表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/109

プロローグ1~クリミアの空と未来への翼ver1.3

<β世界線:2024年 クリミア上空>

 爆音が空を裂いた。

 警告音が耳を貫く。操縦桿が、俺の手の中で暴れた。

 俺——上杉義之。コールサインは軍神01。

 ここはクリミアの空。※1 UCAVのいない、生身の人間が戦う最後の戦場だ。

 高度8000メートル。外気温マイナス40度。

 なのに、額から汗が噴き出す。塩辛い雫が目に入った。

 フライトスーツの難燃繊維が、汗で肌に張り付く。

『助けて!』

 少女の声が、頭を貫いた。

 操縦桿を握る手が、凍った。

 なんだ今の——

 十代前半。泣いている。金属的な響き。脳髄に直接——

 心臓が止まりかけた。

 耐Gスーツが胸を締め上げる。肋骨が軋む。呼吸が、できない。

 ……幻覚だ。

 ——本当に?

 胸の奥で、何かが泡立つ。正体不明の不安が、神経をざらつかせる。

 機体が急降下を始めた。

 俺が無意識に操縦桿を押し込んでいた。

「軍神01、どうした!」

 北園の叫び。

 我に返る。機体を立て直す。遅い。

 ロックオン警告。

 ミサイルが来る。

 歯を食いしばる。奥歯が軋む。ヘルメットの中で、その音が響いた。

 全身の血が逆流する。皮膚の下を、冷たい何かが這いずり回る。

 あの声の主は——

 俺が助けなければ死ぬ。

 なぜか、それが分かった。

「軍神01、死ぬ気かよ!」

 現実に引き戻される。

 六つの黒影。敵機だ。

 アフターバーナー全開。機体が震える。炎が視界を焼く。

「酒が不味くなるぞ!」

 ミサイルが空を切り裂く。

 急旋回。※2 HMDが真っ赤に染まる。警報音が脳を揺さぶる。

 衝撃波。

 高度6000メートル。重力が俺を潰しにかかる。

 息が、詰まる。

 赤い尾翼——敵のエース機が、俺を狙っている。

 また、あの声が——

 違う。聞こえない。

 でも、その感触だけが腹の奥に沈み、腸をぎゅっと締め付けていた。

 喉の奥に鉄の味が広がり、胃が反射的にねじれた。

 なぜだ。なぜ俺は——

***

「軍神01、生きてるか?」

 北園俊介。士官学校で互いを救い合った相棒。

 あいつの軽口がなければ、とっくに狂ってた。

「死んでねえよ」

 声が掠れる。唾を飲み込む。

「敵は何機だ?」

「6機だ。リーダーが狡猾で、他が追随してる」

 北園の機体が、敵リーダーの背後を取る。

 これで敵の動きは限定される。

「お前なら涙目で片付けるだろ、エース様」

「ならお前がやれよ、雪山01」

「俺は援護専門だ。お前が主役でいいだろ!」

 無線が途切れる。

 コックピットに、自分の呼吸だけが残る。

 酸素マスクの中で、吐息が白く曇る。

 マスクのゴムの匂いが、鼻腔に張り付く。

 空調が効いてるのに、汗がヘルメットを伝う。

 汗のにおいが鼻を突く。マスクの中に、どこか金属臭がこもっていた。

 手が、まだ震えてる。

 震える指を叱るように、操縦桿を握り直した。

 グローブ越しに、手のひらの湿り気。革が汗を吸って重い。気持ち悪い。


***


「敵編隊の動きが違う!」

 僚機からの通信。

「電子戦機がいないのにジャミングを受けてる!」

 6機の敵が、一つの生き物みたいに動く。

 新型機だ。

 ミサイルが効かない。強力な電波妨害。

「回避された! こんな動きが——」

「佐世保04、被弾!」

 味方機が火を吹く。スピンに入る。

 その瞬間——

「各機、敵のレーダー攪乱を開始」

 一条院美樹さんの声。

 電子戦士官。俺の婚約者。

 冷静な声。でも、微かに震えてる。

 彼女もモニター越しに、俺たちの戦いを——

 HMDに青いホログラムが浮かぶ。

 AIナビゲーションが敵の動きを予測する。

 光跡が、未来を描き出す。

 今だ。

 誘導弾、発射。

