プロローグ2 改変された記憶と運命ver1.2
<γ世界線:2023年9月1日 上野公園>
目を開けた瞬間、爆音が頭蓋を貫いた。
焼け焦げたクリミアの空が視界を埋め、『大鷲』の残骸が炎に呑まれる。誘導弾が機体を貫き、衝撃波がコックピットを震わせ、硝煙の匂いが鼻腔を刺す。
2024年、俺は死んだはずだ。
β世界線のクリミア上空で。彼女の声が最後の光だった。
なのに、今、木漏れ日が頬を撫で、風が葉をざわめかせる。
木のベンチが掌に冷たく刺さり、腕時計は2023年9月1日を指している。
現実が歪む――戦場の残響が頭の中で鳴り止まない。
シャツの袖を掴む。煤も血もない。白いシャツは汗で濡れているだけだ。
指先が震え、記憶の重さが俺を押し潰す――
「何だ、これは……?」
あの戦場で、俺は全てを失ったはずだ。UCAVは間に合わず、仲間が灰になり、俺の夢が炎に呑まれた。なのに、ここは――
***
凍っていた心臓が、ようやく一拍動いた。秋風が髪を揺らす。
子供たちの笑い声が遠くから聞こえる。都心の公園のベンチに座る俺の体は、汗にまみれた戦闘服じゃなく、軽いシャツとジーンズに包まれている。
頭がクラクラし、視界の端で灰色の雲が渦巻く幻影が揺らめく。俺は目を閉じ、深呼吸を試みた。だが、胸の奥で何かが軋む。死んだはずの身体が、生きている違和感。
あの戦場で、俺は設計図を握り潰した。なのに、ここでは何だ?
『旭光』――俺が関わったはずのない戦闘機の名前が、頭の片隅でざわめきを起こす。
いや、違う。この世界線では、俺が設計に関わった機体だ。
二つの記憶が脳内で衝突する。吐き気がこみ上げた。
***
「俺の夢は、あそこで終わったはずなのに……」
「義之君?」
背後から声が響いた。振り返ると、美樹さんが立っている。陽光を浴びた笑顔が眩しく、柔らかな髪が風に揺れる。
だが、その瞳を見た瞬間、頭の奥で何かが軋んだ。
『助けて!』
あの戦場で聞いた声が重なる。金属的な響きを帯びた、少女の叫び。
β世界線の記憶では、高等部で初めて会った。最後に「死なないでね」とメッセージを送ってくれた。
でも、この世界線では違う。
初等科の図書館で彼女の手を握った瞬間、俺の設計が動き出した。あの温もりが、俺の孤独を溶かした。
「美樹さん……今、2023年だよな?」
掠れた声で問うと、彼女が頷く。
「うん、そうだよ。何か変なの?」
彼女が首をかしげる。俺はスマホを開く。ニュースの見出しが視界を貫く。
***
『第6世代航空機「旭光」正式採用』
画面に映る機体に心臓が跳ねた。
データリンクの光がまるで未来からの手紙みたいに輝いて見えた。
旭光は「大鷲」からAIナビが強化され、UCAVとの共同戦闘を前提としたデータリンク機能が充実した機体だ。
しかも、β世界線では未完成だったUCAVが、この世界線では完成している。
心が凍った。
俺の辿った2024年では「大鷲」が俺の未完成なAIを載せて墜ちた。戦術ナビゲーションAIの予測精度が敵の動きに追いつかず、仲間が灰になった。
「旭光」は違う。データリンクが強化され、無人機との連携で戦場を制する――俺が夢見た未来がここにある。
「誰かが俺の設計を完成させたのか?」
いや、違う。この世界線では、俺自身が完成させたんだ。
***
混乱が頭を締め上げる。
β世界線では※1 Aegis計画が頓挫し、UCAVは未完成のままだった。美樹さんの「敵のレーダー攪乱を開始」という声には熱がなかった。
なのに、ここでは「旭光」が飛ぶ。美樹さんの声が温かい。UCAVが現実として存在する。
頭が割れそうになり、俺は膝に手を置いて息を整える。焦げた金属臭が鼻を刺し、幻聴が耳を劈く。
死んだはずの身体が、生きている。
俺は目を閉じる。
***
「義之君、どうしたの?」
美樹さんの声が現実を引き戻す。彼女の手が俺の肩に触れ、その温もりが戦場の冷気を溶かす。
俺は彼女の手を強く握った。
「君がいなければ、俺は何も変えられなかった」
彼女が目を丸くする。
「何それ?」
俺は続ける。
「初等科で君と会った。あの時から何かが違うんだ」
彼女が笑う。
「何か? 私、本読んでただけだよ?」
俺の頭に、図書館の記憶が鮮明に蘇る。埃っぽい空気が鼻を刺し、美樹さんが「君ならできるはずだ」と囁いた瞬間。彼女の手を握った時、設計図が輝き、五感が震えた。
あの時、俺の夢に命が宿った。
β世界線での絶望が、この世界線では希望に変わっている。
「大げさじゃない。君がいなければ、俺はあの設計図を完成させられなかった」
彼女が首をかしげる。
「ふーん、そっか。でもさ、私そんな大したことしてないよ?」
その無垢な声に、俺は苦笑する。
***
「義之君って、時々変なこと言うよね」
美樹さんが立ち上がり、柔らかな笑みを浮かべる。
「でも、義之君が頑張るなら応援するよ」
その言葉に胸が燃え上がる。掌に伝わる温かさが、戦場の冷たい風を追い払う。
「ありがとう。一緒に進もう」
彼女が頷く。
「うん。一緒なら、楽しそう」
彼女の手を握り、俺は戦場の幻影を振り払う。
だが次の瞬間、美樹さんが呟いた。
「私ね、前に助けられた気がするの。そんな記憶全く無いんだけど」
心臓が止まりそうになった。
そうか、美樹さんはあの時の少女か――
駅のホームで落ちかけた女子中学生。俺が前世で救った、あの子。
美樹さんが俺を呼んでくれたんだ。β世界線での絶望を晴らすために。
***
公園の静寂の中、俺は拳を握った。
2023年の身体に2024年の記憶が異物として軋む。だが、この世界線なら悪くない。
あの悲劇はもう起こらない。
俺は深く息を吸い、目を閉じた。
前世で、俺は9月1日に死んだ。電車に飛び込もうとした少女を助けて。
そして今日、2023年9月1日。俺は新しい世界線で目覚めた。
風が頬を打つ。
木の葉が舞い、光が踊る。
俺は2023年の身体に、2024年の絶望が静かに溶けていく。今いるこの世界線はこの世界線の俺が作り上げたものだ。俺は自分でこの歴史を作らなければならない。
俺が未来を取り戻す──そう決めた。
肺が軋むほどの冷気が喉を削る。
そのために美樹さんが呼んでくれた気がする。
次に目覚める時、俺は「旭光」の背後に潜む真実を知るだろう。
その時、俺の手は再び設計図を握る。美樹さんの手を離さず、俺は呟く。
――君となら、どんな未来でも創れる。
***
※1 Aegis計画 日本のUCAV開発計画
***




