第十五話「白符赤符」
天喜五年(1057年)十一月十四日。鎮守府将軍兼陸奥守源頼義は、窮地を脱出し、陸奥国衙多賀城へと逃げ返った。頼義と共に多賀城へ辿り着いたのは、息子の義家の他には、大宅光任・藤原景通・藤原範季・藤原則明・清原貞衡の五人のみであった。
彼等を出迎えたのは、留守居役として多賀城に残っていた、信夫郡司の佐藤公脩と、頼義の妻であり、義家の母、直子であった。頼義と義家、五人の郎党達は、多賀城の朝義の間に座り込むと、身動き一つせず、無言のまま、放心状態に陥っていた。敗戦が、余程、堪えたのであろう。頼義は、絶望的な表情で、虚空を見つめ続けた。
留守居役の許へは、既に、早馬で、黄海の戦いの様子が伝えられていたが、詳細は不明のままだ。公脩は、戦況を知りたかったが、呆然とする七人の男達に、話しかけるだけの勇気がなかった。敗戦であることは、間違いなかったからである。
そのまま、二刻ほど、過ぎた頃だった。馬の嘶きが聞こえ、誰かが、多賀城へ到着したのがわかった。一同の表情に緊張が走った。敵が、奥六郡の軍勢が、黄海の勝利の勢いを駆って、多賀城まで攻め込んで来たのかもしれない。しかし、不安はすぐに解消された。公脩の部下が、大宅光房の到着を知らせたのである。
直後、朝議の間の扉が開き、数人の男が、今にも倒れそうな様子で、室内へと入った。光房の他には、藤原季俊・物部長頼・海野幸家・下毛野興重の四人と、光房の郎党三人であった。彼等は、安倍良照の軍勢に襲われた際に、頼義を逃がすための囮となり、たった十八人で、二百の軍勢に戦いを挑んだのである。
「光房、無事であったか。」
光任は、安堵の表情を浮かべ、息子を迎えた。
「将軍、御曹司、それに父上達も、皆様、ご無事でしたか。我等は、敵を蹴散らして、何とか逃げ延びたものの、九人の郎党を失いました。」
「そうか・・・。他には、源氏の郎党の中で、生き残った者たちはいたのか?」
「わかりませぬ。なにぶん、我等も、自分達が生き延びるために精一杯だったので・・・」
光房は、暗い表情で、光任に答えた。
「無事であれば、貴殿達の様に、多賀城へと戻るであろう。今の多賀城には、敗残兵を迎えに出すだけの兵力はない。待つしかないのじゃ・・・」
公脩は、無事の帰還を祈ることしかできない、己の無力さを感じた。
「経清は、経範と致輔、為清を殺したと言っておったな。」
頼義が、力無く、小声で呟いた。
「はい。そう言っていました。」
景通が、暗い表情のままで、頼義に返事をする。
「ああ。経範。致輔。彼等は、光任、景通、そなたらと共に、わしの股肱の臣であり、かけがえのない友であった・・・」
頼義は、絶望に満ちた声で呟いた。
「経範と致輔を失い、わしは、これから、どうすればよいのか・・・」
源氏の棟梁の嘆きに、誰も、何も答えることが出来なかった。
それから、三刻程が、過ぎただろうか。再び、馬の嘶きが聞こえた。先程よりも、明らかに多くの気配がする。今度こそ、敵が、多賀城に攻め寄せたのかもしれない。義家と則明、貞衡、範季は、刀を手にすると、朝義の間の扉を開き、急ぎ、外へと飛び出した。
彼等の目に飛び込んだのは、五十名を越える負傷兵が、這う様に歩きながら、城内に入ろうとする姿であった。その中には、平常長、藤原茂頼の姿も見える。茂頼は、髪の毛を剃り落とし、鎧を脱ぎ捨てた、僧侶の姿に変わっていた。
「茂頼殿、常長殿、ご無事であったか・・・」
義家・則明・貞衡・範季は、二人の姿を見ると、安堵の表情を浮かべた。そして、彼等に従っていた、五十名余りの兵を、朝義の間へと導いた。佐藤公脩は、多賀城守備のために残っていた兵を呼び、歩行が困難な負傷兵を担架で運ばせる。
「おお、茂頼、常長、無事であったか・・・しかし、茂頼、その姿はなんじゃ?」
頼義は、茂頼と常長の姿を認めると、安堵の表情を浮かべると共に、茂頼の僧形に対し、質問を投げかけた。
「将軍を探して、戦場を駆け回る中、将常殿を始め、数多の味方を失ったとの噂を聞きました。それに、父の頼清も、我が背中で死にました。故に父と、多くの仲間の菩提を弔うため、髪を剃って、戦場を彷徨ったのです。」
茂頼は、憔悴した表情で、頼義の問いに答えた。
「そうか・・・。将常は死んだか・・・。将常の息子達は?」
「武基殿、武常殿、武任殿。三人の兄弟は、将常殿を守ろうとして、揃って、討ち死にしました。前軍は、夜叉と呼ばれる、白装束の男達によって、全滅しました。生き残ったのは、おそらく、常長殿と国妙殿だけでしょう。」
「国妙は?一緒に戻ったのではないのか?」
「安倍重任に敗れ、捕虜になったと聞きました。」
「国妙が、捕虜に・・・国妙は、経清の叔父じゃ。仙北三郡の清原武則の娘婿でもある。捕虜になったのであれば、殺されることはなかろう。しかし、あの平将常の父子が、前軍が全滅するとは・・・夜叉王・・・」
頼義は、三ヶ月前に多賀城に出現した、夜叉王の姿を思い出した。
「やはり、夜叉王が戦場にいたのか。夜叉王に従う者達は、どの程度いたのだ?」
夜叉王の名を聞くと、今度は、義家が、茂頼に尋ねた。
「しかとはわかりませんが、十人以上はいたとの噂です。彼等は、吹雪に紛れるために、白装束で戦場を駆け回り、一撃で、喉元を掻き切ったそうです。実際、戦場には、喉を切られた死体が、大量に転がっていました。」
「夜叉一族が、十人以上・・・」
