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源義家と藤原清衡  作者: Harry
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第八話「渡嶋蝦夷」

 源義家の放つ神弓に、恐れを為した女真の海賊達は、船縁に屈んで身体を隠したまま、十三湊の岸辺にゆっくりと船を近づけた。海岸沿いに並んだ、乾闥婆王配下の五十名の兵士は、船が矢頃まで近づくと、一斉に矢を浴びせかけた。

 遼の商船を含めた七艘の船団は、砂州に乗り上げると、甲冑を身に纏った海賊達が、次々と船上から飛び降りた。その数、凡そ百五十。十三湊には、兵は、五十人しか常駐していない。乾闥婆王の配下は、兵をかき集めるために、近隣の村々に伝令に走ったが、多勢に無勢であることに変わりはない。

 海賊の集団が砂州に上陸する間、義家の神弓は、一矢も的を外すことなく、敵を射抜き続けた。敵は、義家の矢によって、既に、十人以上の屍の山を築いている。義家には及ばぬものの、景季・貞清・貞任・経清・永衡も、間を置かずに海賊の一団に矢を放ち続けた。敵が、数で勝る以上、直接剣を交える前に、少しでも相手を減らす必要がある。

 海岸線の各所に上陸した海賊達は、叫び声を上げながら、十三湊の兵達に襲い掛かった。乾闥婆王配下の兵達は、実戦慣れした強物揃いのため、賊は、兵達の壁を容易に突破することが出来ない。そこかしこで血飛沫が舞い上がり、絶叫が周囲に木霊した。

「この一団は、単に遼の商船を襲ったのではない。奴等は、この十三湊を狙って来たのだ!絶対に賊を町に入れるな!」

遠くから、乾闥婆王の叫ぶ声が聞こえる。乱戦の最中、十人以上の海賊の一隊が、義家一行に襲い掛かった。義家は、突進して来る敵の群れに対し、極めて冷静に矢の雨を浴びせた。義家の神弓は、精確な上に、速射である。矢を番えるが速いか、即座に放つために、的を絞り込んでいる時間が皆無に近い。それでも、義家の速射によって放たれる矢は、精確無比に敵を射抜くのである。

 傍の経清は、そんな義家を見て、天賦の才以上に、想像を絶するほどの弓の修練を積んでいることを感じた。源氏の棟梁の長男として生まれた義家は、おそらく、十七年の人生の間に、何十万、否、何百万という矢を放ってきたのであろう。この御曹司と呼ばれる少年の肩には、幼少の頃から、想像し難い重圧がかかっていたに違いない。

 目を血走らせた海賊達が、剣の射程範囲に迫って来ると、さすがの義家も、布都御魂を解き放った。神剣は、太陽の光を受けて神々しく輝き、一瞬、海賊達の視界を奪った。義家は、その隙を逃さず、二人の海賊の胴を薙ぎ払った。

 一方、傍らの貞任も、両脇に挿した二本の鞘から、蝦夷刀を抜き放った。そして、その自慢の二刀流で、瞬く間に三人の敵を切り倒した。阿修羅王の剣術を駆使する、貞任の両腕の動きは早い。敵は、いつ自分が切られたのか、理解できぬままに命を失っていた。

 鹿島派の景季・貞衡・経清も、二合と合わせず、骨身に染み込んだ剣術を駆使して、海賊達を切り払ってゆく。唯一、武術の心得の少ない永衡のみが、二人の敵兵に囲まれ、苦戦しているようであった。

「永衡殿!伏せろ!」

永衡の苦戦に気付いた義家は、瞬時に神剣を弓に持ち替えると、二本の矢を同時に番えた。義家の声に反応すると同時に、永衡の頭上を、二本の矢が過ぎ去った。矢は、狙い違わず、各々、海賊の首筋と、左肩に当たった。刹那、経清が、左肩を負傷した海賊の首を、一刀の下に切り捨てた。

「ありがとうございます。義家殿。」

永衡の礼の言葉に、義家は、微笑みを返しただけだった。既に、七人の周囲の敵は、悉くが戦闘不能に陥っている。しかし、海賊の数は、未だ百人を超え、十三湊の兵達の防衛線は、完全に押されていた。どうやら、乾闥婆王は、右肩を負傷したようだ。

 十三湊の兵は、三倍の兵力差の前に、次第にその数を減らしていた。義家一行は、乾闥婆王達を取り囲んだ海賊達を、背後から強襲した。乾闥婆王の前には、海賊の頭領と思しき人物が見える。縦横無尽に槍を振るうその男の動きは、他の敵とは比較にならない腕前で、周囲に累々と屍の山を築いている。

「わしが相手だ!」

貞任は、二本の刀を煌かせながら、海賊の頭領の前に躍り出た。男の槍の動きは速い。余りの速度に、まるで、無数の穂先が同時に襲って来る様な錯覚に囚われる。対する貞任も、二本の蝦夷刀を凄まじい速度で操り、敵の槍の悉くを薙ぎ払っていた。

 海賊の頭領と貞任の周囲では、乱戦が続いていた。貞衡は、三人の敵に囲まれながらも一歩も引かずに、上段から襲って来る三本の剣を、たった一本の剣で受け止めた。さすがの貞衡も、三本の剣を払い切れずに、両手で支えている。一瞬、貞衡の動きが止まった。その隙を突いて、四人目の海賊の槍が、貞衡の背中を襲った。

