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源義家と藤原清衡  作者: Harry
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第十二話「安倍頼時の死」

「ええい!経清め!」

源頼義は、怒りに任せ、背後の屏風を蹴り倒した。朝議の間には、佐伯経範・大宅光任・藤原景通・和気致輔・平将常などの源氏の郎党の他、信夫郡司の佐藤公脩、そして、前軍の諸将、金為時・平忠清・平忠衡・平助衡が揃っていた。

「それで、貴殿達は、経清の裏切りを、黙って見ていたと申すのか!?」

頼義の怒りの矛先が、前軍の諸将に向けられる。

「先程も申しました通り、経清殿は、河崎柵の兵が出撃した時のために、亘理郡の兵を率いて、権守と共に柵に向かったのです。我等には、いつでも撤退出来る様に準備せよと命じられて。我等も、まさか、経清殿があのような・・・」

 頼義の剣幕に、為時は、冷や汗を流しながら、必死に弁明した。三日前の九月十五日の深夜、藤原経清は、亘理郡の兵のみを連れて河崎柵に向かい、軍監として同行していた、藤原説貞を殺害した。そして、そのまま、河崎柵内に駆け込んだのである。無論、柵を守備する、金為行と示し合わせた上での行動であった。

 翌朝、経清と説貞が一向に戻らないため、不安を感じた為時が、柵近くを偵察した時、説貞の死体を見つけた。驚愕する為時の姿を認めたのか、経清は、柵内から為時に対し、自らの言葉で、安倍側に味方することを告げたのである。為時は、急ぎ、前軍の陣営に戻ると、多賀城に戻っているはずの頼義の許へ使者を派遣した。

 一方、多賀城襲撃の報告を受け、陸奥国衙に戻った頼義は、城下町の様子を見ると、唖然とした。二百から三百の兵に攻められ、町中に火をかけられて炎上したはずの城下町が、ほとんど、無傷で残っていたのである。実際に燃えたのは、二十軒ほどの邸宅のみであり、それも、その悉くが、反安倍派の在庁官人の邸宅であった。

 頼義は、多賀城に入ると、前軍の様子を確かめるために、使者を派遣した。入れ違いに、為時の使者が到着し、経清の裏切りを伝えたのである。長年に渡る源氏の郎党で、頼義の信頼の厚かった経清の裏切りは、頼義と源氏の諸将に衝撃を与えた。頼義は、ひとまず、前軍を撤退させ、全ての軍勢を多賀城に集結させたのである。

「結局、多賀城を襲撃した敵の数は、どのくらいであったのじゃ?」

「申し訳ありませんが、まったく、わかりません。城下町の人々は、二百から三百の兵が侵入したと口々に噂しておりましたが、実際に敵兵の姿を見た者はおりません。」

怒気を含んだ、頼義の問いに、留守居役の佐藤公脩は、半ば脅えた様子で答えた。

「敵は、わずかな人数で潜入し、火をかけたのではなく、煙幕を使って、多数の兵が侵入したと見せかけたのでしょう。三百の兵が入り込んだとの噂も、おそらくは、我等を混乱させるために、敵が流したのでしょう。」

「ええい!姑息な手に騙されおって!」

頼義の怒りは、納まるどころか、ますます、激しくなるばかりであった。

「奴等の目的は、多賀城を襲うことではなく、我等の注意を多賀城に向けさせ、経清を迎え入れることだったのか?」

「貞任との姿を見た、という者はおりましたが・・・」

頼義の問いに、藤原景通が答えた。しかし、景通は、それが、息子の景季とは言い出しかねた。景季のみならず、源義家と清原貞衡も、貞任と顔を合わせたにも関わらず、逃してしまったのだ。それが故意かどうかは、景季は、父にも答えなかった。

「権守の邸宅は炎上し、郎党達は、皆殺しにされたようです。また、権守の娘の姿も見当たらないようなので、則任もいたと考えるのが自然でしょう。」

景通は、敢えて、頼義の感心を逸らすかの様に続けた。

「たかが、女一人のために、俘囚長の息子が、危険を犯すとは・・・」

公脩が、納得出来ない表情で呟いた。

「陸奥国衙を襲撃され、前軍の指揮官が敵に寝返り、総崩れになるという、この失態。わしは、朝廷にどう報告すれば良いのじゃ!」

頼義は、苛立ちを抑えきれずに、目の前の床を、拳で何度も叩き続けた。

「朝廷には、藤原経清の裏切りによって、兵を立て直す必要が生じたと報告すればよろしいのでは?」

「馬鹿な!経清は、つい先月に、わし自らの推薦で、従五位下に叙され、陸奥権守に任官したばかりだぞ!推薦したわしの不明を、公卿どもに嘲笑われるだけじゃ!」

公脩は、苛立つ頼義を、何とか宥めようとしたが、逆に、火に油を注ぐ結果になった。

「おのれ、経清!あれだけ目をかけてやったのに、源氏を裏切り、このわしの顔に泥を塗るとは、絶対に許さん。必ず、わし自らの手で、首を刎ねてくれる!」

頼義にとって、多賀城を襲撃されたことよりも、経清に裏切られたことの方が、衝撃が大きいことは、その場の誰もが理解できた。それは、頼義だけではなく、経範・光任・景通・致輔・将常の源氏の郎党達にとっても同様であった。

 彼等は、源頼義が、陸奥守、鎮守府将軍である故に、忠誠を誓っているのではない。源氏の郎党達にとっては、主君の頼義への、源氏への忠誠は、朝廷への忠誠以上に絶対的であった。血の絆で結ばれた源氏の武士団を、頼義があれほどまでに信頼していた経清が裏切るなど、考えたくもなかった。

「すぐに出陣の準備をせよ!全軍で河崎城を攻め、一気に衣川を落としてくれる!」

頼義の怒声に、諸将は一斉に立ち上がり、出陣に備えようとした。その時、経範が、

「頼義様、お待ち下さい。」

と、諸将を落ち着かせた。

「なんじゃ。経範」

頼義は、不機嫌そうな表情で、経範を睨みつけた

「頼義様、ものは考えようです。」

経範は、務めて冷静に言葉を選び、頼義を宥めようとした。

「陸奥国衙の多賀城を襲った以上、奴等にとっては、和平の道は完全に断たれました。合戦が始まった以上、頼義様が、陸奥守に再任されることは、間違いありません。再任されれば、頼義様は、四年という時間を手に入れることになります。

今、この兵力の整わない状態で、焦って攻め込む必要はありません。何の策もなく攻め込んでも、我等は著しい損害を受けることになるでしょう。ここは、じっくりと時間をかけて、対策を考えるべきです。」

「うむ・・・。」

経範の落ち着いた説得に、頼義は、僅かながら、冷静さを取り戻した。

「何か、策はあるのか?」

「安倍頼時は、当然、我等が南から、奥六郡を攻めると考えるでしょう。故に、河崎柵と小松柵、それに衣川関の守りには万全を期すでしょう。そうなると、我等とて、容易に衣川に攻め込むことはできませぬ。」

