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幽霊とラーメン

作者: 杉谷馬場生

 「ラーメンがどうしても食べたかったんです…」

「でもお金がないなら行くべきではなかったでしょうよ」

 繁華街にある交番である。時刻は午前三時になろうとしている。いわゆる丑三つ時だ。24時間営業のラーメン屋から無銭飲食の通報があったのは二十分ほど前である。そこは個人店ながら繁華街という立地もあり、お酒を飲んだ締めに立ち寄る客が多く、昼間よりも深夜帯の方が客の多いお店である。ラーメン屋から連れ出した無銭飲食の男と対峙している巡査の大友も頻繁に通う常連だった。

「でも私、どうしても食べたくて…」

「ならお金のある日に行きなさい」

「お金はあったんですよ。でも受け取ってもらえなくて…」

 男はズボンのポケットから震える手で小銭を取り出した。全部で6枚ある。しかしそれはよく見るまでもなく日本の通貨ではない。素材は何かわからないが偽物としてもお粗末すぎる。

「漢字が書いてるな。『寛永通宝』?」

「それ六文銭なんです」

「はぁ?」

「三途の川を渡るときの渡賃です」

「何であんたが持ってんのよ」

「私、一週間前ほどに交通事故で死にましてね」

「馬鹿言っちゃいけないよ」

「いやぁ、ホントなんですよ。そこまで疑られちゃあ私は何にもできなくなる」

 男は青白い顔を更に青白くした。冷や汗までかいている。そう言われてみれば服は矢鱈と汚れているし、髪はくしゃくしゃだ。この男の言うことを信じるならばこの姿は事故にあったときの服装ということか。

「ちょっと待って、あんた名前は?」

「相川と申します。相川宗平」

 大友は先週あった交通事故を思い出した。それも交番から離れていない。明らかな自動車のスピードの出し過ぎによる過失で歩行者が犠牲になった。

 あの名前は確か…

「俺、あんたを見たわ」

「信じてもらえましたか」

相川は幾分安堵した顔になった。

「え?ウソ。つまり幽霊な訳ですか」

「あの時はラーメンを食べようと家を出たわけです。そうしたらあのような事故に遭ったわけで。未練というんですか?親族集まって葬式もしてもらったんですけれど、どうにもラーメンが。あそこのラーメンが食べたかったんですよね」

「あんた、相川さん。幽霊ならそのままスッと消えるとかいくらでもやりようはあるでしょうよ。私も幽霊を逮捕は流石にできないよ」

「お金を払わないなら払わないでまた未練ができるじゃないですか」

「でも行っちゃったんだ」

「…行ってしまいました…」

「…未練というのも大変だなぁ」

 大友は困ってしまった。何しろ前例がない。全国の、いや世界中の警察でこのような無銭飲食犯を取り調べた警官はいるのだろうか。

 大友は悩んだ。

「…なんか…すみません」

「あんたが謝ることはないよ。いや、謝ることはやったんだけど」

「私はラーメンを食べて成仏したかっただけだったんです」

「その気持ちはわかるけどさ。もっと計画的にやりなさいよ。生まれ変わるとかさ」

「そんなのできるわけないじゃないですか。非現実的すぎる」

「幽霊に言われたくないよ」

大友は帽子を脱いで頭を掻きむしった。この相川という幽霊はなかなか真面目すぎる。幽霊なら金がないなりになんとでもなりそうなのだが、相川の性格がそうさせないのだろう。

「俺が立て替えるってのも…ダメなのか」

「あなたに対して未練が出てしまいますね」

「でももうラーメン食べちゃったんだろ?」

「はい。美味しかったです。でもお金がなくて」

「知ってるよ。だからここにいる」

「すいません…」

その時、交番の扉がガラリと開いて太い腕の肌にハリのある男が入ってきた。男は大友と相川を見るなり「ああ、いたいた」と呟いた。

「あなた、あそこのラーメン屋の」

「はい。親父です」

「ああ、先程は申し訳ありませんでした」

相川はボロボロの体を崩すようにして土下座した。土下座というより床と同化してしまうのではないかという腰の低さであった。

「あんた、オバケだろ。六文銭な。思い出した。オバケがうちの店に来るなんて大した店になったもんだ」

 店主は相川の方をポンポンと叩き、ワハハと笑った。そしてああ、やっぱり冷たいだなぁと相川の方をがっしり掴んだ。

「そうまでして食いたかったのかい。うちのラーメンを。嬉しいなぁ」

「親父さん。この人はね。支払うお金がなくて成仏できないんというんですよ」

 そうなんです。申し訳ないですと相川は涙目になった。

「なんだそんなことかい。あんた、それならうちで1時間働きなよ。その時給分でチャラにしてやるよ」

「い、いいんですか?」

「いいも何も、本当は金なんかいらないんだ。そこまでしてきてくれるほどにうちのラーメンが美味しいってことだろ?それだけで充分なのに、あんたは律儀に金を払いたいと言っている。そりゃあなんとかしなくちゃあな」

「そんなこと…そんなこと言われたら…一杯じゃ済まなくなるじゃありませんか!あなたのラーメンはとても美味しいから!何杯もいくらでも食べたくなるじゃありませんか!」

相川は泣き出した。店主は相川の頭を撫でて満足するまで食べりゃいい。その都度働いてもらうからと相川の頭を撫でた。

 相川はありがとうございますありがとうございますと何度も涙を流して礼を言う。大友はその相川の涙が相川を透過していることに気づいた。涙の後に沿って相川は消えていく。相川は何度も礼を言い、尽きることなく涙を流す。相川が涙を袖で拭うと顔が消え、拭った腕も朧げになった。そして

相川は成仏した。

大友と店主はその光景を呆然と眺めた。やがて店主は「あいつ」

「食い逃げやがった」と笑って呟いた。

 

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