0【記録外 とある人殺しの男】
「なぁ……なぁ……聞いてるか? 死神さん」
人の死を載せた手記の記録を眺めるのに夢中な僕は、遅れてその男の言葉に気づく。
先ほどからこの男は自分の人生の整理だと、人生を懐古して僕に話しだした。
僕にはそれが退屈だったから聞かなかった。だから手記の記録を眺めていたんだ。
しかし彼に何か問いかけられたので僕は手記をパタリと閉じて返事をする。
「ん? なにかな?」
「人を殺した時の感覚を君は知らないだろ」
彼はボサボサの髪をたなびかせ、そう僕に話しかける。
「知ってるよ。僕が取り憑いた結果死ぬんだ。僕が殺してるようなものだからね」
死の概念である僕がこれから死ぬ人間の目の前に現れる。
そしてこの金色の瞳で僕は目の前の死を見届ける。
直接殺すわけではないが、僕と会うということが死を確定させる行為になる。
間接的に殺してると言っても間違いではない。
ただ目の前のメガネの男は痩せこけた頬を指で軽く撫で、諦めたように笑う。
「じゃあどんな感覚が言ってみてよ」
「何も感じない。人が死ぬのは当たり前だからね。殺そうが死のうが死んだ事実に変わりないんだから生きてる人間には感じようがない」
ここは素直に答えてみる。するとメガネの男は嘆息しこちらを見つめる
「やっぱり知らないじゃないか……」
彼は語気を強めた。
「あのさ? 人を殺した時に残るのは喜びや虚しさよりも後悔よりも後戻り出来ないっていう……なんだろ。ゲームで間違えてはいけない選択肢を間違えた時のような絶望だよ」
ゲーム。この世界のピコピコ遊戯。
やったことはないし意味も分からないけれど「なるほどね」と適当に納得したフリをして僕はあぐらをかいたままぷかぷかと空中に浮かび、宙返りをする。
「バレない殺人なんてのはほとんどない。バレて……捕まる。そうなった時点で人生の楽しみは消える。あれやってみたい、これやってみたい、全てが消える。あぁ殺してしまった。これは捕まるだろう。捕まったらもう十年はこの外の景色は見れないぞ。青春は間違いなく堪能できない。それどころか殺人者と周りに疎まれてまともな人生を味わえない」
「人間は必ず死ぬのに殺しに厳しいんだね」
「そう言うものなんだよ。まぁ青春に関しては謳歌してたわけじゃないけどさ……」
自嘲気味に笑う彼をよそに殺人の状況を僕は思い返す。
偶然にも最近のことだからすぐ思い出せた。
……ふむ、あんな事故で殺人者を気取るのは笑えるな。
ここ以外の世界ではもっと酷く死んでることなんてざらだというのに。
「ふーん」
ただそんなことを言っても意味がないから飲み込む。
やっぱりこれから死ぬ人間の愚痴を聞くのは退屈だ。
とはいえたった先ほど会ったばかりでも、この男がどのタイミングで死ぬのかこの状況ならハッキリ分かるから聞いてあげるフリくらいはする。
この男も人間ではない僕を見て戸惑ってはいたけれど、すぐさま「人殺しが見る亡霊かな」なんて笑って見せるくらいには覚悟が決まってるみたいだ。
「早く飛んだ方がいいかな?」
「ご自由に」
僕は彼と目を合わせる。僕はこの時どんな表情をしてるのだろうか。
体が細長く、メガネをかけた彼は抜け殻のような表情で宙に浮く僕を見る。
少しするとそのどこを見てるかがあやふやな穴のような目を外に向け、まな板のような薄い背中をこちらに向ける。
「これで救われるのかな……」
「希望さえ持っていれば」
救われるかもね。とまであえて言わなかった。
いや、言う前に目の前から彼が消えたから言えなかった。
パン! と破裂音が聞こえ、下を覗くと彼が水面に叩きつけられ破裂したのか辺りを赤くしながら波に飲まれていくのが見えた。
退屈な死に方で僕は呆れながら深くため息をつく。
もっとマシな死に方を運命は見せてくれないのだろうか。
この死に方は手記には載せない。
僕が長年かけて面白い死に方だけをまとめた手記はこんな自殺とかいう安っぽい結果を載せるためのものじゃない。
僕は消えかかる自分の体を眺めて、他の自分がどんな人間や生命に取り憑いているのかを思案する。