第十話「永衡誅殺」
「なんじゃ・・・これは・・・」
安倍頼時は、怒りを抑えきれずに、顔面を蒼白にして、目を血走らせた。鎮守府将軍からの書状を持つ手が、小刻みに震えている。
「で、国衙はなんと?」
父、頼時の尋常ならざる形相の変化に、貞任が、身を乗り出して問いかけた。
天喜四年(1056年)一月二十八日、衣川の安倍館に、陸奥守兼鎮守府将軍の使者として、平永衡が現れた。永衡は、二日前、鎮守府将軍の胆沢城検分の後、源頼義と共に陸奥国衙多賀城に向かったが、阿久斗川の河畔において、蝦夷による人馬殺傷事件に遭遇した。
翌朝、頼義は、永衡を呼ぶと、安倍頼時への書状を持たせ、急ぎ、衣川に向かわせたのである。永衡には、書状の内容は知らされなかったが、内容を読まなくても、奥州全土を揺るがす文書であることは、十分に想像できた。
永衡は、昼夜を問わずに馬を走らせ、衣川に到着するなり、安倍館へ駆け込んだ。血相を変えて、至急、頼時への面会を求める、永衡の異常な様子に、館内に居合わせた、貞任・宗任・則任・重任・良照が集まった。頼義の書状を渡した永衡は、二の句を告ぐことさえできぬ、頼時の憤怒の形相に、ただ、うなだれるばかりであった。
「去る、一月二十六日。安倍貞任と則任は、鎮守府将軍の命によって、軍勢に随伴しながらも、中途で任務を放棄し、勝手に隊列を離れた上に、陸奥国衙の軍勢を襲撃した。聞けば、貞任は、妻のある身でありながら、陸奥権守藤原説貞の娘に横恋慕し、縁談を申し入れたが、権守に断られて逆恨みし、腹いせに権守の野営地を襲ったとのこと。貞任の罪、許し難し。直ちに貞任を処断し、その首を持って、陸奥国衙に出頭せよ。」
父の手から書状を取り上げた貞任は、声に出して読み上げたが、途中から、怒りで声を震わせ、顔を強張らせた。
「なんだと!」
「馬鹿な!」
宗任・重任・良照は、貞任の読み上げる内容を信じられずに、一斉に立ち上がると、貞任の手から、強引に書状を取り上げた。則任は、まるで内容が理解できないかの如く、一人、呆然と空を見つめている。
「永衡殿!いったい、これはどういうことじゃ!」
良照は、言葉が出ない頼時や貞任に代わって、永衡に問い詰めた。
「二日前の深夜、阿久斗川の河畔で野営していた国衙の軍勢を、蝦夷の集団が襲撃しました。襲われたのが、陸奥権守の野営地だったこと、また、襲ったのが、蝦夷だったこと、更に、その日の夕方、貞任殿・則任殿が、勝手に隊列を離れたことで、犯人は、貞任殿に違いないということになったようです・・・。」
永衡は、苦悶の表情を浮かべながら、振り絞るように言葉を発した。
「阿久斗川の事件のことは、我が手の者から、既に聞いておる。しかし、何故、それが、貞任に結びつくのじゃ。そもそも、貞任と則任は、勝手に隊列を離れたのではなく、説貞めに、強引に追い払われたのではないのか?」
頼時が、憤怒の形相のまま、更に永衡を問い詰める。
「そうじゃ!わしと則任は、説貞に強引に追い返されたのじゃ。鎮守府将軍の命令だと言ってな。頼義様や義家殿に離任の挨拶さえ、させてもらえずにな。おのれ、説貞めが!我等を欺きおったのか!」
「おそらく、貞任殿と則任殿ははめられたのです。説貞か、頼義様に。更に、野営地を襲撃したのが、蝦夷達だったために、安倍一門の仕業と見做されたのです・・・。」
安倍一門の男達の怒声が飛び交う中、永衡は、うつむいたまま、そうつぶやくのが、精一杯であった。
「蝦夷か・・・。わしも、我が手の者から報告を受けた時、そこが一番の謎じゃった。何故、蝦夷が、国衙の野営地を襲ったのじゃ。そもそも、その蝦夷とは、どこの連中なのじゃ。言うておくが、無論、貞任の指示ではない。」
頼時は、わずかに落ち着きを取り戻すと、阿久斗川の出来事に考えを巡らせた。
「私は、現場から離れたところにいたため、後から聞いた話ですが・・・。義家様は、騒ぎを聞いて、その場に駆けつけ、一撃で敵を切捨てました。その死体の特徴から、野営地を襲ったのが、蝦夷であったことは、間違いありません。それを、権守の説貞殿と光貞が、貞任殿と則任殿の仕業だと、騒ぎ立てたのです。