義家もまた、多賀城に出現した、夜叉王を思い出していた。義家にとって、夜叉王は、これまで出会った中で、最も恐るべき敵であった。単純に、剣技であれば、阿修羅王たる貞任の方が、上かもしれない。しかし、阿修羅王の剣技が、戦場における堂々たる強さを誇る技とすれば、夜叉王の剣は、闇の中、確実に人を殺すためだけの暗殺術であった。
「それにしても、茂頼、その坊主頭、よく似合っているのう。」
「そうですか。私は、未だ、自分の姿を見ていないのですが。しかし、頭が寒いのが難点ですな。この吹雪の中では、頭から先に、凍えそうになりました。」
茂頼のおどけた口調に、頼義を始め、その場にいた一同は、皆、大声で笑った。その日、多賀城で起こった、初めての笑い声であった。
翌日、そのまた翌日と、負傷した兵達が、一人一人、多賀城に辿り着いた。無傷の者は少なく、多くが、矢傷を負っていた。最初に浴びせかけられた矢の雨こそが、勝敗を分けたのであろう。四日の間、負傷兵達の多賀城への帰還が続き、その数は、三百人を越えた。しかし、残りの千五百人は、五日が過ぎても戻らなかった。
そして、黄海の戦いから十日後の十一月二十三日。奥六郡の安倍貞任からの書状と共に、多賀城に大量の壷が届けられた。壷の中には、塩漬けにされた、首が入っていた。貞任の書状には、黄海で戦死した、首の持ち主の名が記されていた。
「景季・・・死んだのか・・・」
義家は、書状に景季の名が記されているのを見ると、壷の中の首を必死に探した。義家の言葉に、藤原景通が、急いで書状を拾い上げる。範季は、義家と共に、兄の首を必死で探し始めた。各々の壷の中には、多くの源氏の郎党達の首が入っていた。
「将常・・・武基・・・武常・・・武任・・・」
頼義は、前軍の指揮官と、その息子達の首を見ることで、改めて、彼等の死を実感した。しかし、頼義の苦しみは、それだけでは終わらなかった。
「おお、経範・・・致輔・・・」
頼義は、半世紀以上に渡って、自分に仕えてくれた、二人の首を抱きかかえると、天を仰ぎながら、大声で泣き始めた。
「これは、三浦為通殿、鎌倉章名殿、そして・・・景季の首じゃ・・・」
義家は、呆然とした表情のまま、景季の首を壷から出した。
「景季・・・」
「兄上・・・」
景通と範季の父子だけでなく、藤原則明、清原貞衡も、最早、首だけになってしまった、景季を呆然と見詰めていた。極寒と塩漬けの効果により、景季の首は腐敗せずに、まるで、首だけになっても生きているかの様な錯覚を起こさせた。しかし、首から下を見れば、否、首から下が存在しない故に、彼等は、景季の死を感じずにはいられなかった。
「私は、敵とはいえ、今まで、安倍一門に、貞任に憎しみを感じたことはなかった・・・しかし、今は、景季を失った苦しみが、憎しみに変わってゆく・・・」
義家は、涙を流しながら、景季の首を抱きかかえた。
「景季よ・・・。この仇は、必ず、私が取ってみせる。安倍貞任は、阿修羅王は、必ず、私が倒してみせる。」
義家は、景季の首にそう誓った。
「義家様、私にも、景季を抱かせて下され。」
涙ながらの景通の願いに、義家は、無言のまま、首を渡した。そして、暫くの間、範季と二人、変わり果てた息子の姿を眺めていた。
「私には、兄上と過ごす時間が、余りにも少なかった・・・」
範季は、寂しそうな表情で呟いた。景季は、十六歳の年に源義家の武芸指南役となり、共に宇佐派と鹿島派で修行した。範季は、景季の二歳年下の弟で、兄とは十四歳の年まで、共に過ごした。しかし、その後は、兄の景季とは異なり、諏訪派において、修行したため、実に十年近くの間、兄と顔を合わせることがなかった。
諏訪派の師範に上り、奥六郡との決戦を控え、奥州へ下向した、範季は、約十年ぶりに兄の景季と再会したのである。しかし、わずか、二週間足らずで、範季は、兄と永遠の別れに臨まなければならなかったのだ。
「兄上。これからは、私が、兄上に代わり、源氏の御曹司をお守りいたします。」
範季も、また、景季の首に誓いを立てた。
「義父上・・・」
景通は、景季の首を範季に預けると、今度は、鎌倉章名の首を手に取った。藤原景通は、鎌倉章名の娘婿で、鎌倉郡の所領を、章名より、譲り受けていた。景通は、安倍貞任に、息子と義父を殺されたのである。景通には、父子共に無事に戦場を脱出した、大宅光任と光房が、羨ましいとさえ感じられた。なお、景季と範季の母は、章名の娘ではないため、二人には、章名との血の繋がりはない。
「経範、致輔、為清、為通、章名、将常、武基、武常、武任、そして、頼清。皆、死んでしもうた。源氏の郎党達が、皆、わずか、一日の戦いで死んでしもうた・・・」
頼義は、並べられた首を眺めながら、まるで、気が触れたかの様に、何度も繰り返し、呟き続けた。無理もなかった。源氏の棟梁である、頼義にとって、源氏の郎党達は、鉄の結束を誇る、家族以上の存在であった。その郎党達を、一気に十人以上失ったのである。頼義は、余りに深い哀しみに沈み込んだが故に、正気でいられなかったのであろう。
最終的に、黄海の戦いで死去したのは、次の通りである。佐伯経範、和気致輔、紀為清、三浦為通、鎌倉章名、平将常、秩父武基、豊島武常、小山田武任、藤原頼清の十人の源氏の重鎮。そして、千五百の坂東の精鋭であった。
更に十日が過ぎた、十二月三日。奥六郡の捕虜となっていた、平国妙、金為時、平忠清、平助衡、平忠衡が、釈放され、多賀城に到着した。彼等を迎え入れた多賀城は、不気味な程に静まり返ったままであった。鎮守府将軍兼陸奥守の源頼義は、絶望の淵に沈み込み、病の床に伏したのである。
