表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
源義家と藤原清衡  作者: Harry
14/16

第十三話「黄海の戦い」

 鳥海柵において、安倍頼時が死去した頃、鎮守府将軍兼陸奥守源頼義は、四千の陸奥国衙の兵を自ら率い、河崎柵を総攻撃していた。頼義としては、安倍富忠・下毛野興重・金為時の兵が、奥六郡の北方を脅かし、南方を守る兵力が手薄になっている間に、河崎柵・小松柵を陥落させて、衣川へと進撃したかった。

 しかし、河崎柵の柵主、金為行は、鎮守府将軍の兵の攻撃に、頑強に耐え続けている。この時点では、攻める頼義も、守る為行も、安倍の棟梁の頼時が、鳥海柵において、無念の死を遂げたことを、未だ知らなかった。

「え~い!既に十日が過ぎるというに、国衙の兵は、柵に取り付くことさえも、出来ぬままではないか!」

頼義は、苛立ちを抑えきれずに立ち上がると、拳を机に叩きつけた。

「四千の兵の多くは、各郡の郡司達が徴発した、ただの民です。刀や槍を持ったことのない者が大半で、訓練さえ、満足に受けておりませぬ。この十日間、兵達の戦いぶりを見るに連れて、そのことを実感しました。」

頼義の苛立ちに、佐伯経範が、宥める様に応えた。

「延暦の阿弖流爲との戦いから、既に二百数十年。その平和の代償が、鎮守府と多賀城の兵の弱体化ということか・・・」

頼義が、苦々しい表情で呟く。

「まして、大陸では、城攻めには十倍の兵が必要と申します。河崎柵も小松柵も、城と呼ぶほどの造りではありませぬが、地形を活用した、天然の要害です。更に、安倍側は、柵攻めへの備えが十分に成されております。戦に慣れない国衙の兵達では、どれほどの数がいようと、落とすのは難しいかもしれません。」

「それでは、いったい、どうしろと言うのだ!」

藤原茂頼の進言に、頼義は、更に苛立って、怒鳴り声を上げた。


 天喜五年七月十五日、源頼義は、四千の兵を率い、多賀城を出発した。既に、前日には、安倍富忠・下毛野興重・金為時が、宇曽利に入ったとの報告が届いていた。頼義の率いる、陸奥国衙の軍勢は、同月二十日に河崎柵近郊に到着。一日、兵を休ませた頼義は、翌朝、全軍に河崎柵への総攻撃を命じた。

 河崎柵は、金為行の率いる、三千の兵が守りを固めている。また、河崎柵と連柵を成す、小松柵には、藤原業近の率いる、四千の兵が控えている。業近が、兵を率いて柵から出撃、河崎柵を攻める陸奥国衙の兵に襲い掛かる可能性は、十分にあった。

 業近は、阿修羅王の眷属と呼ばれ、奥六郡でも、剣術は貞任に次ぎ、重任に並ぶと言われている。実際、天喜三年の武術大会でも、仙北三郡では、筆頭の剣の腕を持つ、諏訪派の橘貞頼を破っている。二回戦では、藤原経清に敗れはしたものの、鹿島派師範の経清を苦戦させている。決して、油断できない相手であった。

 頼義は、小松柵を監視する兵を放ち、柵内の動静を探らせ、動きがあれば、ただちに報告する様に命じた。手許の四千の兵のみでは、河崎柵と小松柵を同時に攻めることは不可能である。河崎・小松の両柵の兵数の合計は七千。双方を同時に相手にすれば、敗北は必死であった。故に、小松柵から援軍が来る前に、河崎柵を全力で攻め落とすしかない。

 しかし、二十一日早朝に総攻撃を命じた後、実際に合戦が始まると、頼義は愕然とした。河崎柵内から放たれる、凄まじい数の矢の雨に、陸奥国衙の兵達が、城柵に一歩も近づけないのである。国衙兵は、百本の梯子を用意していたが、柵を乗り越えるどころか、柵に梯子を近づけることさえも出来なかった。

「あの矢の量はなんじゃ・・・いかに、柵内に三千の兵がいようとも、全員が同時に放てるものではない。人が放つ矢とは思えぬ・・・」

その日の夕方、頼義は、全軍を一時撤退させると、陣幕に諸将を集めた。

「あれは、もしや、諸葛弩ではありますまいか?」

頼義の問いに、大宅光任が答えた。

「かって、御曹司と共に、九州の宇佐で修行をした折に、諸葛弩を見せて頂いたことがあります。弓矢においては、我が国最強と謳われる宇佐派には、先祖伝来の弓のみならず、大陸で作られた、様々な弓が保管されていました。」

「で、その諸葛弩とは、いったい、どのような弓なのじゃ?」

「宇佐派の神人の話では、かの諸葛孔明が作ったと言われ、連弩とも呼ばれるそうです。続弦を引いて、矢を設置してゆくことで、同時に複数本の矢を放つことが可能な機械です。私が見た諸葛弩は、一人用だったため、設置可能な矢の数は、十本程度でした。

しかし、神人の話では、一箇所に備え付ける様な、大型の連弩であれば、百本もの矢を同時に放つことが可能とのことでした。仮に大型の連弩が、河崎柵内に何台も備え付けられていれば、昼間の総攻撃の際に見た様な、矢の雨が可能でしょう。もっとも、御曹司であれば、私よりも詳しくご存知だと思いますが・・・」

頼義は、今回の出陣に際しても、義家を留守居役として多賀城に残していた。

「奴等、そんな物を、いったい、何処で手に入れたのじゃ!」

「十三湊でしょう・・・大陸との交易によって、得たものに違いありません。」

仙北三郡の平国妙が答えた。仙北三郡は、十三湊に近く、清原一族も、大陸との交易を行っている。国妙も、何度か十三湊に赴いた経験があった。

「河崎柵に設置されているということは、小松柵や、その他の柵にも設置されているのではないのか?いったい、奴等は、どれほどの連弩を所有しているのか・・・」

景通の言葉に、一同は、暗い表情で押し黙った。

「将軍。矢の雨で、柵に近づけないのであれば、我等も矢を用いるしかありますまい。」

重い空気が陣幕に漂う中、藤原茂頼が、思いついた様に口を開いた。

「しかし、相手は城柵の中にいるのだぞ。我等の矢は、柵に阻まれ、敵に当たるまい。」

茂頼の言葉を、景通が即座に否定する。

「無論、ただの矢では無意味です。火を使うのです。」

「火矢か!」

頼義は、ようやく納得したかの様に、茂頼に目を向けた。

「城柵を囲んでいるのは、ほとんどが、材木です。故に、火には弱いはず。大量の火矢を射掛ければ、河崎柵は炎上し、敵も柵内から出て来るか、焼け死ぬしかないでしょう。」

「なるほど・・・火であれば、いけるかもしれぬな。」

頼義は、藤原茂頼の献策を受け入れ、実行に移すことにした。


 翌朝から、陸奥国衙軍の火攻めが始まった。茂頼は、四百人の弓隊を組織し、城柵の射程距離まで近付こうとする。しかし、そこで、誤算が生じた。昨日と同様、河崎柵からは、空を覆い尽くすかの様に、何千本もの矢が降り注ぐ。しかも、連弩の放つ矢は、国衙兵の放つ矢よりも、飛距離が相当に長い。故に、国衙軍の弓隊は、連弩の射程距離外からでは、矢を放っても、柵に届かせることが出来なかった。

 頼義は、茂頼から報告を受けると、源氏の郎党達を集め、弓隊を組織し直した。武家の真髄は、弓馬の道と言われ、武家の放つ矢の飛距離は、国衙兵とは比較にならない。

「それにしても・・・義家を連れて来るべきじゃった・・・」

頼義は、義家を多賀城に残して来たことを、今更ながら悔やんだ。八幡弓を使いこなす、義家の矢であれば、連弩の射程距離を軽く超えたであろう。

新たな弓隊は、連弩の射程距離外から、次々と火矢を放った。さすがは、源氏の郎党だけあって、多くの燃える矢が、柵を構成する丸太へと突き刺さった。しかし、突き刺さった矢の炎が、予測よりも燃え上がらない。