すると、頼義様が、説貞殿の言葉に同調して、犯人は貞任殿に違いないと、早々に決めつけてしまいました。まるで、最初から、貞任殿を犯人にすることを決めていたかのように。義家様は、貞任殿が、そんなことをするはずがないと、頼義様に必死に食い下がったのですが、翌朝に改めて吟味すると言われ、その場は引き下がるしかありませんでした。
しかし、頼義様は、翌日の早朝、頼時殿への書状を認めると、私に持たせて、衣川に向かわせたのです。おそらく、義家様に気付かれる前に。もし、この事件が、頼義様や説貞殿の罠であれば、義家様は、頼義様にとって、最もやっかいな相手になります。人を陥れるなどという卑劣な真似を、最も嫌う御方ですから。私が衣川に向かった後の様子はわかりませんが、今頃、義家様は、必死で頼義様の誤解を解こうとしているでしょう。」
永衡は、辛い表情のまま、今までの経緯を説明した。
「確かに、相手が自分の父とはいえ、あの義家殿が、こんな卑劣な罠を見過ごすとは思えない。」
貞任の言葉に、宗任・重任も大きく頷いた。彼等の脳裏には、あの武術大会での義家の爽快な姿が浮かんでいた。あれほどの武勇の士であれば、卑劣な手段など使わず、我等と堂々と渡り合うであろう。彼等は、そう信じたかった。
「それにしても、何故、兄上が、権守の娘に横恋慕して、縁談を申し込んだことになっているのでしょう。権守に麗子との縁談を申し込んだのは、私なのに・・・」
それまで、呆然としていた則任が、ようやく重い口を開いた。則任の頭を占めていたのは、自分のせいで、一門が窮地に陥ったことに対する、自責の念であった。永衡は、憐れみを含んだ哀しそうな瞳で則任を見ると、
「頼義様が欲しいのは、他の誰でもない、阿修羅王安倍貞任の首なのです。頼義様は、先年の武術大会において、貞任殿の武勇を見せつけられて以来、安倍の棟梁である頼時様以上に、貞任殿を恐れております。頼義様にとっては、則任殿の首が差し出されても、何の意味もありません。狙いは、あくまで、貞任殿。故に、貞任殿が、権守を逆恨みして、彼の野営地を襲撃したという筋書きにしたいのです。貞任殿に妻子がいるのがわかっているため、妾に望んだぐらいのことは言いかねません。
則任殿と麗子殿の件を、貞任殿にすり替えたのが、頼義様なのか、説貞殿なのかはわかりません。例え、頼義様の策だとしても、説貞殿は、躊躇うことなく、その策に乗ったのでしょう。説貞殿は、前任の陸奥守藤原登任様と共に多賀城に赴任してから、悉く、安倍一門と対立してきました。故に、このまま、頼義様が奥州を去れば、説貞殿が、安倍一門に滅ぼされるのは必定。そうなる前に、何としても、頼義様に安倍一門を滅ぼしてもらわなければなりません。説貞殿は、間違いなく、朝廷にも、貞任殿が、権守の娘との縁談を申し入れてきたと報告するでしょう。」
「源氏の棟梁ともあろう御方が、なんという破廉恥な・・・。」
永衡の言葉に、則任は、絶句するしかなかった。
「こんな卑劣な罠に屈して、大事な息子の首を渡すほど、わしは愚かな父親ではない。源氏が奥州を去るまでは、合戦は避けたかったが、最早、仕方あるまい。龍王様の予言の通り、それが、我等と源氏の宿命なのじゃ。黄金楽土を築くためのな。既に、合戦の準備は整っておる。龍王様に最終的なご判断を仰がねばならぬが、ここに至れば、奥六郡のみならず、奥州全土の蝦夷が立ち上がるであろう!」
頼時は、燃える様な瞳で、その場にいる一同を見回した。貞任・宗任・則任・重任・良照は、頼時と目が合うと、何かを決断したかの様に、大きく頷いた。既に、彼等の心から、迷いは消えている。しかし、一人、逡巡し、苦悶の表情を浮かべる者がいた。
「永衡殿は、いかがいたす所存じゃ。国衙との合戦が始まれば、最早、今までの様に、国衙と衣川を往復するというわけにはいくまい。我等としては、娘婿の永衡殿と経清殿には、是非、衣川に来て、我等と共に国衙の軍勢と戦って欲しいのだが・・・。」
