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第73話 JesterNet迎撃とAI最適化試験

「愉快系ハッカー集団JesterNet──上杉グループを標的にし、ほぼ24時間侵入を試みている」

 セキュリティ室から上がってきた報告書を眺めながら、俺は軽く息をついた。

 紙の束が、指の間でひんやりと冷たい。

 目が、数字の羅列を追いかける。瞬きを忘れていた。

 眉間に、じわりとしわが寄る。

 データの羅列を追いかけていると、ある種の規則性が見えてくる。まるで侵入の成功よりも、防御の解析を目的にしているような奇妙なパターンだった。執拗で、計算された攻撃。

「……なるほど」

 俺は報告書の一行に目を止めた。指先が、無意識に文字をなぞる。こちらのシステム更新とJesterNetの解析が続く限り、この攻防は終わることがない。いたちごっこ。それでも彼らは何度も試行することで、少しずつ突破の可能性を模索しているのだろう。

 椅子に深く座り直す。革張りの座面が、きしむ音を立てた。窓の外では雲が流れている。

「防御に徹するだけでは、いずれ突破される」

 そう呟いた瞬間、背筋がぴんと伸びた。

 椅子の背もたれから、体が離れる。

 拳を、無意識に握っていた。

 前世の記憶が脳裏をよぎる。無名權波との戦いの時もそうだった。受け身では勝てない。いや、勝てないというより──生き残れない。

 喉の奥が、からからに乾く。

(攻撃的防御か)

 相手の侵入経路をトレースし、こちらから仕掛ける。具体的な技術的詳細はセキュリティ担当に任せているが、要するに侵入してきた相手に反撃し、活動不能にするということだ。

 シンプルな話だ。だが、その実行は決して簡単ではない。

 胃の奥で、何かがぐるぐると渦巻いている。

 前世なら違法になりそうな手段だが、この世界では正当防衛として認められている。法的な後ろ盾があるのは心強い。むしろ、この世界の法体系は現実的だと言えるかもしれない。

 JesterNetの侵入拠点を潰せば、やつらの手足はしばらく動かなくなるはず。だが、問題はそう簡単ではないことを俺は知っている。

 ふと、田中主任の顔が浮かんだ。無名權波との戦いでも実績を上げた彼なら、この局面でも力を発揮してくれるだろう。

「田中主任を上級主任に昇格させよう」

 その決断は、迷いなく下せた。というより、これ以上の適任者は思い浮かばない。

 ペンを取る。手が、少し震えていた。


***


「田中上級主任、昇格おめでとうございます。これからはより自由に動けるはずです」

 田中は一瞬、表情を緩めた。

 目尻に、小さなしわが寄る。

 すぐに真剣な顔に戻った。顎に、ぐっと力が入る。彼らしい反応だ。

「ありがとうございます。……ただ、今は祝ってる場合じゃなさそうですね」

 声が、いつもより低い。緊張しているのだろう。

 その通りだ。名称は上級と付くだけだが、権限は大幅に上昇する。社内のセキュリティ関連の技術にフルアクセスできる権限。そして社長直属のポジション。セキュリティに関する重要な決定にも即座に関与できるようになる。

 要するに、俺が判断を下せば、田中はそれを即座に実行に移せるということだ。

「JesterNetの件、任せてもいいか?」

「はい」

 田中の答えは短く、そして力強かった。肩が、少し上がっている。気合が入っている証拠だ。余計な言葉はいらない。

 田中上級主任は、自分のチームとともにJesterNetの動きを監視し始めた。その姿を見ていると、なぜか安心感が湧いてくる。肩の力が、ふっと抜けた。この男になら任せられる。

 数時間後、彼から報告が入った。

「予測AIを活用し、JesterNetの侵入時間帯を特定しました」

 画面に映し出されたグラフには、明確なパターンが描かれていた。侵入時間の規則性が、思っていた以上にはっきりと浮かび上がっている。

 身を乗り出す。モニターの光が、顔に当たる。

「興味深いな」

 俺はグラフの波形を眺めた。まるで生き物の心拍のように、一定のリズムを刻んでいる。

「今夜、やつらはまた動くはずです」

 田中の声には確信があった。目が、ぎらりと光る。データに裏打ちされた確信。

(ならば、今度はこちらが仕掛ける番だ)