「しかし、それ以外に衣川を攻める方法などないであろう。」

頼義は、当たり前だと言いたげな表情で、経範を凝視した。

「では、もし、奴等の予想しえない、北や西から攻め込めばどうでしょう。」

「当然、奴等も慌てふためくだろうな。」

「そうです。私が時間をかけるべきだと言ったのは、北と西から攻める準備のためです。即ち・・・」

「富忠と武則か!」

頼義は、経範の言葉に、ようやく納得した様に頷いた。

「安倍富忠に、北から奥六郡を攻めさせれば、頼時も、南の守りを手薄にせざるを得ないでしょう。それに、清原を味方に引き入れることができれば・・・」

「しかし、清原の棟梁、光頼が、我等に味方するでしょうか?」

光任が口にした疑問は、その場にいた誰もが感じたことであった。

「光頼を説得するのは難しいでしょう。しかし、武則は、相当な野心家です。官位官職を餌にすれば、心が動くはず。幸いにも、武則の娘婿、平国妙は、助衡殿の従兄弟。助衡殿と国妙を仲立ちとして、光頼には内密に、我等の意を、武則に伝えましょう。」

助衡は、唐突に自分の名が挙がったため、困惑した表情を見せた。

「国妙殿は、我が従兄弟とはいえ、経清殿の母方の叔父でもあります。我等に協力してくれるかどうか・・・」

「何が何でも、やってもらわねばならぬぞ、助衡殿!海道平氏の一門は、既に、永衡という裏切り者を出している。国妙さえも説得できぬようでは、そなたらは、今の地位に留まることはできないと考えよ!」

助衡の弱気な発言に、頼義は、厳しい口調で叱責した。

「はい・・・」

助衡は、甥の忠清・忠衡と顔を見合わせると、力なく頷くしかなかった。


 天喜四年(1156年)十一月二十四日、平国妙は、多賀城の源頼義の許を訪れた。国妙は、標葉郡郡司平助衡の従兄弟で、藤原経清の母方の叔父である。仙北三郡の清原武則の娘婿として、平鹿郡に所領を有していた。若い頃は、鹿島派の門弟として師範代に昇り、天喜三年の武術大会では、十七歳の源義家と戦っている。

「平国妙殿。よくぞ、参られた。」

「将軍。ご無沙汰してしまい、誠に申し訳ありませぬ。」

久しぶりに多賀城を訪れた国妙を、頼義は、丁重に迎え入れた。頼義の傍らには、謀臣の佐伯経範・大宅光任・藤原景通・和気致輔・平将常・藤原茂頼が付き従う。茂頼は、奥六郡との合戦が本格化したのを機に、鹿島の地から、再び、奥州に舞い戻っていた。

 頼義は、安倍頼時討伐のために、仙北三郡の俘囚長、清原光頼を味方に引き入れようと画策していた。清原氏が朝廷側に従えば、奥六郡を西から攻めることが可能になる。そのため、頼義は、平助衡を通じて、国妙を多賀城に呼び寄せたのであった。

「我が甥、経清の不始末、叔父として、面目次第もございませぬ。」

国妙は、深々と頭を下げて、頼義に謝罪した。

「うむ。わしも、まさか、経清が裏切るとは思わなんだ・・・」

頼義は、苦い思いを噛み締める様な表情で、国妙を凝視した。

「で、そなたは、この鎮守府将軍の命に従ってくれるのか?」

「無論でございます。将軍様が、奥六郡の頼時を攻める際には、間違いなく、多賀城に駆けつけまする。私の手で、経清を討ち取ってご覧にいれましょう。」

「そうか。頼みにしておるぞ。しかし、清原の棟梁、光頼は、朝廷の威光に従い、頼時と戦う気はあるのか?」

平伏する国妙に対し、頼義は、本題を切り出した。

「陸奥国衙としては、奥六郡を、南と西から、同時に攻めたいのじゃ。そのためには、仙北三郡の長、光頼の力を借りねばならん。」

「恐れながら、光頼殿を動かすのは、難しいと思われます。我が義父の武則殿は、将軍のご威光に従う気でいるのですが・・・」

「なんじゃと!光頼めは、朝廷の威に服さず、謀反人に加担するつもりか!」

国妙の答えに、頼義は、思わず声を荒げた。

「では、武則殿は、我等の求めに応じる気はあるのか?」

頼義の代わりに、経範が、国妙に問いかける。

「武則殿は、朝廷の威光に従うべきだと、何度も光頼殿に進言しているのですが、悉く、斥けられているようです。その上、武則殿が独断で兵を動かし、将軍に味方すれば、武則殿を敵と見做すと脅しているのです。」

「それでは、光頼は、謀反に加担しているも同然ではないか!清原は、朝廷ではなく、安倍に従う気なのであろう。我等は、奥六郡の俘囚どもだけではなく、仙北三郡とも戦わねばならぬのか?」

頼義は、苛立ちを抑えきれずに、拳で床を叩いた。

「いえ、光頼殿は、頼時と共に、朝廷と戦うつもりもないようです。」

「ならば、光頼は、朝廷の威光を無視せざるを得ないほど、安倍頼時を敵に回すことを恐れているのか?安倍の勢力は、それほどまでに強大なのか?」

「安倍を恐れている、というよりは、仙北三郡の北方の渡嶋蝦夷を恐れているのです。」

「渡嶋蝦夷?」

国妙の答えに、奥州の事情に疎い、茂頼が口を挟んだ。

「渡嶋は、我が本朝の北の果て、その海の向こうにある、広大な島のことじゃ。」

茂頼の問いに、経範が答えた。

「そうです。奥六郡と仙北三郡の北方には、数多の蝦夷が暮らしております。彼等は、渡嶋の蝦夷とは同族の様で、龍王の要請があれば、大量の渡嶋蝦夷が、本土に押し寄せて来ます。清原が、朝廷の威光に従い、安倍と敵対すれば、仙北三郡は、北の蝦夷と東の安倍の双方から攻められ、瞬く間に亡び去るでしょう。」

「つまり、我等が、奥六郡を南と西の二方向から攻撃し、攻略しようとするのと同じ状況に、仙北三郡が陥るということか。」

頼義は、ようやく、納得したように頷いた。

「しかし、龍王とは、それほどに強大な力を持っているのか?実際、どの程度の数の蝦夷を動かすことができるのじゃ?」

「しかとはわかりませぬが・・・清原では、渡嶋蝦夷を含めれば、その数は、十万とも二十万とも噂しております。」

「二十万・・・」

国妙の答えに、その場にいた一同が、驚いて顔を見合わせた。

「武則殿は、既に、仙北三郡の豪族の半数以上から支持を集めているため、十分に光頼殿に対抗できるでしょう。しかし、清原が分裂して、仙北三郡が内乱状態に陥れば、将軍の支援どころではありません。更に、龍王が、光頼殿を支援すれば・・・」