苦悶する永衡に対し、頼時は、落ち着いた声で語りかけた。
「私個人としては、すぐにでも、安倍一門に加わり、国衙の軍勢と戦いたい気持ちです。しかし、多賀城には、私の兄弟もおります。彼等と戦いたくはありません。しかし・・・舅殿や妻の兄弟達とも戦いたくはない・・・。」
「そうじゃな。今すぐに決断せよと言われても、無理であろう。しかし、このまま、陸奥国衙に戻ったところで、鎮守府将軍が、永衡殿を信用するかどうか・・・。何しろ、永衡殿には、鬼切部の時の前科があるからな。」
良照の言葉に、一同は、表情を暗くした。永衡は、五年前の永承六年、前陸奥守藤原登任と出羽城介平繁成が、奥六郡に侵入した、鬼切部の戦いの際に、衣川に赴いたまま、国衙に戻らなかったため、謀反の嫌疑がかかっていた。その後、上東門院の平癒祈願のため、全国に大赦が発令。永衡は、罪の咎めを免れた。
しかし、再び、陸奥国衙と安倍一門の間に合戦が起これば、朝廷が、永衡の裏切りを予測し、信頼されない可能性が高い。裏切りの可能性のある人物を陣中に置けば、他の将兵の士気に関わる。頼義が、永衡の伊具郡司職を解任してもおかしくはなかった。
「とにかく、私は、頼時殿の返書を持って、多賀城に戻ります。後のことは、陸奥国衙にて、経清殿や、兄、弟達と相談して決めようと思います。」
「うむ。それが良いであろう。義家殿も相談に乗ってくれるかもしれん。あの御曹司は、今回の件では、父親にかなり不信感を抱いていると聞く。永衡殿の味方になってくれるであろう。本当は、義家殿に、我等の味方になって欲しいぐらいだが、さすがに、鎮守府将軍の御曹司では不可能であろう。永衡殿には、経清殿と共に、必ず、我が陣営に来て、共に戦っていただきたい。二人共、我等の家族なのだから。」
頼時は、永衡が多賀城に戻ることに、多少の不安を感じながらも、他に選択肢が無いことを理解していた。あとは、龍王と共に恐山で会った、真っ直ぐな気性の源氏の御曹司、義家に期待するしかない。きっと、永衡を守ってくれるであろう。
「奈加と成丸は、このまま、衣川に留めさせて下さい。合戦が始まれば、陸奥国衙や伊具に置いておくのは危険です。朝廷側の人質にされる恐れもあります。申し訳ありませんが、二人を、何卒よろしくお願いいたします。」
永衡は、妻と息子の姿を思い浮かべながら、一同に深々と頭を下げた。
「無論じゃ。二人は、衣川で預かるので、安心されよ。」
宗任は、永衡を安心させるために、優しい口調で言葉を返した。
「しかし、合戦が始まり、永衡殿も参陣するようなことになれば、我等は、永衡殿と刃を交えねばならぬ。特に乱戦の中では、見分けがつかぬ。奈加と成丸のためにも、永衡殿を殺してしまうわけにはいかん。何か良い手はないか・・・」
「そうじゃ!永衡殿。奥六郡攻めの軍勢に加わる場合には、父上が、奈加との婚礼の際に贈った、あの銀の兜を被られよ。あれならば目立つ。さすれば、奥六郡の軍勢には、そなたへの攻撃を控えさせることができる。」
「ありがとうございます。」
宗任の気遣いに、永衡は、もう一度、畳に額を擦り付けんばかりに頭を下げた。
「それでは、陸奥国衙の使者よ。わしの回答を伝える。答えは、否じゃ。このような破廉恥な言いがかりで、大切な息子の首を差し出すほど、わしは愚かな父親ではない。我等の首が欲しければ、軍勢と共に衣川まで来るが良い、とな。」
「そうじゃ。例え、数万の敵が来ようとも、返り討ちにしてくれるわ!」
貞任の言葉に、全員が、自信に満ちた表情で頷いた。
「父上!本気で奥六郡と戦うおつもりですか?」
源義家は、官人達の集まる朝議の間に入るなり、大音声で父に問い質した。義家の後ろには、藤原経清・平永衡・藤原景季・清原貞衡が従っている。
二月二日。平永衡は、北上川を下り、馬を走らせて、多賀城に帰任した。源頼義は、永衡から、安倍頼時が、息子の貞任の首を差し出すつもりはないとの報告を受けると、陸奥国衙の官人達に、合戦の準備を命じた。永衡は、貞任と則任は、阿斗川事件に関与していないと、二人のために弁明したが、頼義は聞く耳を持たなかった。
