
北園みたいな化け物も、普通の奴らも。
みんなで支え合えば――
「整列!」
号令で我に返る。
背筋を伸ばす。
夏の太陽が眩しい。
汗が額を流れる。
でも、心地いい。
生きてる実感。成長してる実感。
この夏は、忘れない。
身体に刻まれた記憶。
次はもっと高く、もっと速く。
その準備は、できた。
***
※1 FOD(Foreign Object Debris):滑走路上の異物。小石やボルトなど、航空機のエンジンに吸い込まれると重大事故につながる
※2 耐G訓練:高重力加速度に耐える訓練。戦闘機の急旋回時にかかる重力の数倍の力に身体を慣らす
※3 複座戦闘機:操縦席が2つある戦闘機。訓練や偵察任務で使用される
------------------------------------------------------------
この作品を応援してくださる皆様へお願いがあります。
なろうでは「ブックマーク」と「評価ポイント」が多いほど、多くの読者に届きやすくなります。
「続きが気になる!」と思った方は、ぜひ ブックマーク&★評価 を押していただけると、今後の更新の励みになります!
感想も大歓迎です! 一言でもいただけると、モチベーションが爆上がりします!
次回もお楽しみに! ブックマークもしていただけると嬉しいです!