「あぶない!」

そう叫ぶと同時だった。永衡が、貞衡を襲った海賊の前に立ち塞がり、その槍を受けた。槍の穂先が、深々と永衡の左脇腹に突き刺さる。

「永衡殿!」

傍らの経清が、一瞬にして槍を刺したままの海賊の胴を薙ぎ払った。貞衡も、三本の剣を押し返すと、経清と共に海賊達を切り殺した。そして、慌てて、永衡の体を抱き止める。

「永衡殿!」

貞衡の呼びかけに答えようとしたのか、永衡の口から、大量の血が溢れ出た。貞衡は、急いで左脇腹に刺さったままの槍を引き抜こうとした。

「やめよ!その槍を抜けば、大量の血が吹き出るぞ!」

経清は、貞衡を制止すると、槍の柄の部分を切り落とした。義家・景季も、即座に永衡の許へ駆け寄った。

「申し訳ない。私のために・・・。」

辛そうな表情を浮かべる貞衡に、永衡は、優しく首を振った。

「私は・・・大丈夫・・・それより・・・敵を・・・」

永衡は、声を何とか絞り出すと、そのまま、気を失った。

「永衡殿!」

「脈はある。大丈夫だ。気を失っただけだ。」

経清は、永衡の首筋に手を当てて確認すると、涙を流して永衡を揺り起こそうとする、貞衡を制止した。

「経清殿と貞衡殿は、永衡殿を商館に運んでくれ。」

義家の言葉に、経清と貞衡は黙って頷くと、永衡を両側から抱えて、商館に向かった。

「おのれ!海賊どもめ!」

怒りに燃える義家は、ホムダ弓を手に取ると、凄まじい速射で、次々に敵を葬っていく。恐れをなした海賊達は、義家に近づくことも出来ずに、遠巻きに取り囲んだ。しかし、どれだけ距離が離れようと、七人張りの強弓から繰り出される、義家の矢から逃げることは出来ない。海賊達は、恐慌状態に陥り、悲鳴を上げながら、船の中に逃げ戻ってゆく。

 海賊の頭領と貞任の戦いも、いよいよ、決着が着いた。貞任の二本の剣が、敵の槍の柄を見事に切り裂いたのである。海賊の頭領は、穂先の無くなった槍を、棒の様に振り回して貞任に向かっていった。貞任の剣が、頭領の左足を刺し貫く。貞任が刀を引き抜くと、吹き上げた血飛沫が、貞任の顔を紅に染め上げた。その様は、まさに、阿修羅の如き形相であった。海賊の頭領は、左足を抑えながら蹲ると、遂に観念して降伏した。

 頭領の敗北に、残った海賊達は、投降するか、船内に逃げ戻った。既に、海賊は半数以上の死者を出している。しかし、十三湊の兵も、戦闘可能な者は、三十人に満たない。数でいえば、海賊の方が圧倒的に有利である。

 だが、義家・貞任等の鬼神の如き強さを目の当たりにした上に、頭領が降伏したために、海賊達は、完全に戦意を喪失していた。逃げ出した海賊を乗せた六艘の船は、沖合の海上に留まっていた。こちらの出方を伺っているのであろう。十三湊側には、船を出して、海賊を追撃する余力は残っていなかった。

 捕らえられた二十二名の海賊達は、後ろ手に縄を掛けられ、乾闥婆王の前に引き据えられた。彼の周囲には、安部貞行・吉彦雅綱等と共に、異国の商館の主達が顔を揃え、更にその周囲を、生き残った兵達が取り囲んでいる。義家・貞任・景季も、兵と共に事の成り行きを見守っていた。経清と貞衡は、永衡を商館に運んだまま、戻って来ていない。

 乾闥婆王は、十三湊に商館を構える渤海人の商人を呼ぶと、通訳させた。渤海国は、既に百年以上前に滅びていたが、その遺民達は、渤海人を名乗っていた。女真族は、渤海国と領域を接していたため、互いに相手の言語が理解できる。

「生女真完顔部の族長の息子、劾里鉢ガリベチと名乗っております。」

「やはり、女真族か。しかし、族長の息子とはな・・・。」

通訳の言葉に、乾闥婆王をはじめ、一同は、互いに顔を見合わせた。

「何故、この十三湊を襲ったのか、尋ねてくれ。」

渤海人は、乾闥婆王の質問を、劾里鉢に通訳して伝えた。

「大陸では、この十三湊には、莫大な量の黄金があると噂されているそうです。女真族には、遼を打倒するの黄金が必要とのことです。」

「しかし、完顔部の族長は、確か、遼の節度使(地方長官の様な役職)のはず。完顔部は、遼に対しては面従腹背、ということか・・・。」

「遼の打倒か・・・」

貞任は、劾里鉢の言葉に、奇妙な共感を覚えた。劾里鉢の姿に、京の朝廷という巨大な敵と戦わねばならない、自分自身を重ね合わせたのであろう。しかも、表面上は、遼に服従したと見せかけて、その威を借りて勢力を伸張し、裏では虎視眈々と叛乱の機会を伺う点まで似通っている。

「十三湊には、大陸で噂されるほど、莫大な黄金があるのですか?」

「いや、それほどの黄金を、港に置いておくわけがない。しかし、十三湊では、異国の交易品のほとんどを、奥州や渡島で掘り出した黄金で買い取っている。それが、十三湊に金が貯蔵されていると勘違いされたのであろう。」