「泥か・・・」

茂頼は、水を含んだ泥が、城柵に塗られていることに気付いた。あらかじめ、火矢の攻撃を想定していたのであろう。燃え易い丸太に直接、矢が刺さる場合と異なり、水を含んだ泥が念入りに塗られていれば、火の勢いは遥かに弱まる。

 更に、金為行の指揮下の兵士達は、非常に統率の取れた動きで、順調に火を消し止めた。火計に備えて、あらかじめ、水が用意されていたことは明らかである。敵は、陸奥国衙の攻撃に対し、万全な備えをしていたのである。

「火計も失敗か・・・」

頼義は、無念の表情で、眼前に聳え立つ、河崎柵を眺めた。それは、経範や茂頼、光任、景通等の源氏の諸将も同じであった。

 陸奥国衙の軍勢は、河崎柵を攻めあぐね、何の進展もないまま、十日が過ぎた。その間、藤原則明、藤原季俊、物部長頼等の鹿島派の勇将が、矢の雨を刀で払いながら、柵に取り付くこともあったが、連弩を恐れる国衙兵が続かないために、退却せざるを得なかった。

「このままでは、埒が明かないな・・・」

頼義が、溜息を着いた時だった。鎮守府将軍の陣幕に、伝令が到着した。気仙郡司金為時からの報告である。頼義は、急ぎ、書状に目を通した。

「為時殿からは何と?」

「富忠と為時、興重が、気仙まで逃げ帰って来たそうだ・・・」

頼義は、経範の問いに、書状に目を通しながら答えた。

「それでは、安倍頼時の討伐には失敗したのですか?」

頼義は、茂頼の問いを無視して、書状を読み続けた。為時の書状では、恐山の龍王を攻撃した後、七月二十日に安倍頼時と合戦に及び、頼時と則任を追い詰めたものの、蝦夷兵の援軍が到着したことで、形勢が逆転。富忠、興重と共に撤退し、久慈から船で気仙まで逃れたことが記されていた。

「情けない奴等め、目的も果たせず、おめおめと逃げ帰るとは!」

「いや・・・そうでもないらしいぞ。頼時を殺害することは出来なかったが、確かに、頼時に致命傷を負わせたと、記しておる。だが、その後のことがわからん。」

景通の吐き捨てる様な言葉に、ようやく、書状の全文に目を通した頼義が答えた。

「頼時の致命傷が真であれば、我等にとっては、またとない好機です。我等より先に、既に、河崎柵にも伝わっているでしょう。しかし、柵内には、動揺が見られませぬ。」

「ええ。河崎柵の兵の士気は、全く落ちていません。しかし、十日が過ぎても、小松柵の藤原業近が、柵内に籠もったままで、為行を支援するわけでもなく、我等を攻撃しようとしない点も気になります。頼時が負傷したために、安倍側は、柵から出て迂闊に攻撃をしないように、徹底して守りを固める方針かもしれぬ。」

頼義は、経範と茂頼の会話を、腕組みをして、押し黙ったまま聞いていた。

「とにかく、ここは、無闇に柵を攻めずに、情報を集めるべきでしょう。頼時の負傷がどの程度なのか、安倍一族の方針にどのような影響が出るのか、見極める必要があります。衣川からの密偵の報告を待ちましょう。」

「うむ。更に、頼時に致命傷を負わせた時の様子を、詳しく知りたい。富忠・為時・興重を、気仙からこの陣中に向かわせる様に使者を出せ。」

頼義の命令に、経範は、伝令兵を呼んで、気仙へと走らせた。


 二日後の八月三日、河崎柵攻めの本陣に、安倍富忠・金為時・下毛野興重が到着した。三人が、頼義の陣幕に入ると、富忠は、興奮した様子で、驚くべき事実を告げた。

「先程、私の密偵から、報告がありました。去る、七月二十六日。安倍頼時は、鳥海柵で死んだそうです。」

「なんじゃと!本当か、それは!」

気仙郡に逃げ帰った三人を、叱責しようと待ち構えていた頼義は、その報告を聞くと、驚いて立ち上がった。頼義だけではない。その場に居並ぶ諸将が、一斉に立ち上がって、富忠を見た。皆の顔には、歓喜の表情が浮かんでいる。

「そうか・・・頼時が死んだか・・・」

頼義は、笑顔を見せた後に、少し、寂しげな表情に変わった。奥六郡の覇者と呼ばれる、頼義にとって、最大の競敵が死んだのである。ある種の虚脱感であった。

「頼時が死んだとなれば、安倍一門は動揺し、結束は乱れ、士気が下がっているはず。今こそ、奥六郡に攻め込む、好機です!」

「いや、富忠殿の逃亡によって、奥六郡には、北方からの脅威がなくなりました。故に、全兵力を河崎・小松の両柵に集めて来るでしょう。それに、安倍一門は、棟梁を殺されたことで、復讐に燃えて、逆に士気が高まるやもしれません。」

頼時の死に、一同は、感情が高ぶっていた。その高ぶる気持ちを抑えられず、攻撃を主張する景通に対し、経範は、一同の興奮を静めるかの様に、冷静に分析した。

「それに・・・貞任は侮れませぬ。」

恐山から逃げ帰ったことを恥じていたのか、それまで、富忠の後ろで沈黙を守り続けていた為時が、遠慮がちに口を開いた。

「貞任のみならず、恐山の龍王も健在です。龍王は、表に出ようとはしませんが、蝦夷の多くは、俘囚長の頼時に従っていると言うよりは、実質的には龍王の統率下にあると考えて良いでしょう。頼時が死んでも、奥六郡が乱れるとは思えません。」

為時の懸念を感じ取ったのか、富忠が捕捉した。

「この中で、誰よりも蝦夷と龍王に詳しい、富忠殿が仰るのであれば、間違いないでのしょう。将軍、このまま河崎柵を攻めても、敵の援軍が増えるばかりで、柵を落とすことはできますまい。ここは、一旦、多賀城に戻り、策を練るべきです。」

経範は、何の策も講じないまま、河崎柵を攻め続けても、味方の犠牲が増えるばかりだと感じていた。それどころか、安倍側の援軍が、河崎・小松の両柵に集まり、反撃に転じて来れば、今の国衙兵では、壊滅の恐れすらあった。

「しかし、多賀城に戻ったところで、兵力は変わらん。国衙の兵も、急に強くなることもあるまい。今のままでは、何年かかっても、衣川どころか、河崎柵すら落とせんぞ。」

頼義は、経範の進言に理があることを悟りながらも、心情的には、撤退を認めたくはなかった。前年の天喜四年九月の河崎柵攻めでは、敢えて、前軍を親安倍派の気仙・亘理・伊具・磐城・行方・標葉などの兵で構成したため、両軍共に本気で戦うことはなかった。

 その上、藤原経清の裏切りと、安倍貞任の多賀城急襲によって、まともな合戦の無いままに、撤退せざるを得なかった。故に、頼義は、二度までも、何の戦果もないまま、陸奥国衙多賀城に戻りたくはなかった。第一、朝廷に何と報告すれば良いのか。

「将軍。帝の宣旨は、安倍頼時の追討です。今回は、安倍頼時の殺害に成功したので、本来の目的は果たしたと言えます。これほどの戦果は、考えられません。朝廷には、頼時討伐の戦果を報告し、追討継続のための援軍と兵糧を願い出ればよろしいでしょう。」

