第71話 口づけは唐突に
よっぽど疲れが溜まっていたのか、リンネが目を覚ましたのはまだ夜が明けるずいぶんと前であった。目が覚めたのは良いが、寝汗や戦闘での汚れが気になって寝なおせそうになかった。
キョロキョロと周りを見回しても、まだだれも起きてきそうな気配を感じられなかった。リンネは皆を起こさないように気をつけながら、自らのカバンから下着を一式持ち出し廊下へと出る。夏とはいえ夜明け前の空気の冷たさに身を震わせた所で幸子さんが現れた。
「起きたかね」
「おはようございます、幸子さん、良ければお風呂を貸してもらえませんか」
「風呂なら好きに使うが良い、そもそもかけ流しじゃからの気にせずにゆっくり入るとよかろう。浴衣は代わりのを用意しておるからそれは洗濯用のカゴに入れておけばよいでな」
「ありがとうございます」
「風呂が終われば食堂に来るが良い、その頃には夜も明けておるじゃろうから朝食も準備しておこう」
「そういえば昨日のお昼辺りから、軽い物以外何も食べてない気がしますね、よろしくお願いします」
リンネは幸子と別れ脱衣場で言われたとおりに浴衣を洗濯かごに入れ浴場に移動する。かけ湯をして、体と髪を洗い終わり湯船につかる。
「はぁー、お湯が身にしみるー」
声を出し腕や体を伸ばしてから、お湯の中で足や腕のマッサージを始める。そうしていると脱衣所に人の気配を感じた。しばらく入口を見ていると、カラカラとすりガラスになっている引き戸が開きミレイが入ってきた。
「ミレイおはよう」
「リン、おはようございます」
ミレイはリンネと挨拶を交わし、かけ湯をしてから体を洗い始める。
一通り洗い終わったミレイは湯船に入ると、リンネの隣に座った。ミレイの肌はしみなどもなく、白い肌をしていた。リンネの病的なほど真っ白というわけではなく、まだ健康的な白さをしている。
「きれいだな」
白い肌と金色の髪を見ているとついそう呟いていた。
「なにかおしゃられましたか?」
「何も言ってないよ」
「そうですか?」
ミレイもリンネ同様に体をほぐし、マッサージをしている。
「他のみんなはまだ寝てるようだった?」
「ええ、リン以外は誰も起きてきていませんでしたわ」
「そっか」
そこで二人とも黙ってしまう。リンネとミレイは再会をしてから二人きりになる機会は殆どなかったために、改めて何を話したらいいのか思い浮かばないようだ。同じ屋根の下で暮らしているが、だいたいリンネのそばにはレイネやアカリがいてミレイの入り込むすきがなかったこともあるが、ミレイとしても告白はしたものの返事を貰っているわけでもないので、リンネからの返事を待っているとも言える。
リンネからしても、既にレイネやアカリがいる身であり、そんな自分がミレイも、とはなかなか言い出せないでいる。なんやかんやでお互いに好意を寄せているが一歩が踏み出せないでいるわけである。
「リン、わたくし……なんでもないですわ」
リンネに顔を向けて何かを言おうとして辞めるミレイ。そんなミレイの憂いを秘めた瞳を見てリンネは、ミレイを悲しませているのは自分が覚悟を決められずにいるからだと思い至った。
「ミレイ、俺やっぱりミレイが好きみたいだ」
「えっ」
「だけどそれと同じにレイネとアカリも好きなんだ」
「ええ、わかっておりますわ」
「そんな俺でもいいのかなとずっと思ってたんだ」
リンネはそう言って一度顔を伏せた。そして再び顔を上げミレイと目と目を合わせる。そしてミレイもリンネの瞳を見つめる。
「こんな俺でもいいかな?」
「そんなリン、いいえリンネだからこそわたくしは、子どもの頃に出会ってからずっと好きだったのですわ」
「それって子どもの頃から俺って成長してないってことなのかな」
「違いますわ、今も子どもの頃と変わらずに優しくて頼りになるおにいさ、えっとおねえさまという事ですわ」