貞任は、劾里鉢から目を離さないまま、義家の問いに答えた。劾里鉢を、このまま処刑してしまうのは、惜しい気がしていた。

「乾闥婆王様、私が口を挟むことではありませんが・・・。この者の処分を、いかがするおつもりですか?」

「うむ。悩ましいところじゃ。切捨てたところで、何の利益も得られぬ。この十三湊にいる遼の商人に引き渡しても、もてあますだけであろう。それに、沖合の船の連中の動向が気になる・・・。」

「沖合の海賊達を放置しておけば、隙を見て、再度、襲撃して来るかもしれません。陸地を襲って来ずとも、この港から出航する商船を襲う可能性もあります。寧ろ、この頭領を解放し、二度と十三湊の商船を襲わぬように、誓わせた方が得策と思われます。」

「そうじゃな。海賊共を撃退できたのも、貞任殿一行の活躍のおかげじゃ。貞任殿の提案に乗って、今後は、海賊行為ではなく、交易で利益を得るように説得してみよう。」

貞任の想いが通じたのか、劾里鉢は、乾闥婆王の提案に感謝し、沖合の部下達と共に、本国に引き揚げることを誓った。また、女真の地の産物の内で、交易品になりそうな物資について相談し、次回以降は、海賊としてではなく、交易品を満載した商船を仕立て、十三湊を再訪することを約束した。

 劾里鉢と捕虜達は、縄を解かれると、乾闥婆王に深々と頭を下げ、礼を述べた。そして、十三湊の小船を借りると、沖合に停泊している船に戻り、遼の商船を解放した。六艘の海賊船は、そのまま、西北の海の彼方に消えていった。

 六十年後の1115年、劾里鉢の息子、阿骨打アグダは、金を建国。遼を滅亡寸前にまで追い込んだ。阿骨打の死後、同母弟の呉乞買は、1125年に遼を滅ぼすと、1127年には華北に侵入。北宋を滅ぼした。以後、1234年にモンゴル帝国に滅ぼされるまで、女真族は、中華の中心地、華北を領有し続けたのである。


 海賊の船団が去るのを見届けると、義家・貞任・景季は、安部貞行の商館に急行した。負傷した永衡が、運び込まれている筈である。

「永衡殿の容態は?」

貞任は、飛び込むように部屋に入ると、傍らの経清に尋ねた。寝所に横たわる永衡の周囲には、経清と貞衡の他、医師と助手の女性の姿が見える。永衡の左脇腹に突き刺さっていた槍は、既に、医師によって引き抜かれていた。

「幸い、急所は外れています。しかし、出血が激しいため、油断は禁物です。」

医師の言葉に、貞任は、苦渋の表情を浮かべた。

「ここで、永衡殿に死なれては、奈加に合わせる顔が無い・・・。」

貞任は、永衡の来訪を常に心待ちにしている、二番目の妹のことを思った。平永衡は、永承七年(1052年)の大赦令の後、その罪を赦され、伊具郡司に復職した。しかし、妻の奈加を伊具に呼び寄せずに、安部の衣川館に住まわせたままであった。陸奥国衙と奥六郡の間に再度、亀裂が入った場合、国衙の人質になることを恐れたのである。

 永衡は、陸奥国衙の在庁官人として多賀城に出仕し、経清と共に陸奥国衙と奥六郡の調停のため、一月の半分近くを衣川館で過ごした。陸奥守の頼義が、永衡を信用したわけではない。寧ろ、永衡を多賀城から遠ざけたのである。二人の間に息子の成丸が生まれてから、まだ、一年にも満たない。成丸を父無し子にするわけにはいかない。

「すまぬ。永衡殿。私のために、すまぬ。」

貞衡は、意識の無い永衡の前で何度も叩頭し、泣き崩れた。永衡は、彼を庇って、その身に槍を受けたのである。貞衡が責任を感じるのも無理はない。貞衡は、義家の従者として同行したこの旅で、初めて、永衡と会話らしい会話を交わした。三十四歳の永衡に対し、貞衡は十七歳。永衡は、若い貞衡を気遣い、常に気さくに接してくれた。貞衡は、明るく、心優しく、打ち解け易い永衡を、兄の様に感じ始めていた。

貞衡は、清原の実家を嫌っていた。貞衡は、武則の五十四歳の時の子供である。貞衡の母は、卑賤の身の上に、彼を産んですぐに亡くなったため、父の武則は、貞衡に全く愛情を注がずに、使用人の様に扱った。

 貞衡が生まれた年、長兄の武貞は、既に、三十四歳の青年であった。武貞は、粗暴な性格で、幼い貞衡に暴力を振るった。次兄の武道は、恐ろしく冷たい男で、貞衡の存在など目に入らないようで、口をきいたことがない。また、すぐ上の兄の武衡は、武貞の同母弟で、父に溺愛され、驕慢な上に粗忽に育ち、庶子の貞衡を苛め抜いた。

 実家を嫌った貞衡は、幼少の頃、清原宗家の光頼・頼遠の許へ身を寄せることがあった。光頼の縁で、奥六郡の衣川館にも訪れたことがある。貞衡の父、武則は、娘を積極的に仙北三郡の有力者、吉彦氏・橘氏に嫁がせ、清原家の実権を握ろうとしていた。心情的には、清原宗家の光頼に近い貞衡にとって、父の野望は疎ましかった。

 貞衡は、実家からも、仙北三郡からも逃れたかった。そして、義理の兄で、若い頃、鹿島派の師範代であった平国妙に頼み、鹿島派に入門したのである。

 貞衡は、鹿島派に入門して、生まれて初めて、自分の居場所を得たような気がした。そして、今度の旅の中では、気さくで話し易い永衡に心を開き、自身の悩みを打ち明けられるほどに親しくなっていたのである。

