『理想論としての白樺派』・・・『詩の群れ』から
『理想論としての白樺派』・・・『詩の群れ』から
㈠
観念による水位において、理想論は、自己の内面の推移だろうだ。
だろう、観念が定位である内は、自己は自己だからね、だろうだ。
だろうだ、理想論を言えば、キリがないよ、多分ね、だろうだ。
だろ、しかし、志賀直哉なんかは、確かに文章が綺麗だね。
㈡
しかし、芥川龍之介も、文章はまとまっているさ、だろうだ、え?
そうだな、しかし、やはり、志賀直哉だろ、だろうだ。
もう、白樺派の志賀直哉がすごいなら、もう、だろうだ、もすごいよ、だろうだ。
芥川龍之介も志賀直哉も、しかし、アイデンティティクライシスだろ。
㈢
つまりは、理想論としての白樺派ってことで、芥川龍之介の、理想だったってことでまとまるよ。
だろうだ、今回の詩の群れは、何だか、意味不明だったな、だろうだ。