5
「そんな……」
オルトスはその夜、息子を寝かせてから全てを話した。
明日魔獣を討伐しにいく王命について、多分死ぬかもしれないということ。僕に関わること以外の全てを話した。
ライネルはとても驚いた様子で涙をこぼす。
そんな彼女にオルトスは顔を歪める。昼間にあれだけ言い合い取っ組み合いをしたのにもうそのことを忘れたように残り少ない時間が流れている。
「すまない……」
「あなたが謝らなくていい。その魔獣が悪いのよね」
別れを惜しむように泣いた彼女は不思議なことにオルトスを責めるようなことはしなかった。「王命を断れない?」くらい言って食い下がるかと思ったら、思いの外簡単に受け入れた。
「ただ倒せれば、もうすこしだけ生きれると思う。待っててくれないか」
「もちろん……あなたは戦士で、冒険者だったあたしが見初めたんだもの。あなたならきっとどんな魔獣にも負けないわ」
「そういえばそうだったな。あぁ、ありがとう……!」
オルトスは下唇を噛んで何かを思い出しながら彼女を強く抱きしめる。
まぁたしかにまだわからない。直近で一番死ぬ確率が高い出来事というのがその魔獣というだけで帰ってきた後で浮気を疑われて刺されるかもしれない。
ただ力強く抱きしめるオルトスの体に優しく手を添えるライネルを見て僕は気づいた。
あぁなるほど、彼女は信じているんだ。
戦士としてのオルトスを、必ず帰ってくる信頼のできる男であるということを。
森から帰ってきたときは心配そうにしていたのに、魔獣討伐では信頼するんだな。
それも人間の感情の裏返しってやつなのかな。
昼間にあれだけヒステリックに怒り散らかしてオルトスを殺そうとした人間とは思えない。
こんな人間もいるんだなと、水面に水滴が落ちるくらいような波が僕の心に湧き立つ。
それくらいには新鮮だった。
何千億人と人が死ぬ瞬間を、そして人が死ぬ前に取る行動を見てきたがこんなふうに人間の感情に直に触れた気分になるのは意外と珍しいものなんだ。
感情が剥き出しな存在は意外と少ない。今までで一億人くらい見てきたかな。
いや? 一億は多いのか?
まぁ何千億中なら一億でも珍しく感じるだろうけど。
僕は自問自答して彼らを見守っている。
「お母さん……?」
二人で大切な時間を過ごしていたら、息子まで居間に現れた。
「カイル、こんな遅くにどうしたの?」
「声が聞こえたから……お母さん泣いてるの?」
カイルがそう言うとライネルはすぐ目を拭う。
「泣いてないわ。あのねカイル、お父さんまた魔物討伐に行くんだって、応援してあげて」
屈んで頭を撫でてそう言うと、カイルはとてとてと歩き出す。
オルトスの足に無言でしがみついた
「おぉ? どうした?」
先ほどの重いテンションから切り替えてオルトスはおどけてみせる。
「行かないで」
ただカイルはそんな様子とは正反対だった。
「お父さん、行かないでほしい」
ふむ、そうくるだろうな。
僕は経験からこう言う時どうなるかが感覚的にわかるようになってる。
人間の子供というのは生きた時間が短いくせにこう言う時だけ変に勘がいいのはどの世界でも共通なんだな。
のんびりプカプカとオルトスの後ろで浮かびながら顎に手を当てて俯瞰的にその様子を覗き見する。
「なんだなんだどうした。いつもは笑って見送ってくれるじゃないか」
「嫌だ。今回はなんか……嫌なの!」
気づけばカイルは泣いていた。
あまりにも本気でしがみつくからオルトスも困惑して引き剥がすか迷っている。
僕が見えているのか? いやないか。彼に僕は憑いてない
だからカイルという少年はまだ知らないし、オルトスの運命的な死を知る方法がない。
「……カイル。わかったよ」
「わかってくれる? もう行かない?」
「そうじゃない、すこしだけお話をしよう」
オルトスは足から息子を離し、頭をぽんぽんと撫でて同じ目線になるように屈んだ。
「お父さんはな、普段この街を守るために森に行って魔物を倒してる」
「うん、知ってるよ?」
「それをしなかったらどうなると思う?」
「……」
俯いて目を合わせないようにするカイルの顔を両手で挟んで、オルトスは目を見るように顔を無理やり合わせる。
「魔物が来て、お母さんを殺しちゃうかもしれないんだ」
「で、でも! 家にはお父さんが……」
「俺たち家族は問題ないかもしれない、けどな? 他の家はどうなる? 他の人はお父さんみたいに強いとは限らないんだぞ?」
「……うん」
カイルはしょんぼりと、物分かりよく首を縦に振る。
「これはしっかりと考えなきゃいけないことなんだ。そんな時にどうするべきか」
「じゃ、じゃあみんな強くなれば!」
「そうだな。でも今から強くなろうとしてすぐに強くなれる人はいないんだ」
ゆっくりとじっくりと、彼にわかるようにオルトスは伝えている。
「だからカイル、お前が強くなりなさい。それでこの国を守ってくれ」
「え?」
「明日からお父さんが出かけている間、もうお父さんが魔物討伐に出かけなくてもいいように強くなれば一人でも多く街の人を守れる」