 貞衡は、義家と景季が鹿島派に入門して以来、人間とは思えぬ武芸の才能を目の当たりにして、己の無力さを感じていた。特に、同年齢の義家が、入門初日には辛くも勝利したものの、その後、瞬く間に貞衡を追い抜き、十七歳にして師範の座に就いたことに、天賦の才を感じざるを得なかった。

 貞衡とて、十七歳で一ノ位にまで上り詰め、決して、非才なわけではない。寧ろ、鹿島派の中でさえ、有数の才能を有していると言える。しかし、剣一筋に生きることを決意していた貞衡にとって、義家の存在は、余りにも衝撃的であった。貞衡は、八幡神の生まれ変わりと言われる、源氏の御曹司の郎党として生きてゆくことを誓ったのである。

 だが、源氏の御曹司の周囲には、藤原経清・藤原則明・藤原景季の様な、自分とは比較にならない武勇の士が、多数付き従っている。自分如きが、義家の側近くにいて、本当に意味があるのであろうか。貞衡は、無力な己を卑下し、暗い気持ちに陥っていた。

 永衡は、そんな貞衡の存在を肯定してくれた。同じ義家の郎党とはいえ、経清・則明・景季と自分を比較する必要はない。人には、各々、役割がある。貞衡は、義家と同年齢。義家にとって、最も心許せる友になることができるはずだ、と。

 永衡の言葉に、貞衡の心は軽くなっていた。そして、永衡に救われたような気がしていた。しかし、永衡は、今日、自分の心だけでなく、命までも救ってくれた。貞衡を庇い、その身に槍を受けてくれた。永衡とは、どこまで優しい人なのであろう。本物の兄達であれば、貞衡を庇うどころか、弟を盾にしかねない。

 永衡は、今回の旅に同行した、義家・貞任・経清・景季・貞衡と比較すると、武芸の腕は、格段に劣る。武術大会においても、予選で四矢しか的を射抜くことが出来ず、決勝進出は果たせなかった。

 しかし・・・。と貞衡は自問した。もし、逆の立場であったら、永衡を庇って、敵の刃の前に、己の身を晒すことができたであろうか?例え、武芸は優れていなくとも、仲間の危機にその身を投げ出せる永衡は、心の強い人間であろう。彼は、全く怯むことなく海賊達と戦い、自分を犠牲にして貞衡を救ってくれたのである。貞衡は、何としても永衡を救いたかった。自分に出来ることがあれば、何でもするつもりであった。

「我等は、無力なものだな・・・。」

沈黙の中、義家が、ポツリと呟いた。

「ここには、鹿島派の師範が三人。一ノ位が一人。阿修羅王の奥義を極めた者までいる。この国で最強の武勇の士が揃っていると言えるであろう。しかし、最強の筈の我等には、永衡殿を救うことは出来ない。我々は、大勢の人間を殺すことは出来ても、誰一人、生かすことは出来ないのだ。」

「そうじゃな・・・。」

義家の悔しそうな叫びに、貞任も、己の無力を実感せざるを得なかった。経清・景季・貞衡も同感であった。瀕死の友を前にして、ただただ、見守ることしか出来ないのだ。その時だった。重症の永衡が、重い瞼を開いた。意識を取り戻したのである。

「貞衡殿は・・・ご無事か・・・。」

絞り出すような声が聞こえ、一同は、一斉に永衡を見た。

「永衡殿!私は、ここにおります。永衡殿に命を救われました。」

貞衡は、永衡の手を握り締めると、涙を流して語りかけた。

「このような状態でも、他人の心配をするとは・・・永衡殿らしいな。」

経清の呟きに、一同は顔を見合わせた。

「私は・・・大丈夫ですよ・・・ご心配・・・なさらずに・・・。」

「無理をしてはいけません。話をするだけで、体力を消耗します。」

息も絶え絶えに話す永衡を、医師が制した。その時、部屋の中に、乾闥婆王と安部貞行が入ってきた。永衡の容態を案じているようだ。

「永衡殿の容態は?」

「たった今、意識を回復されたところですが、出血が激しく、予断を許さぬ状況です。」

乾闥婆王の問いに、医師は、申し訳なさそうに答えた。

「貞任殿。少し話がある。こちらへ。」

貞行は、貞任一人を手招きするとく、乾闥婆王と共に、別室へ案内した。

「話とは?」

「先程、龍王様からの遣いが来て、義家殿を、恐山へ案内せよとのことじゃ。」

「なっ。恐山に!?」

乾闥婆王の言葉に、貞任は、驚愕の表情を浮かべた。

「恐山は、龍衆の本拠地。義家殿は、鎮守府将軍の御曹司ですぞ。何故に・・・?」

「龍王様は、義家殿こそ、天王の覇業を輔ける者と仰っているそうじゃ。」

「天王の覇業を輔ける者、とは?」

「我等も、仔細はわからぬが・・・。」

乾闥婆王・貞行・貞任は、龍王の言葉の意味を思案した。が、答えは一向に見えない。

「わかりました。思案しても始まりませぬ。私が、義家殿を恐山に案内しましょう。」

「うむ。それと、龍王様なら、永衡殿を助けることが出来るやもしれぬ・・・。」

「確かに・・・。」

貞行の言葉に、貞任は、一縷の希望の光を見た様な気がした。

「しかし、あの容態では、永衡殿は、とても長期の移動はできぬぞ。」

「船を貸して下され。津軽半島を北から回り込んで、陸奥湾に入ります。大湊まで船を使えば、陸路で一日じゃ。」

「わかった。海賊共を撃退できたのは、そなたたちのおかげじゃからのう。」

貞任の願いに、乾闥婆王は、快く応じた。


 三日後。永衡の容態が落ち着くのを待って、義家一行は、十三湊から船に乗り込んだ。義家は、船の甲板に立って、北海の潮風を大きく胸に吸い込んだ。頬を撫でる、冷たい空気が心地良く感じられる。