「逆に、我等が、武則殿を支援する必要が生じ、結局、奥六郡と仙北三郡の二箇所で戦わざるを得なくなるということか。」

国妙が言い澱んだ言葉を、光任が引き取った。

「光任殿の仰る通りです。現状では、仙北三郡の兵を、奥六郡の攻撃に参加させるのは不可能ということです。」

「そうか・・・」

国妙の言葉に、頼義は、清原からの支援を断念せざるを得ないことを理解した。

「西からの攻撃を諦めるとなると、やはり、何としても富忠を引き入れ、北から攻めるしかあるまい。ところで、そなた自身は、どうするつもりじゃ。」

「私自身は、このまま、多賀城に留まって、源氏の郎党として参陣させて下さい。」

叩頭する国妙の申し出に、頼義は、大きく頷いた。


 十二月に入ると、源頼義は、気仙郡司金為時と下毛野興重に密書を持たせ、安倍富忠の許へ向かわせた。安倍富忠は、安倍頼時の伯父で、奥六郡の北、仁土呂志・久慈・糠部の三郡を支配する、安倍一族の長老であった。

 富忠は、頼時の祖父、忠頼の長男であるが、庶子であったために、安倍の棟梁の座を、弟の忠良に譲らざるを得なかった。忠良の死後、甥の頼時が安倍の棟梁になると、富忠は、自らの野心を抑えきれずに、頼時への不満を口にするようになった。

 頼義は、その富忠の野心を利用し、奥六郡を北方から攻撃させようと企てた。頼時を棟梁とする安部一族は、当然、陸奥国衙の軍勢が、南方から攻め寄せることを想定しているため、河崎柵・小松柵、そして、衣川関には、万全の防衛体制を敷いている。

 しかし、奥六郡の更に奥、北からの攻撃は想定していない、否、不可能だと考えているはずであった。奥六郡の北方は、京の朝廷の支配の及ばない、蝦夷の支配する地域であり、本来、安倍一族に敵対する存在はいない。故にこそ、北からの攻撃には脆いはずで、安倍一族の中から、朝廷に寝返る者がいれば、奥六郡を崩壊させることが可能になると考えたのである。実際、富忠の裏切りは、気付かれていないようであった。

 阿久斗川事件の後、陸奥国衙と奥六郡が、本格的な武力衝突に至ると、頼時は、衣川関を完全に閉ざして、奥六郡に出入りする者を厳重な監視下に置いた。故に、敵地の奥六郡を陸路で通過し、仁土呂志に達することは、不可能に近い。

 金為時と下毛野興重は、気仙郡から船を出し、三陸海岸沿いに海路を進んだ。それは、気仙郡近郊からその北方の海を知り尽くした、金為時とその一族だからこそ可能な方法であったと言える。為時と興重の一行は、海路、奥六郡を越えると、久慈郡の浜辺に上陸。興重の案内で、仁土呂志の富忠の邸宅へ向かった。

「なんじゃと。興重殿が!?早く、通せ。」

安倍富忠は、郎党が伝えた訪問者の名を聞くと、急ぎ、客間へと向かった。頼義の郎党、下毛野興重は、かって、二度、富忠の許を訪れたことがあり、二度目の際には、頼義の密書を携えていた。富忠は、密書の内容通り、興重に蝦夷の兵、三十人を貸し与えた。

 富忠は、頼時を棟梁とする、現在の安倍一族に不満を持っていたため、陸奥守と鎮守府将軍を兼ねる、源頼義に貸しを作ったのである。その時点では、まだ、奇貨居くべし、の心境に過ぎず、頼時と敵対する決意を固めたわけではなかった。

 その後、阿久斗川での事件を知った富忠は、陸奥国衙の軍勢を襲撃した蝦夷が、自分の貸し与えた兵であることに気付いた。彼は、既に自分が、後には引けない状況に陥ったことを悟った。蝦夷の兵を貸し与えたことは、頼義に貸しを作ったというより、弱味を握られたに等しい。もし、頼時が、そのことを知れば、富忠は、同族から誅殺されるであろう。

 しかし、富忠の弱味は、同時に頼義にとっても、弱味のはずである。富忠が、阿久斗川事件を起こしたのが、貞任の兵ではなく、自分が頼義に貸し与えた兵であることを、天下に公表すれば、頼義は、奥六郡を攻める、大義名分を失う。どころか、安倍頼時に対する誣告の罪を問われかねない。

 富忠は、心中秘かに、頼義に加担することを決意していたが、いざ、陸奥国衙と奥六郡の戦端が開かれても、頼義からは何の連絡もなかった。安部頼時が、衣川関を完全に閉じ、興重といえども、奥六郡を通過することが難しくなったからである。その富忠にとって、興重の来訪は、心待ちにしていた、吉報であったと言える。

「富忠様、お久しぶりでございます。」

「興重殿。よくぞ参られた。」

富忠は、興重が客間に入ると、手を取って出迎えた。同時に、興重と共に入室した人物の顔を見て、驚きの表情を浮かべた。

「これは・・・気仙郡司金為時殿ではありませんか。」

「ご無沙汰しております。富忠殿。」

為時は、富忠の戸惑いを黙殺するかの様に、一礼した。富忠と為時は、奥六郡を挟んで北と南に所領を有する、共に奥州の有力者である。安倍一族の縁戚として、貞任・永衡・経清の婚礼の際など、何度か顔を合わせたことがあった。

「しかし、よくぞ、奥六郡を通過できましたな。現在、衣川関は完全に閉じられ、奥六郡に入ろうとする者は、厳しく制限されているはずですが。」

「為時殿の案内で、気仙郡から久慈郡まで、船で参りました。」

「ほお。それで、為時殿が、ご一緒なのですか・・・。」

富忠は、改めて、納得した表情で頷いた。

「ところで、興重殿。突然のお越しは、挨拶のためばかりではないでしょう。」

「はい。ご承知の通り、陸奥守兼鎮守府将軍の源頼義様に、安倍頼時追討の宣旨が下されました。河崎柵と多賀城下で、既に合戦があったことはご存知でしょう。」

「ええ、聞いております。その際に、藤原経清殿が、奥六郡に寝返ったとか。いかに将軍様と云えども、難攻不落の衣川を落とすのは、簡単にはいかないでしょう。」

「仰る通りです。そこで、将軍様は、富忠様の力をお借りしたいと、我々を遣わしたのです。これが、将軍様よりの密書です。」

興重は、懐から一通の書状を取り出し、富忠に渡した。その場で書状を開き、目を通す富忠の表情が、見る間に変化する。

「私に・・・奥六郡を・・・」

「そうです。将軍は、頼時を罰した後の奥六郡を、富忠殿に任せるべきだと、廟堂に推挙するつもりです。そのためにも、朝廷の威光に従い、富忠殿には、奥六郡と頼時を北方から脅かしていただきたい。次の安倍の棟梁は、富忠殿です。」

富忠の表情の変化を読み取った興重は、すかさず、本題を切り出した。富忠は、弟の忠良、そして、甥の頼時に俘囚長の座が受け継がれる間、苦々しい思いを抱き続けていた。故に、興重に安倍の棟梁と呼ばれると、満更でもない表情を浮かべた。