 オレンジの爆炎。敵リーダー機が包まれる。

 HMDの端に、小さなメッセージ。

『死なないでね』

 美樹さんからのプライベートメッセージ。

 軍規違反だ。華族の令嬢が、こんなリスクを——

 胸の奥が、熱くなる。

 胸が焼けるように締め付けられ、酸素が喉を通らない。

***

「雪山01、発射!」

 北園が突破口を開く。

 俺は機体を旋回させる。

 9G。

 全身の血液が下半身に押し込まれる。

 視界の端が暗くなる。意識が——

 量子レーダーが何かを捉える。

 「魔眼」——ステルスを無効化する新技術。

 未来が見える。

 いや、違う。これは予測じゃない。確信だ。

 操縦桿を押し倒す。

 雲を切り裂く。敵機を追い詰める。

 誘導弾、命中。

 オレンジの火球が、空に咲く。

「その調子だ、軍神01」

「雪山01、お前だけが活躍してると思うなよ」

「次はお前が酒代分、撃墜しろ!」

 軽口。

 でも、それが生きてる証だった。


***


 空母への帰路。

 編隊は整然と飛ぶ。

 戦闘の興奮が冷める。静寂がコックピットを満たす。

「軍神01、今日で何機撃墜した?」

「4機だ」

「つまり、お前は21世紀初のダブルエースだな」

 複雑な感情が湧く。

 俺は優秀なパイロットだと思う。

 でも——

 北園の天才的な勘。0.1秒の判断。

 俺は計算する。その差が、いつか命取りに——

 羨ましい。素直に。

「軍神01、どこまで行くつもりだ?」

「俺が目指してるのは、この戦争じゃない」

 少し考える。

「その先の空だ」

 この戦いの記録が、次世代の技術を変える。

 AIが戦場を支配する日。それは平和への一歩。

 前世で果たせなかった夢の、続き。

 でも、あの声は——

『助けて!』

 まだ耳の奥で響いてる。

 少女の声。知らないはずなのに、懐かしい。

 前世の——

 いや、そんなはずは。

 胸の奥で、何かがざわめく。

 忘れてはいけない何かを、忘れてる気がする。


***


 帰投後。

 整備士と機体チェック。手が、まだ微かに震えてる。

 デブリーフィング。戦闘データの分析。新型機の性能。敵の新戦術。

 全部が次の戦いへの糧。

 会議室を出る。

 伝令が待ってた。一条院家の紋章入り封筒を持って。

「お嬢様からです」

 美樹さんか。

 メールではなく、手紙。あの人は、いつだって“本気”の時は紙を選ぶ。

 封蝋の家紋——三つ巴に桜。金色に輝く。

 自室に戻る。

 ベッドに倒れ込む。全身が鉛みたいに重い。

 まどろみの中で、また聞こえる。

『助けて!』

 今度ははっきりと。

 少女が泣いてる。駅のホーム。線路に向かって——

 女子中学生が落ちていく。制服が風に翻る。

 絶望と恐怖が、彼女の瞳に宿ってる。

 なぜか、俺には見える。

 少女の叫びが、耳の奥で——

 なぜだ。なぜ俺は、この声を知ってる?

 俺は彼女を救ったはずだ。

 それを後悔してる?

 深い眠りが俺を包む。

 夢の中で、誰かが囁く。

「まだ終わらないよ」

 その声の主は——

 知ってる。でも、思い出せない。

 ただ、一つだけ確かなこと。

 俺は、この世界の人間じゃない。

 華族制度が残る世界。立憲君主制が続く世界。

 歴史が違う道を歩んだ世界。

 量子コンピュータは実用化された。

 でもAIは、まだ人の手を離れてない。

 なぜ俺はここにいる?

 なぜあの少女の声が聞こえた?

 そして——なぜ俺は、彼女を知ってる?

 答えはまだ、霧の向こう。

 運命の歯車が、静かに回り始めてた。


***


※1 UCAV(Unmanned Combat Aerial Vehicle)

兵装を搭載し、遠隔または自律で攻撃任務を遂行する"無人戦闘機"。

※2 HMDヘッドマウントディスプレイ

パイロットのヘルメットに装着される表示装置。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