経範の余りにも的を得た進言に、頼義は、心の中を見透かされた様な気がした。

「それに、今回の経験から考えると、最早、国衙兵では、柵攻めには役に立ちますまい。必要なのは、数ではなく、恐れを知らず、弓馬の術に優れた武家の精鋭です。」

「そうじゃな。全土から源氏の郎党を総動員し、次こそは、河崎柵を落とすのじゃ!」

頼義は、雪辱を誓いながらも、四千の国衙兵に、撤退を命じた。


 数日後、安倍貞任は、恐山の龍王の許を訪れていた。安倍の棟梁として、今後の安倍一門と蝦夷の行く末を話し合うためであった。恐山菩提寺の奥の院は、闇と静寂が支配する世界であり、蝋燭の微かな揺らめきのみが、龍王と貞任の影を浮かび上がらせていた。

「今回は、義父の金為行殿が、河崎柵を守り抜いてくれましたが・・・鎮守府将軍も、次こそは、河崎・小松の両柵を落とすための策を用意してくるでしょう。更に、弱体化した国衙兵ではなく、源氏の精鋭を繰り出して来るに違いありません。そうなれば、柵を破られるのは必死。こちらも、策を練らねばなりません。」

「阿修羅王よ。合戦における、必勝の策とは何だと思う?」

龍王は、貞任の気負いを制する様に、質問を投げかけた。

「兵は奇道なり、と申しますが・・・。」

「そうじゃ。その奇道とは、具体的には、何を意味するかわかるか?」

龍王は、貞任の答えを肯定しながらも、更に質問を続けた。

「奇襲ですか?」

「そうじゃ。奇道とは、敵が思いも寄らぬ場所からの攻撃。そして、あらゆる合戦における、必勝の策とは、奇襲の他に、もう一つ。包囲じゃ。味方が、敵の前方で戦っている間に、敵の背後から姿を現し、包囲殲滅する。先の合戦で、頼時が死んだのも、敵が背後から現れ、包囲されたためじゃ・・・」

龍王が、頼時の名を口にした時、貞任の表情が、一瞬、動いた。

「源氏は、安倍一門が、河崎・小松の両柵の守りを固めて、源氏の軍勢を待ち受けていると、思い込んでいるはず。その軍勢が、河崎柵に達する前に、奇襲を仕掛けるのじゃ。更に、敵を前後から包囲できる場所が良い。源氏の軍勢の進路を予測し、その進路上で、敵を包囲殲滅する場所を探しておかねばならん。」

「なるほど・・・さすがは、龍王様。兵法においては、この国に、龍王様の右に出る者はいないでしょう。」

貞任は、龍王の策に、心の底から感嘆の声を上げた。

「そして、もう一つ・・・裏切り者は、始末せねばならん。」

「富忠の大叔父・・・」

貞任は、そこまで言いかけた時、突然、左隣に人の気配を感じ、目を移した。いつの間にか、黒装束の男が、自分の隣に座っている!

「久しぶりだな。阿修羅王。」

黒装束の男は、貞任と目を合わせると、抑揚の無い声で挨拶した。

「おまえは・・・夜叉王!」

貞任が、驚嘆の声を発する。貞任は、いつから、夜叉王が、自分の隣に座っていたのか、まるでわからなかった。剣の道を究め、奥州最強と謳われる、己でさえも気付かぬとは。

「さすがじゃな・・・夜叉王。このわしにさえ、まるで、気配を感じさせぬとは・・・」

貞任は、感嘆の声を上げると、夜叉王に対し、笑顔を見せた。

「それにしても、そなた、いつ、渡嶋より舞い戻ったのじゃ?」

「先ほど。」

夜叉王と呼ばれた男の、素っ気ない返事に、貞任は苦笑せざるを得なかった。

「夜叉王は、渡嶋の渤海遺民の叛乱を平定し、先ほど、戻ったばかりじゃ。」

貞任の問いに対して、龍王が捕捉する。

「夜叉王よ。そなたの次の標的は、安倍富忠じゃ。富忠が、我等、蝦夷と安倍一門を裏切り、多賀城へ逃れたことは、聞いておろう。富忠は、奥六郡のみならず、渡嶋についても詳しく知っておる。既に、どこまで、蝦夷について、陸奥国衙に話したかはわからぬが、口を封じねばならん。夜叉王。富忠を葬るのじゃ!」

「御意のままに。」

龍王の命令に対する、夜叉王の返答は、その一言だけであった。

「龍王様。夜叉王に、鎮守府将軍の暗殺も依頼してはいかがですか?源頼義が消えれば、源氏は支柱を失い、陸奥国衙は崩壊するはず。この国には、最早、頼義を除いて、我等と戦える様な武家はおりませぬ。頼義さえ殺せば、我等の勝利は揺ぎないでしょう。」

陸奥国衙との決戦を控える貞任にとっては、敵は、富忠ではなく、鎮守府将軍兼陸奥守、そして、源氏の棟梁、源頼義であった。

「源頼義の命運は、未だ、尽きてはおらぬ。命運が尽きておらぬ者に対し、暗殺という手段を使うべきではない。まずは、富忠の始末に専念するのじゃ。」

龍王は、貞任の頼義暗殺の提案を、言外に否定した。

「私が気になるのは、源頼義よりも、八幡神の生まれ代わりと言われる、源義家です。義家を生かしておけば、この先、我等にとって、最大の障害となるのでは?」

夜叉王が、静かに、抑揚の無い声で、龍王に問いかけた。

「ほう。夜叉王が、自ら獲物を選ぶとは、珍しいな。よほど、義家が気になるか・・・」

夜叉王の問いに、龍王は、微かに驚きの表情を見せた。

「確かに、源義家こそは、この先、数多の戦乱を生み、多く罪無き人を殺す宿命を背負うておる。しかし、一方で、義家こそが、天王を輔け、覇業を導く、北斗七星なのじゃ。義家だけは、絶対に殺してはならぬ。それに・・・義家は、阿修羅王とも互角に闘えるほどの男。夜叉王と言えども、葬るのは難しいであろう。」

「そうじゃ。それに、源義家は、わしが殺す。この阿修羅王が、正々堂々と義家と戦い、そして、今度は、必ず、勝つ。前回は、木刀であったが、次の勝負は真剣、阿修羅の双刀で闘う。夜叉王、義家に手出しはするなよ。」

貞任は、全身に闘気を漲らせながら、義家との再戦を誓った。龍王は、気付いていた。夜叉王が、源義家と戦いたい、という気持ちを抑え切れずにいることを。闇に生き、龍王の命令を忠実に実行する暗殺者が、己の意思で、戦いを望んでいるのである。

「武家の棟梁・・・武神・・・八幡神・・・源義家・・・」

龍王は、改めて、義家が背負わねばならない、過酷な宿命に哀れみを感じていた。


 天喜五年八月三日。源頼義は、河崎柵から撤退。翌日には、多賀城に戻った。頼義は、京の朝廷に、安倍頼時の死を伝える報告書を作成。同時に、頼時死後も抵抗を続ける安倍一門に対する、追討継続を願い出た。そして、八月十日には、鎮守府将軍の名において、東山道・東海道の諸国の官吏に対し、兵糧徴発の還付を送付した。

 更に、頼義は、坂東諸国の武家、即ち、源氏の郎党達に対し、陸奥国衙多賀城への召集に応じる様に命じた。召集時期は、稲の刈り入れ後の十月上旬。今回は、普段は、田畑を耕しているだけの農民を徴発せずに、弓馬の心得を持つ、武家のみを召集した。

 頼義は、前月の河崎柵攻めの経験から、合戦の経験のない民では、何千人いようとも、実戦の役には立たないことを悟っていた。故に、武芸を有する、少数精鋭の武家によって、奥六郡に攻め込むことを決意したのである。

 その数日後の深夜、多賀城の源義家は、異様な気配を感じて、目を覚ました。微かな、唸り声が耳に響いている。そして、壁に掛けてある、布都御魂から、光が零れている。義家は、布都御魂を手に取ると、鞘を抜き払った。