「しかし、この富忠が動員できる兵の数は、仁土呂志・久慈・糠部の三郡、凡そ、二千。とても、その数では、難攻不落の厨川柵を抜くことはできますまい。」

厨川柵は、奥六郡の最北、岩手郡に位置する、貞任を柵主とする城柵で、断崖絶壁に建てられた、天然の要害である。南方の陸奥国衙からの攻撃に備え続けた奥六郡にとって、厨川柵は最奥に位置する、文字通り、最後の砦であった。

「将軍様は、気仙郡の兵二千を、富忠殿に合流させて、厨川柵を攻めたいとお考えです。同時に、南から河崎柵と小松柵を攻め、奥六郡を挟撃すれば、頼時も、兵を南北に分散させざるを得なくなるでしょう。」

「気仙郡からは、二千の兵を船で運び、久慈郡の浜辺に上陸させる予定です。久慈にて、我等の兵と富忠殿の兵が合流し、頼時に気付かれぬ前に、一気に厨川まで進みましょう。」

興重の言葉に、為時が説明を加えた。

「四千か・・・。それでも、あの厨川柵を落とすのは難しいでしょう・・・。」

富忠は、厳しい表情のまま、腕組みをして考え込んだ。

「厨川柵を無視したまま、奥六郡に侵入し、衣川に攻め込んではいかがでしょう?」

「それでは、我等の兵四千が、奥六郡内で孤立するだけです。厨川柵の兵だけでなく、比与戸柵・鶴脛柵・黒沢尻柵・鳥海柵・白鳥柵などの兵にも追われることになります。」

「では、どうすれば?」

興重は、慎重な富忠に対し、苛立ちの表情を浮かべた。

「無理に奥六郡に攻め込むのではなく、頼時を、奥六郡から引きずり出して討ち取れば良いのでは?頼時さえ殺せば、安倍一門の戦意は衰え、奥六郡は崩壊するでしょう。」

「しかし、安倍の棟梁たる頼時が、奥六郡から出て来るとは思えません。」

「頼時を確実に引きずり出す方法があります。」

興重の疑問に対し、富忠は、不敵な笑みを浮かべた。

「本当にそんな方法があるのですか?」

興重と為時は、顔を見合わせて富忠に問い直す。

「宇曽利の恐山にいる、龍王様を攻めるのです。」

「龍王を・・・」

富忠の意外な答えに、興重と為時は絶句した。

「龍王様を攻めれば、必ず、頼時は、自ら救援に駆けつけるでしょう。我等は、奥六郡から宇曽利に至る道筋で、頼時を待ち伏せ、討ち取れば良いのです。」

「しかし、龍王は、十万から二十万の蝦夷を動員可能だと聞いております。わずかに四千の兵で、恐山を攻めることは難しいのでは?」

「確かに、龍王様は、非常時には十万以上の蝦夷を動員することは可能です。しかし、それは、あくまでも非常時に、渡嶋の蝦夷も含めての数であって、平時には、蝦夷達は、ただの民に過ぎません。常時、恐山を守護しているのは、三百にも満たない龍衆のみです。四千の兵で奇襲をかければ、龍王様を討ち取ることも可能です。」

「なるほど・・・」

富忠の自信に満ちた表情に圧倒され、興重と為時は、ただ、頷くしかなかった。


 天喜四年(1056年)十二月二十九日。陸奥国衙多賀城に、源頼義の陸奥守再任の宣旨がもたらされた。年が明けた、天喜五年正月、頼義は、陸奥国衙の在庁官人及び、坂東より来援した源氏の郎党達の前で、改めて、年内に奥六郡を攻め、安倍頼時を討伐することを宣言した。鹿島派師範、藤原則明も、頼義の求めに応じて、奥州に下向した。

「則明殿。ご無沙汰しております。」

源義家・藤原景季・清原貞衡の三人は、旅装を解いたばかりの則明の姿を認めると、膝を着いて一礼した。藤原則明は、藤原茂頼と同様、天喜三年の武術大会の後、奥州に平穏な日々を見届けると、鹿島に戻り、師範として門弟の育成に当たっていた。

しかし、九月に藤原経清が、陸奥国衙を裏切り、安倍側に走ったことで、頼義は、鹿島宗家の國摩真人に、則明を陸奥国衙に下向させる様に懇請した。経清は、かっては、則明と双璧を成した鹿島派の師範であり、互角に戦える腕を持つ者は、数えるほどしかいない。頼時の許に、貞任と経清という、恐るべき武芸の達人が揃った今、頼義には、彼等と互角に戦える手駒が必要であった。

「則明殿・・・経清殿が・・・」

「残念です・・・」

苦しい表情で経清の名を口にした義家に対し、則明は、表情を曇らせて呟いた。

「私は、正直、経清殿はもちろん、貞任殿とも戦いたくありません・・・」

「義家様・・・」

義家の呟きに、景季が、心配そうな表情を浮かべたのを、則明は見逃さなかった。

「義家様。安倍頼時追討の宣旨が下され、かつ、経清殿が、頼時に味方する以上、彼は、我々の敵と考えなければなりません。中途半端な気持ちで戦場に出れば、命を落とすのは、貞任殿や経清殿ではなく、義家様になります。」

「則明殿の言う通りです。義家様。権守の邸宅で、貞任殿が言った様に、我々は、次に会う時は、敵同士なのです。そのお覚悟をお持ち下さい。無論、貞衡殿もです。」

義家の迷いを断ち切らんと話す、則明の言葉に、景季が同調した。景季は、日頃から、義家と貞衡が、経清を敵と割り切れないことに、不安を覚えていた。奥六郡との合戦は、これからが本番なのだ。戦場では、貞任や経清と、何度も対峙することになるであろう。その時、貞任と経清が、義家や貞衡と同じ気持ちとは限らない。義家の武芸が、どんなに優れていようと、戦意を失ったままで生き残れるほど、戦場は甘くないのだ。

「仮に、陸奥国衙が敗れ、安倍一族が、今以上に強大になれば、いづれ、坂東が戦場になるのは目に見えています。故に、私は、強引にでも合戦を始めた、鎮守府将軍の判断が間違っていたとは思えません。鹿島派において、経清殿と共に修行に励んだ私としても、彼と敵味方に別れるのは、非常に残念ですが、鹿島と坂東を守るために、私は相手が誰であろうとも、容赦するつもりはありません。」

「私も同感です。最早、経清殿や貞任殿と戦う覚悟は出来ています。」

則明と景季の決意に、義家と貞衡は、苦しい表情のままに、何も答えなかった。


 天喜五年(1057年)、七月三日。気仙郡司金為時と、下毛野興重は、二千の兵を率いて、久慈に上陸した。為時と興重は、久慈で待機していた安部富忠の兵、二千と合流しすると、海岸線に沿って北上。富忠の案内で、六日には、宇曽利に入った。