年が明けて、天喜六年(1158年)二月。奥六郡の軍勢は、衣川関を越えて、陸奥国南部に侵出を始めた。それは、溜まりに溜まった衣川の水を、関が支えきれずに溢れ出す様に、陸奥国衙は、奥六郡の軍勢が溢れ出すのを押さえることができなかったのである。
まず、隣接する気仙郡に、金為行の率いる五千の軍勢が侵出し、郡司の金為時に撤退を迫った。為行は、気仙郡司金為時の弟である。弟の説得に、為時は、一戦も交えぬまま、父の為尚と、わずかな郎党のみを連れて、気仙郡を抜け出し、多賀城へと逃れた。為行は、兄の為時に代わって、気仙郡司の館に入り、気仙郡の政務を司った。その館は、為行が、生まれ育った館でもあった。こうして、気仙郡は、安倍一門の傘下に入ったのである。
奥六郡の軍勢の南下は続いた。藤原経清は、一万の軍勢を率いて、衣川を出ると、一直線に南下し、何の抵抗も受けぬまま、二月十日には、亘理郡に至った。藤原経清は、元々、亘理郡の郡司であり、彼の郎党の中には、亘理に家族を残している者が多かった。経清は、亘理郡を安倍一門の傘下に治め、郎党達を家族の元に返したのである。
経清は、亘理郡を傘下に治めた後、東に隣接する伊具郡を占領した。伊具郡司は、海道平氏の平永衡であったが、陸奥国衙と奥六郡の合戦が始まると、奥六郡への内通を疑われ、藤原説貞に誅殺された。永衡は、伊具郡の良民から慕われていたため、良民達は、永衡を殺した陸奥国衙に恨みを抱いていた。故に、経清の伊具占領を歓迎したのである。
藤原経清は、自身の郎党の壬生行宗を亘理郡司の代官とし、五千の兵を与えて、亘理郡を守らせた。また、かっての平永衡の郎党、藤原経光を伊具郡司の代官として、同じく五千の兵を預けた。経光は、永衡が誅殺された後、主の仇である、陸奥国衙と戦うために、安部貞任の郎党になっていたのである。
経清は、亘理郡・伊具郡の良民に、赤符ではなく、白符を用いる様に命じた。「赤符」は、朝廷が、官物(官稲・官米)を徴収するための札であるが、「白符」は、奥六郡が、独自に定めた、官物徴収用の札である。つまり、亘理郡・伊具郡の良民に対して、今後は、朝廷に税を納めるのではなく、奥六郡に税を納める様に命じたのである。
気仙郡・亘理郡・伊具郡を占領した後、奥六郡の軍勢は、陸奥国の各郡へ兵を派遣した。特に奥六郡と亘理郡・伊具郡の間の賀美郡・黒川郡・名取郡・柴田郡は、瞬く間に占領下に入り、赤符ではなく、白符を用いる様になった。
更に、経清は、伊具郡から南下し、磐城郡・行方郡・標葉郡にも兵を進めた。磐城郡・行方郡・標葉郡の郡司は、平永衡の兄である、忠清と忠衡、そして、叔父の助衡であった。彼等は、経清の説得に応じ、郡司の館を明け渡し、多賀城へと逃れた。
元親安倍派の在庁官人達は、奥六郡に与同することはなかったが、安倍一門と戦う気もなかったのである。こうして、凡そ、一ヶ月余りで、陸奥国の三分の二以上が、事実上、陸奥国衙、否、朝廷の支配下から脱却し、奥六郡の支配下に移った。
しかし、安倍貞任と藤原経清は、多賀城の所在する、宮城郡には侵出しなかった。無論、多賀城を攻めることもなかった。貞任の父、頼時の遺言を守ったのである。今や、陸奥国において、朝廷に残されたのは、宮城郡周辺のわずかな領土に過ぎなかった。
「そうか・・・磐城、行方、標葉までが、貞任と経清の手に落ちたか・・・」
鎮守府将軍兼陸奥守の源頼義は、寝床から起き上がると、溜息を漏らした。その日の朝、磐城郡司の平忠清、行方郡司の平忠衡、標葉郡司の平助衡が、多賀城を訪れた。藤原経清によって、各郡が占領されたためである。藤原茂頼は、三人から話を聞くと、病の床に伏せていた、頼義の許を訪れた。佐伯経範・平将常が、黄海の戦いで討ち死にしたため、今、藤原茂頼は、大宅光任・藤原景通と並ぶ、頼義の謀臣の一人になっていた。
「彼等は、元々、安倍一門と親しい間柄でした。その上、弟の永衡が、説貞の手で誅殺されています。金為時も同様ですが、彼等は、本気で奥六郡と戦う気はないのでしょう。」
「あの経清でさえ、我等を裏切ったのだから、兄弟の忠清・忠衡が、永衡の死に恨みを抱くのも当然であろう。永衡誅殺の代償が、これほど、高くつくことになろうとはな。」
頼義と茂頼は、深い溜息をついた。頼義は、自身の陸奥守任期中に安倍頼良との戦端を開くため、阿久斗川事件を捏造し、安倍一門との合戦が始まると、安倍頼良の娘婿である、平永衡を誅殺した。永衡誅殺は、公式には、陸奥権守の藤原説貞が、独断で行ったことになっているが、最早、誰もが、頼義の命令であることを理解していた。
「あの裏切り者の経清めは、貞任と共に、各郡の良民に対し、朝廷の赤符を使用せず、奥六郡の白符を使うように命じているそうです。このままでは、陸奥国内の各郡の租税は、奥六郡に納められ、多賀城には全く入って来ない状態に陥るでしょう。そうなると、兵糧を集めることさえ、かないますまい。まして、奥六郡討伐のために、陸奥国内の民を徴発することは不可能です。このままでは・・・」
「奥六郡との合戦どころか、朝廷に官物を送ることもままならず、陸奥守を解任されるやもしれぬな。」
茂頼が、言いかけた言葉を、頼義が引き取った。
「税については、我が源氏の蓄えで、何とかできるが、兵糧と兵を集められなければ、奥六郡との合戦ができぬ。このままでは、絶対に引き下がれぬ。」
「それでは、陸奥国内で徴発できぬ以上、やはり、出羽に頼るしか・・・」