「これは・・・?」

刀身が、青白い光を放っていた。瞬間、義家は、人の気配、否、殺気を感じた。

「誰かが、多賀城に潜入しているのか?景季!貞衡!起きろ!」

義家は、前室で寝ている、景季と貞衡を起こすと、青白く光る、布都御魂を見せた。

「これは、いったい・・・?」

慌てて飛び起きた二人は、布都御魂の刀身の発する光に、目を奪われて呆然とした。

「この多賀城全体に、殺気を感じる・・・誰かが、潜入したのかもしれん。」

義家以外には、殺気が感じ取れないらしい。どうやら、布都御魂が、剣の主の義家に、何かを訴えているようだ。

「多賀城に潜入した者が、狙うとすれば、将軍しかいないでしょう!」

景季の言葉に、三人は顔を見合わせて頷くと、急いで部屋を飛び出し、陸奥守の寝室へと向かった。

「父上!母上!ご無事ですか?義家です。入ります!」

義家が、襖を開けた瞬間であった。黒装束の男が、天井から舞い降り、頼義に短刀を突き立てた。義家の声で目が覚めた、頼義と直子は、間一髪、黒装束の男の刃をかわした。

「何者!」

頼義と直子は、飛び跳ねる様に起き上がると、壁に掛けていた刀を手にした。同時に、義家と景季、貞衡が、部屋の中に飛び込む。黒装束の男は、無言のまま、障子を蹴破って、瓦屋根の上に出た。

「逃がすか!」

続いて、義家も、屋根の上に躍り出る。次の瞬間、窓枠に、短刀が突き刺さった。義家の頬から、血が流れる。わずかでもズレていたら、義家の顔を突き刺していたであろう。

「ちっ!」

義家は、舌打ちすると、布都御魂を振りかざし、黒装束の男-夜叉王に斬りかかった。布都御魂の刀身は、一段と輝きを増している。

「その剣、布都御魂か・・・すると、貴様が、八幡太郎か!」

黒装束の男は、両脇から二本の小太刀を抜くと、逆手に持って、布都御魂を受け止めた。剣戟の音が、静寂の闇に木霊する。

「貴様、何者だ!」

義家は、両腕に力を込めると、そのまま、二本の小太刀を弾き飛ばそうとした。

「夜叉王。」

黒装束の男は、一言だけ呟くと、義家の刀を弾き返し、宙に舞った。

「なっ・・・夜叉王・・・」

渾身の剣を弾き返されたためか、夜叉王の名を聞いたせいか、義家は、驚愕の表情を浮かべ、黒装束の男の姿を追った。

「義家様!」

「義家!」

義家と夜叉王を追って、景季、貞衡、そして、頼義が、窓から屋根へと飛び出して来た。その一瞬、夜叉王が、三人へ目を向けた瞬間を、義家は見逃さなかった。義家は、猛然と夜叉王に向かって突進し、垂直に刀を振り下ろした。

「・・・」

間一髪、夜叉王は、後ろに下がって、剣をかわした。頬から血が流れたのは、今度は、夜叉王の方であった。一瞬でも、動きが遅れていれば、夜叉王は、真っ二つに裂かれていたであろう。

「さすがは、八幡神の生まれ変わり。私に傷を負わせたのは、我が師と、阿修羅王以外では初めてだ。」

夜叉王は、頬の傷に指を当て、流れる血の感触を確かめた。

「阿修羅王・・・貞任殿のことか?やはり、貴様は、天龍八部衆!」

「そうだ。歴史の闇に生きる夜叉王が、敵に名乗ることはあり得ないが、布都御魂と、八幡神に敬意を払い、貴様には、敢えて名を教えたのだ。既に、目的は果たした。義家よ。阿修羅王が待っているぞ!」

次の瞬間、夜叉王は、天空に向かって跳躍すると、一気に地上まで飛び降りた。

「待て!」

義家と頼義、景季、貞衡は、慌てて姿を追ったが、闇に同化したかの様に、夜叉王の姿は見えなかった。

「夜叉王は、目的を果たしたと言っていたな。ということは、目的は、父上の首ではないということか・・・。奴の狙いは、誰だったのだ?」

義家がそう呟いた直後、頼義の表情が変わった。頼義は、夜叉王の狙いに気付いたのだ。その夜、安倍富忠の死体が、寝室で発見された。


 天喜五年(1057年)十一月。陸奥国衙多賀城は、鎮守府将軍兼陸奥守、源頼義の要請に応じた、坂東武士団で充満していた。坂東では、その年の刈り入れは既に終了し、農耕に支障はない。源氏の郎党達は、自家の郎党の内、武芸に優れた者のみを選び、源氏の棟梁の許へ駆けつけたのである。その数、実に千三百人。

 数千人を要する国衙兵に比べ、数の上では圧倒的に少ないが、武芸の技量においては、天地の開きがある。前回の河崎柵の戦いで、民を徴集して武装させただけの国衙兵では、奥六郡の攻略は不可能と考えた頼義は、数よりも、質を重視したのであった。

 慣例に従い、頼義は、千三百人の武家を、前軍・中軍・後軍の三軍に編成した。前軍の指揮官に任じられたのは、平将常。将常は、房総三国を亡国せしめた、長元の乱の平忠常の異母弟である。母は、平将門の娘。兄とは、三十二歳も年が離れており、長元の乱の折には、未だ二十代で、積極的に兄に協力することはなかったため、連座を免れた。

 平将常は、若年の頃より、頼義の父、頼信に忠実に仕え、源氏の郎党の中でも、長老格の人物であった。頼義は、この最も信頼できる、源氏一門の長老に、前軍の指揮官を任せたのである。将常は、この年、五十一歳。将常は、既に、前年の天喜四年から、多賀城の頼義の傍で謀臣の一人として活躍していた。

 将常の三人の息子、秩父武基・豊島武常・小山田武任は、父と同時期に奥州へ下向し、前年の合戦にも参加していたが、経清の裏切りの後、戦いが小康状態になると、所領の経営のために、一旦、坂東へ戻っていた。そして、春~秋にかけての農繁期が終わると、頼義の要請に応じて、再び、奥州へ下向したのである。

 平将常の前軍には、秩父平氏一門(将常とその息子達)の他に、平常将・常長の房総平氏一門も組み込まれた。平常将は、平忠常の次男で、長元の乱後、父の忠常が降伏すると、弟の常近と共に、源頼信によって京へ護送された。しかし、その途上の美濃国において、忠常が急死。常将は、連座を免れたのである。

 常将の息子の常長は、この年、三十四歳。母が、天女であるとの伝説を持ち、鹿島派においては、師範代に昇っている。天喜三年の武術大会では、初戦で諏訪派師範の海野幸家と対戦し、敗北を喫した。その後、常長は、坂東に戻ると、所領の経営と共に、農閑期には鹿島の地で、修行に明け暮れる毎日を送っていた。

 海道平氏出身で、清原武則の娘婿、そして、藤原経清の母方の叔父である、平国妙も、前軍に編成された。平国妙は、仙北三郡に所領を有し、奥州には最も詳しい。若き頃には、鹿島派で師範代を務め、その剣術の才を認められ、武則に娘婿として迎えられた。

 国妙は、坂東や、仙北三郡の合戦において不敗を誇り、「平不負」の異名を持つ。頼義は、奥州の城柵に詳しい国妙を、前軍の副将に任じていた。なお、国妙は、前軍の指揮官の将常と同年の生まれで、この年、五十一歳になっていた。

 前軍の軍監には、頼義の謀臣、藤原茂頼が任じられた。茂頼は、秀郷流藤原氏の頼清の息子である。藤原頼清は、藤原経清の父、頼遠の兄であるため、経清と茂頼は、従兄弟なのである。頼清は、平忠常の乱には関わらなかったため、一切の処罰を受けなかった。

 茂頼は、経清の五歳年上であるが、鹿島派に入門したのは、経清よりも遅かった。天賦の才に恵まれた経清は、瞬く間に師範代、そして、師範に昇り、茂頼は、五歳年下の従兄弟を師と仰いだ。従兄弟とはいえ、経清と茂頼の武芸の差は、歴然としていた。

