悪役令嬢に目をつけられました
「なあ、なんで殿下は男爵令嬢とイチャついているんだ? 確か婚約者は公爵令嬢だっただろ」
利用者は他の利用者に迷惑がかからないように、静かに利用するよう校則で定められている図書室。しかし、その校則を完全無視する集団がいた。思わず対面に座る学友バルテ・ソラルにその光景を目にして浮かんできた質問をぶつけてみた。
「はあ? なに言ってんだお前は、最近の学園はその話題で持ちきりだったじゃねぇか」
ノートに走らせているペンを止めることなく、バルテは俺の質問に答えてくれる。しかし残念なことに、俺はここ数日の間は学園に顔を出していないのだ。
「いや、風邪ひいて休む前はそんなこと無かったから」
俺が風邪をひいていたことを忘れてしまうほどの衝撃だったのか、それとも俺は風邪をひいても気に止めてもらえないような存在のだろうか……。いや、きっと前者のはずだ。
「あー、そういえばお前が休んでる間だったか……」
そういえばそうだったなと言わんばかりの反応を示すバルテ。ペンを止めて俺の方へと顔を向けると、よくわからんという顔をしてきた。
「何かな突然、いや殿下とその側近方たちにとってはそうでもなかったみたいなんだが……」
理解に苦しむことなのかバルテは言い淀む。しかしそれを飲む込むと端的に、嫌でも目につく光景について言葉にしてくれた。
「どうやらそういう関係らしい」
「まじかよ」
まじかよ。
「で、これは直接聞いた訳ではないんだが……、どうも公爵令嬢との婚約破棄を仄めかしているらしい」
後半は周りに聞こえないように声をひそめていた。だがこの言いぐさではすでに公然の秘密らしい。殿下たちの御手腕なのか、男爵令嬢が手を回しているのかは知らないが……。
「いや、ヤバくね?」
「何が?」
え、このヤバさを認識していない?
「何がってお前、確か相手の公爵家ってバランデュールだろ? 下手したら内戦が起きるぞ」
「おいおい、滅多なこと言うなよ……」
今の話を聞いて思い浮かんだ懸念を口にすれば、バルテは周りへと目を向けながら答えた。
「いやだってバランデュールだぜ? 下手な小国より地力のある貴族家を虚仮にしてタダで済むと思うか?」
「いやいや……」
高位貴族のプライドの高さなんてちょっと引くレベルなんだぞ? なんでそんなことで怒ってんのと思ったことなんて両手の指じゃ足りないよ? あいつらは世界が自分を中心に回っていると本気で信じているに違いない。
「しかも昔は敵対していた国同士だったとかで、最後まで攻め落とせず婚姻によって吸収したみたいな感じだったろ」
たしか王家の男子が公爵家に婿入りしていたはずだ。
「……ヤバいな」
「ああ」
どうやら友人にもことのヤバさがわかったようだ。腐っても貴族家の子息、弱者故にヤバい臭いには敏感でなくてはならないのだ。
「どうする?」
「とりあえず実家に報告だろ、……した?」
「まだだ」
お前、この温い空気に毒され過ぎ……。
「他の連中も動いているだろ」
「動いているか?」
「いや動くだろ」
「ヤバいって空気がまだ生まれてないのに?」
「え、嘘だろ?」
え、そんな事ある?
「いや本当に」
「平和ボケしすぎだろ……」
たった数十年の平和で人は危機察知能力を鈍らせるらしい。最後の戦争を体験された方々って、もうほとんど生きていらっしゃらないもんなぁ。
「取り巻きの……あ、側近方たちもゾッコンらしくてな、婚約者のご令嬢方が非常に怖い顔をしていらっしゃる」
「ひえ~」
女を怒らせるとか、あいつら……んんっ、あの方々は女兄弟がいらっしゃられない? いや、何人かは確かいたはずだろ。何してんねん。
「このまま何事もなく終わってくんないかなぁ」
「いやぁ、無理だろ」
殿下の顔を見ろよ、周りなんて一切眼中にないぜ? あんた王族として隙だらけ過ぎるだろ、周りも警戒を全然してないしよ。何やってんの?
