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閑話 美樹視点:運命の分岐点

 美樹は曇天の空の下、戦艦「紀伊」の電子戦管制室にいた。

 海面は静かに揺れ、遠くの波間に霞む灰色の影が、どこかこの日の空気を象徴しているように思えた。

 空気が、肺に重い。湿気が、喉に纏わりつく。

「第6世代機実験の通信テスト」

 その言葉が、コンソールの端末に映し出される。

 光る文字が、網膜に焼きつく。瞬きを、忘れていた。

 今回の実験は、海軍全体の暗号化通信網を用いた大規模なデータリンク試験であり、美樹は見習いの電子戦士官としてその監視と解析を担当することになっていた。

「紀伊」には、実験機のデータが送信される。

 それをセンサーフュージョン技術*1・戦術ナビゲーションAI・監視AIの三つの観点から解析し、その有効性を評価するのが美樹の任務だった。

 任務。その言葉が、肩甲骨を圧迫する。

 端末に並ぶデータの羅列を見つめながら、美樹はふとある名前を思い浮かべる。

「まさか、ここで義之君の関わる実験を見ることになるなんて……」

 指先が、震えた。キーボードが、カタカタと音を立てる。

 彼が士官学校で学びながら関与していた技術開発は知っていた。

 しかし、それが実戦配備の前段階にまで達していることを目の当たりにすると、驚かざるを得なかった。

「……義之君、どこまで行くつもりなの?」

 美樹は、ふと端末に映る戦術ナビゲーションAIの解析データを見つめながら、息が詰まった。

 彼がどこまで行くのか。

 それを見届けることも、もしかしたら自分の役割なのかもしれない。

 役割。それとも、運命か。

 いや、呪いかもしれない。


***


 美樹は端末に映し出されるデータの羅列を見つめ、驚きを隠せなかった。

 実験機のシステムログ、各種AIの挙動解析、センサーデータ――。

 どの数値を見ても、通常の進化速度とは思えない。

 異常。その一言が、背筋を冷やす。

「……これ、本当に義之君が関わった技術なの?」

 美樹は思わず小さく呟く。声が、掠れた。

 

 監視AIの異常検知能力の向上。

 従来の電子戦装置では捉えきれなかった微細な異常信号を、リアルタイムで解析している。

 

 戦術ナビゲーションAIの適応力の強化。

 パイロットの操縦データとリアルタイムで連携し、最適な戦術提案を行っている。

 しかも、提案の精度が明らかに向上している。

 向上。いや、進化と呼ぶべきか。

 それとも、変異か。

「まだ士官学校の4年生なのに……」

 思わずキーボードをうつ手に力が入り、「義之君に負けるわけにはいかない!」と歯を食いしばった。

 顎が、痛い。奥歯が、軋む。

 負けたくない。でも、それは――

 嫉妬? いや、違う。恐怖だ。

 この短期間で、義之の技術はここまで進化していた。

 美樹は、ふと懐かしい記憶に引き込まれる。

 

 初等科時代――図書館での出会い。

 埃っぽい空気。古い本の匂い。鼻腔に、記憶が蘇る。

「この人は、きっと未来を変える」

 あの時の直感が、今、現実になっている。

 端末を握る。

 強く、握りすぎた。手のひらに、爪の跡が残る。

 美樹は端末に映る解析データを見つめながら、肺から空気を押し出した。

 義之君は、確かに未来を創っている――。

 創っている。いや、壊しているのか。

 その境界が、見えない。


***


 解析データを慎重に追ううちに、美樹の指が止まった。

「自己改良の速度が異常に高い……?」

 画面に、赤い警告が点滅する。

 光が、眼球を刺す。頭痛が、始まった。

 ノイズが点滅している。

 美樹の直感が、腹の底で警鐘を鳴らしていた。

 危険。その二文字が、脳を支配する。

 公式報告では「問題なし」とされている。

 だが、美樹は「まだ見習いの電子戦士官としての経験でも」この状況を危険と判断した。

「このまま黙っていていいの……?」

 美樹の胸の奥に、冷たいものが広がっていく。

 不安。いや、恐怖だ。確実に。

 義之君は、ただの士官学校生ではない――

 

