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第80話 玲奈と洋子さんの入寮、新たな生活の始まり

 士官学校の春、俺は士官学校の門前で、落ち着かない気持ちで立っていた。

 今日、玲奈が入寮する。

 風が、桜の花びらを運んでくる。新しい始まりの匂いだ。

 兄として誇らしいはずなのに、胃の奥で何かが蠢いている。

 前回の帰省で玲奈が情報本部の――

「情報分析官になってお兄様の技術を守りたい!お兄様を守るためなら何だってする!」

 という玲奈に嬉しさもあり、泣きついてきた玲奈を宥めるので一杯一杯で具体的なキャリアプランは聞けていない。

 あの涙は、本物だった。だからこそ、喉が詰まる。

 情報本部。その世界の闇を、俺は知っている。いや、知っているつもりだ。

 玲奈には、まだ早い。そう思ってしまう俺は、過保護なのか。

「本当に大丈夫なのか」

 彼女の覚悟を疑うわけではないが、進む道の険しさを知る身としては心配せずにはいられない。

 情報本部。その言葉が、肋骨を内側から押し広げる。

 

 そんな考えを巡らせていると、遠くから玲奈の姿が見えた。

 両肩に掛けた大きなバッグがパンパンに膨らみ、歩くたびに重そうに揺れている。

 どう見ても、詰め込みすぎだ。玲奈のバッグを見て肩を叩く。

「おかっぱ頭にしてきたようだな」

 髪が、風に揺れない。短く切りそろえられた髪が、覚悟を物語る。

 近づいてきた玲奈に声を掛けると、彼女は頬を膨らませて俺を睨んだ。

「もうっ、お兄様のバカ!」

 その仕草に、肺から息が抜ける。まだ、妹のままだ。

「まぁ、1年生は皆そうだ。そのうち慣れる」

 口ではそう言ったが、実際に玲奈のおかっぱ頭姿を目にすると、どこか新鮮な気持ちになる。

 ついこの間まで家族として過ごしていた妹が、今こうして士官学校の門をくぐるのだ。

 彼女にとっても、新たな生活の始まりだ。

 俺は、兄として見守るしかない。

 だが――彼女ならきっと、大丈夫だろう。

 ……大丈夫だと、信じたい。

 いや、信じなければならない。


***


 玲奈が入寮手続きを進めていると、駆け足で一人の女生徒が近づいてきた。

 どこか見覚えがある顔だ――頭の中のデータベースが起動する。思い出した、学習院高等部時代の後輩だ。

「確か……真田摩耶さんだったな。真田伯爵家の三女だったはずだ」

 彼女が玲奈の対番を務めると知り、俺の肩から力が抜けた。

 しっかりとした性格で、責任感もある。

 玲奈にとって、良い先輩になるだろう。

「上杉先輩、今度、私が玲奈さんの対番を務めることになりました。至らない点があるかもしれませんが、よろしくお願いします」

 背筋がピンと伸びている。軍人の卵だ。

「真田さんは、しっかりした子だから、玲奈のサポートも問題ないだろう」

「失礼します、上杉先輩。そちらは玲奈さんで合っていますか?」

「はい!上杉玲奈です。よろしくお願いします、真田先輩!」

 声が、大きい。鼓膜が震える。緊張が、声帯を震わせている。

 俺は内心、玲奈、お前が俺みたいに堂々としたいって気合入れてるのが丸見えだぞと頬が緩んだ。

 真田さんは微笑みながら、それを受け止めた。

「玲奈、真田さんは弓道の腕も確かだ。弓道の面倒も見てもらえ」

「ふぇ!?真田先輩が弓道を?」

 玲奈の目が丸くなる。漫画のように。

 驚いた様子の玲奈に、真田さんが落ち着いた口調で言葉を返す。

「上杉先輩、私が弓道をやっていることをご存じだったんですか?」

「あぁ、学習院から士官学校に来る人はまだ少ないからな。毎年動向はチェックしている」

 データベースのように、情報が頭に入っている。これも、転生者の性か。

 いや、単なるストーカー気質かもしれない。

「光栄です。玲奈さんのサポートはお任せください」

 真田さんは対番として玲奈の生活をサポートする役割を担う。

 しっかり者の彼女なら、玲奈もすぐに学校生活に馴染めるはずだ。

 真田が弓道着の袖を直す。その仕草に、品格が滲む。

「玲奈さん、困ったことがあれば何でも聞いてね。対番としてサポートします」

「はい!お兄様から対番制度のことは聞いています。よろしくお願いします、真田先輩!」

 玲奈の素直な態度に、真田さんは満足そうに微笑んだ。

「玲奈さんが素直そうで、私は嬉しいです」

 この対番関係なら、玲奈も安心して士官学校生活を送れるだろう。

 俺の胃の奥の蠢きが、少しだけ静まった。

 少しだけ、だが。


***


 玲奈の入寮を見届けたあと、受付のほうへ目を向けると、北園が姿を見せた。

 どうやら、洋子さんもまもなく到着するようだ。

「洋子さんも来る時間か?」

 俺の問いかけに、北園は頷いた。

