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脱衣の背徳感

 脱衣所に近づくにつれて全身に変な汗がにじみ出してくる。

 結月も同じ状態のようで目線を泳がせながら頬を赤らめている。

 だが、それでいても「あんよは上手」と照れ隠しで言い続けていた。声色は所々、裏返ってしまっている所にかわいらしさを感じる。

 お互いに握っている手と手が汗で密着力がよりましていく。

 そんなことを考えていると、脱衣所までたどり着くのに物凄い時間がかかったように感じる。


「ふ、服、脱がすよ」


 鳥みたいに甲高い声で結月は言い出した。

 頬を染めているというよりは、興奮して紅潮していると言った方が合っていそう。そう感じるくらいに息が荒立っていた。

 その様子を見て僕は身の危険を改めて感じた。

 抱きついてきたり胸を揉んできたりしてきたので、このまま結月の良いようにされては、男としての尊厳が再起不能レベルまで失墜してしまう気がする。

 それを避けるために仕切り直しの一手を僕は打ってみる。


「自分で脱げるから大丈夫だよ」


 そう言って結月に手を離して貰う。

 手はお互いの汗で少しふやけてしまっていた。

 しかしバランス感覚は依然として元に戻っておらず、視界が一瞬よろめいた。

 僕は膝から崩れ落ちるようにして床に座り込んだ。


「本当に大丈夫?」


 結月は先ほどまでの興奮度合いを押し込んで真面目な顔つきになった。しかし、頬は赤らめたままで気恥ずかしそうな声だった。


「僕は大丈夫だからさ。結月も脱いだらどう?」

「私は……」


 結月は歯切悪そうに天を仰いだ。どことなく、耳まで赤くなっているように思える。

 目線も合わせてくれず、上目遣いで覗き込んでいるのだが、気まずそうにそっぽを向いてしまった。


「わかりにくい例え話だよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは麻雀はできる?」

「え? ま、まあ役は覚えてるけど……いきなりなんだよ」


 四月に中三になる妹から麻雀と言う言葉が出てくることに素直に驚いた。

 結月の声色は元通りに戻り、いつものトーンで話を続ける。

 だが結月は僕の方を向いてくれないままだった。


「脱衣麻雀って知ってる?」


 予想の斜め上を突かれた。

 今時の中学生が脱衣麻雀という単語を知っている事実に驚かされる。

 思わず二度見をしてしまったが、結月には気付かれなかった。


「言葉は知ってるけどどうかしたのか?」

「やってみた感想なんだけどね。人は全裸に興奮するんじゃ無くて脱がすとか脱ぐって言う行為に興奮するんだよ」


 結月の声は自信に満ちあふれており断言までした。だが、決して顔を合わせようとはしてくれない。


「だからね、お兄ちゃん。ちょっと今はお兄ちゃんの前で脱ぐのは恥ずかしいなって」


 実に思春期らしい結論だった。

 それは本当のことらしく、後ろを向いていても隠しきれないくらいに結月の耳は紅潮しており脚をモジモジとさせていた。

 僕を脱がそうとした過去があるが、それは優しさだと捉えれば可愛いなと兄ながら思ってしまった。


「わかった。じゃあ、先に入ってるよ」


 そう言って僕はブカブカになった上着の袖に腕を引っ込める。引っ込めた時、僕の肘に柔らかな触感を感じた。


「……」


 今まで自分の身体では感じたことの無い感覚に思わず動きが止まってしまった。

 男として、この触感は一瞬だけで妄想が膨らむというものだ。

 心臓の鼓動は激しくなり顔は若干熱っぽくなる。


「お兄ちゃん? おっぱいに少し当たっただけでそんなんだと、一生お風呂に入れないよ?」


 いつの間にか振り返っていた結月が、僕の反応を見て声をかけてくる。顔の火照りは少し引いていたようだったが、恥ずかしそうなニヤケ顔を浮かべている。


「い、いやぁ。何というか……心は男子だから反射的にね」

「それ、わかる気がするかも」

「身も心も初めから女の子なのに何でわかるの!?」

「それはだね、お兄ちゃん。私の心の中には雄鳥があるからなんだよ!」


 自信満々のしたり顔を結月は浮かべる。鼻息混じりで気分も良さそうだ。

 でも、僕にはイマイチ理解することが出来ない。何かしらのネットスラングだろうか?