 俺は頷いた。狩られる側から、狩る側へ。立場を逆転させる時が来た。

 心臓が、どくんと高鳴る。

「準備はいいか?」

「万全です」

 田中の表情に、かすかな興奮が見えた。頬が、少し赤い。技術者としての血が騒いでいるのだろう。


***


 深夜。

 室内には、複数のモニターから発せられる青白い光。

 エアコンの低い唸りが、緊張感を増幅させる。

 コーヒーの匂いと、かすかな機械の熱気が混じっている。

 JesterNetの侵入が開始されたその瞬間——

 室内の空気が、ぴりりと張り詰めた。

 俺の心臓が、どくんと大きく脈打つ。

 手のひらが、じっとりと汗ばんできた。

 田中上級主任のチームが動いた。

 俺はセキュリティ室で、リアルタイムで展開される電子戦を見守っていた。画面に流れるデータの奔流。それは美しくもあり、恐ろしくもある光景だった。

 息を呑む。肺が、空気を求めている。

 まるで映画のワンシーンのようだが、これは紛れもない現実だ。

「侵入を確認。トレース開始」

 田中の声が響く。声帯が、緊張で震えている。チームメンバーたちの指がキーボードを叩く音が、室内に響いていた。機関銃のような激しいタイピング音。

「経路特定完了。反撃準備」

 画面上で、JesterNetの侵入ルートが赤い線で描かれていく。まるで血管のような、複雑な経路。

 目が、画面に吸い付けられる。

「いけ」

 俺が短く言うと、喉が渇いているのに気づいた。

 指先が、かすかに震えている。

 田中が頷いた。額に、汗が光っている。

「侵入端末に対して反撃を実施──」

 画面が一瞬、激しく明滅した。

 網膜に、残像が焼き付く。目を細める。

「JesterNetの端末13台を破壊完了」

 田中の声が、静寂を破った。声に、興奮が滲んでいる。

「端末にも回復不能なダメージを与えました」

 画面上で、JesterNetの侵入拠点が次々と沈黙していく。まるで夜空の星が一つずつ消えていくような、そんな錯覚を覚えた。

 鳥肌が、腕に立つ。

「これでしばらくは動きが鈍るはずです」

 田中の報告を聞きながら、俺は小さく息を吐いた。

 肩から、どっと力が抜ける。

 シャツの背中が、汗で湿っていた。

 でも、首筋はまだぴりぴりと緊張している。

 思っていた以上に、あっけない結末だった。

(JesterNetは、想定していたよりも大きなダメージを受けたことだろう)

 だが、油断はできない。これで最低でも数週間は回復不能なはずだが、JesterNetがどの程度の資産を持っているかは不明だ。復旧次第では、さらなる攻撃が予想される。

 背筋に、冷たいものが走る。

 田中のことだから、警戒態勢は維持してくれるだろう。しかし──

 俺は窓の外を見つめた。夜明けまでまだ時間がある。長い夜は、まだ続いている。

 ガラスに映る自分の顔が、疲れて見えた。

「お疲れさまでした」

 田中が振り返った。その顔には、達成感と同時に、まだ終わっていないという緊張感が混在していた。眉間に、深いしわが刻まれている。

「ああ。だが、これは始まりに過ぎない」

 声が、かすれていた。

 今回の勝利は、単なる小休止に過ぎないのかもしれない。だが、それでも一歩前進したことは確かだった。

 JesterNetよ。次はどう出る?