「だよなぁ」
「公爵領との間に領地持ってる家なんて最悪だな」
どちらにつくか強制的に決めさせられて、領土は軍靴に踏みにじられるのか……。お上の争いで困るのはいつだって下のものだよな、だからこそ好き勝手に揉めるんだろうけど……。
「恐ろしいねぇ」
「家は離れてるから大丈夫そうだけど……」
「家も……」
物理的な距離って最強の防壁だよな。というか、バルテ君、君のお家は無関係とは言えなくないかね。
「いや、お前の妹の婚約者って公爵領との間に領地持ってなかったっけ」
「え、あっ、本当だ……、父上に確実に報告しないと……」
大変だな……。何より振り回される妹御に同情を禁じえない。男の俺にその心労は理解できないが、家の都合で嫁ぎ先をコロコロ変えられるなんてな……。
「いやぁ、弱小家は風見鶏と揶揄されても仕方ねぇな」
「いやだってどうこう出来る力ないじゃん」
圧倒的な力で踏み潰されるんだ、顔色を伺って生きていくしかないだろ。
「いやお前ん家は伯爵家だろ」
「領土の七割が山だけどな」
お陰で穀物を育てられる場所がない上に、人口も少ないから税が少ない。
「引き籠り一族め」
「出るのが一苦労どころじゃないんでね、中央への影響力が皆無なんだ」
おまけに峻険な山に阻まれて王都方面への交通の便がすこぶる悪い。わざわざ迂回しなければならないのに、その迂回ルートも山道だ。
「特産品が一杯だよなぁ」
「食料買ってるからギリ黒字だけどな」
良質な木材や山の幸、毛皮なんかで何とかやっていけているが、食料の供給が止まれば飢えて死ねる土地だ。昔は他所に採りに行っていたらしいが、王国の支配下に入ってからは一応安定供給されている。……あれ、家もそこそこヤバくないか?
「「はぁ」」
お互い苦労が絶えないな、親友。
「面白い話をしているのね」
儘ならない現状にため息を吐いていると後ろから声がかかる。割りと聞かれてはならない人第一位のお方の声とよく似ている気がしないでもない。
「「はっ!」」
最悪の未来を想像して、現実から意識を飛ばしてしまっていたようだ。これでは殿下たちの事を強くは言えないな。くそっ、普段ならこんなミスしないってのに!
「私も混ぜてくださらない?」
おお、神よ、なぜこのような試練をお与えになるのです! どちらかというと土着の信仰に重きを置いていたからですか!? 心狭すぎだろっ!
「ク、クリステル様、ご機嫌麗しゅう……」
意を決してバランデュール家令嬢クリステル様の方へと向き直り、挨拶を口に出す。いかなる状況とはいえ、礼を失する訳にはいかない。さらなる不興を買わない為にもなっ!
「ごきげんよう、それで先ほどのお話なんだけど」
美人の笑顔って超怖ぇ~。笑顔は威嚇の延長線上って言ったヤツ誰だよ。正にその通りだよ。野生の猪より怖ぇよ。熊くらいなら逆に奮い立てるのに、膝が笑っちまってるよ。
「ど、どの辺りからお聞きで?」
ど、どこからだ? 場合によっては逃げられる!
「なんで殿下はくらいから」
始めからですね、ありがとうございます!
「詳しくお話をお伺いしたいので……そうですね、私が普段から使っているサロンで伺いましょう」
いやいや獣の棲みかに足を踏み入れるとかあり得ないから。手負いも怖いが、臨戦態勢の獣の方が怖いわ。というか怖さのベクトルが違う。
「いやいや殿下の婚約者ともあろうお方とお茶など畏れ多く……」
こちとら波風たてずにやり過ごしたいんだ、引いてくれ!
「気にする事はありませんわ、伯爵家子息のエリクさん」
くそぉ、無駄に家格が高い生家が恨めしい……! なぜ家は王家とすら縁組みできる格を有しているんだ……!
「田舎者ゆえ粗相をしでかしかねず……」
一応それらしく見える程度の作法くらいは身につけていますがね、王家や王家に近しい方々にお披露目するようなレベルじゃないんですよ!
「私から招いたのです、そのくらい目こぼしいたしますわ」
懐が大きくていらっしゃる!
「まさか、断るとは仰られないですよね?」
圧力キター。手に持つ扇子で口元を隠すクリステル様、目が笑っていらっしゃらない。さ、最後通牒じゃないですかー。断ったらどうなるのですか?
「ハハハハハ……」
そんな、ね? 笑って誤魔化そうとしてると、眼力がお増しになられた。
「マッサカー」
圧力に屈した情けない男は私です。幼い頃から植え付けられた、もはや本能に近いこれを俺は克服できそうにもない。
「良かった、では行きましょう」
そう優雅に口走るクリステル様。完全敗北を喫した俺は、しかしタダではやられない。おうテメェ何を空気になってやり過ごそうとしてんだ? お前も来るんだよ!
「ああソラルさん、エリクさんをお借りいたしますね」
え?
「ど、どうぞどうぞ」
え?
「? エスコート、してくださらないのですか?」
可憐に小首を傾げるクリステル様、美人がやると様になるね! ……ん~、なるほど! 退路を絶たれた籠城兵の気持ちがよーくわかったぞ! もうどうにでもなぁーれっ!
「失礼いたしました、お手をレディ」
俺ぁ、腹を括ったぜ。
イングランドとスコットランド的な