「しかし、出羽守の源兼長は、動かぬであろう。兼長には、先の合戦の前から、兵糧と援軍を送る様に、再三、依頼しておるのだが、全くの梨のつぶてじゃ。おそらく、仙北三郡の清原光頼の動向を怖れているのであろう。陸奥国衙と奥六郡との合戦が、出羽国にも飛び火するのではないか、とな。」
「そうなると、やはり、清原一族を動かさねばならないのでは?」
「そうじゃ。清原さえ動けば・・・」
「しかし、清原光頼は、渡嶋蝦夷の動向を怖れ、朝廷に味方する気はないのでしょう。」
「そういうことじゃ。」
頼義と茂頼は、互いに顔を見合わせると、再び、大きな溜息をついた。
「清原を動かすためには、渡嶋蝦夷を何とかせねば・・・」
降り積もる難題の数々に、頼義は、めまいさえ感じていた。
それから、一ヶ月程が過ぎた、ある夜。義家は、多賀城の自室で、眠れない夜を過ごしていた。その時、突然、布都御魂が、低い唸り声を上げた。鞘の隙間からは、青白い光がこぼれている。義家は、その音を聞くと、反射的に跳ね起きた。
「まさか・・・夜叉王か!」
義家は、布都御魂を手に取ると、両隣の部屋で寝ていた、貞衡と範季の名を呼んだ。
「貞衡、範季、夜叉王が近付いている!貞衡!則明殿と常長殿を呼んでくれ!」
貞衡と範季が、慌てた様子で部屋から出てくる。貞衡は、義家と目を合わせると、無言のままに大きく頷いて、則明の部屋へ向かった。
「夜叉王の狙いは、将軍でしょう。義家様、急ぎましょう!」
範季の言葉に、義家は、振り向きもせずに、最上階の頼義の部屋へ向かった。
「父上!」
義家は、頼義の部屋の前へ到着すると、返事も待たずに室内へと飛び込んだ。さすがに気後れしたのか、範季は、部屋の前で控えている。頼義と直子は、既に眠っていた様子で、義家が、血相を変えて飛び込むと、驚きの表情で息子を見た。
「なんじゃ!義家。こんな夜更けに、どうしたのじゃ!?」
「どうしたのです?義家?」
頼義と直子は、眠そうな目をこすりながら、ゆっくりと身体を起こした。
「父上、これを!」
義家は、布都御魂を鞘から抜き払うと、その刀身を頼義に見せた。青白く光る刀身から、低い唸り声が聞こえてくる。
「まさか・・・!」
「夜叉王です!」
頼義は、驚きの表情を浮かべながら、立ち上がろうとしたが、眩暈を感じて、布団の上に膝を着いた。まだ、病が癒えていないようだ。
「まだ、ここには来ていないようですね。」
「うむ。しかし、既に、多賀城内に潜伏している可能性が高いだろう。」
「奴が来るとすれば・・・上か!」
義家は、範季を室内に呼び入れると、頼義の寝室の窓から、屋根の上へと飛び出した。満月の光が、煌々と多賀城を照らしている。義家は、月の光を頼りに、周囲を見回した。次の瞬間、暗闇の中から飛来した刺刀が、義家の右腕を掠めた。刺刀は、そのままの勢いで、多賀城の壁に突き刺さる。
「やはり!」
義家は、刺刀の飛来した方向に目を向けた。満月の明かりの中、黒い人影が蠢いている。それも、一人ではなかった。一人、二人・・・七人はいる。
「義家様・・・敵は、一人ではないようです。」
「夜叉一族が、七人・・・」
義家と範季は、刀を構えると、目を凝らして、暗闇の中を蠢く人影を追った。
「夜叉王か!」
義家は、その人影のに向かって大声で叫んだ。すると、人影の一つが、義家の声に応えるかの様に、ゆっくりと宙を舞って、義家と範季の眼前に降り立った。同時に、他の六つの人影も、距離を置きながらも、義家と範季を取り囲んだ。
「やはり・・・夜叉王・・・」
「久しぶりだな。八幡神の生まれ変わりよ。」
夜叉王の地の底から響く様な、低い声が耳に届く。その直後、頼義の寝室の窓際から、則明と貞衡、常長が、姿を現した。人影の一人が、その瞬間を狙って、刺刀を放つ。
「則明殿!」
義家の声に、則明は瞬時に状況を悟ると、咄嗟に身体を捻って、刺刀をかわした。
「さすがは、鹿島派の師範、藤原則明か。」
夜叉王が、感嘆の声を上げる間に、則明・貞衡・常長は、義家と範季の許へ駆け寄った。
「貴様、多賀城に何の用だ・・・」
義家は、布都御魂を突きつけながら、夜叉王に尋ねた。刀は、未だ、青白い光を放ったままで、否、寧ろ、その輝きを増している。
「布都御魂か・・・やっかいな存在だな。貴様の首と共に頂戴することにしよう。」
夜叉王は、義家の問いには答えず、青白い光を放つ、布都御魂を見詰め続けた。
「狙いは、父上か!」
「そうだ。我等、蝦夷の平和を脅かす、頼義の首を貰い受けに来た。」
夜叉王は、腰の帯から二本の小太刀を引き抜くと、逆手に持ち替え、義家に突進した。同時に、満月の影に潜む、六つの人影も、一斉に跳躍して、則明、貞衡、常長、そして、範季に斬りかかる。義家は、夜叉王の振り下ろす二本の小太刀を、布都御魂で受け止めた。貞衡と範季は、夜叉一族の小太刀を、各々、前後に動いてかわしてゆく。
則明と常長は、敵と同様に宙を舞うと、各々、夜叉一族に斬りかかった。空中で、鉄と鉄がぶつかり合う、激しい金属音が鳴り響く。則明の振り下ろした刀を、夜叉の一人が、小太刀を交差させて受け止めたのである。則明は、そのまま、刀を握る両の手に、あらん限りの力を込めた。夜叉の一人は、則明の力を受け止めきれず、空中で均衡を崩した。
夜叉の一人が、屋根の上に背中から落下する。一方、常長は、空中で、夜叉の一人と交差しながらも、互いに刃が届かず、二人は、そのまま、屋根の上へと舞い降りた。
「藤原則明・・・さすがは、経清殿と並び称される、鹿島派の双頭。我等、夜叉一族と互角に戦えるとはな!」
「貴様も、余所見をしている閑はないぞ!」
