二の腕の柔らかさ
フロアを一つ上がり三階へと移動した。
三階は日用品や美容・健康用品がある階層だ。
特に何か言うことなく、結月はプロテインを買い物かごに入れる。
その動作を終えてから思い出したかのように、結月は口を開いた。
「ティッシュって予備、あったっけ?」
全く、プロテインとは関係の無いことを言い出した。
口では関係の無いことを言っている割には、手はシェイカーに伸びている。
「あって困るモノじゃないから買っておけばいいと思うけど、何でシェイカーを買おうとしてるの?」
僕がそう言うと、結月は無言でシェイカーを棚に戻した。
戻して直ぐに結月は、思い出したかのように会話のパスを投げる。
「お兄ちゃんも飲むかなーってね。ほら、女体化したお兄ちゃんって筋肉量減ったじゃん?」
そう言われると言い返せなくなった。
結月がそう言うので、一度、力こぶを作ってみる。
やっぱり、全くと言っていいほど筋肉がなかった。
二の腕を触らなくてもプニプニだとわかる。
「購入っと」
それだけ言って結月はシェイカーをかごに入れ直した。
筋肉量の減り具合に落胆する兄に気を遣うことなく、結月は僕の二の腕を触りだす。
「柔らかいね」
最初は触る程度だったが、結月の手つきは次第にいやらしくなってくる。
触ると言うよりは揉むに近い。
二の腕が性感帯という訳ではないのだが、必要以上に揉まれ続けていると、頬に熱を帯びてきたのを感じる。
「二の腕を触る手つきじゃないんだけど」
「ん? お兄ちゃん知ってる?」
「……知ってるって何を?」
揉むことに集中しすぎているのか、結月の反応は薄かった。だが、顔は間違いなく、にやけている。
その顔について言及をしたかったのだが、依然として二の腕を揉みしだかれていると、段々と気持ちよくなってきた。
「二の腕の柔らかさって、おっぱいと一緒らしいよ」
返す言葉が直ぐには出てこなかった。
そんな風な話は聞いたことはあるのだが、まさか胸のある結月から出るとは思ってもいなかった。
「つまり私は今、お兄ちゃんのおっぱいを揉んでいるって事だよね――って、ひょっとしてお兄ちゃん感じてる?」
「感じてない! つうか、二の腕とおっぱいはイコールじゃないからな!」
「ホントかなぁ? 顔赤いよ?」
「じゃ見てみるか?」
売り言葉と買い言葉のようになってしまっているが、これは僕に分があるはずだ。
今の僕は男の身体ではないのだ。
感じている、もしくは興奮を感じれば反応する、男のセンサーが今はないのだ。
第三者が見て出るとこが出てないのだから結月でもわかるまい。
「お兄ちゃん、勘違いしているようだから言っておくけど、本当に身体って正直なんだよ?」
同人誌でしか聞かないような言葉を結月は恥ずかしがることなく言う。
結月のことだから、思春期をこじらせているが故にこの台詞が出た可能性も捨てきれない。
だが、結月の言うことが事実だと言う可能性もなくはない。
事実、男の身体は欲求に正直なわけだし。
逆に今までは男だったから、ズボンとパンツの締め付けで痛くなったり、膨らんでいたりと何かしらの刺激があったから、自分の興奮度合いを測っていたのではなかろうか。
もしそうだとしたら今、結月に見られるのはダメな気がする。
「い、今のは聞かなかったことにしてくれると、私は助かるかなぁー?」
いきなり、思い出したかのように恥ずかしくなったのか、結月はそっぽを向いてしまった。
理由はわからないが、僕としても、この話に関してはツッコまれたくないので好都合だ。
「僕もその方が助かるから、聞かなかったことにするよ。じゃ、ティッシュ買おうか」
話を切り替えるために、僕はそう言って先を歩く。
この話の流れでティッシュを買いに行くのは危なかったような気もしたが、そんなことは今はどうでも良かった。
店内を歩くこと数秒後。
後ろから感じていた結月の気配が消えた。
