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第81話 4年生への進級と士官学校の現実

 俺たちはついに士官学校の4年生へ進級した。

 1年生の入学時は150名だったが、ここまで残ったのは91名。

 59名が、消えた。

 名簿から、名前が消えた。顔が、記憶から薄れていく。

「これが一般大学なら大問題だが、士官学校ではむしろよくここまで残ったなという評価になる」

 例年なら、1年生の半分が生き残る計算だ。

 今年は「優秀な当たり年」として評価されているが、それでも約4割近くが士官としての適性を認められず、学校を去った。

 脱落した者の多くはここが軍の士官学校である事を理解できなかった者たちだった。秩序や命令に楯突いたり同じ問題を繰り返す者たちだった。

 例えば演習中に持ち場を何度も離れる者。秩序に楯突いて何度も先輩の指導に噛みつく者などだ。

 彼らの顔を、まだ覚えている。

 最後に見た表情が、網膜に焼き付いている。

 だが、この減少は単なる脱落ではなく、「淘汰」と呼ばれるものだ。

 

 士官学校の生徒は、卒業後すぐに部隊に配属される。

 つまり、即座に指揮系統の一員となり、部下の命を預かる立場になる。

 部下の生死は、自分の判断にかかっている。

 その重みが、肋骨を内側から圧迫する。

「一般の大学とは根本的に異なる世界だ」

 大学では、失敗は許容される。

 だが、士官学校では「一度の失敗は許されても、同じ失敗を繰り返す者は淘汰される」

 なぜなら、実戦では指揮官の判断ミスが、直接戦死者を生むからだ。

 血の匂いが、鼻腔に立ち上る。まだ嗅いだことのない、その匂いが。

 

 実戦では、一度の誤った判断が部下の死につながる。

「だからこそ、ここで淘汰されることには意味がある」

 俺は、最上級生としての責任を背負いながら、この現実を改めて噛み締めた。

 奥歯が、軋んだ。顎が、痛い。

***

 だからこそ、士官学校の教育は一般の大学とは決定的に異なる。

 大学では、失敗から学ぶことが重視される。

 だが、ここでは「学ぶだけ」では許されない。

「同じ失敗を繰り返すな」

 これは、生き残るための鉄則だ。

 いや、部下を生かすための。

「失敗は許されるが、それを改善できない者は淘汰される」

 何度も同じ失敗を繰り返す者は、実戦でも同じことをする。

 そんな士官が部下の命を預かることはできない。

 

 淘汰されることは理不尽ではない。

 むしろ、ここで振るい落とされることこそが、軍の秩序を維持するために必要な過程なのだ。

 冷たい? いや、これが現実だ。

 胃が、冷える。氷を飲み込んだように。

 

 この教育方針は厳しい。

 だが、軍隊の実情を考えれば、それは理に適っている。

 士官学校は、ただ知識を学ぶ場ではなく、実戦で必要な「指揮官」としての資質を磨く場だ。

 それを痛感する日々が続いていく。

 朝が来る度に、肩が重くなっていく。

***

 4年生になった俺たちは、士官学校内で「王様」と呼ばれる立場になった。

 下級生に対して、絶対的な指導権を持つ。

 王様。その響きに、喉の奥で何かが引っかかる。

 かつて俺たちを震え上がらせた4年生も、こんな気持ちだったのか。

 いや、違う。あの時の俺には、この重圧は見えていなかった。

 

 廊下を歩くと、1年生が壁に張り付く。

 目を合わせようとしない。息を潜めている。

 かつての俺だ。

 

 しかし、それは単なる特権ではない。

 4年生は「命令する立場」になったと同時に、責任を負う立場にもなった。

「責任の取れない命令はしない」

 これは、4年生にとっての鉄則だ。

 

 一見、無理に見える命令でも、それが出されるならば「責任を取れる範囲」の命令でなければならない。

 なぜなら、実戦ではその責任の重さを痛感することになるからだ。

 命令一つで、人が死ぬ。その現実が、首筋に冷たく張り付いている。

 

 下級生には常にプレッシャーを与え続ける。

 これは、彼らを鍛え、成長させるためのもの。

「士官として、状況判断を誤ることは許されない」

「実戦では、迷う暇はない」

 

 この一年で、俺たちは次世代の士官を育てなければならない。

 それが、4年生に課された使命なのだ。

***

 前世の学校教育と比べ、士官学校の教育は社会に出るための準備が明確だった。

 秩序の中でどう生きるか。理不尽な命令にどう対応するか?自分で解決するか?同期に頼るか?先輩に頼るか?