最早、合戦を避けるためには、義家に賭けるしかない。永衡は、相婿の経清と共に義家の許へ赴くと、事の次第を説明した。永衡の話を聞いた義家は、激怒した。阿斗川の人馬殺傷事件以来、義家は、父が、野営地を襲撃した蝦夷達の正体を突き止めるべく、調査を続けていると信じ込んでいた。まして、その頼義が、頼時に対して、貞任の首を要求していることなど、知る由もなかった。そこへ、この合戦準備の命である。義家の父への不信と怒りは、頂点に達した。
「父上は、貞任殿が野営地を襲ったと、本気で思っているのですか?」
義家の目が、真っ直ぐに頼義の目を見据えている。その後ろでは、経清・永衡・景季・貞衡が、片膝を付きながらも、同様に頼義を見据えた。貞任と共に十三湊と恐山を旅した彼等には、貞任が、そのような愚かな行為をするとはどうしても思えなかった。しかも、犯人が蝦夷だったというだけで、貞任との関わりの証拠は何一つ存在しない。
更に、永衡の話では、貞任と則任は、国衙の軍勢から勝手に離脱したのではなく、頼義の命を受けた説貞に追い返されたのであり、安倍氏側の弁明を聞こうともせず、即座に合戦の準備を始めたことが、義家には、どうしても納得できなかった。
「くどいぞ、義家!これ以上、口を挟むことは許さん!」
有無を言わせぬ父の口調に、義家は、一瞬、言葉を失った。頼義が、息子の義家に対し、これほど激しく怒りを露わにしたのは、初めてであった。余りの剣幕に、義家の矛先は、父の傍らに控える、陸奥権守藤原説貞に向かった。
「頼時殿の回答では、貞任殿と則任殿は、勝手に衣川に戻ったのではなく、鎮守府将軍の命令だと言って、そなたたちが強引に帰らせたと言うではないか。多数の兵が、そなたや光貞と、貞任殿、則任殿が言い争っているのを目撃している。よもや、そなたが、貞任殿を嵌めようとして、父上を誑かしているのではあるまいな。」
義家は、既に知っていた。陸奥国衙の官人達が、親安倍派と反安倍派の二派に分裂していることを。そして、反安倍派の中心人物こそ、陸奥権守の説貞と、その息子達であることを。義家に睨まれた説貞は、困惑した表情で、頼義を見た。相手が頼義の息子であるが故に、迂闊な言葉は口にできない。
「いいかげんにせんか!わしは、そんな命令を出していないし、説貞も、貞任と則任にそんなことは伝えておらん。頼時の作り話じゃ。言い訳にすぎん!」
頼義は、苛立ちを抑えきれず、義家に怒声を浴びせた。
「父上、きちんと検分して下され。貞任殿と則任殿が、本当に無断で衣川に戻ったのか。阿斗川の野営地を襲った蝦夷が、貞任殿の配下なのか。それに、説貞の娘と愛し合っているのは、貞任殿ではなく、則任殿です。双方の主張にこれだけの食い違いと矛盾があるままで、奥六郡に合戦を仕掛けることを、廟堂はお許しになりますまい。」
義家は、怯むことなく、必死で頼義に訴えた。
「子供のお前に、まつりごとの何がわかる。そなたも知っておろう。いや、むしろ、そなたの方が知っておろう。奥六郡の安倍頼時の力を。そして、頼時の背後にいる、蝦夷どもを。奴等は、京の朝廷に深い恨みを持つ者どもじゃ。今は大人しくしておるが、いづれは、廟堂の支配を覆そうとする。わしが、鎮守府将軍の間に、奴等を滅ぼさねば、取り返しがつかないことにになるのじゃ。それに、あの貞任という男。放っておけば、ますます、その力は増大し、我等、源氏でさえも歯が立たなくなる。」
「父上は、朝廷のためよりも、奥六郡の黄金に目が眩んでおられるとしか思えませぬ。こんな卑劣な嘘を並べて合戦を仕掛けるとは、源氏の棟梁の名が泣きまするぞ!」
「なんじゃと!」
我が子に卑劣という言葉を投げられ、頼義は、怒りの余り、思わず立ち上がって、刀の柄に手をかけた。それでも、義家は、父から目を逸らそうとしない。緊迫した空気が朝議の間を包み、その場にいた官人達は、誰もが、凍りついたように動かなかった。
