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始まりたくない【SS】

作者: 高場柊

 ちょっと色々事情があり、本日より住み込みで仕事をすることになった。仰せつかったのはこの家の娘の世話全般だ。だがしかし、お屋敷が広くて裏門にたどり着けない。指定されたのは面接時に使用した入口とは違うものだった。


 そう、簡潔に言うと私は迷っていた。だって、以前住んでいた屋敷よりもずいぶんと大きいのだ。


 屋敷本体を覆うように植えられたたくさんの植物たちは染められたように緑一色だった。西側のムクゲのあたりに使用人専用の入口があるらしい。咲いているだろうから分かるはずだ、と採用の通知をもらった際に言われた。しかし。


「ムクゲって言われても……」


 正直泣きそうだった。というかもう既に目の端に涙が溜まっていた。植物の種類なんて分からないし、そもそも馬鹿みたいに広い庭に花の一つも咲いていないんだから余計区別がつかない。四季それぞれに分かるようなやつ植えてくれませんかね。葉っぱなんてみんな同じじゃないですか。というかそれ以前の話だった。


「え、草なの? 木なの?」


 そこからだった。

 指定された時間よりも三十分早く屋敷に着き、先に入口を見つけ時間になったら悠々と入れてもらうはずだったのに。気付けばもう五分前だ。初日から遅刻なんて。しかも理由が「入口が分からない」なんて。あぁ、どうしよう。


 頭を抱えてその場にうずくまったときだった。


「よお、嬢ちゃん。うちになんか用かい?」


 顔をあげても姿はなく、不思議に思い空を仰ぐようにして、驚いた。鉄格子と低い生垣の向こう、大きな木の上に座りこちらを見下ろす女がひとり。メイド服を着ていた。恐らく私が着るだろう仕事着と同じ物だ。先輩ということになるのだろうか。


 私に声をかけるや否やその人は飛ぶようにして木の上から降りてきた。着地の音はほとんど聞こえなかった。

 目の前に立つそのメイドは根元に黒が浮き始めた金髪を耳の横でツインテールにして、何かを咥えていた。タバコではないようだが食べ物にも見えない。


 彼女は一瞬屈むと、右手に長い棒のようなものを持った。それは箒や洗濯竿ではなく、虫網だった。よくみると体の前で斜めに虫かごをかけている。凝視する私に気付き彼女は呆れたように言った。


「あぁ、これか。ちびっこにねだられてな。標本にしたいんだと」


 なるほど、そう言うことか。この屋敷に住み込みで働いている使用人の中には子供がいる人間もいるらしい。しかし今は勤務中なのでは? 主人のためならいざ知らず、同じ使用人の子供のために仕事をサボってもいいものなのか?

 自分の常識からはやや外れた人物を前に開いた口が塞がらなかった。


「で、あんたはここで何してるんだ?」


 問われてアッと声が出た。そうだった!

 ザックリと身の上の明かし、現状の説明をすると彼女は腰に手を当てて大声で笑い出した。呆気にとられる私をよそにひとしきり腹を抱えて笑ってから、私が歩いてきた方角を指す。


「それ、正面の門を入ってからの話ね」


 ……なんだって?


 屋敷内に入ると、使用人専用の棟だからかずいぶん静かだった。もちろん廊下や各部屋の扉に装飾などはない。部屋番号が刻まれた真鍮のプレートが扉の脇に取り付けられているだけだ。


「あの……初日から遅刻してしまって、私どうしたらいいですか」


 等間隔で配置されている窓から外を眺めつつ、先を歩く人について行きながら尋ねる。しかし私の心配をよそに彼女は再び豪快に笑った。


「大ー丈夫だって。三十分前には着いてたんだし、なにより私がいるんだから」


 むしろ不安なんですけど。そこが不安なんですけど。先行く背中を追い、まだ働いてもいないのに解雇されることがありませんように、と祈った。そのうちに板張りの床が突然白に変わり、視界が開けた。使用人の生活棟を抜けたらしい。

 開けた空間の壁からいくつか通路が伸びていてその屋敷の大きさに改めて驚かされた。


 と、彼女がそこにいた少し恰幅の良い後ろ姿に向かって声を張り上げた。


「バァさん! 新入り来たぜ!」


 振り返った初老の女性の肩越しに花瓶に入った大輪の花が見えた。庭のどこにも咲いていなかったのでわざわざ買ったのだろう。濡れた手をエプロンで手を拭いたあと、女性は呆れたような声を出した。


「お嬢様、そのような格好では……」


「えっ……! 私はもう、そう呼ばれる身分では……」


 単語に驚いてつい反応してしまったけれど、二人の反応を見るに、そう呼ばれたのはどうやら私ではないみたいだ。だとすると……?


「え……?」


 隣に並んだ金髪の女を見上げた。なんだ? と目だけで聞いてくる。


「お嬢様……?」


「おー。これからあたしの世話、よろしく頼んだよ」


 口元から覗く白い犬歯が眩しくて目が回りそうだった。しかし何となく流されてしまう前に眉間を押さえてまずは最大の疑問をぶつけた。


「どうして使用人の服なんて着ているんですか?」


 ん? と口角を上げて彼女は快く答えてくれた。部屋を案内するから少し待っていてくれ、とメイド長が言い残して奥の廊下へと消えるのを見送りながら彼女の話を聞いていた。


「いやさー、前は自分の服着てたんだぜ? でも、外出る度汚して帰ってたら怒られちゃってさ」


 口に咥えた薄い木片のようなものを遊ぶようにして噛み、一拍置いて続けた。


「汚れてもいい服なら何でもいいのに、って言うんだもん。使ってないやつわざわざ引っ張り出して来たのに」


 ムン、とわざとらしく頬を膨らませるその姿は年上にもいいところのお嬢様にも見えなかった。

 

 さいですか。ややこしいことしないでいただきたい。

 ついでにもう一つ聞いてみる。


「その、咥えている木片は何なんです?」


「え? アイス食べてた」


 ちょっとこの先、不安しかないかもしれないです。心の中で頭を抱えた私のすぐそばでけたたましい音がした。彼女の虫かごの中で死んだフリをしていたセミが突然、耳をつん裂くほどの鳴き声をあげたのだ。


 大きな窓から入ってくるぬるいはずの夏の風がやたら気持ちよく感じられたのは何故だろう。

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