 茂頼は、鹿島派において、師範・師範代を除けば、門弟としての最高位である、一ノ位まで昇ったが、己の武芸の能力に限界を感じていた。その頃、源頼義が、陸奥守任官。東国の郎党と共に、奥州へ下向した。茂頼は、風雲急を告げる奥州に、己の新たな道を見出そうとした。そこで、鹿島宗家の國摩真人の許しを得て、藤原季俊・平常長・物部長頼と共に、源頼義の軍勢に加わったのである。

 茂頼は、陸奥国衙において、陸奥守の側近として、頭角を現した。頼義は、奥六郡の安倍頼時と戦端を開くために、謀略の才を必要としていた。しかし、頼義を筆頭に、源氏の郎党は、卑怯な振る舞いを嫌うため、陰謀には向かなかった。その中で、茂頼は、謀略の才能を開花させ、佐伯経範と共に、頼義の謀臣として厚い信任を得たのである。

 頼義は、前軍の指揮官である、平将常を信頼していたため、茂頼は、前軍の軍監に任じられたとはいえ、実質的な役割は、将常の監視ではなく、将常の参謀として機能する様に期待されたのである。なお、茂頼の父、頼清も、将常の前軍に編成されている。

 中軍は、鎮守府将軍兼陸奥守の源頼義の本陣である。故に、頼義の側近達が編成された。頼義が、幼い頃から影の様に従い続けた、佐伯経範。同じく、頼義の股肱の臣、藤原景通、大宅光任・光房の父子。相模国の三浦為通・鎌倉章名の兄弟。更に、鹿島派においては、藤原経清と双璧を成した、藤原則明が、本陣に編成された。

 また、本陣には、鎮守府将軍源頼義の長男である源義家と、その郎党の藤原景季・藤原範季・清原貞衡が配された。義家は、父の頼義が、陰謀を巡らし、強引に戦端を開いた、奥六郡の安倍一門との合戦に気乗りしなかった。しかし、坂東から源氏の郎党達が集結した今、次代の源氏の棟梁としては、参加しないわけにはいかなかった。

 藤原範季は、藤原景通の次男で、景季の弟である。景季の二歳年下で、天喜五年のこの年には、二十三歳になっていた。兄とは異なり、諏訪派に入門し、前年には師範に上り詰めている。景通は、奥六郡との決戦を前に、諏訪派の剣術を極めた息子を、奥州の地へと呼び寄せたのであった。

 後軍には、金為時・平忠清・平助衡・平忠衡・藤原光貞・藤原元貞等、陸奥国衙の在庁官人を配した。後軍の指揮官は、頼義の股肱の臣、和気致輔。致輔の孫の紀為清も、祖父と同様、後軍に配された。頼義は、合戦においては、最早、陸奥国衙の在庁官人の力を完全に見限っていた。後軍の主な任務は、予備兵と兵糧の輸送であり、実戦に参加する可能性は低い。致輔は、いわば、後軍の在庁官人達の目付け役であった。

 紀為清は、既述した通り、致輔の孫で、父は為輔である。為輔は、紀伊の豪族、紀清則の養子になって、紀姓を称したために、為清も、和気姓ではなく、紀為清と名乗っていた。為清は、十二歳の年に鹿島派に入門し、義家と同様、藤原季俊に師事した、いわば、兄弟弟子である。この年、十八歳の為清は、一ノ位に昇進し、奥州へ下向していた。

 源頼義は、多賀城に集結した、源氏の郎党の陣容に満足した。坂東武士団を中心とする、東国武家の精鋭達は、いずれも、一騎当千の強者揃いで、剣術と弓矢において、一流の腕を持つ者達であった。しかし、その点にこそ、大きな落とし穴が潜んでいることに、頼義のみならず、誰一人、気付いていなかった。

 この時代の武家には、戦術という概念が無い。頼義を始め、幾人かの武家は、『孫子』や『六韜』の名を聞いたことがあっても、実際に読んだことはなかった。武家には武家の作法があり、坂東の武家は、互いに名乗りを上げた後、一対一で、正々堂々と戦い、そして、勝利することが、最高の名誉と考えられていた。

 即ち、兵を個人ではなく、集団として捉え、機能的に活用するという、戦術が欠けているために、集団対集団の戦いは、不得手であったと言える。集団の戦いにおいても、基本的には正面から激突し、力と勢いで勝つのが、坂東武士団の合戦であった。無論、奇襲・挟撃を行う場合もあったが、戦術として理論的に浸透することはなかった。

 鎮守府将軍源頼義には、出陣直前においても、詳細な戦略は無い。今まで通り、河崎柵に押し寄せ、攻撃し、陥落させるだけであった。柵を一つ一つ潰し、衣川まで攻め上る。天喜四年九月と天喜五年七月に、同じ戦略で失敗しているが、頼義と彼の側近達は、失敗の原因が、兵の質の問題でしかないと考えていた。

 今回は、兵数は千八百と少なくとも、一騎当千の強者揃いである。その違いが、前回の失敗を克服し、今回の攻撃を成功させると信じていた。集団としての機能ではなく、個人の武勇を信じたのである。否、盲信していたと言って良い。

 無論、河崎・小松の両柵を無視したまま、衣川に進軍する戦略も協議された。しかし、その場合、両柵の兵によって、自陣の背後を突かれ、前面の敵と挟撃される可能性が高い。結局、河崎・小松の両柵を落とさない限り、衣川に進軍することは、不可能なのである。何度失敗しようとも、同じ戦略で戦うしかない。

 陸奥国や隣国の出羽国、坂東諸国から、民を徴発して兵を集めれば、五万~十万の軍を編成することが可能ではあろう。しかし、出羽国はともかく、坂東から民を徴発すれば、坂東の田畑は荒れることになり、兵が増えれば、大量の兵糧が必要になる。民を徴発して大軍を編成するのは、現実的ではなかった。

 結局、頼義に残された手段は、武芸に優れた、源氏の郎党達を集め、少数精鋭の武家によって、今まで通り、河崎柵を攻めるしかなかったのである。鎮守府将軍兼陸奥守という、奥州においては強大な権限を有する源頼義の選択肢は、意外に少なかったのだ。


 天喜五年十一月三日。源頼義は、源氏の郎党達の大半が、多賀城に集結したと判断し、鎮守府将軍兼陸奥守として、主な郎党達を、城内の大広間に集めた。

「我が源氏の郎党達よ!よくぞ、遥か、奥州の地へと集まってくれた!我等の目的は、朝敵、安倍貞任の首!出陣は、十一月十一日。まずは、河崎柵・小松柵を落とす。そして、衣川に進撃し、奥六郡を、我等、源氏の大地とするのじゃ!」

頼義の大音声は、広間を埋め尽くす、源氏の諸将の歓声によって、掻き消された。


 同じ頃、衣川の安倍館には、安倍貞任・宗任・重任・家任・正任・則任の兄弟、良照・為元、藤原経清、平孝忠、藤原業近・兼近の兄弟、藤原重久・頼久・遠久など、安倍一門が集結していた。しかし、上座に居たには、貞任ではなく、龍王であった。一同は、奥六郡周辺を詳細に記した、巨大な地図を囲んで座していた。

「将軍が、河崎柵に向かうのは、間違いないようです。」

宗任が、細長い棒で、河崎柵を指し示す。

「奴等は、今までの経験上、我等が、柵内に籠って、守りを固めると考えるであろう。故に、河崎柵に到着するまでは、油断しているはず。そこで、河崎柵に向かう源氏の軍勢を待ち構え、奇襲を仕掛ける!」