「どうじゃ。北の海は?」

いつの間にか、貞任と経清が甲板に上がっていた。

「瀬戸内の海とは、全然違いますな。」

貞任に答えながら、義家は、七年前、豊前国の宇佐に赴くために、摂津国の住吉津から船出した時のことを思い出していた。

「瀬戸内の海は、内海故に、波は少ないと聞く。しかし、北の海は、遠く、何処までも広がっている。その分、波は、瀬戸内とは比べ物にならぬほど、激しいぞ。」

貞任は、船縁に立って、悠然と波間を見つめていた。

「私は、既に酔いそうですよ。」

経清は、笑顔を見せながらも、少し、気分の悪そうな様子を見せた。

「ははは。陸上では勇猛な経清殿も、海の上では、からきし駄目なようじゃな。」

貞任の豪快な笑いに、義家と経清も、つられて笑い声を上げた。

「で、龍王様とは、どのようなお方なのですか?」

経清は、大声で笑って気分が良くなると、真顔に戻って、貞任に問いかけた。三日前、乾闥婆王・安部貞行との会話を終えた貞任は、義家達に、恐山へ赴き、龍王に会うことを告げた。理由は、永衡の治癒のためとしか、説明していない。

「うむ。龍王様は、渡嶋と奥州の蝦夷達の指導者じゃ。この国隋一の修験者で、万物の理に通じておられる。乾闥婆王様は、龍王様であれば、永衡殿を治癒できるであろうと仰せであった。」

「龍王に、十三湊の乾闥婆王、それに、貞任殿の阿修羅王と言えば、仏法を守護する天龍八部。他に、天王・夜叉王・迦楼羅王等もいらっしゃるのですか?」

「義家殿は、よく存じておるのう・・・。」

義家の質問に、貞任は、感心しながらも、思わず、口ごもった。

「その辺りのことは、わしからは、答えられぬ。龍王様が、お答えになるであろう。」

貞任の答えに、義家と経清は、心の中に蟠りを残しながらも、それ以上問うのは止めにした。もし、貞任が、義家一行を害そうとしているのであれば、十三湊までの間に、いくらでも機会はあったからだ。今更、罠を仕掛けることも無いであろう。

「それにしても、この海は、何処まで続いているのか。」

義家は、気持ち良さそうな表情で、もう一度、海原に目を向けた。

「津軽から北には、渡嶋がある。渡嶋には、奥州より広大な大地が広がっておる。その北には、流鬼国があり、更に北には、夜叉国があるという。世界は何処までも広いぞ。」

「いつか、私も、この海を北に進んで、それらの国々に行ってみたい・・・。」

義家の少年の心には、見果てぬ国々に続くこの大海原が、光り輝いて見えた。


 津軽半島を北に進んだ船は、龍飛岬に達すると、東南に進路を向けた。遥か海の彼方には、渡嶋の山々が見える。東南に進んだ船は、陸奥湾に入ると、陸地沿いに東へ進んだ。そして、特別、嵐に出会うことも無く、無事に、宇曽利の大湊に着いた。

 十三湊から、わずかに三日の船旅であった。もし、永衡を運びながら、陸路をとっていれば、二週間以上かかったであろう。船を降りた一行は、大湊から恐山までは、峻険な山道を進まざるを得ない。義家・貞任・経清・景季・貞衡の五人は、馬に乗り換えたが、永衡の容態では、とても馬に乗ることなどできない。

 幸い、大湊には、龍王が、一行のために迎えを寄越していた。四人の修験者である。修験者達は、永衡を駕籠に乗せると、交代で担ぎ、山道を登った。山道に慣れた修験者達は、駕籠を担いでいるにも関わらず、疲れた様子を微塵も見せなかった。昼過ぎに大湊を出立した一行は、夕刻には、恐山菩提寺に到着した。

 

 恐山。比叡山・高野山と並ぶ、日本三大霊場の一つで、火山岩に覆われ、硫黄の噴出す「地獄」の風景と、宇曽利湖の織り成す美しい「極楽浜」の風景が対極を為し、霊場と呼ぶに相応しい、荘厳で神秘的な空間である。

 開山は、貞観四年(862年)。開祖は、慈覚大師円仁。円仁は、天台宗第三代座主で、開祖最澄の弟子である。その著書『入唐求法巡礼行録』に詳細に描かれている様に、最後の遣唐使船に乗って唐に赴き、五台山を巡礼した。

 東北地方には、開祖を円仁とする伝承を持つ寺院が数多く見受けられる。円仁は、唐に行く前に、三年の間、東国を巡礼して天台の教えを広めたことがあった。そのため、円仁を開祖とする伝承が伝わったのであろう。

 円仁は、唐に留学中に、夢の中で、「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。 地蔵尊一体を刻しその地に仏道を広めよ」という御告を受けたと言う。円仁は、直ちに帰国して、夢の御告の霊山を探し求め、遂に、恐山に辿り着いたと言われる。