「ん? 通じなかったかな?」


 結月は素に戻った声と顔をした。

 僕は無言でコクりと頷く。


「雄鳥イン、イングリッシュ!」

「……コッコ?」

「ノット、コッコ。答えは後で教えるよ」


 僕と同じで英語が苦手なはずの結月が得意げに笑っていた。


「それはそうと、お兄ちゃん。そろそろ脱がないと、私が脱がしちゃうよ」

「え? ちょっと、ま!」


 結月は有無を言わさずに結月は僕の上着を脱がした。

 体格に合っていない上着と言うこともあって、あっさりと脱がされてしまう。


「……なんで目、瞑ってるの?」

「ちょっと刺激が強いかなって」


 自慢じゃ無いが僕は胸の触感だけで緊張するくらいに女性経験が無いのだ。

 そんなピュアな男子が様々な行程をスキップして女体を見るのはレベルが高い。


「そう言えばお兄ちゃんは童貞だったね」


 その一言に僕の心は傷ついた。

 落胆した声のトーンの後に小さく聞こえた溜息が僕の自尊心をより深く抉る。

 苦し紛れに僕は反論してみる。


「青春は高校生からって相場が決まってるんだよ」


 自分でもわかるくらいに声が裏返ってしまった。それに加えて少し早口になってしまい変に恥ずかしい。


「ソースは?」

「アニメと漫画……あとドラマに小説」

「――はぁ」


 人を哀れむような溜息を結月は漏らす。

 そんなことより、結月から理由を聞くときに「ソースは?」と言っていたことの方がショックだ。


「ねえ、お兄ちゃん」

「……どうしたんだい、妹よ」


 気まずい空気が脱衣所を覆う。

 目を瞑っていても結月が神妙な面持ちで目の前に立っていることがわかる。


「お兄ちゃんにはショックなことかもしれないけど、今時は小学生で卒業している人も居るらしいんだよ」

「え……えっと……その情報源は?」

「同級生。三人くらいはそうだった」

「……マジで?」

「マジで」


 思わず絶句した。

 前にネットの掲示板で初体験年齢のグラフを見た事はあるが、小学生での初体験は都市伝説だと思っていたので、少しショックを覚える。

 どことなく、結月の声は悲しそうだった。


「でも安心して、お兄ちゃん。私も処女だから」


 その一言に僕は安心した。

 思い返してみれば、結月は今まで付き合ったことがなかった。

 少し気になる点があるとすれば、結月が処女宣言した後の声が寂しそうなことくらいだ。

 内容は薄々察しが付くし、デリケートな話しなので気にしないふりをする。

 このまま兄妹揃って傷の舐め合いをするのも空しくなるだけなので、一端この話を切り上げる。


「寒くなってきたから先に入るよ」


 何の前触れも無く僕は呟いてみた。

 かれこれ十数分、全裸のまま脱衣所で話をしているのも寒くなってきた。第三者視点で見れば新手のリフレにでも見えてしまうことであろう。


「わかった。私も今から脱ぐよ」


 結月もテンションを元に戻したようで、日常の会話のワンシーンを醸し出す。

 目を瞑ったまま、壁伝いに立ち上がる。


「いらないプライド捨てて目、開けなよお兄ちゃん」


 ただでさえ、バランスと筋肉量が減った兄を見かねてか、それとも哀れみも兼ねているのかははわからないが、結月が声をかけてくる。

 確かに結月の言うとおりだ。このまま目を瞑ったままだと普通に怪我をしてしまいそうだ。


「そう……だな。うん。覚悟を決めるよ」


 僕は覚悟を決めて目を開ける。

 そのまま僕は身体を見ないようにしてお風呂場へと入った。

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