「義家様。これ以上は。」
背後からの声に、義家が振り返ると、経清は、大きくかぶりを振った。経清の仕草に、永衡も口惜しそうに頷く。何を言っても無駄だという意味であろう。経清や永衡にしてみれば、貞任のために、これ以上、源氏の父子の仲を引き裂くわけにはいかなかった。
それに、前任の陸奥守藤原登任の頃から、藤原説貞という男を見てきた、経清と永衡はわかっていた。説貞は、確かに姑息な策謀家で、安倍一門を毛嫌いしているが、独断で、貞任を罠に嵌めるような度胸はない。頼義の了承を得て、もしくは、頼義の命令で動いているに違いなかった。貞任を陥れた張本人は、間違いなく、頼義自身であろう。
「義家。それほどまでに貞任と戦うのが嫌なら、坂東に帰れ。そなたは、鎮守府将軍の息子ではあるが、無位無官の身。合戦に参加せずとも、何の支障もない。これ以上、国衙の決定に異を唱えるようであれば、この多賀城から追い出すのみじゃ!」
静かな、しかし、威圧的な父の言葉に、さすがの義家も、何も言い返せなかった。頼義は、義家を黙らせた後、ゆっくりと立ち上がると、刀の柄に手をかけ、抜き払った。源氏の名刀、髭切が、不気味な光を放つ。
「よいか。この場で、ハッキリと言っておく。この中には、永年、安倍一門と誼を通じてきた者達もおろう。その過去は問わぬ。しかし、今日、この時から、安倍一門は、朝敵じゃ。そして、安倍氏追討は、鎮守府将軍の命令じゃ。これに異を唱える者は、敵に通じたと見做し、即座に捕らえる。」
頼義の圧倒的な迫力に、陸奥国衙の在庁官人達は、ただただ、平伏するしかなかった。
「ええい!永衡め。義家に余計な告げ口をしおって!」
多賀城の国司の執務室に戻った源頼義は、腹立たしげに壁を叩いた。
「さすがは、源氏の御曹司。真っ直ぐなご気性ですな。まるで、頼義様の若い頃を思い出しまする。」
佐伯経範は、苛立つ頼義を宥めるように、笑ってみせた。執務室には、頼義と経範の他、和気致輔と下毛野興重の二人しかいない。源氏の郎党には、優れた武勇の士は多いが、謀略の才能を持つ者は少ない。頼義自身、謀略には向いていないことを自覚している。経範・致輔・興重の三人は、頼義が最も頼りとする謀臣であった。
「息子としては、誉めてやりたいぐらいだが・・・。わしの若い頃にそっくりなだけに、厄介じゃな。しかし、さすがに父を裏切ることはないであろう。問題は、永衡じゃ。」
「はい。永衡殿は、間違いなく、頼時の許へ走るでしょうな。」
興重の言葉に、経範・致輔も頷く。頼義も、それは確信していた。
「殺すしかないか・・・。」
頼義の呟きに、一瞬、部屋の空気が凍りついた。その場の誰もが思っていながらも、口にするのを躊躇った一言であった。
「しかし・・・永衡殿を殺せば、安倍一門に近い官人達も黙っていないのでは?それに、相婿の経清殿も・・・。」
致輔の懸念は、経範と興重にも理解できた。特に経清は、源氏の郎党の中でも一、二を争う武勇の士である上に、鹿島派の門弟には、彼を慕う者が多い。藤原則明・藤原景季・藤原季俊・平常長・藤原茂頼・清原貞衡・物部長頼など、鹿島派は、源氏の郎党の中核を占めるだけに、経清が離反した場合、その影響は計り知れない。
「経清は、坂東の頃からの郎党じゃ。あやつを信じる他はあるまい。それに、経清が頼時の許へ走ろうとしても、鹿島派の連中が押し留めてくれるじゃろう。」
頼義は、自分自身を安心させる様に頷いた。頼義にとって、経清は、心から信頼できる、得難い郎党の一人であった。今は、頼義と頼時、源氏と安倍氏の狭間で苦しんでいるが、いずれは、頼義の想いを理解し、共に戦ってくれると信じたかった。
「しかし、露骨に処刑すれば、陸奥国衙の在庁官人達も動揺するでしょう。それに、郡司を勝手に処刑すれば、廟堂の公卿達も、何かと口を挟んでくるやもしれませぬ。」
経範の懸念に、頼義・致輔も頷いた。
「もう一度、説貞殿に憎まれ役になっていただくしかないでしょうな。」
「安倍一門と親しい官人達の怒りの矛先を、説貞一人に集中させるか・・・。」