 しかし、円仁が、唐からの帰国後に、東国を旅したという記録は無い。恐山を含め、東北地方の寺院の多くが、円仁を開祖とするのは、入唐前の三年間の東国巡礼に仮託した、仮冒であろう。恐山菩提寺も、円仁が創建したと伝えられているが、仮冒と考えられる。本書では、別の説を提示する。

「これが、恐山・・・。」

義家一行は、初めて見る恐山の姿に、完全に心を奪われていた。硫黄の臭気が、辺り一面に立ち込めている。火山岩に覆われ、硫黄の泉が沸き出で、草木が一本も生えていない光景は、まさに地獄絵図そのものである。

「おそらく、そなたたちは、奥六郡以南の民の中で、初めて恐山に来た者であろうよ。」

貞任は、地獄の光景に目を奪われている、義家・経清・景季・貞衡に声をかけた。四人の修験者達は、既に、永衡を菩提寺の中に運び込んでいる。

「皆様。龍王様がお待ちです。」

修験者に促され、一行は、菩提寺の門をくぐった。

「よくぞ参られた。礼を申します。」

「父上!」

「頼時殿!」

菩提寺の奥の院に通された一行を待っていたのは、安部頼時であった。貞任の驚いた様子を見る限り、彼も、父が恐山にいることは知らなかったらしい。経清も、この極北の地に頼時がいることに、驚きを隠せない様子だ。

「龍王様とは、安部頼時殿のことなのですか?」

義家が、頼時と貞任の顔を、交互に見比べながら質問した。経清・景季・貞衡も、同じ疑問を抱いた様だ。

「いや。龍王様は、今、永衡殿の容態を見ておられる。そちらが終わり次第、おみえになるであろう。」

修験者の担ぐ駕籠で到着した永衡は、即座に別室に案内され、横になっていた。龍王は、先に永衡の部屋へ行き、容態を確認していると言う。

「お待たせいたしました。」

半刻余りの後、修験者の姿をした一人の男が、金剛杖を携え、奥の院に入ってきた。安部頼時・貞任の父子は、男の姿を認めると、その場で平伏した。どうやら、その修験者は、奥六郡の覇王と呼ばれる、安部氏の父子よりも、立場が上らしい。

「永衡殿なら、心配はいらぬ。十日もあれば、起き上がれるようになるじゃろう。」

修験者は、開口一番、その場の誰もが、最も気に掛けていることを口にした。その言葉に、一同は、一斉に安堵した。頼時にとっても、永衡は、大切な娘婿である。奈加を悲しませたくないという思いは、貞任と同じであった。

「申し遅れた。わしが、龍王じゃ。」

一同の安心した表情を見ると、修験者は、自ら龍王と名乗った。龍王の声は、重々しく、威厳に満ちている。年輪が深く刻まれたその風貌からは、男の年齢が、既に六十を越えていることが察せられる。しかし、その立ち居振る舞いは、権威に満ち溢れており、四十代の壮年者と、何ら変わりはない。

「そなたが、源義家殿か?」

口を開きかけた義家を制し、龍王は、自ら声をかけた。

「そして、そちらが、経清殿。貞衡殿。景季殿か。」

龍王は、面識の無い四人の名前を、悉く言い当てた。義家・経清・貞衡・景季は、驚きの表情を浮かべると、互いに顔を見合わせた。

「龍王様は、そなたたちを、良く存じておる。おそらく、そなたら自身よりもな。」

頼時の言葉に、四人は、困惑の表情を浮かべた。

「龍王様は、安部頼時殿の主なのですか?」

頼時の平伏する姿を見て、義家は、心の内に抱いた疑問を口にした。鎮守府将軍兼陸奥守の父、頼義以外に、奥六郡の王者、頼時が平伏する相手など、想像出来ない。

「さすがは、源氏の御曹司よ。遠慮がないのう。」

義家の問いに、龍王は、思わず哄笑した。つられて、頼時、貞任も苦笑する。

「そうじゃ。龍王様は、安部一族のみならず、奥州や渡嶋に暮らす、すべての蝦夷達の指導者なのじゃ。」

龍王に代わって、貞任が、義家の問いに答えた。

「龍王に、十三湊の乾闥婆王、貞任殿の阿修羅王。他に、天王・夜叉王・迦楼羅王等もいるのですか?」

義家は、恐山に向かう船上で、貞任に向けたのと同じ質問を、龍王にぶつけてみた。あの時、貞任は、返答に窮していたが、龍王ならば、答えてくれると言っていた。

「そのようなこと・・・。鎮守府将軍の御子に、お答えするわけには・・・。」

頼時は、不安そうな表情を浮かべ、龍王を見た。彼等にとっては、余程、重大な内容なのであろう。頼時には、龍王が、何故、義家を恐山に招いたのか、未だに理解できない。否、そもそも、貞任が、義家を十三湊に案内することにさえ、反対であった。

「頼時、良いのじゃ。」

龍王は、言葉を選び兼ねている頼時を制すると、義家を真っ直ぐに見つめた。

「かって、この国は、我等蝦夷の大地であった。」

「この国が、蝦夷の大地・・・。」

義家・経清・貞衡・景季の四人は、初めて聞く話に、困惑した様に顔を見合わせた。

「千年以上の昔、九州の筑紫に、大陸の戦乱から逃れた、多くの移民達がやって来た。移民の数は年を追う毎に増え、九州から出雲・吉備・紀伊へと東進し、大和に到って、新たな国を建国した。それが、大和朝廷じゃ。

