第30話 士官学校~転生者の足跡
士官学校の講堂。現代史の教官が資料を机に広げる。パラパラと紙をめくる音が、静まり返った空間に響く。
「日露戦争における樺太占領は、当時の戦略的成功の一つでした」
教官の声が淡々と流れる。窓から差し込む午後の光が、黒板に書かれた年表を照らす。
「この成果は講和交渉を有利に進めるための重要な要素となりました。戦後の樺太資源開発が急速に進み、日本の資源活用を支える基盤となった」
俺はペンを走らせながら、胸の奥で何かがざわつくのを感じた。首筋がむず痒い。高校の世界史で習った内容。でも今、士官学校で聞くと全く違う印象を受ける。
なぜって? 俺は知ってるからだ。この「戦略的成功」の裏に、転生者がいたことを。喉が詰まる。唾を飲み込もうとして、できない。
胃の奥で何かが蠢く。転生者の記憶は、時々俺の体を異物にする。肩が内側に丸まる。周りの同期たちは熱心にノートを取ってる。俺だけが別の世界にいるような気がした。ガラス一枚隔てた向こう側で、みんなが真剣に授業を受けてる。息が浅くなる。
「第一次世界大戦での日本の戦略は、国際社会における日本の地位向上に大きく寄与しました。特に金剛型戦艦の派遣は――」
教官の声が遠くなる。耳の奥で低い音が鳴る。誰かの椅子がキィと鳴る。曽祖父のBlu-rayで見た映像が脳裏をよぎる。彼らの知識が、この歴史を作った。
ペンが止まる。指先が震える。隣の席から小さな咳払い。教室の隅で換気扇が低く唸ってる。我に返って、慌ててノートを取り直す。手が微かに震えてる。インクが滲む。バレてないよな。背中に冷や汗が流れる。
「このように、歴史の中で誰がどのように影響を与えたのかを完全に知ることは難しい」
教官が声を少し上げる。
「しかし一つ確かなのは、当時の日本が未来を見据えて行動したという事実だ」
未来を見据えて――見えていたんだ、転生者たちには。
使命? 笑わせるな。口の端が引きつる。俺はただの――いや、でも。この知識を無駄にしていいのか? 頭の中で声が衝突する。こめかみがズキズキする。
***
共同部屋に戻ると、同期たちが騒ぎ始めた。
「教官の話、すごかったよな。樺太の資源をあんなに早く活用できたのって、よほど優秀な人がいたんだろうな」
北園が椅子にどっかりと座りながら言う。俺との確執は改善して、授業の話題でも普通に会話に混ざる。妙な関係だ。ライバルなのか、友人なのか。胃がむず痒い。
「当時の日本人がどうやってあんな計画を立てたのか謎だよな」
別の同期が続ける。俺は適度に相槌を打つ。顔の筋肉が強張る。心の中で苦笑しながら。
優秀な人――転生者だよ、それ。でも言えない。言うわけにはいかない。舌が上顎に張り付く。この秘密を抱える重圧が、肺を内側から押し潰す。呼吸が浅い。……いや、してないかも。
彼らの熱意を聞きながら、俺だけが別の世界にいるような気がした。ガラス一枚隔てた向こう側で、みんなが笑ってる。手を伸ばしても届かない。指先が冷たくなる。転生者の孤独ってやつか。喉の奥が締まる。息が詰まりそうだ。……いや、もう詰まってる。
「上杉、お前授業中もずっと真剣な顔してたよな」
突然声をかけられて、心臓が跳ね上がる。背筋に冷や汗が流れた。ぎくりとする。表情に出てたか? まずい。頬が熱くなる。
「まあ、なかなか興味深かったからな」
笑顔を作る。頬の筋肉が引きつる。嘘じゃない。でも本当でもない。この曖昧さが俺を蝕む。胸の奥で何かが軋む。
「俺も改めてすごい時代だと思ったよ」
「だよな! 俺ももっと歴史をちゃんと学んでおけばよかった」
彼らの熱意を聞きながら、俺は手元の教科書を閉じる。古い紙とインクの匂い。鼻の奥がツンとする。指先が震えそうになるのを、必死で抑えた。爪が掌に食い込む。痛い。でも、この痛みが現実だと教えてくれる。
この世界に転生者が与えた影響を、俺が背負っていく。それが俺の使命――なんて、大げさだ。いや、大げさじゃない。でも大げさだ。どっちなんだ、俺。頭がぐるぐるする。
***
消灯時間を告げるベルが鳴る。
部屋の明かりが一斉に落とされ、闇が支配する。瞳孔が開く。廊下から遠くで誰かの足音。隣のベッドから、もう寝息が聞こえてきた。規則正しい呼吸音。早いな。羨ましい。何も知らない眠り。胸がチクリとする。
布団に身を沈める。マットレスが軋む。天井は見えない。真っ暗だ。この闇が、俺の心の中みたいだ。
教官の声が頭の中でリフレイする。樺太、第一次大戦、戦後改革。その全てに転生者の影が。胃の奥がまた疼く。酸っぱいものが込み上げる。吐き気? いや、違う。もっと深い何か。
曽祖父の言葉が蘇る。
『私の前にも転生者がいた。彼らは名前を残すことなく、ただ未来を良くするために動いていた』
布団を引き寄せる。指がシーツを掴む。少し寒い。足先が冷たい。でも、それ以上に胸の奥が冷たい。まるで空洞ができたみたいだ。孤独が骨の髄まで染み込んでくる。背骨がゾクゾクする。
彼らの知識と努力が、俺たちの未来を作った。華族制度も、財閥も、全てが転生者たちの設計だったのかもしれない。
でも、それが正しかったのか? 歴史を変える権利なんて、誰が与えた? 奥歯を噛みしめる。顎が痛い。
いや、違う。深く息を吸う。肺が痛い。彼らは選ばれたんじゃない。選んだんだ。俺も――
隣から寝返りの音。ギシッとベッドが鳴る。
現実に引き戻される。心臓がドクンと跳ねる。そうだ、ここは士官学校の寮。俺は一人の訓練生。転生者なんて秘密を抱えた、ただの学生。喉が乾く。
でも、これでいい。いいのか? 本当に? 枕の位置を変える。しっくりこない。また変える。
目を閉じる。瞼の裏がじんじんする。明日も訓練がある。飛行訓練の予定だ。UCAVの開発も進めなきゃ。やることは山積みだ。肩が重い。
転生者としての使命? そんな大層なものじゃない。でも――でも何だ? 俺は何がしたい? 何をすべきなんだ? こめかみの血管が脈打つ。
答えは出ない。きっと、ずっと出ない。……たぶん。
眠気が襲ってくる。でも寝返りばかり打つ。布団を握りしめる。意識が遠のく中で、最後に思う。
この足跡を無駄にはしない。約束だ、曽祖父。そして、名も知らぬ転生者たちよ。
たとえ、この孤独に押し潰されそうでも。
……押し潰されたら、誰が継ぐんだ?
その問いに、答えはない。
ネットコン13挑戦中。締め切りは7/23 23:59まで。
最後まで全力で駆け抜けます。
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