義家は、布都御魂に渾身の力を込めて、夜叉王を弾き飛ばした。夜叉王は、空中で一回点すると、何事も無かったように、再び、屋根の上に舞い降りた。
「距離を取れ。接近戦では、我等に不利だ。」
夜叉王の命令に、六人の夜叉は、再び、遠巻きにして、義家・則明・貞衡・範季・常長の五人を取り囲んだ。頭上には、満月が輝きながらも、彼等の顔は、闇に沈んでいる。
次の瞬間、夜叉王を除く、六人の夜叉が、一斉に、義家・則明・貞衡・範季・常長の五人に向かって、何かを投げつけた。
「なんだ!」
義家は、反射的に暗闇から飛来する何かを斬りつけようとした。その義家の布都御魂に、鉄の鎖が、まるで蛇の様に巻きついた。同様に、範季の刀に鉄の鎖が絡みつく。常長は、反射的に左腕で受け止めようとしたために、鉄の鎖が、左腕に巻きついた。
則明は、自分に向かって来る二本の鎖を、右に左に動いて、難なくかわしていた。一方、貞衡は、二本の鎖を避けきれずに、右手の刀を叩き落とされ、更に右足に鎖が絡みついて、屋根の上で転倒した。
「貞衡!」
義家は、鎖に引きずられそうになる、貞衡を横目で見ながら、布都御魂を持つ両の手に全身全霊の力を込めた。
「この程度の鎖など!」
夜叉の一人は、鎖を手にしたまま、余りの義家の膂力に抵抗しきれず、引っ張られる形になった。危険を感じたその人影は、思わず、鎖を手から離す。義家は、布都御魂を大きく一振りして、刀身に巻きついた刀を振り落とした。
刹那、再び、四人の夜叉が、義家に向かって、鎖を放った。義家は、布都御魂に巻きついた鎖に気を取られていたため、反応が遅れた。四本の鎖が、義家の右手・左手・右足・左足に、まるで生き物の様に絡みつく。
「しまった!」
義家は、両手両足の自由を奪われながらも、何とか、布都御魂を手放さずに堪えた。
「義家様!」
唯一、身体の自由が利く、則明が、義家を助けるために駆け寄ろうとする。その正面に、夜叉王が降り立ち、二本の小太刀で、則明に斬りかかる。
「邪魔だ!」
則明は、夜叉王の攻撃をかわすと、義家の許へ急ごうとしたが、夜叉王に阻まれ、義家に容易に近づけない。常長は、左腕に鎖を巻きつけたまま、夜叉の一人と、引っ張り合いを続け、身動きが取れない。その間、貞衡は、右足に巻きついた鎖に引き摺られ、屋根の上から、地上へと落ちかかっていた。範季は、鎖の絡みついた刀を手放すと、懸命に手を伸ばして、貞衡の手を掴み、地上への落下を防いだ。
「すまぬ。範季殿。」
貞衡は、苦しい表情のまま、右手一本で自分を支えている、範季に礼を述べた。義家は、両手両足の自由を奪われながらも、全身の力を振り絞って、懸命に鎖を手許に引き寄せようとした。しかし、さすがに四人が相手では、義家にも、成す術がなかった。
全身の自由を奪われた、源義家。夜叉王と対峙する、藤原則明。左腕に巻きついた鎖で、夜叉の一人と綱引きを続ける、平常長。右足に絡みついた鎖に、引き摺り落とされそうな、清原貞衡。そして、その貞衡の右手を掴み、身動きが取れない、藤原範季。五人が、絶対絶命の危機に陥ったことは、明白であった。
その時であった。煌々と輝く、満月の光を背に、何者かが、天空から舞い降りて来た。少なくとも、彼等の目には、そう映った。真っ白な衣に、流れる様な黒い髪。
「天女・・・?」
義家が、そう呟いた時だった。天空から舞い降りつつある天女が、滑らかに両腕を動かした。瞬間、義家の両手両足の自由を奪っていた、四人の夜叉が、呻き声を上げながら、手にしていた鎖を放した。それも、四人同時にである。
「なんだ?」
義家は、不可解に思いながらも、貞衡を救うために、範季の許へ急いだ。天女は、多賀城の屋根上に舞い降りると、再び、夜叉に向かって、何かを放つ動作をした。
「ぐっ!」
常長の左腕と、貞衡の右足に絡みついた鎖を握っていた、二人の夜叉が、先程と同様に、何かの衝撃を感じて、思わず、鎖を手放す。貞衡は、右足が自由になると、義家と範季に腕を掴まれながら、屋根の上に這い上がった。
白い羽衣を纏った天女は、フワリと、まるで浮かぶ様に飛び上がると、則明と対峙する、夜叉王に向けて何かを放つかの様に、右手を動かした。義家は、その右手を目を凝らして見つめたが、何も見ることができなかった。しかし、夜叉王は、瞬時に何かを悟ったのか、宙に舞い上がって、その軌道から身をかわした。
「貴様・・・月読か!」
夜叉王は、憎しみの込もった目で、黒髪の天女を睨み付けた。
「つくよみ・・・?」
夜叉王の口から出たその名に、義家達は、互いに顔を見合わせた。しかし、誰もその名を知る者はいないようだ。
「月読が、何故、奥州にいるのだ!?」
夜叉王は、一箇所に留まらず、空中を舞い続ける、月読を睨みながら、問いかけた。
「無論、夜叉王、そなたが、多賀城に現れたとの噂を耳にしたからだ。」
凛として美しい、それでいて、冷え冷えとする声が、満月の夜に響き渡った。夜叉王は、六人の夜叉一族に合図を送ると、多賀城の最上段の屋根上に集結させた。
「気をつけろ。奴は、目に見えない程に細い、針を使う。その針によって、精密に敵の活殺点を射抜くのだ。」
六人の夜叉は、腕の激痛の走った位置に手を当てると、何かを抜き取った。義家達の位置からでは、月の明かりだけでは、果たして、それが何なのかはわからなかった。義家・則明・貞衡・範季・常長の五人は、その間に、頼義の寝室の窓の前に集まった。
「あの女・・・月読とは・・・何者だ・・・?」
義家の問いに、則明・貞衡・範季・常長は、誰一人、答えることができなかった。
