未使用パンツはただの布
バスに揺られること一時間と数分。心地の揺れに睡魔が訪れ、今にも僕の意識が落ちそうな頃。
「お兄ちゃん、もう着くよー」
結月が優しく僕の肩を叩きながら、耳元で囁いてくる。
軽く伸びをしながら目を開ける。
車内を見渡すと、乗客は僕と結月以外には誰もいなかった。
そんな感じでボーッとしていると、結月が僕の手を引いてバスから降りる。
最寄りのバス停にも人の姿は全くと言って良いほどなかった。歩道には大声で喋りながら自転車をこいでいる人たちが見える。
バスから降りて感じたが意外と暑い。
まだ三月だというのに、気温は二十五度を超えていそうだ。
暑さに悲しくなる僕に気にすることなく、結月は手を握ったまま話をしてくる。
「今から五分歩くよ」
「え?」
「田舎だからね。最寄りのバス停が本当に最寄りとは限らないんだよ」
僕の疑問符に間を開けることなく、結月は淡々と応えた。
確かにバス停近くには店が一つもない。
場所的にもショッピングモールに行くわけではなさそうだ。
「本当はショッピングモールが手っ取り早くて良いんだけどね。さすがにお兄ちゃんにはキツいでしょ? 私も苦手だけど、店員に話しかけられるのって」
さすがは妹だ。兄妹はやはり似ているのだ、と気付かされる。
僕は無言で頷いて、目的地まで歩くことにした。
結月に手を引かれながら歩くこと五分。
目的地の服屋へ到着した。
両親がまだ国内にいた頃――保育園児くらいの時に行っていた記憶がある店だ。
てっきり、ショッピングモールに駆逐された町のお店の一つだと思っていたが、しっかりと残っていることにエモーションを感じる。
「ここって若い子が少ないからお兄ちゃんと一緒に服を見れるって思ってね」
はにかむ笑顔で結月は言う。
若い人が少ないというのはあながち間違いではないようで、駐車してある車がほとんどない。ある車も若者向けではなく、洗車もしてある様子すらない軽自動車が多かった。
「ささ! お兄ちゃん中に入るよ!」
依然として僕と手を握っている結月が、恥ずかしさを隠すように足早に入店した。
いらっしゃいませ、の合図はないが気にせずに下着売り場へと向かう。
いざ、下着売り場で立ち止まるとなぜだろう。
罪悪感が僕の背中を伝ってくるようだ。
その理由はなんとなくわかっている。
わかっているからこそ、この感情をどうしたら良いのかに悩んでしまう。
「どしたの、お兄ちゃん。一気に手汗かいてるけど」
結月にそう言われ、僕は思い出したかのように手を離した。
今の今まで手を繋いでいたが、今更恥ずかしくなったのだ。
僕の慌てようを見て、何かを察した結月がにやけながら話しかけてくる。
「パンツってのはだね、お兄ちゃん」
結月は諭すように語りかけてくる。
いきなり何を言い出すのか、と思い僕は結月の顔を見る。
僕の視線に気付いたのか結月は機嫌が良さそうに話を続ける。
「パンツは人が着て初めて良さを出すから、未使用のパンツはただの布だよ」
そう、結月はしたり顔で言い切る。
その姿は誰がどう見ても堂々としていた。
だが話している言葉は変態この上ない。
けれども、結月の言い分も十分に理解しているからこそ、僕は悲しくなってしまうのだ。
「頭の中ではそう思っててもね。十五年間、男として生きてきたからこそ、下着は直視できないって言うか――」
「そうだった。お兄ちゃん童貞だった」
「思い出したかのように僕のメンタルを抉らないでくれ!」
突如、何かを思い出したかのように結月は僕のことをディスってくる。
まあ、それが事実だ。
図星に怒るほど、僕は幼稚ではない。
「―あ」
何の突拍子もなく、結月は声を出した。
その顔は鳩が豆鉄砲を食らったようにアホ面になっている。
嫌な予感がする。
童貞から繋がる話なんて、どんなに転んでも下ネタにしかならない。
だけれども、気になったことを無視するのは気持ちが良くない。
それに事前に地雷だということが見えているので、心の準備がしやすい。
「怒らないから、なんて思ったか言ってみ?」
「……ちょっと近づいて」
結月は恥ずかしい、と言うよりは言いづらいと言った様子だった。
僕と目線を合わせるために結月が前屈みになっている辺りに優しさを感じる。
下ネタを言われる心の準備はできているので、素直に結月に近づく。
「ネ友が言っていたんだけど、女装して性欲を解放する人がいるってのを思い出しちゃってね」
小さい声で結月は囁いた。若干、頬は赤らんでいる。
見えている地雷を踏みに行った僕が悪いのは十分にわかっているのだが、返答に困ってしまう。
何の意味もないが、一度、長めの瞬きをしてみる。
もしかしたら結月の表情が変化しているかも知れない、という淡い期待をして目を開けて見るも、状況は一転していなかった。
興奮するか否かに関してだが、今の僕には興奮度合いを測るセンサーがないのでその話はできないと思う。それに、僕が男の身体だった頃は女装をしたい願望はなかったわけだし。
ならば女体化してしまった以上、僕が女性用下着を着用したからと言って、それは自然なことであり女装ではないはずだ。
そう勝手に僕は結論づけて、話を無理矢理にでも別の話題にする。
「気になったんだけど、結月のネ友って男子女子?」
「んーネットだから本当の性別はわかんないんだけど、さっきの話をした子は女の子だよ」
「最近の中学生は凄い会話してるんだな」
僕がコミュ障過ぎてそう言う話をしてなさ過ぎる線も捨てきれないのだけれども。
だが、依然として結月の様子がおかしい。
「その女の子は春に高校生になる人で男子と付き合ってるんだけどね。その男子が……ね?」
察しろと言う結月の圧力を感じる。
結月が付き合っていないから負けた感じになっている、と言うわけではなく、単純に特殊性がありそうだ。
無言で僕が結月の眼を見つめていると、頼んでもいないのに口を割った。
「その彼氏がね。男の娘なんだ」
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