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第70話 新年の挨拶と技術試験の始動

 士官学校の門をくぐる。

 冬の冷たい空気が肌を刺した。鼻の奥がツンとする。吐く息が、白く凍る。

 門の金属が、素手で触れたら張り付きそうなほど冷えていた。

 休暇が終わった——そう実感する瞬間だった。

 敷地内には新年の挨拶を交わす学生たちの姿があり、どこか落ち着いた雰囲気が漂っていた。休暇の名残があるものの、彼らの表情にはこれからの日々に向けた気持ちの切り替えが感じられる。

 まずは指導教官への挨拶から。

「今年もよろしくお願いします」

 深く頭を下げる。首筋に、冷たい空気が当たった。

 指導教官の視線が、針のように刺さる。

「うむ、今年も精進するように」

 変わらぬ厳格な態度で返される。声が、いつもより低い。でも、その言葉には信頼と期待が込められていることを感じた。背筋が、ぴんと伸びる。

 続いて、交友のある先輩たちへ。彼らはすでに訓練の準備を始めていた。

 訓練着が、汗でぐっしょりと濡れている。

 湯気が、体から立ち上っていた。

「新年早々、忙しそうだな」

 声をかけると、先輩の一人が振り返る。額から汗が一筋、頬を伝い落ちた。

「はい。今年も色々とお世話になります」

「お前はすぐにいなくなりそうだからな。まあ、たまには顔を見せろ」

 冗談交じりの言葉に、少し笑みを浮かべる。頬の筋肉が、久しぶりに動いた。先輩たちも、開発グループに関わっていることを理解しており、あまり校内に長く留まれないことを知っている。

 次に同期たちと顔を合わせる。彼らは休暇明けの活気に満ちていた。

「今年こそは負けないからな!」

 同期の拳が、ぐっと握られている。

 眼が、ぎらぎらと光っていた。

「そうか。それは楽しみにしておく」

 訓練の競争心を隠さない同期の言葉に、淡々と応じる。しかし、彼の言葉には挑発するような響きはなく、むしろ互いの成長を認め合うような穏やかさがあった。肩を、ぽんと叩かれる。

 最後に後輩たち。彼らは少し緊張した面持ちで見つめていた。喉仏が、上下に動いている。

「今年も色々教えてください!」

「もちろんだ。訓練をしっかりこなせば、自然と力はつく」

 その言葉に、後輩たちは安堵したように頷いた。肩の力が、ふっと抜けるのが見えた。彼らにとって——照れるが、頼れる先輩であり、目標とする存在の一人なのだろう。

 こうして士官学校内での一通りの挨拶を終え、開発グループへと向かうために歩を進めた。休暇明けの士官学校は、新たな一年の始まりを告げるように静かに活気づいていた。

 何を考えているのか、自分でもよくわからなかった。ただ、今年は何かが違う気がした。胸の奥が、ざわざわと騒いでいる。


***


 追浜の研究施設に足を踏み入れる。

 消毒液の匂いが鼻をつく。エアコンの低い唸りが、耳の奥で響いていた。

 廊下の蛍光灯が、目に痛い。

 独特の静寂と機械が発するわずかな駆動音が耳に届いた。年始の空気がまだ残る中、開発チームの技官たちはすでに作業に取り掛かっていた。ここは国防総省の第6世代機開発グループが拠点とする施設——日本の次世代航空戦力の要となる場所だ。

 航空機の開発拠点は二つ。追浜と各務原——どちらも馴染みのある場所だった。

 追浜は第6世代戦闘機とUCAVの開発を担当し、各務原ではシミュレーション試験や実運用テストが行われる。両拠点はセキュリティの強固な専用回線で結ばれており、実際に物理的な距離があっても、研究者たちはほぼ同じ空間で作業しているのと変わらない環境にあった。

「この環境なら、追浜にいながらでも各務原の様子をリアルタイムで把握できるな」

 端末を確認しながら、各務原から送られてくるデータの更新速度を見て感心する。キーボードを叩く指が、軽快に動く。前世の経験から、市ヶ谷の防衛装備庁へ出向いたこともあったが、この世界では生前の旧軍の体制を引き継ぐ形で、航空機開発は追浜と各務原の二拠点で管理されている。そのため、士官学校のある横須賀市内に研究施設があることは、非常に都合が良かった。

 施設内を進みながら、新年の挨拶を兼ねて開発チームに顔を出す。

 セキュリティゲートを通る。カードリーダーが、ピッと電子音を発する。

 研究所に入ると、技官たちは忙しく作業を進めていた。

 キーボードを叩く音が、まるで雨音のように響いている。

 コーヒーの香りと、新品の電子機器特有の匂いが混じっている。誰かのカップラーメンの匂いも、かすかに漂ってきた。

 年が明けても、ここでは時間が止まることはない。次世代戦闘機とUCAVの開発に携わる者たちは、正月気分などとうに抜けているのだろう。

「おはようございます。今年もよろしくお願いします」

 技官たちは手を止め、軽く会釈しながら「よろしく」と応じる。中にはまだ正月気分が抜け切れていないのか、コーヒーを片手に眠そうな顔をしている者もいた。目の下に、くまができている。

 馴染みのある技官たちの中から、柴田さんを見つける。相変わらず端末と格闘中だった。眼鏡が、青い光を反射している。

「柴田技術大尉殿!」

 冗談めかして声をかける。

 柴田さんは眉をひそめ、露骨に嫌そうな顔をした。

 肩が、ぴくりと跳ねる。

 手に持っていたマグカップが、かたかたと音を立てた。

「やめてくれる? そういうの苦手なのよ」

 声が、いつもより半音高い。頬が、少し赤くなっている。

 耳たぶまで、ほんのりとピンク色だ。

 軍の技術者たちは、前世の技術者たちと同じで、堅苦しい呼称を嫌うらしい。正式には、彼女のような技官には「技術大尉」や「技術少佐」といった階級が付くが、研究所内ではそんな形式張った呼び方をする者はいない。みんな「さん」付けで呼び合っている。

