第36話 士官学校近代史の授業ノート
第34話 士官学校近代史の授業ノート
近代史の教室。いつもより空気が重い。
肺に入る空気が、妙に冷たく感じる。
教官が教壇に立つ。チョークが黒板を叩く音で、背筋がピリッとする。
『ロシア革命とその後』
文字を見た瞬間、胃の奥がキュッと締まる。この話は――知ってる。知りすぎてる。
隣で北園が欠伸を噛み殺してる。平和だな。
俺はペンを握る。指先に汗が滲む。
***
「ロマノフ王家が※1シベリアへ脱出した話を聞いたことがあるか」
教官の問い。教室がざわめく。
前の席の学生が手を挙げる。
「教科書には処刑されたと」
「それも事実だ。ただ、一部が脱出に成功した」
喉の奥が渇く。唾を飲み込もうとして、失敗する。
曽祖父の記録。転生者が関わった歴史の改変。でも、ここでは常識として――
「日米の協力による※2シベリア出兵が、この脱出を支えた」
ペンを走らせる。カリカリと音が響く。でも、手が震えてて、字が歪む。
(転生者たちが、この歴史を作った)
知ってる。でも言えない。
舌が口の中で重くなる。秘密の重さで。
***
「シベリア-ロシア帝国の成立は、資源開発が鍵だった」
教官が地図を指す。赤い線が引かれてる。国境線。
俺の知らない国境線。
「へぇ、そんな国があったんだ」
北園が素直に感心してる。
俺は頷く。でも、頬が引きつってるのが分かる。
「日本とアメリカがそんな形で協力していたなんて」
前の席の女子学生が振り返る。目がキラキラしてる。
「すごいよね」
すごい? そうかもしれない。
でも、俺の背中は冷や汗でシャツが張り付いてる。
この「偶然」の裏で動いた人々。名前も残さず、ただ未来を変えるために――
ペンを強く握る。指の関節が白くなる。
(俺も、この歴史の一部になるのか)
***
話題が※3樺太に移る。
「※4樺太イスラエルの建国について、詳しく見ていこう」
教室の空気が変わる。みんな身を乗り出す。
俺だけが椅子に沈み込む。重力が倍になったみたいだ。
「パレスチナでの建国が不可能だった理由は――」
教官の声が遠くに聞こえる。
前世の記憶。中東戦争。終わらない憎しみの連鎖。
でも、この世界では――
「※5オハ油田の開発が経済基盤となった」
また石油。曽祖父が大慶油田を「発見」したように。
偶然? まさか。
手のひらがベタベタする。ハンカチで拭う。すぐまた湿る。
「ユダヤ資本の投資規模について」
黒板に数字が並ぶ。天文学的な額。
「すげぇな」
北園が呟く。
「歴史って奥が深い」
純粋な感心。羨ましい。
何も知らないって、幸せかもしれない。
俺の胸の奥で、何かがチクチクと痛む。
***
※6満州国の話。
「日米が協力して建国を支えた」
協力。また協力。
この世界の日米関係は、前世とは真逆だ。
「異文化間の摩擦はなかったんですか」
質問が飛ぶ。
「あった。でも最小限に抑える政策が――」
理想的すぎる。
でも、窓の外を見れば、その理想が現実になってる。
平和な空。遠くで戦闘機の訓練音。
喉の奥が、じんわりと熱くなる。
この平和も、転生者たちが作ったもの。
でも――
(いつまで続く?)
不安が胸を締め付ける。呼吸が浅くなる。
***
「資源の安定供給が、極東の平和を支えた」
教官がまとめる。
資源。石油。天然ガス。
それが戦争を防いだ。
でも、転生者がいなくなったら?
俺の世代で、この平和を維持できるのか?
「歴史から学び、未来を築く視点を持とう」
授業が終わる。
みんなが席を立つ。ガタガタと椅子の音。
俺も立つ。膝がガクッとする。慌てて机に手をつく。
「どうした? 難しい顔して」
北園が肩を叩く。温かい。
「いや、考えさせられる授業だった」
声が震えないように気をつける。
「確かにな。でも面白かった」
北園は笑って去っていく。
俺は廊下に立ち尽くす。
足が床に張り付いたみたいだ。
***
転生者たちが作った歴史。
その重みが、肩にのしかかる。物理的に重い。
俺も転生者。
でも、先人たちのような大きなことができるのか?
……いや、やらなきゃいけない。
この平和を、次の世代に繋ぐために。
でも――
歴史を変える権利なんて、誰にあるんだ?
頭がズキズキする。こめかみを押さえる。
答えは出ない。
きっと、永遠に出ない。
深呼吸。空気が肺に入らない。
もう一度。今度は少し入った。
完全に一人じゃない。
美樹さんなら、いつか話せる日が来るかもしれない。
全てじゃなくても、この重さの一部くらいは。
その希望で、足が少し軽くなる。
一歩、また一歩。
次の教室へ向かう。
歴史の授業は終わった。
でも、俺の中では始まったばかりだ。
廊下の窓から差し込む光が、やけに眩しい。
目を細める。
それでも、前を向いて歩く。
***
※1 シベリア:ロシアのウラル山脈以東の広大な地域
※2 シベリア出兵:1918年から始まった日本・アメリカなど連合国によるロシア内戦への軍事介入
※3 樺太:サハリン島の日本名。日本とロシアの間で領有権が争われた島
※4 樺太イスラエル:この世界線で建国されたユダヤ人国家(史実には存在しない)
※5 オハ油田:樺太北部の油田(この世界線での設定)
※6 満州国:1932年から1945年まで存在した、中国東北部の国家
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