貞任の言葉に、一同は大きく頷いた。

「待ち伏せの場所は?奴等が、必ず、通過する場所・・・」

「ここ、黄海じゃ!」

宗任の問いに、今度は貞任が、細い棒で、地図上の一点を指した。

「黄海は、平原ではあるが、なだらかに起伏しているため、兵を隠しやすい。源氏の軍勢が、黄海を通過中に奇襲し、敵を分断。個々に包囲殲滅する!」

貞任は、勝利を確信した様に、力強く言い放った。

「しかし、起伏があるとはいえ、見通しの良い平原。我等の待ち伏せが、敵に気付かれるのでは?当日、大雪でも降ってくれれば良いが・・・」

経清の懸念に、誰もが互いに顔を見合わせた。

「当日は、大雪どころか、大吹雪になるであろう!必ず、な。」

一同の不安を打ち払うかの様に、龍王が、強い口調で言い切った。

「恐山に戻る時間がないので、この屋敷に護摩壇を用意してくれ。わしが、天に祈ろう。安倍氏の勝利と、源氏の敗北を。そして、吹雪を起こすことを。」

龍王の確信に満ちた口調に、その場の誰もが、安倍一門の勝利を確信した。

「源氏の軍勢は、前軍・中軍・後軍の三軍で編成されるはずです。今回は、おそらく、前軍を坂東武士団の中核で編成し、中軍は将軍の本陣とその護衛兵、後軍は兵糧を搬送する部隊でしょう。故に、我等も三軍に分けて攻撃すべきです。」

「うむ。経清殿の言う通りじゃ。我等は、一軍・二軍・三軍に四千の兵を編成する。」

経清の提案に、貞任が同意すると、一同も納得した様子で頷いた。

「第一軍は、経清殿を指揮官とし、副将を良照の叔父上、則任とする。第一軍は、敵の背後に出現し、後軍に奇襲を掛けて、奴等の兵糧を焼き払うのじゃ。続いて、第二軍は、重任、そなたが、率いるのじゃ。副将には、正任と業近、重久を付ける。第二軍は、坂東武士団が中核を成す、敵の前軍を攻めよ。第二軍には、夜叉王も加わる。」

貞任は、夜叉王の名を出すと、龍王と目を合わせた。龍王は、黙って頷く。

「第三軍は、わしが率いる。そして、敵の本陣を攻撃し、源頼義の首を取る!」

その日、四千の兵が、衣川を出発し、南へと向かった。


 天喜五年(1057年)十一月十一日、鎮守府将軍源頼義の率いる源氏の軍勢、千八百人は、多賀城より出陣した。千八百人の内、坂東から来援した源氏の武家とその郎党が、千三百。残りの五百は、陸奥国内の各郡から徴発した国衙兵である。

 陸奥国衙の兵、五百は全て、兵糧の運搬を主要な任務とする、後軍に編入されている。頼義は、鎮守府将軍兼陸奥守という、正式な官職に就いているが、合戦に傘下した兵の七割以上が、陸奥国とは関係のない源氏の郎党、即ち、私兵であった。彼等にとって、今回の合戦は、陸奥国衙対奥六郡ではなく、源氏対安倍氏の戦いであったのである。

 源氏の軍勢が出陣した翌日、十二日の昼頃より、北の空は雲に覆われ、雪が降り出した。そして、その日の夜半には、吹雪が吹き荒れ始めたのである。明朝の十三日になっても、吹雪は止むどころか、ますます、激しさを増す一方であった。

 坂東の武家にとって、奥州の猛吹雪は、初めての経験であった。激しく吹きつける雪のせいで、目を開けることさえ、ままならない。道が、雪で埋まったため、一行は、雪を掻き分けながら進まねばならなかった。余りの寒さに、人馬共に倒れる者が現れ始める。

「まだ、河崎柵に辿り着いてもおらぬのに、なんたる不運!」

頼義は、続々と現れる落伍者を横目にしながら、奥州の雪を甘く見ていたことを、認めざるを得なかった。

「将軍、兵糧を運搬する輜重が、雪の影響で泥濘に嵌り、身動きが取れないそうです。」

藤原景通は、後軍の指揮官、和気致輔からの報告を受けると、頼義に伝えた。

「ここは、どの辺りじゃ。河崎柵まで、あと、どのくらいなのじゃ?」

「もうじき、黄海に達すると思われます。通常の行軍速度であれば、あと半日ほどで河崎柵に達しますが、この吹雪の中では、二日はかかりそうです。」

頼義の問いに、佐伯経範が答えた。

「前軍と中軍は、このまま、河崎柵に進み、陣営を築く。さもないと、前軍と中軍の兵まで寒さで使い者にならなくなる。後軍には、無理に追いつこうとはせずに、後から兵糧を河崎柵に届ける様に伝えよ。」

頼義は、舌打ちをしながら、和気致輔への返答の伝令を走らせた。

「黄海か・・・」

頼義は、周囲を見渡そうとしたが、猛烈な吹雪のため、全く視界が利かない。万が一、敵が潜んでいたとすれば、目の前に来るまで気がつかないであろう。頼義は、敵の襲撃を想像すると、背筋が凍る思いだった。

と、その時だった。

「敵襲!敵襲!敵襲!」

大吹雪の中、枯れそうな叫び声が聞こえてきた。猛烈な吹雪の音に、聴覚を遮られていた頼義は、その声が、一瞬、幻聴かと勘違いした。

「後軍が、敵の襲撃を受けています!」

伝令兵は、頼義の傍まで来ると、馬から降りて一礼した。

「敵の襲撃じゃと!この吹雪の中でか?」

頼義は、信じられない表情で、伝令兵を見た。そして、ようやく気付いた。伝令兵は、行方郡郡司の平忠衡であった。

「何故、貴殿が自ら、伝令に来たのじゃ?」

「和気殿から、重大事故、私自ら、将軍に直接、報告せよと命じられました。」

忠衡は、息を切らせながら、頼義の問いに答えた。

「それほどの大軍なのか?」

「猛吹雪に視界が遮られ、数はわかりません。敵は、兵糧に火矢を射掛けております。」

「奴等め。兵糧を狙いおったか。東山道・東海道の諸国から徴発した兵糧じゃ。一戦もせぬまま、燃やしてしまっては、廟堂に対して、申し開きがたたん!経範!中軍の兵の内、二百を連れて、後軍の救援に向かえ!」

頼義は、経範を傍らに呼び寄せると、後軍の救援を命じた。

「更にもう一つ、報告せねばならぬことがあります。経範殿、お待ち下さい。」

忠衡は、急ぎ、後軍の支援に駆けつけようとする経範を押し留めた。

「なんじゃ!?早く、言わぬか。」

頼義が、苛立ちを抑えきれぬ様子で、忠衡を急かした。

「敵の指揮官は、藤原経清殿です!」

「なんじゃと!経清が!?」

既に怒りに満ちていた頼義の表情が、更なる怒りで変化する。

「おのれ!源氏を裏切り、衣川に走ったばかりか、我に刃を向けるとは。こうなれば、わしが自ら、経清の首を討ち取ってくれるわ!」

頼義は、怒りに任せて、馬首を反転。後軍の救援に向かおうとした。

「御止め下さい。本陣の将軍が動けば、軍の編成が完全に乱れ、この吹雪の中、行軍さえも不可能になります。ここは、この経範めにお任せ下さい。」

経範は、今にも駆け出しそうな頼義を、懸命に押し留める。

「わかった。中軍の兵を、二百でなく、四百連れて行け!必ず、経清の首を取れ!」

「いえ、四百では、中軍が手薄になります。経清が、後軍を襲ったということは、他にも貞任の兵が、周囲に潜んでいる可能性があります。当初の予定通り、二百で十分です。」

経範は、自身の郎党と、大宅光任、藤原景通の郎党の中から、二百を選び出すと、忠衡と共に、後軍の方向へと向かった。去り際に、経範は、頼義に向かって一礼した。これが、七十年に渡り、常に側近くにいた主従、頼義・経範の最後の別れになるとは、この時は、二人共、気付いていなかった。