興重の案を、頼義は即座に理解した。経範と致輔にも、異論はなかった。
「説貞殿とて、我等源氏が奥州から兵を引き揚げれば、頼時や貞任に真っ先に誅殺されることを理解しておるはず。我等に利用されたとて、文句は言えまい。」
経範の底意地の悪い物言いに、頼義・致輔・興重は苦笑を禁じ得なかった。彼等も、心の底では、説貞の様な小悪党を、快く思っていなかったのである。
その頃、多賀城下の金為尚の邸宅には、親安倍派の在庁官人達が集結していた。多賀城北方に勢力を有する金一族では、前気仙郡司の金為尚を中心に、郡司職を継承した為尚の長男の為時、安倍貞任の妻、千里の父で次男の為行、三男の則行と四男の経永、為尚の弟の磐井郡司金師道、その息子の依方の七名全てが、顔を揃えている。
また、陸奥国南部の四郡を治める海道平氏の一族では、磐城郡司の平忠清を筆頭に、忠清の次弟で、行方郡郡司の忠衡、三弟の伊具郡司の永衡、そして、三人の叔父、標葉郡司の平助衡が出席している。金氏・海道平氏の他、亘理郡司の藤原経清、源義家、藤原景季、清原貞衡が、一同に会していた。
金一族は、為行の娘の千里を通じて、海道平氏は、永衡を通じて、安倍一族の縁戚に連なっている。無論、経清も、安倍一族の娘婿という縁を持つ。義家・景季・貞衡は、安倍貞任と共に極北の地、十三湊・恐山を旅したことで、奥六郡と安倍一族、そして、蝦夷について深く理解し、共感すら覚えていた。
「最早、どうあっても合戦は避けられぬであろうな。」
重苦しい雰囲気が支配する中、永衡が、力を落とした声で呟いた。
「お互い、苦しい立場になったな。」
為行は、永衡の想いに共感すると、深い溜息をついた。同じ立場の経清もまた、嘆息せざるを得なかった。ここに集まっている、親安倍派の在庁官人達は、前陸奥守藤原登任の頃から、陸奥国衙と奥六郡の合戦を避けるべく、両者の狭間で懸命な努力を続けてきた。しかし、今、その七年余りの努力も、文字通り、灰燼に帰そうとしている。
「金一族は、将軍に従うおつもりですか?」
磐城郡司の平忠清が、本題を切り出した。一同の目が、金氏の惣領、為尚に注がれる。
「平一族は、どうされるおつもりかな?」
為尚は、忠清の質問には答えずに、逆に質問を切り返した。同じ、親安倍派の在庁官人で、安倍一族の縁戚に連なるとはいえ、金一族と海道平氏では、状況が異なる。海道平氏の治める四郡は、多賀城の南方のため、国衙の軍勢が大敗し、多賀城が陥落しない限り、彼等の領国に、奥六郡の軍勢が攻め寄せることはない。
しかし、金一族は違う。彼等の領国の気仙郡と磐井郡は、奥六郡と隣接しており、両者の軍勢の通過地点なのである。陸奥国衙に従えば、奥六郡の軍勢に攻められ、奥六郡に与力すれば、陸奥国衙の軍勢に攻撃されることになる。
「我等は・・・将軍に従うしか・・・ない。」
平助衡は、苦渋の表情で、声を絞り出した。彼等には、金一族とは異なる状況があった。海道平氏の領国と奥六郡の間には、陸奥国衙多賀城が聳えている。仮に、陸奥国衙に叛き、安倍一族に与力しても、多賀城が落ちぬ限り、奥六郡からの援軍を得ることが出来ない。のみならず、坂東の朝廷軍に挟撃される恐れもあった。
「永衡殿は、それでよろしいのですか?」
為行の問いに、永衡は、何かに耐えるかの如く、顔を歪めただけであった。
「経清殿は?」
為行は、黙したままの永衡の心情を慮り、今度は、相婿の経清に問いかけた。
「私は・・・合戦が避けられぬのであれば、早期に講和に持ち込む様に、頼義様に諫言し続けるつもりです・・・。」
「それは、つまり、陸奥国衙の軍勢に加わるということじゃな?」
為尚の鋭い口調に、経清は、何も答えられなかった。
「経清殿。いかに源氏の郎党とはいえ、我が父に遠慮することはありませぬ。本心では、有加様のいる、衣川に駆けつけたいぐらいでしょう。最早、父の野望は、誰にも止められませぬ。息子の私でさえ、父を見限って、貞任殿に加勢したいと思うのですから。」