「あぁ、さっき駅に着いたと連絡があった」

 そこで、俺は前々から気になっていたことを尋ねる。

「俺たちが1年の時は、洋子さん、体が丈夫そうじゃなかったが大丈夫なのか?」

 記憶の中の彼女は、風に吹かれれば折れそうだった。

「それはもう平気だ。一時的な心因性の問題だったらしくてな」

 北園の顔に、安堵の色が浮かぶ。

 その表情に、兄としての愛情が見える。

「秋葉原に行って玲奈さんとやり取りするようになったら、すっかり回復したらしい。今じゃ元気いっぱいだよ」

「そうだったのか。それはよかったな」

 人と人の繋がりが、時に奇跡を起こす。

 北園は改めて感謝の気持ちを込めて、俺と玲奈を交互に見つめながら微笑んだ。

 しかし、玲奈は慌てて否定する。

「洋子さんとは偶然話が合って、話が弾んだだけで……感謝されるようなことはしてません!」

 頬が、林檎のように赤い。耳まで赤い。照れているのだ。

 北園はそんな玲奈を見て、穏やかに言葉を返した。

「いや、洋子は人見知りするから、玲奈さんには本当に感謝してるよ」

 

 そんなやりとりをしていると、向こうから小さな影が駆け寄ってきた。

「玲奈っち、会いたかったよ~!」

 洋子さんが到着するなり、玲奈に勢いよく抱きついた。

 その衝撃で、玲奈が後ろによろけた。

 以前の彼女からは想像もできないほどの変化だった。俺の瞬きが増える。

 生命力が、溢れている。弾けている。

「洋子さん!」

「上杉さんもお久しぶりです。年末年始はお世話になりました」

 俺が返事をするより先に、洋子さんはきょろきょろと辺りを見回し、北園に視線を向ける。

「ところで……なんで兄貴が?」

 洋子さんの声に、呆れが滲む。声のトーンが、明らかに下がった。

「お前が駅に着いたと連絡してきたから迎えに来たんだが……その言い方はなんだ!」

 北園の額に、青筋が浮かぶ。

 憤慨する北園を見て、玲奈と洋子さんがくすくすと笑う。

 兄妹の距離感が、微笑ましい。北園も、俺と同じなのだ。

 妹に振り回される兄の宿命か。

 春の陽射しが、その笑顔を照らす。

 

 そのとき、受付のほうから凛とした声が響いた。

「貴方が北園洋子さんでいいかしら?」

 空気が、瞬時に変わった。背筋が勝手に伸びる。

 一同が振り返ると、一人の女性士官候補生が立っていた。

「私は下山望。貴方の対番です」

 声に、鋼の響きがある。

 洋子さんは少し緊張しながらも、しっかりとした口調で返事をする。

「はい。私が北園洋子です。よろしくお願いします、下山先輩」

 背筋が、ピンと伸びた。もう、士官候補生だ。

 先ほどまでの甘えた声が、嘘のようだ。

 

 こうして、玲奈と洋子さん、それぞれの対番に連れられて「先輩カッコイイ!」と言いながらついて行き入寮手続きが進んでいく。

 その背中が、急に大人びて見えた。


***


 寮の受付は、次々とやってくる新入生と付き添いの家族で混雑していた。

 人の熱気で、空気が重い。

 対番の先輩たちが手際よく案内を進め、玲奈と洋子さんも寮へ向かう準備が整う。

「玲奈、洋子さん。新生活をしっかり頑張れよ」

 俺が声を掛けると、玲奈と洋子さんは元気よく頷いた。

「はい、お兄様!」

「頑張ります!」

 その声に、不安はない。希望だけがある。

 羨ましい、と思ってしまった自分に苦笑する。

 二人を見送る真田さんと下山さんが、それぞれ優しく背中を押す。

 そして、新入生たちの列に紛れて寮の中へと消えていった。

 扉が、重い音を立てて閉まった。

 

 俺と北園はその姿を見届けると、自然と肩を並べて歩き出した。

「俺たちも帰るか」

「あぁ」

 歩きながら、ふと思う。

 玲奈の士官学校生活が、こうして本格的に始まる。

 思えば、学習院時代まではただの妹だった玲奈が、自らの意思でこの道を選び、こうして一歩を踏み出している。

 兄として心配がないと言えば嘘になるが、玲奈なら大丈夫だろう。

 いや、大丈夫にしなければならない。それが、俺の役目だ。

 

 歩きながら、北園が呟いた。

「なんか、急に寂しくなったな」

「……同感だ」

 俺たちは顔を見合わせて、苦笑した。

「でも、まだ俺たちには最後の一年がある」

「そうだな。最後まで、しっかりやらないとな」

 

 寮の門を背に、俺たちは士官学校の敷地を後にした。

 桜の花びらが、風に舞う。

 花びらが、俺の頬に触れた。冷たい。

 新しい季節が、始まる。

 ――こうして、玲奈と洋子さんの新たな生活が始まった。

 そして俺たちの、最後の一年も。

 時計の針は、もう戻らな

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