第35話 無名權波との攻防
年度末の静かな朝が、一本の連絡で砕け散った。
「攻撃予報。無名權波が動く」
受話器を置く。手のひらがじっとりと湿る。心臓が早鐘を打つ。
武者震い? ……いや、恐怖だ。認めたくないけど。
慌てて荷物をまとめる。シャツのボタンを掛け違える。指が震えてる。落ち着け。
廊下に出ると、北園がいた。
「帰らないんじゃなかったのか」
怪訝そうな顔。喉が渇く。説明する時間はない。でも――
「自宅で厄介ごとが起きそうでな」
北園の目が鋭くなる。肩が強張る。気づかれたか。
「何かあったのか」
「※1ハッキング。上杉グループが狙われてる」
言った瞬間、後悔が胸を刺す。機密事項だ。でも、北園の真っ直ぐな目を見て――
「頼む、俺も連れて行ってくれ」
予想外の申し出。息が詰まる。
「最高機密の現場だぞ。前回は例外で――」
「分かってる。でも、※2サイバー戦も学びたいんだ」
操縦士志望のくせに。……いや、だからこそか。
「出るのは3食とおやつだけ」
「おやつだけかよ」
軽口を叩き合う。でも、頬が引きつってるのが分かる。
***
正門で女性陣に捕まった。
「義之君、何か起きたの」
沙織さんの勘は鋭い。背中に冷たい汗が流れる。
「サイバー攻撃の予報が」
「私たちも行く」
即答。千鶴さんも真奈美さんも頷いてる。胃の奥がキリキリする。
「危険だぞ」
声が上ずった。情けない。
「訓練で学んだパターン認識を試したいの」
千鶴さんの静かな決意。断れない。膝に力が入らない。
車中、北園が身を乗り出す。
「具体的にどんな脅威」
「※3データセンターへの侵入。情報の奪取か破壊」
説明しながら、手のひらに汗が滲む。奴は何を狙ってる。
「囮の脆弱性に食いついたらしい」
「囮?」
「わざと作った偽の弱点。罠だ」
自信満々に言う。なのに、胸の奥で警鐘が鳴ってる。
***
秋葉原の司令室。
モニターの青い光が目に痛い。瞬きが増える。
田中主任が指揮を執ってる。シャツが汗で背中に張り付いてる。
「状況は」
「予想通り、囮に食いついてます。でも――」
田中さんの声が震える。俺の背筋も凍る。
「動きが巧妙すぎる。まるでこちらの手を読んでるような」
モニターを睨む。※4ログが流れる。文字の羅列。でも、その裏に奴の意図が見える。
指がキーボードの上で躊躇う。
「もっと深く来い」
呟く。強がりだ。手のひらがベタベタする。
「ログ解析、手伝うか」
北園に振る。彼の目が輝いてる。俺と違って、純粋にワクワクしてる。
「やりたい」
女性陣も端末の前に座る。画面に集中する横顔。
4つのルートを特定。順調すぎる。喉の奥が締め付けられる。
「逆ハッキング準備」
田中さんが指示。俺の指が動く。でも、なぜか重い。
相手の端末に※5マルウェアを送り込む。コードを打つ。カタカタと音が響く。
「待て、ログが変だ」
北園の声。全身の血が引く。
「侵入ルート、もう1カ所ある」
しまった。罠の中の罠か。
「10秒で侵入される」
田中さんの悲鳴。耳がキーンとする。
「2秒余裕がある」
言いながら、指が踊る。震えを押し殺して。間に合え――
***
Enter キーを叩く。
画面が切り替わる。成功。相手の端末がシャットダウン。
全身から力が抜ける。椅子にもたれかかる。
「やった……」
でも、喜びより先に吐き気がこみ上げる。危なかった。
「これで終わりじゃない」
確信がある。震える手でログを確認。再起動の痕跡。香港からの信号。
「蛇みたいな奴だ」
北園が肩を落としてる。
「悪かった。ミスって」
「お前のおかげで勝てた」
本心だ。でも、声が震えてる。
拳を差し出す。北園が応える。拳と拳がぶつかる。痛い。でも、この痛みが現実だと教えてくれる。
「次は俺が守る」
北園の言葉に、胸が熱くなる。
***
司令室を出る。
足がフラフラする。壁に手をつく。冷たい。
「大丈夫?」
千鶴さんの声。振り返ると、心配そうな顔。
「平気だ」
嘘だ。全然平気じゃない。でも、笑顔を作る。頬が引きつる。
「すごい集中力だったわ」
沙織さんが言う。
「でも、顔色悪いよ」
真奈美さんの指摘。鏡を見たくない。
外の空気を吸う。冷たい風が肺に入る。生きてる実感。
でも、不安は消えない。むしろ大きくなってる。
無名權波は必ず戻ってくる。
次はもっと巧妙に、もっと危険に。
手を見る。まだ震えてる。
***
翌朝、玲奈が部屋に来る。
「お兄様、昨日すごかった」
見てたのか。妹の前でも震えは隠せなかったか。
「私も強くなりたい」
その目に宿る決意。胸が締め付けられる。守らなきゃ。でも、守れるのか。
スマホが震える。美樹さんからメッセージ。
『頑張ってね。私も負けない』
短い言葉。なのに、目頭が熱くなる。
田中さんから連絡。
「次の手を予測できるかもしれません」
「頼む。完全に潰す」
強い言葉を使う。でも、指はまだ震えてる。
窓の外、秋葉原の街が朝日に輝く。
平和な光景。人々が普通に歩いてる。
この日常を守りたい。でも、できるのか。
無名權波。お前は何者だ。
転生者? 天才ハッカー? それとも――
分からない。怖い。
でも、踏み出すしかない。
震える足で、それでも前へ。
次の攻撃まで、時間はない。
深呼吸。震えを押し殺す。
一つだけ確かなこと。
俺は一人じゃない。
それだけが、今の支えだ。
***
※1 ハッキング:コンピュータシステムに不正に侵入し、データを盗んだり破壊したりする行為
※2 サイバー戦:インターネットやコンピュータネットワークを舞台にした攻撃・防御の戦い
※3 データセンター:大量のコンピュータサーバーを集中管理する施設
※4 ログ:コンピュータの動作記録。誰が、いつ、何をしたかの履歴
※5 マルウェア:悪意のあるソフトウェアの総称。ウイルスやトロイの木馬など
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