義家は、黙したままに一同の話を聞いていたが、経清の心境を慮ってか、ようやく、重い口を開いた。義家にとって、その日の頼義の姿は、父に対する尊敬の念を覆すほどに強烈であった。かって、坂東の地で、貧しさ故に群盗に身を落とした者達への寛容な心は、いったいどこに消え失せてしまったのか。
「欲望に囚われた、父上の醜悪な姿、とても見てはいられぬ。」
「義家様、その様なことを申してはなりませぬ。」
吐き捨てる様に言う義家に対し、嗜めたのは、経清であった。
「頼義様には、大望があるのです。そのために、奥州を傘下に治めたいのです。」
「それは、私も知っています。しかし、大望のためであれば、罪を捏造して、貞任殿を殺しても良いとは、私には思えませぬ!父上は、老いのために焦り、大望と野望の区別がつかなくなっておられるのじゃ!」
義家の言葉に、経清も押し黙った。源氏の棟梁の源頼義も、既に六十九歳。最早、自分の人生が長くはないことも理解しているであろう。奥州への下向後、特に前年の武術大会以来、経清は、頼義の焦りを感じ取っていた。理由の一つは、義家の言う通り、間違いなく、老い故の焦りであろう。
しかし、経清は、別の理由にも思い当たっていた。安倍頼時の長男、貞任の存在である。武芸こそ、義家と互角であったものの、三十八歳の貞任に対し、義家は、未だに十八歳。現時点では、棟梁としての器量は、明らかに貞任の方が上である。義家が、頼義を超える可能性を秘めていることは確かであるが、数年以内に頼義が死ぬことがあれば、間違いなく、源氏は、安倍一族に敗北するであろう。
頼義は、自分が生きている間に、源氏にとって最大の障害となる、貞任を葬りたいに違いない。故にこそ、則任が、説貞の娘に縁談を申し入れたのを、貞任にすり替えてまで、貞任一人の首を要求したのである。そして、阿修羅王の継承者である貞任が、朝廷にとっても危険な存在であることもまた、確かなのである。
「頼義様の野望とは、いったい、何のことじゃ?」
経清と義家の会話に、為尚が、口を挟んだ。坂東と奥州を傘下に治め、摂関家の専横を覆す、という頼義の大望は、源氏の郎党の中でも、極めて限られた者しか知らない。
「いや、頼義様の望みは、源氏と武家の力を世に示すこと・・・。」
経清は、何かを言いかけた義家を制すると、歯切れ悪い言葉を返した。いかに親しくとも、陸奥国衙の官人達に対し、頼義が、摂関家の転覆を企図していることを、告げることなど出来ない。現在の廟堂の頂点に立つのは、摂関家の嫡流、関白藤原頼通であり、その支配に挑戦することは、朝廷に対する謀反と同義になる。
仮に、陸奥国衙の官人達が、頼義の企図を朝廷に報告し、廟堂が頼議を朝敵とすれば、坂東の武家達は、頼義の傘下へ馳せ参じるであろう。そうなれば、騒乱はこの奥州のみならず、坂東、否、この国全土に拡大しかねない。
「金一族は、将軍に従うおつもりですか?」
経清は、為尚に対し、忠清の問いを再度、繰り返すことで、話を逸らそうとした。
「わしと為行は、将軍に従う。そして・・・」
為尚は、そこまで言い終わると、次男の為行に目配せした。
「私と則行、経永、叔父上、依方は、奥六郡に与力する。」
為行の言葉に、則行・経永・師道・依方の四人は大きく頷いた。
「気仙郡と磐井郡は、奥六郡との境界。戦場になることは避けられぬ。我等は、一族を絶やさぬため、敢えて、敵味方に別れる!」
為時は、弟の言葉を引き取ると、強い口調で言い切った。経清、そして、その場に居合わせた誰もが、彼等の熱い眼差しに、その並々ならぬ決意を感じ取った。この日の来るのを予測して、一族の間で、何度となく、激論が交わされたのであろう。
金一族の本拠地は、陸奥国衙と奥六郡の境界に位置するため、どちらに従おうとも、最前線に立たされる。合戦が避けられぬのであれば、同族内で敵味方に別れることによって、どちらが勝利しようとも、金一族の血が絶えることはない。
「しかし、一族の内、五人までもが衣川に走れば、為尚殿と為時殿が、苦しい立場に立たされることになるのでは?」
