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第69話 新年の伝統行事

 新年の朝、屋敷には静かで落ち着いた空気が漂っていた。年が明けても、慌ただしくなることはなく、どこか厳かで整然とした雰囲気があった。

 朝の光が薄く差し込んでいる。冷たいような、暖かいような。窓ガラスに、うっすらと霜が降りていた。

 朝食は、華族の伝統に則った形で用意されていた。おせち料理が美しく並べられ、母手作りのお雑煮が椀に注がれる。

「新年おめでとうございます」

 家族全員が静かに新年の挨拶を交わし、席についた。

「おめでとうございます」

 そう応えながら、椀を手に取る。湯気が顔を撫でる。

 白味噌の香りが、鼻腔をくすぐった。

 餅を箸で持ち上げると、とろりと伸びる。口に運ぶと、熱さが舌を刺激した。

 母の作るお雑煮は、毎年変わらぬ味で、これを食べると新しい年を迎えたことを実感する。

 玲奈も嬉しそうに箸を動かしながら、「やっぱりお母様のお雑煮が一番ね」と微笑んだ。頬が、ほんのりと上気している。

 でも、来年は玲奈もここにいない。そんなことを考えてしまう自分がいた。胸の奥が、きゅっと締まる。

 元日は、各家の仕来たりに従って過ごすことが決まっている。この家でも、曽祖父からの伝統を大切にしていた。

 まず、朝食を終えた後、使用人たちとの新年の挨拶が行われた。

「新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」

 屋敷で働く使用人たちが整列し、深々と頭を下げる。

 畳を擦る衣擦れの音が、かすかに響いた。

 父がそれに応じて静かに頷き、「今年もよろしく頼む」と短く言葉をかけた。

 父の声が、凛とした冷たさを帯びている。背筋が、ぴんと伸びた。

 続いて、父から元日手当として現金が支給される。

 毎年の恒例行事としてこの光景を見てきたが、使用人たちが深く感謝の意を表しながら受け取る姿を見ると、この家の伝統の重みを改めて感じた。

「ありがとうございます」

 そう礼を言う使用人たちの表情は、どこか引き締まっていた。目が、少し潤んでいるように見える人もいた。

 何を考えているのか、自分でもよくわからなかった。ただ、この光景がいつまで続くのだろうと思った。喉の奥が、妙に乾いた。

 元日の昼食は、使用人たちと家族が同じテーブルで食事を共にする。全員が席につけるわけではないため、交代制で同じ食事を取ることになっている。

 これは、代々受け継がれてきた仕来たりであり、使用人たちにとっても特別な意味を持つ行事だった。

 食事が始まると、屋敷の中は普段よりも賑やかになった。格式ばった正月の雰囲気の中にも、穏やかな笑顔が見られる。箸と器が触れ合う音が、あちこちから聞こえてきた。

「今年もよろしくお願いします」

 そう交わされる言葉とともに、新しい年の幕開けを静かに、しかし確かに感じる時間だった。


***


 翌日、新年の恒例行事として、神田明神へ初詣に向かった。

 吐く息が、白く凍る。

 指先が、じんじんと痺れてきた。

 一緒に行くのは俺と玲奈、北園兄妹、そして美樹、沙織、千鶴、真奈美の総勢八名。それに各家のPMCの護衛。PMCでも華族の護衛任務に着く隊員は服装もしっかりしているが今日はいつも以上にビシッと決まっていた。