 為時と興重、そして、富忠は、四千の兵に休息を与えることなく、恐山まで、急行軍を続けた。彼等は、急いでいた。富忠の謀反と、陸奥国衙の兵が、久慈に上陸したことは、すぐに龍王へも報告されるはずである。いかに龍王といえども、彼等の目的地が恐山であることに、すぐには気付かないであろう。しかし、時間を与えてしまえば、近隣の蝦夷を集めて、迎撃体制を整えることができる。

 為時・興重・富忠の予想通り、龍王は、久慈に二千の兵が上陸し、富忠の兵と合流したことを知ると、龍衆に命じて、宇曽利の蝦夷を召集させた。同時に、夜叉一族の一人を、奥六郡に走らせる。富忠と国衙の兵が、奥六郡を北から攻める気配を見せれば、宇曽利の蝦夷兵と安倍一族の兵で、挟撃するつもりであった。

 富忠と国衙の兵四千は、宇曽利に入ると、屏風山に本営を築き、恐山を攻撃する体制を整えた。屏風山から恐山へは、坂道を駆け下れば、一気に攻め込むことができる。しかし、その頃には、既に、宇曽利の蝦夷兵、千人余りが、恐山菩提寺の防衛に駆けつけていた。そして、九日の早朝、戦端が開かれた。

 修験者の服装をした、龍衆達が慌しく走り回る中、龍王は、菩提寺の本尊である地蔵菩薩の正面に、静かに座したままであった。龍王の傍には、安倍頼時の五男、藤原重任が控えている。重任は、兄の貞任と同様、阿修羅王の武術を会得するために、恐山の龍王の許で修行を続けていた。同時に、重任には、龍王を守護する役割も与えられていた。

「龍王様、敵は既に、屏風山に陣を築いております。ここは危険です。一旦、奥六郡か、津軽の十三湊へとお逃げ下さい。」

「既に、周辺は四千の兵に囲まれておる。敵の囲みを破るのは、難しいであろう。」

脱出を薦める重任に対し、龍王は、静かに答えた。

「それに、わしの命運は、まだ、尽きてはおらん。それよりも、守りを固めて、敵の攻撃に耐え続ければ、近隣の蝦夷達が、続々と集まって来るはずじゃ。そなたは、彼等を指揮してくれ。蝦夷達の多くは、普段はだたの民に過ぎん。指揮を執る者がおらねば、単なる烏合の衆として、国衙の兵に蹴散らされるであろう。」

「わかりました。既に、千を超える蝦夷の兵が、御山を囲んで守りを固めています。既に奥六郡にも、夜叉一族の一人を向かわせました。奴等の攻撃を、五日は凌げば、父上か、兄の貞任の率いる、奥六郡の援軍も到着するでしょう。」

重任は、龍王に一礼すると、足早に戦場へ向かった。龍王は、その後姿を眺めながら、一人、哀しい目で呟いた。

「わしの命運は尽きてはおらぬが・・・頼時の命運が尽きかけておる・・・無事であってくれればよいが・・・」

龍王は、その一言を、安倍頼時の息子に告げられなかった。


「なんじゃと!富忠の狙いは、恐山の龍王様じゃと!」

安倍頼時は、夜叉一族のもたらした報せに驚愕した。つい、三日程前、陸奥国衙の兵二千が、久慈に上陸したとの報せを受けた頼時は、その軍勢に安倍富忠率いる兵二千が合流したことを知り、富忠の謀反を悟った。故に、北方からの脅威に備え、岩手郡の各城柵に、敵の動きを詳しく調べるよう、命じたばかりであった。

「おのれ、富忠め!わしの阿修羅刀で、奴の首を刎ね飛ばしてくれるわ!」

安倍貞任の怒声が響く中、宗任・家任・則任の兄弟、そして、藤原経清は、顔色を失い、言葉も出なかった。彼等にとって、恐山への攻撃は、全くの想定外の出来事であった。

 これまで、安倍一族が、奥六郡の北方を心配する必要がなかったのは、龍王が、蝦夷を束ねていたからであった。渡嶋を含めた、北方蝦夷の要である龍王を失えば、蝦夷は四分五裂する恐れがある。安倍一門の重鎮、良照と為元、貞任の義父の金為行は、南からの攻撃に備えて、小松柵と河崎柵に張り付いたままである。

北方の仁土呂志・久慈・糠部に加え、宇曽利が落とされれば、奥六郡は南北から挟撃され、絶対絶命の危機に陥る。

「わしが行く。」

頼時は、今にも飛び出しかねない貞任と、狼狽する息子達を制して、静かに、しかし、有無を言わさぬ口調で、言葉を発した。

「父上・・・」

「富忠殿は、わしの叔父。龍王様と我等に帰順する様に、説得するつもりじゃ。貞任、そなたには、説得は無理であろう。必ず、合戦になってしまう。」

「しかし、富忠殿とて、相当な覚悟があって謀反を起こしたはず。父上が行ったとて、耳を傾けますまい。」

「叔父上の説得は無理でも、叔父上に従う、仁土呂志・久慈・糠部の兵に帰順を呼びかけるのじゃ。彼等とて、本心では、同じ蝦夷と戦うことは望んでおるまい。」

貞任は、父の決意が揺らがぬことを悟ると、そのまま、何も言わなかった。

「事は一刻を有する。衣川の兵を、宇曽利まで連れて行くのは、時間がかかり過ぎる。わしは、則任と二人で、厨川柵に赴き、岩手郡の兵を連れて、宇曽利に行く。貞任、そなたは、衣川の兵を連れて、代わりに厨川柵に入るのじゃ。」

「わかりました。」

「それから、経清殿は、小松・河崎柵に赴き、南からの攻撃に備える様に、良照と為元、金為行殿に伝えよ。頼義が、この機会を逃すとは思えん。おそらく、最初から、南北で同時に攻撃することを考えているはずじゃ。宗任と家任は、衣川に残って、仮に、南と北のどちらかから敵が侵入した時に備えておけ。」

頼時の矢継ぎ早の指示に、経清と宗任、家任・則任は、返事をする間も惜しいかの如く、迅速に次の行動に移った。経清は、奥六郡と陸奥国衙、安倍一門と源氏一門の決戦の時が、間近に迫っているのを感じた。


 七月九日の早朝に始まった、恐山への攻撃は、十日が過ぎても、決着が着かなかった。安倍重任は、近隣から集結する蝦夷兵を見事に統率し、奮戦し続けた。既に恐山周辺には、三千近い蝦夷兵が集まり、兵の数は、均衡し始めていた。

「ええい、重任め!さすがは、阿修羅王の眷属。武芸は、貞任に次ぐと言われるだけのことはある。」

安倍富忠は、わずかな蝦夷兵を率いて奮戦する甥の息子に、感嘆せざるを得なかった。金為時と下毛野興重の脳裏にも、二年前の天喜三年、武術大会において、深江是則と互角の勝負を繰り広げた重任の姿が、まざまざと甦っていた。