「しかし、夜叉一族を敵としている以上、我等の味方と考えて良いのでは?」
「そう願いたいな・・・」
則明の言葉に、一同は、互いに顔を見合わせながら頷いた。
「奴を取り囲め!」
その間に、夜叉王は、一族の者達に指示すると、六人の夜叉は、一斉に散って、月読と呼ばれた女を取り囲んだ。どうやら、夜叉王の標的は、義家達から、完全に月読へと移ったようであった。六人の夜叉が、月読を目掛けて、同時に鉄の鎖を放つ。しかし、月読は、まるで、本当に宙に浮かんでいるかの様に、しなやかな動きで、全ての鎖をかわした。
「我等も、戦うぞ!」
義家は、四人の仲間に声をかけると、夜叉王のいる位置へと跳躍し、布都御魂で斬りかかった。則明・貞衡・範季・常長の四人も、各々、夜叉一族に向かって斬りかかる。
「布都御魂・・・あれが、八幡神の生まれ代わりか・・・」
月読が、青白い光を放つ、布都御魂を認めて呟いた。白い衣の天女は、月夜の虚空を舞い踊りながら、次々と何かを放ってゆく。天女の腕が、一振りされる度に、夜叉一族は、苦悶の表情を浮かべ、身体の自由を失っていった。一人、夜叉王のみが、驚くべき身体能力によって、月読の放つ針をかわし続けていた。
「ちっ!まさか、月読が現れるとは・・・」
夜叉王は、動きが明白に鈍くなった、六人の一族を見ながら、悔しそうに舌打ちした。月読の針が、各々の活殺点を正確に射抜いて、手足を麻痺させていたのである。そこへ、義家達が、斬りかかった。夜叉一族は、成す術もなく、逃げ回るしかなかった。
唯一、夜叉王は、月読の針から逃れながらも、義家と刃を交えていた。しかし、形勢が逆転したことは明らかであった。夜叉王は、渾身の力を込めて、義家を蹴り飛ばすと、口笛を吹いて、夜叉一族に合図した。六人の夜叉達が、則明、常長、貞衡、そして、範季の刃から、かろうじて逃れながら、夜叉王の許へ集結した。
「次に会った時が、貴様の最後だ。八幡太郎!」
夜叉王は、それだけを言い残すと、六人の一族と共に、北に向かって跳躍した。そして、凄まじい速度で、屋根の上を駆け抜け、多賀城から姿を消した。
「逃したか・・・というよりは、助かったと言うべきか・・・?」
義家は、呟きながら、満月を眺めた。月読も、今まさに、多賀城から立ち去ろうとするところであった。
「待ってくれ!そなたは、何者だ!我等の味方なのか!」
「布都御魂の主の貴方が、夜叉王と闘う宿命を背負っているのと同様、私も、夜叉王と闘い続ける宿命です。いずれ、また会うことになるでしょう。八幡神の生まれ代わりよ。」
義家は、天女が、天空に再び舞い戻った方向を、いつまでも見つめ続けていた。
康平元年(1058年)九月十九日。陸奥国衙多賀城に、千名余りの武家の一団が到着した。鎮守府将軍兼陸奥守源頼義の呼びかけに応え、その苦境を救うために来援した、源氏の武士団である。黄海の敗戦によって、頼義は、多くの坂東武士を失った。その上、陸奥国は、その多くが、奥六郡の支配下に置かれ、兵の徴発さえも難しい。京の公卿達は、遥か遠くの最北の地、奥州の合戦には興味がなく、朝廷の支援は得られそうになかった。そのため、頼義は、諸国の同族、源氏の一門に支援を求めたのである。そして、その千余名の中には、源頼義の次男で、義家の三歳下の弟である、加茂次郎義綱の姿もあった。
源頼義の呼びかけに応じたのは、源頼季・満実の父子と、源頼遠・有光の父子であった。頼季は、源頼信の三男で、頼義の弟である。長元四年、源頼信は、平忠常の乱を鎮圧した。頼季は、父と共に忠常鎮圧の功績が認められ、信濃国高井郡井上に所領を得た。
その後、頼季は、井上郷の開発に邁進していたが、兄の頼義の苦境を聞くと、信濃国の近隣の武家に支援を求め、多賀城に駆けつけたのである。頼季の息子の満実は、父が信濃国を本拠地とした際に、諏訪派の門弟となって、師範代にまで上った。そして、父と共に頼義の要請に応えるべく、奥州に下向したのである。
一方、源頼遠は、源頼親の三男である。頼親は、源満仲の次男で、源頼光の弟、源頼信の兄である。故に、頼義と頼季の兄弟にとっては、従兄弟に当たる。頼遠の父、頼親は、兄の頼光と共に藤原道長に仕え、「殺人の上手」と称された、武勇の士であった。大和守に三度任官し、大和国の所領拡大に努めたため、頼親の子孫は、大和源氏と呼ばれた。
しかし、大和国には、春日大社・興福寺・東大寺などの権門勢力が、広大な所領を有していたため、頼親は、権門勢力と所領を巡って争い続けることになる。そして、永承四年(1049年)、次男の頼房が、興福寺との間で合戦を起こし、多数の死者を出すと、興福寺の訴えにより、頼親も責任を問われ、頼親・頼房の父子は、土佐国に配流された。
頼遠は、合戦には直接関わらなかったため、配流はされなかったが、解官されたために、息子の有光と共に、摂津国福原の所領において、隠居同然の暮らしを送っていた。頼遠は、最早、京での昇進を諦めていた。そこで、頼義の苦境を知ると、奥州という新天地に活路を求め、頼義の呼びかけに応じて、多賀城に赴いたのである。
源頼季・源頼遠の他にも、頼義のもう一人の弟の頼清、源頼光の次男で、頼義の従兄弟の頼国、頼光の五男の頼綱などが、頼義の苦境に手を差し伸べようとしたが、官職に就いているために奥州に下向することができず、代わりに、郎党のみを陸奥国衙多賀城に送ることにした。そのため、京近郊の源氏の郎党達は、源頼遠の傘下に入り、また、信濃国・美濃国・近江国などの郎党達は、源頼季の傘下に入って、奥州へ下向したのである。