 神社へと向かう道中、周囲の視線を集めるのはやはり女性陣だった。全員が華やかな振袖に身を包み、新年らしい華やかさを演出していた。

 色とりどりの振袖が、朝日に映える。

 金糸銀糸が、きらきらと光を反射していた。

 髪飾りの簪が、歩くたびに小さく揺れる。

 北園も驚いたように、「なんか、すごいな……こんなに揃うと圧巻だな」と感嘆していた。喉仏が、ごくりと動く。

 皆の振袖姿を見て素直に感想を述べて褒める。最後の玲奈には——

「お前も随分大人になったなー、馬子にも衣装とはこの事だ」

 玲奈は一瞬嬉しそうな表情を浮かべた。頬が、ぱっと赤くなる。が、次の瞬間——

 鋭い肘が脇腹にめり込んだ。

 息が止まる。内臓が、ぐにゃりと歪む感覚。

「ぐっ……!」

 膝が、がくんと折れそうになった。

「最後の一言が余計!」

 玲奈の声が、耳元で響く。

「お、お前、いつの間にそんなに鍛えたんだ……」

 脇腹を押さえながら呻くと、玲奈は勝ち誇ったような表情で、「お兄様こそ、油断しすぎよ」と笑っていた。

 周囲の女性陣もその様子を見て微笑みながら、「相変わらず仲のいい兄妹ね」と呟く。くすくすという笑い声が、冷たい空気に溶けていく。

 そんなやり取りをしながら、神田明神の境内へと足を踏み入れた。

 境内に入ると、線香の煙が立ち込めていた。

 砂利を踏む音が、あちこちから聞こえる。

 冷たい風が、振袖の裾を揺らした。女性陣が、寒そうに身を縮める。

 人が多かった。肩がぶつかりそうになる。当たり前だが、そう思った。


***


 1/3 休暇も終わり、ついに士官学校へ戻る日がやってきた。

 帰り際、玲奈に声をかける。

「次に会うのは入寮だな。二度手間になるから、おかっぱ頭にしてからこいよ」

 玲奈は頬を膨らませ、ぷんっとした表情を見せながら、

「もうー! お兄様なんて嫌い!!」

 と舌を出してきた。ピンク色の小さな舌が、ちろりと見える。

 その反応に……笑ってしまった。肩の力が抜ける。

 最寄り駅に到着すると、北園と別れる。

「じゃあな、上杉。また学校でな」

「おう、気をつけて帰れよ」

 お互い、下宿へ戻り私服から制服に着替えた後、士官学校へ向かうのだ。

 下宿に戻ると、4年生で1年生の時に対番だった有馬先輩がすでに着替えていた。下宿は私服への着替えや私物置き場に使うぐらいなので複数の生徒で借りるのだ。華族が4人で借りている。

 下宿で華族が混ざると……どうも気が詰まるらしい。この下宿も20年以上前から代々、学生が入れ替わりながら借りているそうだ。

 制服に袖を通すと、背筋がぴんと伸びた。

 休暇でゆるんでいた体が、急に引き締まる。

 襟元のボタンを留める指が、かすかに震えた。

「おぉー! 上杉、あけましておめでとう」

 有馬先輩の声が、いつもより弾んでいる。

「あけましておめでとうございます。先輩もいよいよ今年卒業ですね」

「あぁ、あと少しだがよろしくな」

 少し寂しそうに見えた。目が、遠くを見ているような。気のせいかもしれないが。

「配属先の内示はいつ出るんですか?」

 有馬先輩はニヤリと笑いながら答えた。口元が、大きく歪む。

「もう出ている。年末に貰った。聞いて驚け! 海鳳の戦術指揮所勤務だ!!」

 驚きを隠せなかった。口が、ぽかんと開く。

「え! まだ就役して3年ぐらいの新鋭空母じゃないですか。凄いですね。おめでとうございます。士官学校から卒業していきなり新鋭空母なんて先輩もエリートコースですね。でも俺に言って大丈夫なんですか?」

 有馬先輩は嬉しそうに、胸を張った。

「まぁな。お前になら大丈夫だ。なにせ俺の人事より機密情報の権限レベルは上だ」

 と笑われる。目が、きらきらと輝いている。

 なるほど、確かにそうかもしれない。

「それに指導教官からこっそり教えて貰ったがお前の対番を務めた事も高評価に繋がったらしい。上杉には感謝している。お前の対番で誇らしい」

 そう言いながら、先輩の手が俺の肩をぽんと叩いた。温かい。

「いや、それだけじゃ無く、先輩の努力もありますよ。それに先輩に対番を務めて貰ったのは俺も感謝しています」

 そう言うと先輩は恥ずかしそうに微笑し、耳まで赤くなった。一緒に帰校した。

 寮に戻ると、すでに帰校している先輩や同期が新年の挨拶を交わしていた。廊下に、元気な声が響いている。

「新年早々、上杉に会えるとは運がいい。お前校内で中々見ないからUMA扱いだぞ」

 笑いながら声をかけられる。背中を、ばしばしと叩かれた。

 確かに、学業以外の技術研究や実験に関わることが多いため、校内で見かけることは少ないのかもしれない。

 そんな笑い声とともに、新たな一年が始まるのを感じながら——

 今年は玲奈の入学や第6世代航空機の戦術ナビゲーションAIも最終審査が控え、最上級生に進級だ。気を引き締めていかねばならない。

 拳を、ぎゅっと握る。

 でも、本当にそれでいいのだろうか? 一瞬、そんな疑問が頭をよぎった。胃の奥が、もやもやする。

 いや、今はそれを考える時じゃない。

 そんな事を考えながら士官学校での新たな日常に戻った。

 何かが変わろうとしている——そんな予感だけが、胸の奥に残っていた。

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