「後軍の救援は、経範に任せ、我等は予定通り、河崎柵に向かうぞ!」

頼義の号令で、中軍が進軍を再開した瞬間であった。突如、法螺貝の音が、吹雪の間隙を縫う様に、周囲に木霊した。直後、無数の矢が風に乗って飛来し、中軍の武家達を襲う。凄まじい矢の数と勢いに、兵達は、次々に倒れ続けた。


同時刻、藤原経清は、後軍の運搬していた兵糧に、火矢を浴びせかけていた。

「兵糧を全て、燃やし尽くすのだ!放て!」

副将の安倍良照の命令によって、二百名の弓矢部隊は、一斉に火矢を放った。火矢は、兵糧を運搬する輜重のみならず、その周囲の国衙兵にも突き刺さる。

「兵糧を守れ!これ以上、敵に火矢を討たせるな!」

紀為清が、一部の国衙兵を率いて、猛然と敵の弓矢部隊に突入する。

「邪魔をさせるな!突っ込め!」

安倍則任は、騎馬隊と共に、為清の隊列に突入した。兵糧を積んだ輜重の周囲で、乱戦が始まった。混戦の中、騎乗の為清と則任は、互いの姿を認め合った。

「貴殿は、名のある武家とお見受けする。我は、安倍頼時の八男、白鳥八郎則任!」

「貴殿が、安倍則任殿か。我は、紀為輔の子、和気致輔の孫の為清!いざ、参る!」

「鹿島派の紀為清殿か!」

則任と為清は、名乗りを上げると、剣を抜き、互いに馬を突進させた。二人の擦れ違う瞬間、為清は、馬上から飛び上がって、則任に組み付く。二人は、雪の中に転げ落ちると、同時に飛び起き、互いに距離を取って、隙を伺う。

 雪が目に入り、為清が、一瞬、目を閉じたのが、合図だった。則任は、刀を水平に構え、為清に向かって突進する。隙を突かれた為清は、身体を捻って則任の剣をかわすと、勢い余って背中を見せた則任に対し、剣を振り下ろした。

「うぐっ!」

則任は、苦悶の表情を浮かべ、腹部を手で押さえた。指の間から、血が流れ出ている。

「さすがは、鹿島派の一ノ位・・・」

則任は、流れ出る血を手で押さえながら、鋭い目で、為清を睨み据えた。その時、馬上の経清が、二人の側に近付いて来た。

「則任殿!大丈夫か?」

「かすり傷とはいきませんが、傷は深くはありません。大丈夫です。」

経清は、馬から降りると、則任を庇う様に、為清と対峙した。

「為清殿か・・・」

「経清殿・・・」

経清と為清は、哀しい目をして、互いを見つめた。紀為清が、鹿島派に入門したのは、経清が鹿島を去り、陸奥国亘理郡郡司に任官した後であるため、二人は、直接の師弟関係は無かった。しかし、為清が、義家・景季・貞衡・則明と共に奥州へ下向した後は、鹿島派の同門として、経清との交流を深めていた。

「為清殿、退いてくれ。同門を斬りたくはない。」

「経清殿。源氏の軍勢の中には、義家様、景季殿、貞衡殿、茂頼殿、則明様など、鹿島派の門弟は、数多おります。経清殿、貴殿は、確かに鹿島派の師範でしたが、今は、朝敵にして、源氏の裏切り者。朝敵に味方して、鹿島派の名を貶めたのです。」

為清は、それだけ答えると、問答無用とばかりに経清に斬りかかった。しかし、一閃、わずかに一閃であった。経清の剣の一閃が、為清の剣を弾き飛ばしたのである。一瞬の出来事に、為清は、呆然と飛ばされた刀を見つめるしかなかった。

「わかったか・・・これが、師範と一ノ位の差だ。貴殿は、私には勝てぬ。」

経清が、刀を鞘に納めようとした時であった。

「見つけたぞ!藤原経清、そして、安倍則任!」

二人の男が、経清の前に立ち塞がった。藤原光貞と元貞。経清に斬られた、陸奥権守藤原説貞の長男と次男。則任の妻、麗子の兄達でもある。

「父の仇!貴様を殺す!」

「権守の息子達か・・・阿久斗川で貞任殿と則任殿を罠に嵌め、永衡殿を斬った張本人。私も、貴様等には遠慮はせん。説貞の許へ送ってくれる!」

為清と対峙した時とは完全に異なり、経清の目は、怒りに燃えていた。温厚な経清も、阿久斗川事件の切欠を作り、永衡を殺した説貞の一族だけは、許すことができなかった。

光貞と元貞が、二人同時に、経清に襲い掛かる。しかし、この兄弟は、鹿島派師範の経清の敵ではなかった。経清の鋭い突きが、光貞の心臓を貫く。光貞の口から、血が大量に溢れ出し、光貞の身体は、前のめりに倒れ込んだ。

「兄上!」

元貞が、驚愕と狂気が綯い交ぜになった様な叫び声を上げている間に、経清は、光貞の身体から刀を引き抜くと、元貞に向かって剣を振り下ろした。元貞の左腕が肩から落ち、大量の血が吹き出す。その鮮血は、吹雪の空に舞って、周囲の空気を赤く染めた。元貞は、余りの苦痛に断末魔の様な叫び声を上げると、その場に倒れ込んで、気を失った。

「則任殿、大丈夫か?馬には乗れそうか?」

「ええ、大丈夫です。」

則任は、立ち上がりながら、妻の兄弟の遺体を眺めた。これで、麗子は、父の説貞、兄の光貞・元貞、即ち、家族を全て失ったのだ。

「急ぐぞ!兵糧は、まだ、燃え尽きてはおらん!為清殿は、祖父の致輔殿に、兵糧を置いて撤退する様に進言してくれ。」

経清は、呆然としたままの為清に言い残すと、則任と共に輜重へ向かった。


一方、弓矢部隊を指揮していた良照は、突風と雪の影響で、兵糧の火が、予想よりも燃え広がらないことに焦りを感じていた。

「兵糧に直接、火をつけるのじゃ!突撃せよ!」

良照は、二百名の弓矢部隊に槍と松明を持たせ、兵糧を載せた輜重に向かって突撃した。その良照の前に、金為時・平忠清・平助衡とその兵が立ち塞がる。

「為時殿か。富忠と共に、宇曽利では大活躍されたそうですな。」

良照の怒気を含んだ声に、為時は、何も言い返すことが出来なかった。

「為時殿、退かれよ!為行殿を哀しませたくはない。」

「我等、金一族は、陸奥国衙と奥六郡、二つに分かれ、互いに死力を尽くして、一族を守ると決めたのじゃ。今更、退く道などない!」

「良い覚悟じゃ。忠清殿、助衡殿はどうじゃ?海道平氏は、永衡殿を通じて、安倍一門とは縁戚。貴殿等に恨みはない。撤退してくれないか?」

良照の言葉に、忠清と助衡は、顔を見合わせ、逡巡した。二人に、迷いがないと言えば、嘘になるであろう。心情的には、奥六郡に加わり、弟の永衡を誅殺した頼義と戦いたかったのかもしれない。しかし、彼等が、陸奥国南部の磐城郡・標葉郡の郡司だったために、朝敵となるわけにはいかなかった。

良照と為時、忠清・助衡が対峙している間に、後軍の指揮官、和気致輔が、三十名程の郎党と共に現れた。

「何をしている。兵糧を守るのじゃ!」

致輔は、良照と対峙したままで動かない、為時・忠清・助衡とその兵達を叱咤した。

「頼義の重鎮、和気致輔か・・・貴様には遠慮はせぬ。者共!我に続け!」

良照は、二百名の兵と共に、致輔とその郎党に向かって進撃した。乱戦が始まり、そこかしこで、剣戟の音が響き渡る。吹雪の中、真っ白い雪の世界は、戦う男達の体から吹き出す血飛沫によって、紅に染まった。為時と忠清、助衡も、気乗りしない様子ながらも、乱戦に加わり、奥六郡の兵達と戦っている。