「そろそろ、安倍頼時の軍勢が、宇曽利に入る頃のはず。我等の最大の目的は、龍王の首ではなく、頼時の首です。手筈通り、横流峠にて、頼時の軍勢を待ち伏せしましょう。」

興重の言葉に、富忠と為時も、恐山の攻撃は潮時だと考え、大きく頷いた。

「しかし、恐山を守る蝦夷の数は、既に、我等の兵の数に近付きつつあります。迂闊に撤退すれば、追撃を受けることになります。」

「為時殿の言う通りじゃ。報告では、厨川を出た頼時の兵は、二千程度とか。この付近一帯に千の兵と多くの旗を残し、我等が横流峠に向かったことを、気付かれぬ様にせねばならんな。それにしても、頼時の兵が、わずかに二千のみとは、天の助けじゃな。」

「それだけ、頼時殿も慌てて、兵を集める時間がなかったのでしょうな。」

富忠と興重は、顔を見合わせると、満足そうに笑った。恐山を落とすことは出来なかったが、当初の想定通り、安倍の棟梁、頼時自身が、龍王の救援に向かっている。

 宇曽利は、現在の下北半島に当たる。恐山に達するためには、東は太平洋、西は陸奥湾に囲まれた、細長い回廊を通過し、横流峠を越えるしかない。その敵の進路予測の容易さこそが、富忠が、恐山攻撃を選択した最大の理由であった。

「ともかく、頼時の軍勢が先に、横流峠を越えてしまえば、今までの苦労が全て、水の泡になります。手筈通り、横流峠の渓谷に向かいましょう。」

富忠と興重は、為時の言葉に頷くと、馬首を返し、撤退準備の指示を出した。


 一方、安倍頼時は、まる二日の間、昼夜を問わず、兵を休ませないまま、迅速に進軍を続けていた。頼時は焦っていた。奥六郡の北方の安定は、全て龍王の存在にかかっている。七月十六日に、則任と共に衣川を出発した頼時は、十七日の早朝には、厨川柵に入った。そして、席を暖める間もなく、武装の済んだ二千の兵のみを引き連れ、午後には宇曽利に向けて、進軍を始めた。軍勢を整えている余裕はなかった。

四千の敵に対し、二千の兵では、勝算は低い。しかし、恐山が落ちる前に、敵の背後を突くことが出来れば、恐山の蝦夷兵と頼時の軍勢で、敵を挟撃できるはずである。今は、その可能性に賭けるしかなかった。頼時の兵、二千内、騎馬部隊は五百のみで、残りは歩兵である。頼時は、馬上から歩兵を叱咤激励しながら、不眠不休で強行軍を続けた。

 七月十九日の昼頃、衣川から先行させていた、偵察兵が戻って来た。十八日の時点では、重任の奮戦によって、未だ、恐山は落ちていないと言う。

「そうか。ごくろうであった。」

頼時は、疲れ切った表情の偵察兵に労いの言葉をかけると、

「皆の者、敵は未だ、恐山を落とすことが出来ずにいる。このまま、進軍を続ければ、我等は、敵の背後を突くことが可能じゃ!急ぐぞ!」

頼時の激励に、兵達は、疲れを知らないかの様に、更に行軍速度を上げた。頼時一行は、宇曽利に入った後、わずかに一日で、横流峠に到達したのである。

横流峠は、両側を絶壁に挟まれた渓谷で、年に数回、恐山の龍王の許へ赴く頼時にとっては、まさに、通い慣れた道であった。慣れ親しんだ道筋の故か、龍王を救いたいという一心からの焦りか、敵の背後を突き、挟撃したいとの思いからか、いずれにせよ、頼時は油断した。偵察兵を出さずに、全速力のまま、全軍が渓谷に踏み込んだのである。

突如、頼時の二千の軍勢の頭上に、矢の雨が降り注いだ。敵の攻撃を、全く想定していなかったのであろう。頼時の二千の兵が、矢の雨を受けて、次々と倒れてゆく。

「しまった!待ち伏せか!」

そう叫んだ瞬間、頼時自身の左胸にも、深々と矢が突き刺さった。頼時の体が、グラリと揺れ、馬の背から滑り落ちる。

「父上!」

頼時と馬を並べて行軍していた則任は、咄嗟に馬を降りて、父の傍に駆け寄った。その間にも、頼時を目掛け、次々と敵の矢が襲い掛かる。敵の矢を刀で払いのける則任の前に、奥六郡の兵達が壁を作り、矢の雨を遮った。しかし、その間にも矢の雨は止むことなく、頼時の軍勢は、完全に統制を失って、大混乱に陥った。

「父上!父上!」

則任は、頼時を抱きかかえると、必死で父の名を呼んだ。

「わしともあろう者が、油断したわ・・・。これほど、伏兵を置くに相応しい場所はあるまい・・・。」

頼時は、苦痛に喘ぐ声で、則任に答えた。その時、渓谷の空に、法螺貝の音が木霊した。同時に頼時軍の前方に、富忠・興重が姿を現す。後ろには、二千の兵が従っている。

「突撃!」

富忠の号令一下、富忠軍が、刃を煌かせながら、混乱の真っ只中にある、奥六郡の軍勢に襲い掛かった。

「則任、そなたが指揮を執れ・・・全軍を立て直すのじゃ・・・」

かすれた声で話す、頼時の命令に、則任は、立ち上がって、周囲を見回した。既に乱戦が始まり、剣戟の音が響き渡る。そして、富忠と興重の率いる敵の騎馬隊は、既に頼時・則任の目の前まで迫っていた。

 剣と剣の交わる音、断末魔の悲鳴は、前方からのみではなく、後方からも聞こえてくる。後方にも伏兵がいたに違いない。敵の背後を突き、恐山の重任と挟撃するはずが、逆に、この渓谷内で、挟撃される破目になったのだ。

「うろたえるな!後ろにも敵がいる以上、後退はできぬ!全軍、目の前の敵を斬り捨て、前に進むのだ!突破口を切り開き、この渓谷を抜け、恐山を守る蝦夷兵と合流するしか、我等に生き残る道はない!」

則任の凛とした声に、奥六郡の兵達は、いくらか、落ち着きを取り戻した。しかし、前後に加え、両側の崖の上から、矢で狙われているため、圧倒的に不利な状況には変わりはない。このまま、戦いが長引けば、全滅する恐れもあった。

則任は、馬上に戻ると、周囲の兵を連れて、猛然と敵の騎馬隊に向けて進撃した。

「大伯父上!何故に、我等に弓を引かれるのか!?」

既に、則任と富忠の距離は、互いの声が聞き取れるまでに近付いている。

「そなたには、わしの気持ちなど、わかるまい。わかって貰おうとも思わぬ!」

次の瞬間、富忠と並んで馬を進める興重が、弓を構えると、則任に向けて、矢を放った。その矢は、則任の頬を掠めると、背後の兵の右腕に突き刺さった。則任の美しい、白い肌から、真っ赤な血が流れ落ちる。