数百年に及ぶ、大和朝廷の東征の結果、我等蝦夷は、最後には、この奥州へと追い込まれた。一方、天武天皇の御世に、律令国家の建設が進むと、朝廷に従わぬ者達は、流民と化して、大和朝廷の支配の及ばぬ、この奥州の地に逃げ込んだ。

その頃、この奥州では、蝦夷系の住民達と、流民系の住民達の争いが絶えなかった。その時、奥州に現れたのが、役小角様じゃ。」

「役小角・・・。確か、葛城山で、鬼神を操っていたという、修験道の開祖・・・。」

景季は、幼き日に、父の景通から聞いた伝承を思い出そうとした。

「そうじゃ。役小角様は、我等修験者の神祖。鬼神とは、朝廷にまつろわぬものども。廟堂の公卿達の言葉では、謀反人達のことじゃがな。」

「大江山の酒呑童子と同じか・・・。」

「さすがは、源氏の御曹司。源頼光より、真実が伝わっているとみえる。」

義家が、酒呑童子の名を口にすると、龍王が感心したように応じた。

「鬼・土蜘蛛等と呼ばれ、魔物と恐れられてきた者達の多くは、朝廷にまつろわず、戦いを続けた、蝦夷や流民達のことなのじゃ。」

義家達にとって、龍王の言葉は、世界の見え方が変わるほどの衝撃であった。

「奥州に現れた役小角様は、蝦夷系住民と流民系住民の争いを調停し、彼等を一つに纏めた。無論、その際に、神仏に通ずると言われる、小角様の神秘的な呪術が、彼等の心に畏怖の念を抱かせたことは間違いない。蝦夷と流民達は、小角様を神と崇め、自らの指導者として仰いだのじゃ。また、小角様は、奥州のみならず、渡嶋にも赴き、渡嶋蝦夷も傘下に治めた。即ち、小角様によって、奥州・渡嶋に跨った、大和朝廷にも匹敵する、巨大な国家が出現したのじゃ。無論、大和朝廷の知らぬところでな。

小角様は、蝦夷・流民に、個々に役割を与え、その役割に応じて、八種の衆に分けた。八種の衆は、仏法の天龍八部に倣い、天衆・龍衆・阿修羅衆・夜叉衆・迦楼羅王衆・乾闥婆衆・緊那羅・摩睺羅伽衆と呼ばれた。

龍衆とは、蝦夷の祭祀を司る、修験者。その修験者を統率する者を、龍王と呼ぶ。また、乾闥婆衆は、商業を司る。十三湊の乾闥婆王は、蝦夷の商人達を統率しておる。つまり、龍王・乾闥婆王など、王号を有する者は、各々の役割を担った者達を統率する、指導者のことなのじゃ。これで、義家殿の質問に対する回答になっておるかな?」

龍王は、一通りの説明を終えると、義家の瞳の奥を見つめた。義家は、龍王の瞳の前に、心の奥底まで見透かされそうな気がした。

「それでは、貞任殿の阿修羅王とは・・・?」

「それは、私が答えよう。義家殿。」

義家の問いに対して、龍王が口を開く前に、貞任が口を挟んだ。

「阿修羅衆とは、蝦夷の兵士。謂わば、武家の様なものじゃ。阿修羅王とは、阿修羅衆を束ね、朝廷と戦う、軍事的指導者。蝦夷の武神なのじゃ。」

「蝦夷の武神・・・。」

「阿修羅王の武芸とは、朝廷の歴史で言えば、ヤマタノオロチを退治した、武神、素盞嗚命スサノオの闘法。そして、その奥義を極めた者だけが、阿修羅王を称する資格がある。しかし、実際にその奥義を極めた者は、古来、坂上田村麻呂と死闘を繰り広げた、蝦夷の闘将阿弖流爲、新皇平将門、そして、この安部貞任の三人しかおらぬ。」

気迫を込めた貞任の言葉の意味に、義家・経清・貞衡・景季は戦慄した。阿弖流爲と平将門は、朝廷にとって、共に叛逆者の代名詞であった。更に言えば、阿修羅王とは、帝釈天に叛逆した闘神であり、素盞嗚命は、皇家の祖である姉の天照大神に叛逆した。ならば、今、目の前にいる貞任も、この時代の叛逆者になるのであろうか。

「貞任殿は、否、蝦夷は、あくまで、京の朝廷に服さず、戦い続けるつもりなのですか?かって、頼時殿が仰っていたように、奥州に独立国を造るおつもりなのですか?」

経清は、完全に義家の存在を忘れていた。本来、鎮守府将軍の御曹司の前で、出来る様な問いではない。

「我等蝦夷には、役小角様が残された予言がある・・・。」

何かを言いかけた貞任を制し、龍王が、静かに語り始めた。

「末法の世に至れば、天王が出現し、我等を黄金楽土に導くとな・・・。」

「天王・・・とは?」

龍王の言葉に、義家は、身を乗り出すように問いかけた。

「文字通り、天の王という意味であろう。我等、龍衆にさえ、詳しいことはわからぬ。だが、奥州と渡嶋において、莫大な黄金が産出されるようになり、黄金楽土の予言は、俄かに現実味を帯び始めた。天王出現の予言は、我等蝦夷にとっては、希望なのじゃ。大地を奪われ、俘囚と蔑まれ、朝廷に苦渋を味合わされ続けた、この国の先住民のな。」