 まあ、技官ってのはそんなものか。

 軽く肩をすくめながら、研究所の空気に馴染んでいく。年始の挨拶もほどほどに、これから始まる本格的な作業に備え、端末を開いてデータを確認する。

 画面の光で、目がちかちかする。

 今年も忙しくなりそうだ——そんな予感がした。


***


 各務原の技術試験場では、新年最初のシミュレーション試験が開始された。試験環境が起動されると、制御室内の大型スクリーンには、シミュレーション内の機体の動きやAIの制御データが次々と映し出される。第6世代機のAI制御やセンサーの認識能力がどこまで精度を向上させたのかを確認する重要な試験だった。

「試験環境、正常に起動。センサー系統、データ取得開始」

「AI制御プログラム、リアルタイム動作に移行」

 オペレーターが手順を進める中、データを注視する。

 目が、画面に吸い付けられる。瞬きを忘れていた。

 首筋に、じわりと汗が滲む。

 AIの挙動がどのように変化するのか、各種センサーが実際の環境をどう認識するのかがポイントだ。

 数値が流れていく。数値の羅列——でも、その中に答えがある。指先が、無意識にペンを回している。

 表示された数値の推移を見ながら、柴田さんに声をかけた。

「柴田さん、ここの分岐で変な値が出ていませんか?」

 指が、画面の一点を指す。

 柴田さんが身を乗り出した。椅子が、きしむ音を立てる。

「あら、そうね。ちょっとおかしいわね」

 彼女もスクリーンを見つめながら、異常なデータを指摘する。眼鏡を押し上げる仕草が、いつもより速い。AIの計算結果と実際の動作が一致していない部分があり、調整が必要だった。

「やはり、シミュレーションでも実際に動かすと違いは明白ですね」

 ため息が、思わず漏れる。

「でも、飛燕改の時より随分、精度も上がっているじゃない。自信を持っても大丈夫よ」

 柴田さんの手が、俺の肩をぽんと叩いた。

「ありがとうございます」

 技術開発は常に試行錯誤の連続だ。AIの制御精度は向上している——でも、実戦レベルで運用するにはさらなる学習能力の向上が必要になる。画面を見ながら、今後の課題について考えた。

 コーヒーを飲む。もう冷めていた。苦い。

 肩甲骨が、ごりごりと鳴る。

「もっと学習能力を強化できれば、実戦環境への適応が早くなるはずですが……」

「それは今後の課題ね。でも、今の段階では十分な成果よ」

 柴田さんの言葉に頷きながら、データを記録する。キーボードを叩く音が、静かな制御室に響く。明日には試験結果の速報が届く予定だ。それを基に改良を進め、次の試験へと繋げていく。開発はまだ道半ば——でも、一歩ずつ進んでいることは間違いない。


***


 試験が終了すると、技術チームはすぐにデータの収集と解析に取り掛かった。AIの挙動、各種センサーの認識精度、戦術判断の正確性——それら全てが詳細に記録され、翌日には速報としてまとめられる予定だった。

「データの転送が完了しました。各項目の初期解析を開始します」

「明日には速報が出せる見込みです」

 オペレーターの報告を聞きながら、端末の画面を確認する。

 目が、じんじんと痛む。長時間画面を見続けた結果だ。

 瞬きをすると、まぶたの裏に画面の残像が焼き付いている。

 首を回す。ごきっと嫌な音がした。

 リアルタイムで蓄積されたデータが次々と処理され、試験の結果が形になりつつあった。

「明日には速報が来ますね」

「そうね。そこからが本番よ」

 柴田さんが軽く肩を回しながら言う。関節が、ぽきぽきと音を立てた。シミュレーション試験自体は順調に進んだが、問題はここからだった。データを精査し、改善点を洗い出し、次の試験へと繋げていく。それが俺たちの仕事だ。

 試験データを改めて見直しながら、次の開発ステップについて考えた。いくつかの課題は予想の範囲内だったが、思わぬ変数もある。それをどう解決するか——それが今後の鍵になる。

 画面に映る数値を見つめながら、静かに息を整えた。

 肺に入ってくる空気が、エアコンの乾いた風を含んでいる。

「ここからが勝負だな」

 そう思ったが、本当にそうなのだろうか? 一瞬、そんな疑問が頭をよぎった。

 胃の奥が、もやもやする。

 明日、速報が届き次第、本格的な解析と修正作業が始まる。それを基に詳細な解析を進め、修正点を洗い出し、次の試験に反映させる流れだ。課題はまだ多い——でも、確実に前進している。試行錯誤を重ねながら、最適な形へと近づけていくしかない。

 その先には実機テストが待っている。改良の余地はまだあるが、着実に前進していることを実感しながら、端末の画面を閉じた。

 画面が暗くなった瞬間、目の奥がずきずきと痛んだ。

「まずは速報を確認して、そこからですね」

 明日はさらに細かい調整が必要になるだろう。次の段階へ進むために、できることを積み重ねていくしかない。

 でも、それでいいのだろうか?

 指先が微かに震えた。緊張しているわけじゃない。ただ、震えた。

 疲労のせいか、それとも——

 カフェインの摂り過ぎか。今日何杯目のコーヒーだろう。

 胃が、きりきりと痛み始めていた。

 何かが変わろうとしている——そんな予感だけが、胸の奥に残っていた。

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