後方の剣戟の音と叫び声が、少しずつ、近付いて来るのがわかる。則任は、後方の混戦の中に、金為時の姿があるのを認めた。

「叔父上・・・」

則任の母は、前気仙郡司金為尚の娘で、現気仙郡司金為時の妹である。則任にとって、為時は、母方の叔父であった。則任は、前方から父方の大伯父(祖父の兄)、後方から叔父の攻撃を受けていたことになる。

「則任。降伏せよ。そうすれば、そなたと兵の命は助けてやる。」

焦りと憤りを隠せない則任に、富忠が、降伏を促した。則任は迷った。このままでは、奥六郡の二千の兵が、全滅するのは明らかであった。父の命も危うい。早急に手当てをする必要がある。しかし、父の頼時は、朝廷から追討を受ける張本人である。朝廷に寝返った富忠に捕縛されれば、間違いなく、処刑されるであろう。

「うぉぉぉ!」

則任は、進退窮まって、絶望の余り、大声で叫んだ。その時だった。富忠と興重の軍勢の後方、つまり、則任の遥か前方が、騒がしくなった。

「敵襲!後方に敵です。おそらく、恐山の蝦夷兵です!」

「なんじゃと!重任か!?」

富忠と興重の顔が、驚きで歪んだ。彼等の予測は当たっていた。恐山を守護し、奮戦を続けた重任が、富忠の残した千の兵を蹴散らし、追撃して来たのだ。船で陸奥湾を越えた、津軽の蝦夷兵三千が到着し、今や、恐山の龍王の許には、七千の兵が集結していた。

「いかん。このままでは、逆に我等が挟撃され、全滅することになる!已むを得まい。撤退じゃ!撤退するぞ!敵中を突破し、東に向かえ!為時殿に合流する!」

富忠の号令に、富忠と興重の軍勢の全ての兵士が、則任達に向かって進撃した。奥六郡の兵二千を蹴散らし、為時の軍勢と合流して、横流峠を逆方向に抜けようとしたのである。

「逃がすな!今度は、我等が、敵を挟み撃ちにする番ぞ!一兵たりとも逃がすな!」

則任は、声の限りに叫んだが、混乱に陥った二千の兵が、落ち着きを見せるまでには時間がかかった。富忠と興重は、その間に奥六郡の兵を振り払い、薙ぎ倒しながら進撃し、為時と合流して、無事に渓谷を抜け去った。

 

 疾走する富忠・興重の軍勢と剣を交わす中、則任は、恐山の方角に、敵軍を追走する兄、重任の姿を認めた。重任は、文字通り、阿修羅の如き形相で次々と敵を切り伏せ、鎧は、返り血によって真紅に染め上げられている。

「兄上!」

則任の声に気付いたのか、重任は、弟のいる方向に馬を向けた。その間に則任は、地面に横たわる父の傍に駆け寄り、

「父上!重任の兄上が来てくれました。父上。しっかりして下さい。」

則任は、父の名を何度も呼んだが、返事はない。頼時は、意識を失ったままであった。

「則任、無事であったか。」

則任の許へ到着した重任は、馬から降りると、弟の背中に声をかけた。

「兄上、父上が・・・」

「父上!」

重任は、則任に抱えられた父の姿に、思わず、驚きの声を上げた。頼時の顔は、明らかに青白く、完全に生気が失われていた。重任は、頼時の首筋の脈に手を当てると、血流を確かめた。まだ、死んではいない。しかし、危険な状態であった。

「父上!重任です。わかりますか?目を覚まして下さい、父上!」

重任は、則任と共に、真剣に父に呼びかけたが、返事はなかった。

「兄上、いかがいたしましょう。恐山の龍王様の許へ運ぶべきでしょうか?」

重任は判断に迷い、則任の問いには答えなかった。その時、頼時が、微かに目を開いた。

「父上、重任と則任です。わかりますか?今から、龍王様の許へ運びます。」

「敵は・・・伯父上はどうなった・・・龍王様は・・・」

頼時が、蚊の鳴く様な、微かな声で囁く。

「恐山から、重任の兄上が救援に来てくれたため、敵は、敗走しました。」

「津軽の三千の兵が、恐山を守っているので、これ以上、龍王様が脅かされることはありません。ご安心下さい。」

則任と重任の言葉に、頼時は、苦痛で顔を歪めながら、微かに頷いた。

「龍王様が、ご無事であれば、それでよい。わしを・・・衣川へと運んでくれぬか。わしはもう、長くはなさそうじゃ・・・皆に言い残したいことがある・・・」

敵の矢は、頼時の心臓をわずかに外れていたとはいえ、傷は深く、出血は一向に止まらなかった。最早、頼時は、自分の命が長くないことを、明確に悟っていた。

「わかりました、父上。何としても、衣川にお連れします。それまで、ご辛抱下さい。」

重任と則任は、涙を拭いながら立ち上がると、兵達に命じて、担架を作らせた。

「急ぎ、衣川に走れ。そして、貞任の兄上に、兵と共に父上を迎えに出てくれるように伝えよ。大叔父上の兵が、途中で待ち伏せしているかもしれん。」

重任は、奥六郡に伝令を走らせると共に、蝦夷兵を呼んで、恐山の龍王にも、今の状況を伝える様に命じた。その間、則任は、残った兵をまとめて、帰還の準備を進めた。奥六郡の兵の被害は甚大であった。四百人以上の兵が死に、負傷者は数え切れない。安倍の残存兵は、まるで、葬儀の行列の様に、暗く、重い足取りで、奥六郡へ向かった。


 宇曽利を出た頃、龍王が、千五百の蝦夷兵と共に、一行に追いついた。頼時は、途中で徴発した馬車に横たわっていたが、起き上がって龍王を迎えようとした。

「起き上がってはならぬ。そのままでよい。」

血の気が失せた頼時の顔色を見ると、龍王は、表情を曇らせた。最早、頼時の命運が尽きたことは、明白であった。

「わしのために・・・すまんな・・・」

「これが・・・運命だったのでしょう・・・願わくば、黄金楽土というものを、この目で見てみたかった・・・」

すべてを諦めた様な頼時の目から、一筋の涙が零れ落ちた。

「この北の大地に、天王の世が訪れるのは、まだ、ずっと先のことじゃ。その頃には、おそらく、わしも生きてはいまい。」

「龍王様、間もなく死を迎える私に、教えて下さい。天王とは、黄金楽土を築く者とは、いったい、誰なのですか?」

安倍の棟梁の懇願する様な眼差しに、龍王は、小声で囁いた。

「天王は・・・」

「やはり・・・私の予想通りでした・・・そうか、そうでしたか。我が孫こそが・・・これで、思い残すことはありません」

頼時は、涙を浮かべながらも、何かに救われた様な表情で、笑顔を見せた。そんな頼時に対し、龍王も、ただ、黙って微笑んだだけであった。


 翌日、頼時の一行は、警戒を強めながら、富忠の本拠地、仁土呂志に入った。その直後、龍王、そして、重任と則任は、前方から、多数の兵が迫って来ることに気付いた。全軍に緊張が走る。重任は、全軍を停止させると、偵察兵を走らせた。頼時が負傷し、兵の士気が著しく低い今、可能な限り、戦闘は避けたかった。やがて、偵察兵と共に、三人の男が、馬を走らせ、近付いて来る。