源頼季と源頼遠は、各々、信濃国・摂津国を発つと、相模国の武家、佐伯経秀の案内で、上野国で合流した。既に、陸奥国全域が、奥六郡の支配下に入っているため、個別に少数の兵力で陸奥国に入れば、多賀城に辿り着く前に、奥六郡の兵に襲撃される恐れがある。しかし、千名もの軍勢であれば、奥六郡の兵達も、容易に手出しはできなくなる。その狙いは適中し、一行は、敵の襲撃を受けることなく、無事に多賀城に入城したのであった。
「義綱!」
多賀城に到着した一行を迎えた、源頼義とその妻、直子は、先頭に立って城内に入った、馬上の若者の姿を認め、歓声を上げた。その馬上の若者こそ、源頼義の次男、義綱である。
「父上!母上!」
義綱は、父母の姿を認めると、馬から飛び降りて、急ぎ足で駆け寄った。
「おお!義綱か!」
義家は、少し離れた場所にいたが、義綱の声を聞くと、父母の傍へ急ぎ足で向かった。
「兄上!お久しぶりです!」
凛々しい顔つきの義綱が、数年ぶりに会う兄に対して、弾ける様な笑顔を向ける。
「諏訪派の師範に上り詰めたそうじゃな。」
逞しく成長した息子の姿に目を細めながら、頼義が、義綱に笑顔を見せた。
「はい。十二歳で諏訪派の門弟に連なりましたので・・・足掛け、五年かかりました。」
「十七歳で諏訪派の師範とは・・・義家が、鹿島派の師範に上り詰めたのも、十七歳であったな。義綱も、兄に劣らぬ天賦の才の持ち主であることを、証明したわけか。」
頼義は、義家と義綱の姿を、誇らしげに眺めた。
「義綱様!」
今度は、藤原範季が、父の景通と共に義綱の許へ近づいて来る。範季は、義綱と共に諏訪派で剣術を学んだ、同門の士であった。範季の父、景通は、長男の景季を義家の郎党にしたのと同様、次男の範季を義綱に郎党として仕えさせた。そして、景季は、義家と共に鹿島派で学び、範季は、義綱と共に諏訪派で修行を重ねたのである。
範季は、義綱よりも七歳年上で、父の景通の許で剣術の稽古を重ねていたため、主の義綱よりも二年程度早く、諏訪派の師範に上り詰めていた。そして、黄海の戦いの直前に奥州へと招聘され、兄の景季の死後は、義家の郎党として仕えていたのである。
「おお、範季殿。景通殿。久方ぶりです。景季殿が亡くなられたそうですね。」
義綱は、範季の顔を見ると、一瞬、笑顔を見せたが、景季のことを思い出し、即座に表情を変えた。義綱の言葉に、景通と範季も、表情を曇らせた。
「私が、必ず、景季殿の無念を晴らしてみせます!」
義綱は、真剣な眼差しで、頼義・義家・景通・範季の顔を見廻した。
「うむ。景季だけでなく、経範・致輔・将常・為通・章名達も、皆、死んでしまった。これからは、義家や義綱、若いそなたたちの力が必要になる。」
「ええ・・・」
父の言葉に、義家と義綱は、顔を見合わせながら頷いた。その時、
「兄上。お久しゅうございます。」
と、義綱を取り巻く人の輪の中に、源頼季・満実が割って入った。
「おお、頼季。よくぞ、奥州まで駆けつけてくれた。礼を申すぞ。」
頼義は、数年ぶりに再会した弟の姿を認めると、満面の笑みを見せた。
「伯父上、お久しぶりです。御祖父様がお亡くなりになった時以来ですから、十年ぶりになりますかな。」
「おお、満実か。すっかり、貫禄がついたな。」
頼義の言葉に、頼季と満実は、顔を見合わせて苦笑した。頼義の弟の頼季は、康平元年(1058年)のこの年、六十歳。満実は、三十八歳に達していた。満実は、義家と義綱の従兄弟に当たる。頼義は、女嫌いであったため、結婚が遅く、長男の義家が生まれた時には、既に五十二歳に達していた。一方、頼義の三弟、頼季には、二十二歳の年に、既に長男の満実が生まれている。義家にとって、満実は、十八歳年上の従兄弟であった。
「満実殿も、共に諏訪派で修行を重ねました。今は、師範代に上っています。」
義綱が、同門の士として、親しげな表情を浮かべながら、満実を紹介する。
「二十歳以上年下の従兄弟殿に、瞬く間に抜かれてしまいましたが・・・義家殿といい、義綱殿といい、恐るべき天賦の才の持ち主ですな。」
満実が、心底、感心した表情で、義家と義綱を見比べた。
「これで、多賀城には、義綱、範季、海野幸家の三人の諏訪派師範と、師範代の満実の四人が揃ったわけか。鹿島派・諏訪派の武勇の士が、これほど集ったことは、この日の本の歴史の中でも、多くはあるまい。」
頼義は、自分を取り囲む顔ぶれを眺めながら、誇らしげな表情を浮かべた。
「それに、仙北三郡の深江是則殿が、今や、諏訪派の師範に上っています。また、橘貞頼・頼貞の兄弟も、既に師範代に達し、直に師範に上るでしょう。そうなれば、この奥州の地には、強固な諏訪派の人脈が築かれることになります。」
「うむ。仙北三郡の清原を味方に引き入れるためにも、諏訪派の人脈を最大限に活かしてもらわなければならん。頼りにしておるぞ。」
義綱の言葉に、頼義は、満足気に頷いた。
「明日は、この奥州の地に赴いてくれた皆の歓迎の宴を開く予定じゃ。今宵は、長旅の疲れを癒して、明日は大いに楽しんでくれ。」
頼義の言葉に、多賀城に辿り着いたばかりの一同から、歓声が上がった。
「父上。お願いがあります。」
「おお、義綱。なんじゃ?諏訪派の師範に上った祝いに、何でも言うてみよ。」
唐突な義綱の言葉に、頼義は、驚いて振り返った。
「明日の宴の席で、兄上と剣術の勝負がしたいのです。」
「勝負・・・うむ。鹿島派師範と諏訪派師範の試合か。それは、面白そうだな。確か、三年前の試合では、義家が、諏訪派師範の海野幸家に勝利していたな。」