「しかし、京の都では、叡山の僧達が、三年前の永承七年に、末法の世が招来したと騒いでおりました。確か、伝教大師の『末法燈明記』に、そう記されているとか。既に、天王は出現されているのですか?まさか、安部頼時殿が天王・・・。」

「ははは!残念ながら、頼時ではない。」

怯えた様な経清の問いに、龍王が、哄笑した。

「天王は、まだ、地上に出現しておらぬ。じゃが、予言通り、永承七年に全てが始まった。天王出現のための、長い生みの苦しみがな。三年前の永承七年に、奥州で何が起こったか、考えてみよ。」

「鬼切部村での合戦は、その前年。三年前といえば・・・。」

「父上が、陸奥守として、この地に下向した年!」

言い澱んだ経清の代わりに、義家が答えた。

「そうじゃ。無論、頼義殿は天王ではない。しかし、頼義殿の陸奥守に任官した時から、天の極星が、輝きを増している。そして、義家殿が、この奥州の大地に足を踏み入れた時、極星を導く、北斗七星の光が、眩いばかりに煌き始めた・・・。」

「私が?」

突然、自分の名が登場したことに、義家は、困惑の表情を浮かべた。

「義家殿は、八幡神の生まれ変わりとして、日の本に新しき人の絆を生み出すと同時に、この奥州の地において、天王の覇業を輔く、北斗七星の宿命を持つ御方なのじゃ。」

「北斗七星の宿命とは・・・?」

義家には、龍王の言葉の意味が、理解できなかった。八幡神の生まれ変わりであることは、幼少の頃より、繰り返し聞かされてきた。しかし、北斗七星とは何であろうか?

「北斗七星は、死を司る星。貴殿の存在は、数多の戦乱を生み、多く罪無き人を殺す。それは、この世に黄金楽土を現出させるための、尊い血の犠牲なのじゃ。」

「私の存在が、多くの罪無き人を殺す・・・。」

義家は、龍王の予言に戦慄した。源氏の棟梁の家に生まれた以上、殺生が避けられないことは、理解しているつもりであった。しかし、何故に、自分の存在が、数多の戦乱を生み、多くの罪無き人を殺すことになるのか。

 陸奥守は父の頼義であって、自分ではない。十七歳で、無位無官の義家には、合戦を始める権限などない。また、自分は、朝廷と民のために戦うのであって、罪無き者など、殺すはずがないのだ。

そんな義家の疑問を見て取ったのか、龍王が、おもむろに口を開いた。

「義家殿は、自分自身の意思に関わらず、幾度も大きな合戦に巻き込まれるであろう。いかに貴殿でも、度々、苦杯を舐めることになる。しかし、その度に、義家殿は、灰の中から蘇り、再び、敵の前に立ち塞がる。いかに相手が強大であろうとも、最終的には、常に、義家殿が勝者となるのじゃ。そして、その間には、多くの命が失われる。

八幡神は、戦いの神。武神の生まれ変わりという宿命が、血塗られた運命を辿るということに、今まで想い至らなかったのか?」

「そんな・・・。」

義家は、八幡宮の神託を受けた時から、八幡神の生まれ変わりとしての自分の運命を、理解しているつもりであった。源氏の棟梁として、六十余州の武家を統率し、武家の棟梁になる。そのために、弓術・剣術をはじめ、武芸の腕を磨いてきた。しかし、その果てにあるものが、多くの罪無き人を殺すことになるとは・・・。

「私は、どうすれば・・・。」

「人の宿命は変えられぬ。義家殿は、己の心の想うままに、正しいという道を進めば良い。わしが、今日、貴殿を恐山に呼んだのは、北斗七星の宿命を持つ御方の器量を、この目で見定めたかったからじゃ。そして、確信した。源義家殿こそは、武家の棟梁として、この国の武家の頂点に立ち、天王の覇業を導く英雄であることを。

貴殿は、単に武勇に優れているだけではない。民を愛し、正義を見極め、新しい時代を切り拓くことができる御仁なのじゃ。八幡太郎よ。恐れるな。そなたの進む道の先には、必ずや、この国の新しい姿が現れるであろう!」

龍王の言葉に、義家は大きく頷いた。貞衡と景季は、そんな義家の姿を、頼もしそうな表情で見つめた。そして、この源氏の御曹司を主君とし、生涯を賭けて仕えることを、改めて決意した。

 一方、安部頼時・貞任の父子は、この時、源義家との戦いを決意した。龍王の予言に従えば、この奥州には、戦乱の嵐が吹き荒れ、多くの血が流れることになる。その時、義家の敵となる人物は、阿修羅王の安部貞任以外には考えられない。

「義家が、武神であるならば、我もまた、武神、阿修羅王。」

貞任は、心の中でそう呟いた。必ず義家を倒す。そのためには、自分自身の命を賭ける必要がある。最強を自負するこの男は、全身全霊を賭けて闘うことが出来る強敵が、同じ時代に生まれてくれたことを感謝した。

 一同の中で、一人、経清の心中は複雑であった。経清は、奥州を騒乱から救うために、源氏と安部氏の戦いを、何とか回避しようと努力してきた。しかし、龍王の話では、既に、安部一族は、否、蝦夷達は、朝廷との戦いを決意している。

 安部の娘婿になるはずの自分は、陸奥国衙と奥六郡の軍勢が激突する時、誰と共に戦えばよいか。経清は、永衡の無事を祈った。この世でただ一人、永衡だけが、自分の想いを理解してくれるはずだから。

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