「おねえさまか、そうなんだよなー、今の俺っておねえさまなんだよなー」
「昔のリンネも可愛かったですが、今の女の子になったリンネも可愛いですわよ」
「お、おう、ありがとうな」
微妙に複雑な心境のリンネである。
「ミレイ、こんな俺でも良いのかな? もう男に戻れないみたいだし、レイネやアカリのことも好きで、誰か一人を選ぶことの出来ないこんな俺で」
「関係ありませんわ、仮にリンネの一番でなかったとしても、わたくしにとってはリンネが一番なのはかわらないのですから」
リンネとミレイはお湯の熱さも相まってか頬を赤く染めながら手を重ねる。そしてゆっくりと顔を近づけ唇を重ねた。二人は流れで唇を重ねたが、それが何を意味するのかはリンネのμαが作り出した仮想空間にたどり着くまで気が付かなかった。
ただリンネもミレイも全く気がついていなかったことがある。それは脱衣所と浴場へと続く引き戸が少しだけ開かれており、ずっとリンネとミレイのやり取りを見ていた複数の裸の女の子の姿があったことを。
唇を重ねたことにより意識を失ったリンネとミレイを、その女の子たちが焦りながらも救出したのは言うまでもないことだろう。
◆
「レイネとアカリは裸で何をしているの? 風邪ひくよ」
「シー」
リンネとアカリは、脱衣所から浴場へと続く引き戸を少しだけ開き、リンネとミレイのやり取りを覗いている。そんな二人をちょうど脱衣所に入ってきたライチとアズサが見咎めた形になる。
「あー中でリンネとミレイがなにかしているんだね」
状況を察したライチがアズサと視線で会話をして入浴の準備を始める。着ていた浴衣を脱いで洗濯用のカゴに放り込む。タオルを持って浴場の入口へ向かうとまだ覗き行為をしているレイネとアカリがいた。
「もう二人とも本当に風邪をひいてしまうから入ろうよ」
「それはわかっているんだけど、なんとなく入りにくいというか」
ライチがレイネの言葉を聞いて少し興味を持ったのか、あいている隙間から浴場の中を覗き込む。かすかに聞こえる言葉はまるで愛の告白のようである。ようではなく、まさに愛の告白をしている所だった。
いつの間にかアズサまでもが覗きに参加している。湯気でよくは見えないがリンネとミレイが湯船に浸かり見つめ合っているのがわかった。
「二人はいいの、です?」
「そりゃあ独り占めしたい所だけど、そのせいで仲違いなんてしたくないからね」
「ボクとしても少し複雑だけど、リンが決めることだからね」
「二人がそれでいいならうちはいいけどね」
そう言ってライチはアズサに視線を向ける。アズサはそれを受け少し頬を染めている。
「「あっ!」」
突然レイネとアカリが声を上げて引き戸を開き浴場へ駆け出す。
「急にどうしたの? 浴場で走ると危ないよ」
ライチもレイネとアカリに続くように浴場へ入り、リンネとミレイがいた方を見ると、そこにはくたりとしているリンネとミレイの姿が見えた。そしてそんな二人にレイネとアカリは駆け寄り、湯船に沈まないように二人を抱きしめ湯船から洗い場へと引っ張り出そうとしている。
「二人とも湯当たりでもしたのかな?」
ライチとアズサも合流してレイネとアカリを手伝い、リンネとミレイを洗い場に寝かせる。
「それがね、何を考えたのか二人で急に口づけしたんだよ」
「えー、それってまさか」
「そういうことだね、二人とも雰囲気に流されちゃったのかな」
アカリが仕方がないなと言ったふうに言葉を発する。ライチとアズサも流石に呆れたと言った感じに苦笑を浮かべている。
「まあこのまま見てても仕方ないし、乾いたタオルでぐるぐる巻きにでもして私たちも体と髪を洗ってお風呂にはいりましょ」
「そうだね」
脱衣所まで運ばれたリンネとミレイは、タオルでぐるぐる巻きにされ転がされることになったのであった。