 その為のケースバイケースを常に与え続ける。

 

 俺も4月のまだ新入生が浮ついている時期に1年生の部屋を指導した。

 ドアノブに手をかける。金属が冷たい。

 深呼吸。肺が、緊張で縮む。

 ドアを開ける。緊張した空気が、皮膚に纏わりつく。

「1時間後に装具点検を行う。装具・備品を光るぐらい磨いておけ!余計な私物は持ち込むな」

 声が、壁に反響する。

 1時間と指定した時間内にどこまで出来るか見せて貰ったが、まだ士官学校生として経験が足りない彼らには無論無理な話だった。だが容赦なく指摘した。時間内に仕上げたが磨きが甘い者、備品管理が不十分な者が多くいた。

 彼らの額に、汗が滲む。手が震えている者もいる。

 かつての俺もそうだった。

 それに対して俺は

「お前らはゾウリムシ以下だ。その曇った装具で点検を受けるつもりか?軍で備品管理するのは新米士官の仕事だぞ。お前らは自分の無能を主張するのか?」

 声帯が、振動する。腹から声を出す。

 1年生の一人が、唇を噛んだ。血が滲みそうだ。

「1週間後に再度、点検する。それまでに対策を考えろ」

 と罵倒しながら再度のチャンスと自然に対策も示唆する。こういうバランスも俺たちが学んで来た方法だ。

 

 中には罵倒されて悔しそうにする者もいたが、部屋長は「はい!次回までに必ず改善します!」と反省していた。

 その目に、涙が浮かんでいた。悔しさか、決意か。

 中には「そんなに厳しくしなくても…」という者もいたが。

 甘い。まだ、甘い。

 その甘さが、戦場で命取りになる。

 

 1週間後に再点検すると部屋長が頑張ったのか明らかに1週間前より良くなっていた。装具が、蛍光灯を反射している。

 部屋長にどうやったのか尋ねると「はい。2年生の先輩に聞きに行きました」と答えた。

 声に、自信が宿っている。背筋も伸びた。

 成長。その瞬間を、俺は見た。

 俺は満足し「そうだ。自分たちで解決出来なければ先輩や指導教官を頼るんだ。一つ学んだな」と答えると部屋長は嬉しそうにしていた。

 笑顔が、眩しかった。

 これが士官学校の教育だ。俺たちもこうして育てられたのだと実感した。

 胸の奥で、何かが熱くなった。

***

「社会に出たときに何が必要か」

 この視点が、前世の教育には決定的に欠落していた。

 

 例えば、前世で存在した「三ない運動」

 高校生にバイクの免許を取らせない、バイクを買わせない、運転させない。

 表向きは事故防止のための措置だったが、実際には根本的な問題解決を放棄しただけだった。

 思い出すだけで、腹の底が熱くなる。

 蓋をして、見ないふり。それが解決と呼べるのか。

 

 高校生のバイク事故を減らすなら、禁止するのではなく、安全教育を徹底するべきだった。

 だが、学校側は問題に蓋をし、解決する努力を怠った。

 責任逃れ。そう、あれは責任逃れだった。

 奥歯が、また軋む。

 

 しかし、士官学校はその対極にある。

 型にはめたうえで、問題が起きたら自己解決を求める。

 それが無理なら、同期・先輩、最終的に指導教官へ相談する流れができている。

 システムが、生きている。血が通っている。

 

 このシステムは、実際の軍隊に極めて近い。

 卒業後、俺たちは下級士官として部隊に配属される。

 その時、教官のように逐一指導してくれる存在はいない。

 孤独。その中で、判断を下さなければならない。

 背筋が、冷える。

 

 問題が起きたとき、自らの判断で解決できる力が求められる。

 無理なら、上官に相談し、必要な判断を仰ぐ。

 それが軍隊で生き残るための原則だ。

 

 士官学校の生活は確かに厳しい。

 しかし、それは軍隊の秩序の中で生き抜くために必要なことだった。

「秩序の中でどう生きるかを学ぶ場、それが士官学校だ」

 

 俺たちが過ごすこの場所は、単なる教育機関ではない。

 ここは、実戦で命の危険と向き合うための準備をする場なのだ。

 

 窓の外、訓練場が見える。

 夕陽が、赤く染めている。血のように。

 明日もまた、誰かが淘汰されるかもしれない。

 ……それでも、俺たちは前に進む。

 立ち止まることは、許されない。

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