第32話 1年生~冬季定期訓練
冬の朝、集合場所に立った瞬間、息が白く凍った。
鼻の奥がツンと痛む。肺に入る空気が針みたいだ。
士官学校1年生の冬季定期訓練。内容はスキー学習。銀世界に囲まれた訓練地で、冷たい空気が肌を刺す。頬がヒリヒリする。
正直、憂鬱だった。胃の底が重い。肩も内側に丸まる。
「スキーか……」
呟くと、唇が乾いてるのに気づく。
高校時代は勉強とAI論文、秋葉原の開発計画で忙しくて、そんな暇はなかった。中学で数回やった程度。上級者コースなんて無理だ。いや、中級も怪しい。喉が締まる。
「お前、まさかスキーが不安なのか?」
北園の声。背筋がピクッとした。また始まった。
曖昧な笑みを浮かべると、頬の筋肉が引きつる。奴は満足そうに肩を叩いてきた。痛い。骨に響く。わざとだろ。
「よしよし、俺が教えてやるよ。上杉の上を取れるチャンスなんて滅多にないからな!」
ため息が漏れる。肺から絞り出すような深いやつ。面倒だが、適当に流そう。
「頼むよ、北園先生」
皮肉を込めたが、奴は気づかない。嬉しそうに胸を張ってる。目が輝いてる。単純な奴だ。でも──なんだろう、この温かさ。胸の奥がむず痒い。
***
スキー板を装着。重い。足首に負担がかかる。
立とうとして、ふらつく。膝が笑いそうだ。腰に手を当てて、バランスを取る。
バランスが取りにくい。額に汗が滲んだ。冷たい空気なのに。
教官の説明が始まる。基本姿勢、重心移動、エッジの使い方。頭では分かるが、体が――筋肉が強張ってる。
「では、各自で緩やかな斜面を滑ってみろ」
朝日が雪面に反射して眩しい。目が痛い。瞬きが増える。
斜面を見下ろす。胃がキュッと縮む。思ったより急だ。
「お前、転ぶなよ。ちゃんと俺の指示通りに――」
北園の声を背に、斜面へ。
深呼吸。冷たい空気が肺を満たす。痛いけど、気持ちいい。
最初の一歩。心臓が跳ねる。
あれ? 思ったより安定してる。
筋肉が勝手に動く。体の奥で何かが目覚めたみたいだ。背骨に電気が走る。
重心を前に、膝を軽く曲げて――体が覚えてる。なぜ?
風を切る感覚。頬が冷たく痺れる。髪が後ろに流れる。懐かしい? いや、中学の時にこんなにスムーズに滑れたか?
スピードが上がる。心臓がドクドクと高鳴る。でも怖くない。むしろ――
ターンも自然に決まる。エッジが雪を噛む感触。ザクッという音が心地いい。太ももの筋肉が程よく緊張する。これ、気持ちいい。顔が勝手に緩む。
「って、おい、なんだそれ!」
北園が追いついてくる。息が荒い。顔が赤い。耳まで赤い。怒ってる? いや、驚いてる。目が丸い。
「なんだ、普通に中級者じゃないか」
「いや、そんなはずないんだが……」
本当に分からない。首を傾げる。中学でちょっとやっただけ。でも、体が覚えてる。妙だ。背中がゾクゾクする。
滑りながら記憶を探る。こめかみに指を当てる。
中学のスキー教室。教官の顔が――思い出せない。モヤがかかってる。でも、厳しかった記憶はある。声が耳に残ってる。低い、威圧的な声。
基礎を徹底的に叩き込まれた。朝から晩まで。筋肉痛で泣きそうだった。
(まさか、あの教官……)
胸騒ぎがする。鼓動が早まる。
後で分かることだが、その教官はPMC出身の冬季戦専門家だった。道理で基礎がしっかりしてるわけだ。また父さんか。苦笑いが漏れる。
***
訓練が進むにつれ、俺の滑りは冴えていく。
体が思い出すように、より自然に、より速く。
筋肉の一つ一つが最適な動きを知ってる。膝の角度、腰の捻り、重心の移動。全てが連動する。
これは――楽しい。頬が上気する。心臓が弾む。
「上杉、すごいな! 隠してただろ!」
周囲の学生たちも集まってくる。視線を感じて、首筋が熱くなる。注目されるのは慣れてるが、こういうのは新鮮だ。照れくさい。
「それでそのレベルかよ……嘘つきめ」
