第33話 航空要員選抜試験
士官学校2年次への重要な関門。航空要員選抜試験。
入校時に陸・海・空の選抜は終わってるが、操縦士になるならこの試験は必須だ。筆記と実技。どちらも落とせない。
寮の空気がピリピリしてる。廊下ですれ違う同期の顔が、みんな青白い。
「お前、なんでそんなに余裕なんだよ」
北園が眉をひそめる。俺の肩が無意識に強張った。
「自家用航空免許、持ってるから」
言った瞬間、北園の表情が固まる。まずい。
「これだから良家のお坊ちゃんは――」
本気で呆れてる。胸の奥がチクリと痛む。事実なのに、なぜ後ろめたいんだ。
***
夕食時、食堂は騒がしい。
「筆記の範囲、広すぎだろ」
「シミュレーター、着陸できる気がしない」
不安の声があちこちから聞こえる。俺と北園のテーブルだけ、妙に静かだ。
「お前、本当に心配ないのか」
北園が小声で聞いてくる。箸が止まってる。味噌汁が冷めていく。
「心配することがあるなら、もっと前から準備してる」
正論だ。でも、北園の顔を見て喉が詰まる。
「お前だってしっかり準備してきただろ」
「まあな」
北園が箸を置く。カチャリと音が響く。
「俺、緊張すると手が震えるんだよ」
初めて聞いた。いつも自信満々の北園が。俺の箸を持つ手に、じわりと汗が滲む。
「大丈夫だ。練習通りにやれば」
声は落ち着いてる。なのに、左手がテーブルの下で拳を作ってた。
「……そうだな」
「明日、試験が終わったら何か甘いもの食べよう」
北園が小さく笑う。肩の力が少し抜けた。
***
試験前夜。ベッドに横になっても眠れない。
天井の染みを数える。23個。……いや、24個か。
余裕のはずだ。なのに、心臓の鼓動が耳の奥で響いてる。
隣のベッドで北園が寝返りを打つ。きっと彼も眠れないんだろう。
「おい、北園」
「……なんだよ」
「羊でも数えるか」
「バカか」
暗闇の中で、北園が吹き出す音。つられて俺も笑う。
緊張が少しだけほぐれた。
***
試験当日。
会場の空気が重い。鉛筆を転がす音さえ大きく響く。みんな資料を見返してる。俺も一応目を通す。
文字が頭を素通りしていく。
手のひらがじっとりと湿ってる。ハンカチで拭う。また湿る。
筆記試験開始。問題用紙をめくる音が一斉に響く。
航空理論、安全対策、緊急時対応。予想通りの範囲。ペンが滑らかに動く。
『緊急着陸時、民間人居住区への被害を最小限にする判断基準を述べよ』
ペンが止まる。
指先が冷たくなった。これは――技術じゃない。倫理の問題だ。
自分の命か、地上の人々か。
隣を見る。みんな書いてる。カリカリと鉛筆の音。俺だけが止まってる。
胸が締め付けられる。深呼吸。空気が肺に入らない。
教科書通りに書けばいい。分かってる。でも、ペンが重い。まるで鉛でできてるみたいに。
時間が過ぎる。結局、模範解答を書いた。
書き終えて安心するはずが、呼吸が浅いまま。胸の奥の違和感が消えない。
***
昼休み。
「どうだった」
北園が聞いてくる。パンを齧りながら。
「まあまあかな」
嘘だ。最後の問題が頭から離れない。
「俺は散々だ。でも、まだ実技がある」
北園が前を向いてる。俺も切り替えなければ。でも、操縦桿がいつもより重く感じるような予感がする。
***
午後、実技試験。
シミュレーターの前に座る。革張りのシートが体に馴染む。見慣れた計器類。
なのに、今日は全てが違って見える。高度計の針が、妙に鋭く感じる。
「離陸準備、開始」
教官の声。手が勝手に動く。チェックリスト確認、エンジン始動。問題ない。はずだ。
機体が浮き上がる感覚。シミュレーターでも分かる。順調だ。
警告音。
背筋に冷たいものが走る。エンジントラブル。
「緊急着陸を実施せよ」
モニターに街が映る。病院、学校、住宅街。どこに降りる。
さっきの筆記問題が頭をよぎる。正解なんてない。でも選ばなければ。
操縦桿を握る手に力が入る。指の関節が白くなる。
「どうした、上杉」
教官の声で我に返る。訓練通りに対処。手が動く。
河川敷を選んだ。無事着陸。でも――
「着陸まで8秒遅い。実戦なら墜落だ」
教官の言葉が胸に突き刺さる。
額に汗が滲んでた。シャツが背中に張り付いてる。
技術は問題ない。でも、決断が遅れた。なぜ迷った。
***
試験終了。
控室で北園と会う。彼の顔色が少し良くなってる。
「お疲れ。余裕そうだったな」
「全然」
正直に答えた。北園が目を丸くする。
「珍しいな、お前が弱音吐くなんて」
「お前は?」
「ギリギリだったよ。手、震えまくりだった」
北園が自分の手を見つめる。
「でも、震えながらも操縦桿は離さなかった」
その言葉に、胸が熱くなる。
***
結果発表。
掲示板に群がる学生たち。息を詰めて見る。
上杉義之。北園達也。名前はあった。
合格。
なのに、喜びより先に膝の力が抜ける。壁に寄りかかる。
「よかったな、北園」
「ああ、マジで冷や冷やした」
北園の顔に安堵の色。でも、すぐに真顔になる。
「これからが本番だな」
「戦闘機コース、狙うだろ」
「当然」
でも、今までとは違う。技術だけじゃない。判断力も、決断力も、そして――
「おめでとう」
振り返ると千鶴さん。彼女も合格してた。※1 回転翼機コース希望だという。
「千鶴さんも、おめでとう」
「ありがとう。でも、私も迷ったの」
彼女の静かな告白。
「最後の問題?」
「ええ。正解なんてないものね」
瞳の奥に、同じ迷いを見た。少し、救われた気がする。
***
夜、談話室。
月明かりが窓から差し込む。コーヒーの香りが鼻をくすぐる。
「お前、さっき正直に『全然』って言ったよな」
北園がマグカップを両手で包む。湯気が顔にかかる。
「ああ」
「らしくないと思ったけど、安心した」
「なぜ」
「お前も人間なんだなって」
北園の言葉に、肩の力が抜ける。そうか、俺は完璧を演じてたのか。
「戦闘機コース、一緒に目指そう」
「ああ」
マグカップが触れ合う。小さな音が響く。
窓の外、星が輝いてる。手を伸ばせば届きそうで、届かない。
操縦士への第一歩。技術と責任と、迷いと決断。全部背負って進む。
「なあ、北園」
「ん?」
「明日、約束の甘いもの。何がいい」
「は? 覚えてたのか」
「当然だろ」
北園が噴き出す。コーヒーが危うくこぼれそうになる。
こういう瞬間があるから、前に進める。
不安も迷いも消えない。でも、一人じゃない。
それに気づけただけでも、この試験には意味があった。
***
※1 回転翼機:ヘリコプターなど、回転する翼で揚力を得る航空機の総称
ネットコン13挑戦中。締め切りは7/23 23:59まで。
最後まで全力で駆け抜けます。
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