 美樹の脳裏に、士官学校時代の記憶が蘇る。

 義之君は、いつも未来を見据えていた。

 いや、違う。未来を、知っていたような――

 技術開発に没頭し、ただの理論だけではなく、実用化までを見越して技術を組み立てていた。

 組み立てる。まるで、設計図があるかのように。

 答えを、知っているかのように。

 彼の技術的な発展速度は、他の技術者とは明らかに異なっていた。

 まるで、すでに知っていることをなぞるように技術を生み出しているようにさえ思える。

 それがどれほど異常なことなのか、美樹は軍に入ってより強く実感していた。

「彼の知識と技術はどこから来るの……?」

 不意に、胸の奥で何かが蠢いた。

 違和感。それとも、確信か。

 ――まるで、義之君の存在そのものが何か大きな流れの中に導かれているかのように。

 いや、導いているのか。

 

 監視AIの自己改良の速度は異常だった。

 人為的な修正がほとんど介入せず、システム自体が新たな学習を続けている。

 このまま進めば、軍の制御を超えた存在になりかねない。

 制御を超える。その時、何が起きる?

 美樹の手が、震えた。冷たい汗が、背中を伝う。


***


 軍規の範囲内で連絡を取る手段を模索することは許可された。

「……つまり、可能な限り公式のルートを通せば、彼に確認できる」

 美樹は深呼吸した。冷たい空気が、肺を刺す。

 個人的な感情ではなく、職務として、電子戦士官として、この問題に向き合う――

 職務。その言葉で、自分を誤魔化している。

 分かっている。でも――

「ならば、やるべきことは決まっている」

 彼に伝えなければならない。

 義之君の作り上げた技術が、今どう動いているのかを。

 そして――

「次に会うとき、私は彼と一緒に未来を考えたい」

 いや、違う。警告したい。止めたい。

 でも、できるのか?

 彼女は、士官学校時代とは異なる形で義之の技術に触れ、彼の存在の大きさを再確認する。

 そして、「彼と共に未来を見据えること」、それが彼女の中で確信へと変わっていく。

 確信。でも、その先に何があるのか。

 破滅か、それとも――

 

 美樹は端末を操作し、暗号化通信の送信準備を進めた。

 キーボードを打つ音が、静寂を破る。

 軍の正式な通信網を利用することで、個人的な感情を排除し、あくまで職務上の連絡として成り立たせる。

 入力したメッセージを確認する。

 

「実験機のAI挙動が想定を超えている。詳細を教えてほしい」

 

 短い。素っ気ない。でも――

 本当は、叫びたい。「危険だ」と。

 士官学校時代のように、気軽に連絡を取ることはできない。

 今の彼は士官学校の4年生であり、技術開発の中心にいる。

 そして、自分もすでに海軍士官として、軍の中で動いている。

 距離。それが、二人の間に横たわる。

 これは単なる個人的な興味ではなく、職務上の正式な確認だった。

 

 送信キーを押す瞬間、美樹の指が震えた。

 義之の作り上げた技術を目の当たりにし、その影響力を知るたびに、彼の存在の大きさを実感する。

 大きさ。いや、重さか。

 それとも、闇の深さか。

 ――士官学校時代とは違う視点で、今の義之を見ている。

「次に会うとき、私は彼と一緒に未来を考えたい」

 いや、違う。警告したい。

 でも、聞いてくれるだろうか。

 士官学校で共に過ごした時間、義之のそばで感じた特異性。

 今、美樹の中でそれは確信へと変わりつつあった。

 

 送信ボタンを押すと、メッセージは暗号化され、海軍の通信網へと乗った。

 画面に、「送信完了」の文字が浮かぶ。

 義之の元へ届くのは一瞬だろう。

 一瞬。でも、その意味は重い。

 取り返しのつかない、一歩かもしれない。

 そして――

 

 再会は、遠くない未来に訪れる。

 その時、彼女はどんな言葉を交わすのだろうか。

 期待とともに、恐怖も湧き上がる。

 画面を見つめながら、美樹は震える息を整えた。

 窓の外、海が静かに揺れている。

 穏やかな海面の下に、何が潜んでいるのか。

 運命の分岐点は、もうすぐそこまで来ている。

 後戻りは、できない。


***


*1:センサーフュージョンとは、複数のセンサーから得られたデータを統合し、より正確で信頼性の高い情報を生成する技術。

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