乱戦の最中、致輔は、敵兵に囲まれ、左足に槍を受けた。思わず、雪の大地に膝を着いた彼の背中を、別の兵の槍が襲う。

「祖父様!」

という声が聞こえるのと同時であった。為清の剣が、致輔を襲った兵を、背中から切り裂いた。絶命した兵は、致輔に覆い被さる様に倒れた。

「大丈夫ですか?」

「為清か・・・」

為清は、兵の死体をどかすと、致輔を助け起こした。致輔の顔が、苦痛に歪んでいる。

「足をやられただけじゃ・・・」

致輔が、そう呟いた時だった。兵糧を積んだ輜重が、赤々と燃え始めた。しかも、一台ではない。火は次々と燃え広がり、何台もの輜重が炎上した。経清が、油を使って、直接、輜重を燃やしたのである。

「ああ・・・兵糧が・・・東山道・東海道の諸国から徴発した、大切な兵糧が・・・」

致輔は、絶望的な表情で天を仰いだ。その時、吹雪の合間から、藤原経清と安倍則任が、傘下の兵五百と共に姿を現した。

「経清・・・この裏切り者め!」

致輔は、憎しみを込めた目で、経清を睨んだ。為清は、足を負傷した祖父を庇う様に、経清の前に出て、刀を構えた。

「兵糧は燃え尽きようとしている。今更、戦っても無駄だ。」

経清は、輜重に燃え広がる炎に目をやりながら、冷たい口調で言い放った。その時、

「致輔殿!」

という声と、雪の上を走る馬の音が、吹雪に乗って、彼等の耳に届いた。

「経範殿か!」

致輔の叫ぶ声と同時に、吹雪を掻き分ける様に、佐伯経範と二百の兵が姿を現した。

「兵糧が・・・」

経範は、炎上する輜重に気付くと、声を失った。同時に、経清の存在に気付いた。

「貴様の仕業か!経清!」

「お久しぶりですな。経範殿。」

経清は、務めて冷静な声で、経範に相対した。

「経清。そなたの首を取れとの将軍の命令じゃ!観念せい!」

「見たところ、経範殿の兵は二百程度。我等には、七百以上の兵がおります。それに、中軍から二百の援軍が派遣されたということは、その分、中軍の兵力が減ったということ。今頃、頼義様の命は、風前の灯となっているでしょう。」

怒気を含んだ経範の言葉に、経清は、冷たい笑い声を上げた。

「なんじゃと。それは、どういう意味じゃ。」

「私の役目は、兵糧を燃やすことと、中軍の援軍を引きつけ、将軍の周辺の兵を少しでも減らすこと。頼義様は、まんまとその策に嵌ってくれたのです。今頃、中軍の頼義様に、貞任殿率いる精鋭の兵が、襲い掛かっているでしょう。」

「なんじゃと!」

経範は、敵の手の平の上で動いていたことに気付くと、急ぎ、頼義の許へ戻ろうとした。

「最早、兵糧どころではない!急げ!急ぎ、中軍に戻り、将軍を守るのじゃ!」

狼狽した経範は、源氏の郎党達に、兵糧を捨て、中軍へと引き返すように命じた。

「そうはさせん!」

経清と則任、良照は、一斉に源氏の軍勢に襲い掛かった。源氏側は二百。対する、安倍側は七百である。安倍軍の圧倒的な優勢であった。中軍へ引き返そうとした、源氏の郎党達は、背後から弓と槍で狙われ、次々と屍を雪の上に晒した。

 経清は、急ぎ、頼義の許へ戻ろうとする経範を追って、馬を駆った。雪の上では、経清に一日の長がある。経清は、馬上から狙いを定めると、経範に向けて矢を放った。矢は、突風に上手く乗って、経範の左肩に突き刺さる。

 呻き声を上げながら、経範は、馬上から地面へと転げ落ちた。経清は、経範の落馬を確認すると、馬から降りて、ゆっくりと経範の傍に近付く。経範は、左肩に刺さった矢を気にしながらも、何とか立ち上がった。

「経範殿に聞きたいことがある。」

経清は、経範の傍まで来ると、刃を向けた。

「なんじゃ。」

経範は、苦悶の表情を浮かべながらも、経清を睨み返した。

「永衡殿を誅殺したのは、本当に説貞の独断か?それとも、頼義様の命令なのか?」

経清の問いに、経範は、笑い声を上げた。

「そうじゃ。わしが、将軍に永衡を誅殺するように進言した。説貞は、将軍の命令に忠実に従っただけじゃ。」

「では、阿久斗川での人馬殺傷事件は・・・」

「それも、将軍とわしが、説貞に命じて、貞任と則任を無理矢理、帰らせたのじゃ。そして、富忠に借りた、蝦夷兵を使って、説貞の陣営を襲わせたのじゃ。」

経範は、最早これまでと観念したのか、哄笑しながら、全ての真実を曝け出した。

「それが、この戦いの真実なのか!源氏とは、そんなにも欲深く、陰湿だったのか!」

経清は、改めて、頼義に裏切られた気持ちになった。

「全ては、将軍の掲げる義のためじゃ!源氏の義のためには、この奥州が必要なのじゃ。もっとも、将軍は、最後まで、経清は裏切らないと信じていたがのう・・・」

経範は、寂しそうな表情で、経清を見つめた。

「これ以上は、語っても無駄じゃ。源氏の義が勝つか、安倍の義が勝つか、それは、天が決めること!」

経範は、そう叫ぶと、最後の力を振り絞って、経清に突進した。経清は、その突進を受け止めるかの如く正面に立つと、凄まじい勢いで剣を振り下ろした。経範の左肩から右腰までを、経清の剣が一閃する。直後、血飛沫が舞い上がった。

経範は、七十年近くの間、頼義の傍を離れることがなかったが、その最後の瞬間だけは、頼義の傍で迎えることが出来なかった。彼が、その運命を嘆いたかはわからない。

「頼義様!」

経範は、生涯を賭けて仕えた、主の名を叫んで絶命した。享年、七十六歳。


 経清は、経範を討ち果たすと、急ぎ、良照と則任の許へ戻った。後軍の戦闘は、終幕に近付きつつあった。致輔の郎党の多くは死に絶え、致輔自身も、全身に矢が突き刺さり、息も絶え絶えに奮闘している。その傍には、同じく、数本の矢が刺さったままの為清が、津波の様に襲い掛かる、奥六郡の兵を相手に、一人、敢然と立ち向かっていた。

「最早、勝敗は着いた。経範殿も死んだ。致輔殿、為清殿、降伏されよ。」

経清は、兵に攻撃を中止させると、二人に降伏を促した。

「経範殿が・・・そうか・・・」

経範の死に、致輔は、天を仰いで、涙を流した。致輔と経範は、共に頼義の郎党として、五十年以上の親友であった。致輔は、覚悟を決めた。

「経清。この老いぼれは、命を惜しまぬ。経範殿の許へ参ろう。しかし、為清は、まだ若い。散らすには、余りにも惜しい・・・」

「祖父様。何を仰る!私も、源氏の郎党。命など惜しみませぬ。それに、私はもう・・・」

為清は、左胸に刺さった矢を致輔に見せた。既に、時間の問題であろう。

「そうか・・・為清、源氏の郎党として、見事、死に花を咲かせようぞ!」

致輔の言葉に、為清は、黙って頷いた。そして、二人同時に、猛然と経清に襲い掛かる。経清は、二人の剣をかわすと、電光石火、剣を一閃させた。二人の体が、雪の大地にゆっくりと崩れ落ちる。致輔と為清は、最後の力で、互いに手を取り合って息絶えた。和気致輔。享年七十四歳。紀為清は、わずかに十八歳の死であった。

二人の死後、後軍の源氏の郎党は全滅し、金為時・平忠清・平助衡・平忠衡の陸奥国在庁官人と国衙兵は降伏した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