第79話 第6世代機の実験機完成と監視AIの驚異
梅雨の季節、ついに第6世代機の実験機が完成した。
曇り空の下、格納庫に収められた機体を前に、関係者たちの表情は引き締まっている。
これまでの研究と開発の集大成が、ようやく形となった瞬間だった。
金属の匂いが、湿った空気に混じる。鼻腔が、機械油を捉えた。
柴田さんが腕を組みながら、しみじみと呟く。
「ここからが地獄らしい」
その声に、覚悟が滲む。喉が、かすかに震えていた。
開発の難関は乗り越えたが、これから始まるのは試験と調整の連続。
AIの最適化、センサーフュージョンの調整、UCAVとのデータリンク試験――
試験飛行で予想外の問題が次々と出ることは間違いない。
間違いない。その確信が、胃を重くする。
しかし、実際にシステムを確認すると、予想とは違う反応が返ってきた。
「ちょっと待って! なにこれ、監視AIでここまで直してくれるの?」
柴田さんの瞳孔が、一瞬縮んだ。
画面が、彼女の顔を青白く照らす。頬が、光を反射している。
これまで手作業で行っていた調整の大部分を、監視AIが自動で処理していた。
飛燕改の時よりも、監視AIの介入による自己改良の効率が格段に向上している。
柴田さんは興奮した様子で画面を見つめ、信じられないといった顔をしていた。
指先が、震えている。キーボードを叩く音が、不規則だ。
「これは……もしかして、私の仕事が減る?」
その言葉に、周囲の技官たちが苦笑する。
苦笑。でも、その奥に不安が見える。額に、汗が滲んでいた。
実際、これほどの精度で自己最適化が進むなら、人の手を入れる部分は大幅に減るだろう。
人が、要らなくなる。その恐怖が、空気を重くした。
***
実験機完成後、柴田さんが俺に打ち明ける。
夕暮れの格納庫。オレンジ色の光が、機体に反射している。二人だけの空間。
「私、昔の無人機プロジェクトで失敗した時、男ばかりのチームに『女だから無理だ』って笑われたの」
声が、震える。唇が、わずかに歪んだ。
「あの屈辱を晴らすために技術を磨いてきた。義之君の監視AIなら、私の証明になる」
と目を潤ませながら語る。
涙が、目尻に溜まる。でも、落ちない。瞬きを、我慢している。
監視AIの自己改良に驚きつつ、
「これなら過去を乗り越えられる」
彼女の言葉に、俺の胸が締め付けられる。肋骨が、内側から圧迫される。
女性が多い技官でもそういう偏見が多いのだなと、やるせなさを感じた。
偏見。その言葉が、喉に引っかかる。
俺は、モニターに映し出されたデータを眺めながら静かに頷いた。
「監視AIの効果は予想以上だな」
いや、違う。予想通りだ。でも――
嘘が、舌に苦い。
新たな航空技術の幕開けを感じながら、俺は目の前の実験機を見つめた。
これが、次世代の空戦を担う機体になる――そんな確信が胸の奥に広がっていった。
確信。それとも、願望か。
いや、恐怖かもしれない。
***
実験機に搭載されたAIは、次の重要な機能を備えている。
・センサーフュージョン技術
・UCAVとのデータリンク機能
・戦術ナビゲーションシステム
これらのシステムがどれだけスムーズに機能するかが、実験機の性能を左右する。
しかし、驚くべきことに、これまで人の手で修正を加えた箇所は、わずかに3カ所のみだった。
3カ所。その数字が、背筋を冷やす。
それ以外は、すべて監視AIによる自己改良で最適化されていた。
「これまでの修正作業と比べて、人の介入がほとんど必要ない……」
AI担当の技官たちも、予想以上の成果に驚きを隠せない様子だった。
彼らの顔が、青ざめている。興奮か、恐怖か。
通常なら、システム調整には膨大な時間と労力を要する。