そしてオルトスは一瞬考えた
「そうだな……この国の外れに強い剣士がいる。その人に家を貸してるんだ。この国に来ることもあるだろう。カイル、もし街で腰に刀を下げたお爺さんを見たら弟子にしてもらうといい。俺の名前は出せばもしかしたら剣術を教えてくれるかもしれない」
今まで見たことない優しい笑顔でカイルに語りかける。
「お父さんは忙しいから見てやれなくてごめんな。カイルに国を任せていいか?」
カイルの顔を見るだけで彼は子供ながらにオルトスの言ったことを自分なりに理解したことがわかる。
「……うん! 僕、お父さんみたいになるよ!」
「そうか! じゃあもう遅いから寝よう」
「うん! おやすみなさい! 帰ってきたら強くなる方法教えてね!」
カイルはドタドタと奥にかけていった。オルトスは返事をしなかった。
「ふぅ……生きて帰らなきゃな……」
「それはそうよ。私より先に死んだら泣いて暴れるって前にも言ったでしょ?」
あまりにも冗談に聞こえないそれに僕はケタケタと心で笑う。
残念ながら泣いて暴れると良い。ライネルにも僕は憑いていない。
オルトスの方が必ず先に死ぬさ。
そんな僕の思いを表したのか、オルトスの命のようにロウソクが今にも燃え尽きようと揺れる。
あたりが一層暗くなってくる
そんな中でオルトスとライネルは見つめ合う
「俺たちも寝よう」
オルトスはライネルの腰を抱いて、一回唇を重ねて奥の部屋に向かった。
その時、ちらりとこちらを見る。何か訴えかけてる視線だが……
「勝手にしていい。僕は死んだことを確認できればいいんだ。腹上死したらそれを見届けるだけだから何してようが見ないでいてあげる。そんな興味ないし勝手にしな」
だいたい死ぬ前に男と女がすることって割とわかりやすく決まっている。
だから僕は手でシッシッと振って、彼にしか聞こえないのをいいことに言ってやった。
オルトスは声には出さなかったが、とんでもない顔のしかめ方をしていた。「雰囲気がぶち壊しだ」そんな悪態のような心の声が聞こえる。
キャハハ、そうケタケタと笑って見せてそんな悪態も意に介さず彼らを見送った。
これで本当に腹上死したら笑えるんだがなぁ。
命が終わる前に新しく命を紡いで未来に鎖をつなげる。
まだ確定していないが少なくとも彼が魔獣に殺されてもその魂は運命が繋げることで誰かとなって後世に残っていく。
生まれることも死ぬことも等しく後世に影響を残すものなんだよ。
その流れを見ることの出来ない人間には理解できないだろうけどね。
その日のオルトスはピリピリしていた。
家族と笑顔で別れた後、家の前にいた衛兵に魔獣が現れた詳しい位置を聞き、手斧と剣を背負い足取り重く街を出て行く。
森とは真逆、あたりに見えるのは平原、道なりから少し外れた場所に岩山が見える。
あまり遠くない、たしかにあそこに魔物よりも危険な魔獣がいるとなったなら少なくとも街は危険かもしれないな。
なーんて人間の兵士になった気分で現状を確認する。ただ一人で兵士ごっこをやってもつまらない
オルトスはまっすぐあの岩山に向かって歩き出す。
道なき道、ただ歩く。周りに魔物も見えるが近づいてこない。
あの男に近づいたら殺される。下級の魔物でも分かるほどオルトスは殺気立っていた。
「魔物も可能な限り倒せって言われてなかったっけ?」
僕はそれを見かねて話しかけてみた。
「あのくらいなら兵士でも倒せる。余計な体力を使うわけにもいかない」
「いやでもさ。にしてもそれだけ強張って歩いてたら疲れない?」
遅かれ早かれ死ぬんだから最善を尽くすだけなんだし最後の最後までリラックスした方がいいんじゃないかと思える。
それにそんな気合い満点な感じだと大抵上手くいかない。その根拠は人間と接した細かい記憶……ではなく、いくつも死を見届けた死神としての経験だ。
こうなった人間ってのは大体ろくでもない死に方をしている。
上手くいってることもあるかもしれないが、それは僕が取り憑いていないから運命的に決まっているんだ。
というか強張った顔でゴツゴツと歩かれるとこっちまで疲れるからやめてほしい。
「これから死ぬかもしれないんだ。力も入る」
「たった何十年かの命にそんな力を入れたとてな気がするけどね」
「エスカ、お前は無限に近い時を過ごしているからそうなるだけだ。時間が限られているなら、その限りある時間を精一杯生きるのが生き物の本質なんだ。未練のない人間はいない。死ぬことを怖がりながら後悔しないように力を込めて生きるんだよ。先に言ってしまった親や隣人に幸せだったと伝えられるように」
また人間風情が死神に説教じみたことを。
運命みたいなことを言ってきて少しムカついたがそんなムカつきも少ししたら忘れる。
もう分かっていることではあるが、有限の時間を生きる生物とは相容れないな。
「ふん、まぁ君は死ぬけどな」
「魔獣に殺されるとは限らん、妻よりは先に死ねんのでな」
オルトスは強張ってた口元を緩めさっぱりとした笑顔を見せた。
僕はその笑顔を見て、この男が慕われる理由を少し理解した気がする。