 俺は心の中で、見えない敵に問いかけた。答えはすぐには返ってこないだろう。だが、それでも構わない。

 拳を、ぎゅっと握る。

 俺たちは待っている。そして、準備を整えている。

 次の戦いに向けて。


***


第6世代機の戦術ナビゲーションAIの開発は順調に進行中だ。


シミュレーション試験を担当するパイロットのデータが蓄積され、学習パターンも増えてきた。


前回の最適化が功を奏し、改善要求の件数が予想よりもはるかに少ない。


その結果、最適化計画が前倒しされることになる。


これまでは「経験豊富な操縦士」の飛行パターンとユーザーインターフェース(UI)を基準に調整してきた。


戦技教導隊のエースパイロットを中心にシミュレーション試験を実施して、仮想敵国の戦術ドクトリンを忠実に再現し、戦術ナビゲーションAIの有効性を高めてきた。


俺は端末に映し出される試験データを見つめながら、小さく息を吐いた。


「これまでの調整は間違っていなかった……でも、次の課題はどうするかだな」


最適化計画が前倒しされたことは朗報だが、それは新たな課題が生まれることを意味する。


経験豊富なパイロット向けに仕上げたUIが、本当にすべての操縦士に適しているのか。


俺は次のフェーズを見据えながら、データをスクロールし続けた。


現状のUIは、優秀な技量を持つ操縦士には適しているが、一般的な技量のパイロットには扱いづらい。


「上級者向けに作り込みすぎて、一般のパイロットがついていけない」という課題が浮上。


そのため、新米操縦士や平均的な技量のパイロットでも対応できるように最適化を行うことが決定している。当初から懸念されていた点だ。


「敵機の機動をより一般的にする」調整が必要になるが柴田さんがデータを見ながら、俺に向かって言った。


「今の仮想敵は、戦技教導隊のトップクラスが操縦してるでしょう? これじゃ、ナビゲーションAIが完璧でも、新米パイロットは全く対応できないわ。」


画面に映る戦術シミュレーションのデータを見て、俺も納得する。


「確かに……エース級のパイロットなら、この動きに追随できるけど、新人には厳しすぎるな」


ただし、やりすぎると「性能の劣化」を招く恐れがある。

敵機の機動を簡単にしすぎると、戦場で高性能な敵機に対応できなくなるリスクもある。


柴田さんは続ける。


「単純化しすぎると、実戦では逆に適応できなくなる可能性もあるのよ」


最適なバランスを見極める必要がある。


俺は深く息をつき、端末のデータをスクロールしながら、この微妙な調整の難しさを改めて実感した。


柴田さんの指導のもと、俺も試験に参加することになった。


実際にシミュレーション試験を観察すると、問題点が浮き彫りになった。


「確かにナビゲーションAIが高性能すぎて、新米操縦士が情報に振り回されているのがよく分かる」


「高性能であるがゆえに、求められる対応力も高くなりすぎてしまうのか……」


柴田さんが端末を指しながら説明を始める。


「上杉君、今のUIは情報過多なのよ。操縦士が処理できる量には限界がある。例えば、この敵機の機動予測データ……」


画面には複雑な軌道予測がリアルタイムで更新され続けている。


「これ、エースパイロットなら直感的に理解できるけど、新米はデータを見ているうちに次の行動が遅れてしまう」


俺は考え込む。「じゃあ、どうすれば?」


柴田さんは画面のUIを操作しながら続ける。


「一つの方法は、情報のフィルタリング。敵機の挙動を単純化するのではなく、パイロットに優先すべき情報を自動で強調表示するの。」


「情報を減らすのではなく、見やすく整理するってことですね」


柴田さんは満足げに頷いた。


「その通り。必要な情報を適切なタイミングで提示する。それが、戦場での生存率を上げるカギよ」


「例えば戦闘中に優先度の高い情報を大きく表示して赤くするとか、余計なデータは必要なタイミングでのみ表示する感じですかね」


俺は改めて端末のデータを眺めながら、その重要性を実感した。


この機体はUCAVとの連携が前提となっている。


従来の戦闘機と違い、操縦士がすべてをコントロールする必要はなくAIによる戦術支援とUCAVの存在が、操縦士の負担を軽減している。


俺は試験データを見ながら、UCAVと有人機の連携がどのように機能しているかを確認していた。

有人機のみでは無理な機動すらこなすUCAVが攪乱して他のUCAVと無人機で追い詰める形や有人機の回避が間に合わない場合に有人機の盾になる様に機動しつつチャフやフレアを使いこなす行動は実際にUCAVとの連携機能を既にもつ飛燕改と比較してもUCAVとの連携はより洗練されている。


柴田さんが隣で画面を覗き込みながら言う。


「でも、完全にAI任せにするのは危険よ。戦術AIは支援ツールであって、最終判断はあくまで操縦士が下すもの」


確かに、戦場では想定外の事態が発生することも多い。AIが高度な判断を下せるようになってきているとはいえ、完全に人間の直感や経験に置き換えることはできない。


「確かに、AIが主導すると予測できない事態への適応力が落ちる……」


俺が言うと、柴田さんはモニターに映るデータを指差しながら続ける。


「だからこそ、最適化は慎重に行わなければならない。UCAVがあるからといって、油断は禁物よ。ほら、この場面を見て。操縦士がAIの指示を過信しすぎて、適切な回避行動を取れずにいるでしょう?」


画面には、ナビゲーションAIの推奨ルートに従いすぎたせいで、敵機に攻撃の隙を与えてしまったシミュレーション結果が表示されていた。


「なるほど……情報を過剰に頼ると、判断が鈍ることもあるわけか」


俺は考え込んだ。AIの指示が正確であるほど、それに依存しすぎてしまう傾向がある。だが、戦場では一瞬の判断の遅れが命取りになる。


「どんな状況にも対応できるバランスが必要だ」


俺はそう呟きながら、AIの調整案を練り直すことにした。


開発が進むにつれ、明らかになった課題と向き合うことは避けられない。


柴田さんがモニターを見つめながら言う。


「完璧なシステムは存在しない。でも、理想に近づけることはできる」


俺は深く頷く。


「UCAVとの連携、戦術ナビゲーションAIの最適化……このすべてが、未来の空戦の形を変える」


ここまで積み上げてきた技術が、戦場で確実に活きるように仕上げることが俺たちの使命だ。

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