だが、今回の監視AIは、想定以上の精度で自己最適化を進めていた。
進化が、速すぎる。人の理解を、超えている。
俺は、その様子を見ながら静かにデータを確認する。
確かに効率的だが、俺自身はそこまで驚いてはいなかった。
前世で経験した概念を提案し、それを量子コンピューターの技術で最適化しただけだ。
ただけ。その言葉に、嘘が混じる。罪悪感が、胃を刺す。
そんな俺の態度に、技官たちは尊敬の眼差しを向けてくる。
その視線が、皮膚を焼く。
「やめてくれ……俺はそんな大したことをしているわけじゃない」
心の中で、叫ぶ。声帯は、動かない。
そう思っていた矢先、柴田さんがじっと俺を見つめながら口を開いた。
距離が、近い。息が、かかりそうだ。
「貴方はAIの世界にどれだけ貢献しているか分かってないでしょ?」
その言葉に、俺は思わず苦笑する。頬が、引きつった。
「やめてくださいよ。俺が発表しなくても、誰かが思いついています。歴史の必然が偶々俺に廻ってきただけです」
お茶を濁すつもりだったが、柴田さんの目はますます鋭くなるばかりだった。
鋭い。まるで、俺の嘘を見抜くように。
瞳孔が、俺を捉えて離さない。
***
実験機の初飛行が始まった。
エンジンが唸りを上げ、空へと舞い上がる姿を見つめる。
轟音が、腹の底まで響く。内臓が、震えた。
テストパイロットたちは、機体の挙動を確かめながら、次々と報告を送ってくる。
「情報の整理が圧倒的に早い」
「戦術ナビゲーションAIの指示が自然で、負担が減る」
「センサーフュージョンの精度が飛燕改とは比較にならない」
声が、興奮に震えている。無線越しでも、高揚が伝わる。
まだUCAVとのデータリンク試験は始まっていない。
それでも、戦術ナビゲーションAIとセンサーフュージョン技術は、すでに高い評価を得ていた。
「ここまでの調整が、間違っていなかった証明でもあるな」
俺はモニター越しに実験機の機動を確認しながら、ふと実感する。
高校時代から執筆してきた論文。
AIの研究に没頭し、可能性を探り続けた日々。
眠れない夜。目が乾く。コーヒーで焼けた舌。書き直した数式。
そのすべてが、今、この空を飛ぶ実験機の中に詰め込まれている。
「……俺のやってきたことは、間違っていなかった」
でも、本当にそうか?
喉の奥で、何かが引っかかる。
実験機は、追浜の空を縦横無尽に駆け巡る。
それを見つめながら、俺は口元に静かな微笑を浮かべた。
微笑。でも、目は笑っていない。自分でも、分かる。
***
この実験機は、いずれUCAVと編隊を組み、本格的な運用試験に入る。
すべてが実戦での運用を見据えた試験だ。
実戦。その言葉が、首筋を冷やす。
「この機体が、新たな航空戦の時代を切り開く」
そう確信しながら、俺は飛び立つ実験機を見つめ続ける。
機体が、雲に消える。視界から、消えた。
これまでの技術の蓄積が、ようやく形になり始めた。
俺が執筆してきた基礎理論も、量子コンピューターによる強化学習も。
すべては、この瞬間のためにあったのだ。
本当に、そうだろうか。
胃の奥で、何かが蠢く。不安か、罪悪感か。
「その日が待ち遠しい」
口が、勝手に動く。
この実験機が、やがて正式採用され、第6世代機として制式化される。
そして、次世代の戦場で主役となる。
戦場。人が死ぬ場所。俺の技術で、人が――
思考を、振り払う。頭が、痛い。
この目で、その未来を見届けるまでは、俺の仕事は終わらない。
終わらない。終われない。終わらせてはいけない。
雨が、格納庫の屋根を叩き始めた。
水滴が、窓を伝う。まるで、涙のように。
梅雨は、まだ続く。
俺の中の、曇り空も。