どこへ行ったのか、と僕が後ろを振り返ると結月は立ち止まって何かを見ているようだった。
「お兄ちゃん、ちょっと来て」
僕が振り向いたのを確認した結月は手招きをしながら話し掛けてくる。
結月の顔を見ても、変なことは言いそうにないので近づいてみる。
「どした? なんか欲しいものでもあったのか?」
「いや、気になったモノがあってさ。これって何だと思う?」
そう言って結月は目の前にある商品を指さした。
セール商品がよく陳列されている箱の中には、黒色の箱が幾つも乱雑に置かれていた。
箱の大きさは煙草の箱くらいのコンパクトさで、パッと見た程度ではこの商品が何なのかがわからない。この店の目玉でもある、特別なポップ広告もなく値段だけがデカデカとかかれている。
「これなんだと思う?」
もう一度、結月は僕の顔を覗き込みながら訊いてくる。
「僕もわかんないね」
お互いに黒い箱の商品が何なのかがわからなかった。
商品の近くに小学生の兄妹と思われる児童がスマホでゲームをしているのでより、この商品が何なのかについての疑問が深まる。
「六百円くらいするって事はタバコ?」
「タバコをこんな所には置かないと思うけど……」
近くに小学生がいるのだからタバコでは無いと思う。それに、万引きされそうな場所にタバコを置いておくほど、今は治安が良くないと思うし。
兄妹――傍目から見れば姉妹が、その黒い箱の商品を買うことなく眺めている姿はどのように映るのだろうか。
別に買うものでもないのだから、結月にそう言って場所を移ろう。
「買うわけじゃないんだし、他の――」
「えい」
僕の話を聞く耳持たずの結月は、黒い箱の商品を手に取った。
結月は裏面を見て商品の詳細を確認している。
身長差のせいで、箱に書かれている詳細がしっかりとは見えない。
諦めて結月の表情を見ることした――が、今の感情が読み取ることができない。
絶句しているようなのだが、その顔には悲しさも含まれている。
「それ何だったの?」
僕がそう訊くと結月はドキッとした様子で驚いていた。心なしか、結月の耳が赤くなっているような気がする。
「ね、ねぇお兄ちゃん。つまらないこと聞くけどさ。お兄ちゃんって童貞だったよね?」
思っていた以上につまらないことを訊いてくる。
昨日から兄のことを童貞と呼んでいるのは結月ではないか。
「……そうだけど」
「じゃあ訊くんだけど……その……アレを使った事ってもちろんないよね?」
「アレって何?」
歯切れの悪そうに結月は言葉を句切って会話のキャッチボールを繋げている。やはり、と言うか、どことなく頬が赤らんでいるような気がする。
僕の耳元まで顔を近づけてから「アレ」について囁いた。
「ゴムって使ったことないよね?」
「ないけど。もしかして、それって?」
恥ずかしそうに結月は無言で頷いた。
そのまま流れるように黒い箱の商品を僕に手渡した。
確かにこれはパッと見、何かわからないな。
デカデカと薄さが書いてあるわけでもないし、赤い箱でもないからわからないのも仕方ない。
てか、女子二人して避妊具を興味深そうに見ていたのは、何かいけない気がする。
彼氏彼女で買いに来ているのなら、まぁそういうことになるのだろう。
だけれども、女子同士では話が変わってくる気がする。
女子同士では使わない――いや、使わないこともないのか?
今日、一番で脳みそがフル回転しているのを感じる。
ドツボにハマりかけている僕を見かねてか、結月が口を開いた。
「なんか……うん。ごめん」
「何で謝るんだ?」
「それは……その」
黒い箱を元の位置に戻してから結月が言葉を繋げた。
「お互いに本当に経験が無いことがバレちゃったね」
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また、本日のお昼にもう1話更新します。