ZWEI
意味もないことを知ると、
短編なぞに評価する意味なんてないように思える、高慢な自分が
Dr.名前はない ないから浮かび上がる。
その性格を押さえつけるために、彼ら、芸術家は、
薬を使うのだろうと思えた。
だけど、そんなことをすればあんなことになる。
あんなこととは問題と提議され、結局のところ、
己の正義も他方から見たら、悪であるのだと思い知らされる。
身勝手な正義を素直に述べるのはいいけれど、
排斥するものは、正義面した偽善者であると疑わざるおえない。
さらにそれを批判する者は偽善者と呼ぶ偽善者にしかならない。
そのまた、メビウスの輪っかのように繰り広げられるのは、どうも悩ましいものである。
不安も同じく、一つの課題が終われば、また、一つの不安が襲い苦しみの連鎖を引き起こす。
きっと死んでしまうということはその差が大きくなった結果なのかもしれないけれど、老衰とは違うのはなぜなのだろう。
いや、結局のところ、死の色というものは時と場所、場合における服装の選び方に法があるように死による正解は?と考えるとそのようなものは案に示されておらず、滅び、終焉という言葉など、人生のゴールのように述べられているためか、本当に頭の中は最終的にはエンドレスループしているということに生きづらさを感じる。有限として人生、学生、職業のように世界に共通するのはメビウスの輪、記号にして∞というのが備わっているように思えるのだった。
エッセイは直接的な思いを詩にするが、見方を変えれば滅びに通ずるプロセス、先導者を作っているのみであるとも言えるかもしれない。断定すれば論による矛盾が生じるため、審議の程は定かではない。