北園が拗ねてる。唇を尖らせてる。でも、目は笑ってる。口角が微かに上がってる。本気で悔しがってるわけじゃない。
「本当に嘘じゃないって」
両手を上げて弁解。でも声が震える。自分でも信じられない。
「信じるか、そんなの」
北園が肩をすくめる。
でも、なんだろう。この感覚。体が覚えてる動き。
ふと気づく。腹筋の使い方、呼吸のタイミング。PMCの訓練と似てる? 効率的で、無駄がない。戦闘動作に通じる何かが――
背筋に冷たいものが走る。
いや、考えすぎか。でも……
***
最終日。自由滑走。
朝の空気が肺を刺す。痛いくらいに澄んでる。でも慣れた。むしろ心地いい。
山頂に立つ。風が強い。体が押される。
斜面を見下ろす。急だ。胃がひっくり返りそう。でも同時に、アドレナリンが全身を駆け巡る。
でも、行ける気がする。いや、行きたい。体がうずうずしてる。
深呼吸。冷気で鼻の奥が痛い。でも頭がクリアになる。
ゴーグルを直す。ストックを握り直す。掌が湿ってる。
スタート。
一気に加速。風が顔を打つ。痛い。でも最高だ。
速い。体が浮きそう。でも怖くない。むしろ心地いい。全身の細胞が歓喜してる。
大きくターン。遠心力で体が引っ張られる。太ももがパンパンになる。でも止まらない。
エッジが雪を削る音。シュッという音が好きだ。リズムがある。音楽みたいだ。
「お前、結局俺より上手いじゃないか」
北園が並走してくる。息が白い。顔が紅潮してる。悔しそうだが、楽しそうでもある。目がキラキラしてる。
「いや、お前も十分安定してる」
「本音を言えよ」
「本音だよ」
嘘じゃない。北園も上手い。フォームがきれい。ただ、俺の基礎が異常にしっかりしてるだけで。
二人で滑る。競い合うように、でも楽しみながら。
時々ぶつかりそうになる。「おい!」「悪い!」
笑い声が漏れる。腹筋が痛い。でも止まらない。
周囲から歓声が上がる。誰かが手を振ってる。
これが仲間か。胸が熱くなる。鼻の奥がつんとする。悪くない。
***
帰りのバス。
体中が心地よい疲労感に包まれてる。特に太ももがガクガクだ。
「上杉の嘘つきめ……」
北園がまだぼやいてる。でも声に力はない。疲れてる。しつこい奴だ。でも憎めない。
「だから、嘘じゃないってば」
言いながら、あくびが出る。顎が外れそう。
「まぁ、次は負けないけどな」
「その意気だ」
肩を叩く。今度は俺が。軽く、でも親しみを込めて。
窓の外、雪景色が流れていく。美しい。でも、もう見飽きた。瞼が重い。
バスの中は暖かい。暖房が効きすぎて、顔が火照る。眠くなる。
ふと思う。中学の時のあの教官、もしかして父さんが手配したPMCの人間だったのか? 基礎訓練の一環として。
だとしたら、納得がいく。あの徹底した基礎指導。朝5時起きの特訓。効率的な体の使い方。全てが繋がる。
苦い笑いが漏れる。喉の奥が渇く。
「何考えてんだ?」
北園が覗き込んでくる。近い。息がかかる。にんにくの匂い。昼飯のラーメンか。
「別に。ただ、楽しかったなって」
本音だ。頬が緩む。
「お前が? 意外だな」
確かに。でも、本当に楽しかった。
仲間と過ごす時間。競い合い、笑い合う。
体中が筋肉痛でも、心は軽い。
これも士官学校の一部なんだな。
窓に映る自分の顔。少し、変わったかもしれない。
日焼けして、精悍になった? いや、ただ疲れてるだけか。
でも目が違う。前より、生きてる。
成長してる。そう信じたい。
……いや、してるはずだ。この筋肉痛が証拠だ。
バスが揺れる。隣で北園が寝息を立て始めた。
俺も目を閉じる。明日はまた通常訓練か。
でも今は、この心地よい疲労感に身を任せよう。
ネットコン13挑戦中。締め切りは7/23 23:59まで。
最後まで全力で駆け抜けます。
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