「はい。その諏訪派の雪辱を期すためにも、私が・・・」
「望むところだ。義綱。父上、私に異存はありませぬ。私も、義綱の実力が見たい。」
「そうじゃな。共に師範の兄弟の対決か・・・父として、これほどの喜びはない。」
義家の言葉に、頼義は、笑顔を見せながら、大きく頷いた。
翌日、多賀城内に設置された、演武場の周囲には、二百人近い武家が集まった。陸奥守兼鎮守府将軍源頼義の二人の息子、鹿島派師範の八幡太郎義家と、諏訪派師範の賀茂次郎義綱の試合を観戦するためである。この年、義家は、二十歳。義綱は、十七歳。若くして、鹿島派・諏訪派の免許を皆伝した二人は、間違いなく、この時代、最強の兄弟であった。
「兄上とて、容赦はしませぬぞ。」
「それは、こちらの台詞だ。弟だからとて、容赦はせぬ。」
義家と義綱は、笑いながら、しかし、真剣な眼差しで、木刀を構えた。
「二人とも、用意は良いか?」
審判役は、二人の父である、将軍の頼義が、自ら務める。頼義の傘下には、鹿島派・諏訪派の門弟が多く、どちらかの門弟が審判を務めれば、公平を期すことが難しいと考えたからである。また、誇るべき息子に成長した二人の対決を、他の者に裁かせたくないとの気持ちもあった。二人の母の直子は、演武場の北側の観戦席で、息子達を見守っている。
「はじめ!」
頼義の合図と同時に、義綱が、義家に向かって突進した。義綱の突きの一撃を、義家は、横に飛んでかわす。瞬間、縦に進んでいた、義綱の突きが、突然、直角に曲がり、義家の姿を追いかけた。義家は、驚きの表情を浮かべながらも、何とか、義綱の一振りを木刀で受け止める。義綱は、その勢いのまま反転すると、もう一度、義家に向かって、木刀を振り下ろした。木刀と木刀がぶつかり合う音が、周囲に響き渡る。
「やるな。義綱。」
「兄上こそ。私の奇襲を凌ぎ切るとは。」
義家は、義綱の木刀を力技で押し返すと、一歩下がって、再び、木刀を構えた。
「義綱様が押していますね。」
演武場の西側の観戦席で、二人の対決を見守る範季は、嬉しそうに、隣に座る海野幸家に話しかけた。演武場の東側に鹿島派の門弟達が、西側に諏訪派の門弟達が集まり、二人の対決を固唾を飲んで見守っている。この試合は、単なる兄弟の腕比べではない。鹿島派と諏訪派の師範として、代表としての誇りを賭けた戦いであった。
「いや、唐突な奇襲に、義家様は、若干、驚いただけだ。義家様は、まだ、本気になっていない。私にはわかる・・・」
天喜三年の武術大会の二回戦で、当時、十七歳だった義家と戦い、敗北した幸家には、義家の強さが、その身に刻み込まれていた。海野幸家は、信濃国・甲斐国・美濃国など、中山道諸国において、その名を轟かせたが、仮に義家と再戦したとしても、勝てるとは思えなかった。否、現在の義家は、三年前の義家を、遥かに凌駕している。その義家に勝てる者がいるとすれば、同じ血を分けた、義綱しかいない。
緊迫した空気が、演武場を包む中、今度は、義家が、渾身の力を込めて、木刀を義綱の頭上に振り下ろした。義綱は、それを自身の木刀で受け止める。
「まだだ!」
義家は、木刀を持つ両腕に更に力を込める。その凄まじい力を支え切れずに、義綱は、思わず、両膝を着いた。瞬間、義家は、瞬時に木刀を振り上げると、再度、義綱の頭上に、あらん限りの力を込めて、木刀を振り下ろした。
そのわずかの隙を突いて、義綱は、右に飛んで、義家の木刀をかわす。
「今の一振りをかわすとは、な。」
義家の言葉に、義綱は、肩で息をしながら、頷くことしかできなかった。
「では、これはどうだ!」
義家は、木刀を右手のみで持つと、義綱の左脇を狙って、水平に叩きつけようとした。義綱は、反射的に左手に木刀を持ち替え、義家の一振りを受け止めようとする。次の瞬間、義家の右手の動きが止まった。同時に、義家は、木刀を軽く投げる様に左手に持ち替え、今度は義綱の右脇腹に思い切り叩き付けた。
「ぐっ!」
義綱は、左半身に神経を集中させていたために、突如、右から襲った、義家の一振りを受け切ることができなかった。義綱の呻き声が上がると同時に、義家は、更に一振りして、義綱の左手から、木刀を叩き落とした。
「勝負あったな。勝者、義家!」
頼義の言葉に、演武場東側の鹿島派の門弟達が、割れんばかりの歓声を上げた。
「さすがは兄上。やはり、私には、兄上ほどの天賦の才はないのでしょうか。」
義綱は、口惜しそうに兄に語りかけた。
「それは違うぞ。義綱。私が勝ったのは、才能のおかげではない。そなたより、三年、長く生きているからだ。三年、長く努力したからだ。そなたも、努力を続ければ、三年の後には今の私と同等か、もしくは、それ以上の強さになるであろう。」
「しかし、その時には、兄上は、更に三年分、強くなっているのでしょう。」
「そうじゃな。」
義綱の問いに、義家は、笑顔を返した。
「良いか、義綱。武家は、いつ、利き腕が使えなくなるかわからん。どちらの腕でも、同じ様に、剣を使えるようになるべきだ。それに、安倍貞任は、二本の阿修羅刀を、両の腕で自在に使いこなす。こちらも、二刀流が使えなければ、貞任には勝てぬ。」
「安倍貞任・・・阿修羅王ですか・・・」
義家と義綱の試合が終わった後、源義綱、源頼季・満実の父子、源頼遠・有光の父子の歓迎の宴が開かれた。その日の多賀城は、前年の黄海の大敗以来、十ヶ月ぶりに明るさが戻った。源氏の郎党達は、しばしの間、奥六郡との戦いを忘れ、宴を楽しんだ。