「あれは、兄上です!貞任の兄上です!兄上が、迎えに来てくれたのです。」

則任の歓喜の声に、全軍が歓声を上げた。貞任の両脇には、頼時の側近、藤原重久と、貞任の郎党、平孝忠が従っている。

「父上は!?」

貞任は、龍王と重任、則任の眼前で馬を降りると、挨拶する間も惜しむ様に、父の姿を探した。重任と則任は、無言で、後方の馬車に目をやった。

「父上!」

頼時は、馬車の中で、死んだ様に眠っていたが、息子の悲しそうな声を聞くと、目を開いた。貞任は、血の気の失せた青白い父の顔に、驚きの表情を浮かべた。

「貞任か・・・わしとしたことが・・・油断したわ・・・」

「やはり、私が行くべきでした・・・」

貞任は、目頭に涙を浮かべながら、父の顔を見つめ続けた。安倍の棟梁として、奥六郡に覇を唱え、戦い続けた父、頼時。その記憶の中の偉大なる父の姿が、目の前の瀕死の老人と同じ人物とは、貞任には、どうしても思えなかった。

「叔父上は、どうなった?南は、陸奥国衙の兵は?」

頼時は、息をするもの苦しそうであったが、最後まで、奥六郡を案じていた。

「大叔父上、いや、富忠は、この地を捨てて、陸奥国衙の兵と共に船で逃れたとのことです。おそらく、気仙郡か、多賀城に向かうつもりでしょう。南方は、国衙の兵、約四千余が、河崎柵前に姿を現したそうです。その直後に、重任の遣いが、父上の負傷を伝え、すぐに衣川を出発したので、その後の状況はわかりませぬ。」

「そうか・・・」

頼時は、富忠の挙兵が、源頼義によって、何ヶ月も前から計画されていたことを、改めて確信した。そして、叔父の富忠が抱き続けていた黒い野望を、それに気付かず、見抜けずに命運が尽きた、己を恥ずかしく思った。

「最早、衣川まで行くのは難しいかもしれぬ・・・一門に、鳥海柵に集まる様に伝えよ。経清殿も呼び戻してくれ。叔父上が去ったのであれば、北方の脅威はなくなったはずじゃ。兵力を南方に集中せよ。」

頼時は、それだけを言うと、力を使い果たしたかの様に、再び、目を閉じた。


 龍王と頼時、貞任、重任、則任の一行が、鳥海柵に着いたのは、それから二日後の七月二十五日であった。鳥海柵は、胆沢郡に築かれた城柵で、柵主は、頼時の三男、安倍宗任である。貞任の派遣した使者によって、既に、安倍一門は、鳥海柵に勢揃いしていた。

 頼時の弟の安倍良照と為元、頼時の三男の宗任、五男の家任、六男の正任、長女の有加、次女の奈加、貞任の妻の千里、則任の妻の麗子、そして、娘婿の藤原経清である。一同は、頼時の寝所に集まり、静かに、安倍の棟梁の最後の時を迎えようとしていた。

「わしの命は、あとわずかじゃ・・・」

頼時の苦しそうな声が、静まり返った部屋に広がる。

「父上・・・」

有加と奈加は、余りの哀しみに涙を堪え切れず、咽び泣いた。

「皆の者、よく聞くのじゃ。次の安倍の棟梁は、阿修羅王、貞任に定める。ただし、政務に関しては、宗任が中心となり、経清殿を加え、藤原重久達の重臣と諮って執り行え。貞任は、政治には向かぬからのう。そうであろう?」

「そうですね。頼まれても、お断りします。」

貞任は、微かな笑みを見せた頼時に対し、笑顔で返した。

「貞任は、安倍の棟梁として、兵を率い、奥六郡を守れ。合戦では、常に貞任を大将に、経清殿を副将として戦うのじゃ。一門の者は、貞任の許で結束し、源頼義と戦うのじゃ!」

頼時は、最後の力を振り絞るかの様に、精一杯の声を張り上げた。

「よいか。我等の敵は、京の朝廷と思うてはならぬ。あくまでも、源氏の、源頼義と思うのじゃ。朝廷と本気で戦えば、永遠に合戦は終わらぬ。源頼義と源氏の郎党達を滅ぼし、その後、朝廷とは和議を結ぶのじゃ。源氏さえ滅ぼしてしまえば、最早、朝廷には、この奥州において、我等と戦い続けるだけの力はなくなる。とは言え、我等にも、奥州を出て、京まで攻め上る様な力はない。それを忘れるではないぞ。」

「わかりました。父上。」

貞任は、父の手を取り、握り締めると、遺言に従うことを誓った。

「それと、もう一つ。源頼義と戦えと申したが、決して、多賀城を落としてはならぬ。多賀城は、京の朝廷の奥州支配の象徴。その象徴を落とせば、朝廷も後には引けなくなり、和議は成立せぬであろう。陸奥国衙多賀城も、いずれは、鎮守府胆沢城と同様、形式だけの城として、事実上は、我等、安倍一門が管理する様にすれば良いのじゃ。」

頼時は、そこまで話し終わると、疲れを感じたのか、しばらくの沈黙の後、再び、口を開き、経清の名を呼んだ。

「経清殿。そなたには、有加の婿に迎えたために、辛い思いをさせた。主君の源頼義や、友である源氏の郎党達を裏切るのは、さぞ、辛かったであろう。」

「いえ。確かに、辛いこともありましたが、今は、新しい使命を感じ、新しい喜びを得ております。有加と清太郎と共に。」

経清は、笑顔で頼時に答えると、有加に抱かれた赤子に視線を移した。昨年、阿久利川事件の前に有加が懐妊し、十一月に生まれた、経清の長男、清太郎である。

「経清殿。これからも、貞任と共に、この奥六郡を守ってくれ。一度は忠誠を誓った主君と戦うのは心苦しいとは思うが、源氏と対等に渡り合うためには、経清殿の力が不可欠じゃ。頼みましたぞ、経清殿。」

「はい。私も、この奥州に黄金楽土を築くために、命を賭ける所存です。」

経清は、最早、ほとんど力の入らなくなった頼時の右手を、固く握り締めて誓った。

「有加よ。清太郎を見せておくれ・・・」

頼時の願いに、有加は、抱いていた赤子を父の胸に預けた。

「清太郎・・・我等の希望・・・」

頼時の目から、ふいに、涙が溢れ出した。そして、有加の方に向き直ると、

「有加。そなたは、これから、母として、安倍一族の女として、何があっても、清太郎の命を守るのじゃ。たとえ、安倍一族が滅びたとしても、経清殿が死んだとしても、清太郎の命だけは、救わねばならぬ。清太郎こそが、我等の悲願、最後の希望なのだ・・・」


翌日の二月二十六日。奥六郡の覇者、安倍の棟梁、頼時は死んだ。

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