それまで、苦しい表情を浮かべ、沈黙していた永衡が、為時の心情を察して問いかけた。
「もとより、それは覚悟の上。我等は、陸奥国衙の側でも、奥六郡の側でも、死力を尽くして戦う。私は、本気で奥六郡と安倍一族を滅ぼすつもりで将軍に従います。
例え、戦場において、弟や叔父上達と相対しようとも、決して手加減はせず、殺すつもりで立ち向かって行く所存です。それくらいせねば、将軍には、私と気仙郡の兵達を信用していただけないでしょう。」
「私達も、奥六郡のいちつわものとして、多賀城を攻め落とすために、父上と兄上の首を刎ねてもかまわぬつもりで、戦場に赴きます。」
為時の決意の言葉に、為行が応じる様に、強い決意を語った。
「が、念のため、わしと師道、為時と為行の兄弟が、どちらに味方をするか、大喧嘩をした上、一族内で内紛を起こしたとの噂を巻くつもりです。話の信憑性を得るために、わしも、体に二、三の刀傷をつけましょうぞ!」
為尚の言葉に、揺らがぬ想いを固めた金一族は、豪快に笑った。彼等の笑顔は、その室の沈鬱な空気を拭い去り、他の一同の顔にも笑みが浮かんだ。その中で、一人、永衡だけが、顔を強張らせたままに動かなかった。
「永衡、そなたも、衣川に赴きたいのじゃな・・・。」
次兄の忠衡が、末弟の永衡の苦悩を慮って、労る様に言葉をかけた。彼等、海道平氏の一族とて、自分の立場のために、弟の永衡が衣川に走るのを制止していたわけではない。しかし、永衡には、永承六年、前任の陸奥守藤原登任の時に起こった鬼切部の合戦の際、衣川に留まったまま、陸奥国衙に戻らなかったという前科がある。あの時は、上東門院の平癒祈願のために大赦が発令されたため、永衡は罪を許された。
しかし、二度目は許されない。奥六郡が滅びるとこになれば、永衡も安倍一族と共に冥土へ赴くことは覚悟の上であるが、問題は、陸奥国衙と奥六郡が和睦した場合である。和睦が成立し、奥州に平穏が訪れても、永承六年に続き、二度も朝敵となった国衙の在庁官人を、廟堂が許すはずがない。匿えば、安倍一族も同じ罪に問われるため、奥六郡に潜伏することも難しいであろう。同じく陸奥国衙の在庁官人でも、磐井郡司の金師道は、初犯のため、罪科が異なるのである。
「永衡殿。私は、あなたと戦いたくはない。」
義家の後ろに控えていた貞衡が、永衡を慕う気持ちを抑えきれずに声をかけた。義家の郎党になると決めた以上、貞衡は、奥六郡に与力することは出来ない。経清と同じく、景季と貞衡も、義家に頼議に、父に叛けと唆すことは出来なかった。義家が、陸奥国衙の側に立って戦う以上、貞衡は、安倍一族と戦わねばならない立場にあった。
「私も、貞衡殿と同じ想いです。義家様も、我々も、経清殿と共に、一日でも早く、奥州に平穏が戻るよう、頼義様に対し、和睦を嘆願し続けるつもりです。もし、和睦が成った時、永衡殿が、罪人となるようでは、我等の努力も無意味になります。ここは、我等と共に陸奥国衙に留まり、奥州の平和のために、力を貸して下さい。」
景季が、永衡を説き伏せる様に頭を下げると、隣の貞衡も共に、深々と叩頭した。
「永衡殿。私も同じ想いです。いかに理不尽であれ、鎮守府将軍は、仮にも我が父。安倍一族の方々とは戦いたくはないが、さりとて、父に背くことも出来ませぬ。永衡殿は、陸奥国衙の在庁官人の中でも、最も奥六郡と安倍一族に通じた御方。私が父上に諫言する時には、是非とも、お力をお借りしたい。」
景季・貞衡に続いて、義家も、永衡に頭を下げた。
「永衡、良き友を持ったな・・・」
瞼にうっすらと涙と滲ませた、忠清の言葉に、永衡は、知らぬ間に落涙していた。
「皆様、温かいお言葉、本当にありがとうございます。為時殿と違い、私は、安倍の方々と本気で戦うことは出来ませんが、しばらくは、将軍の許で耐えようと思います。」
深々と叩頭する永衡の言葉に、一同は、ようやく安堵の表情を見せた。しかし、彼等は、まだ知らなかった。この決断こそが、永衡を死地へと追い込むことになることを。
天喜四年(1056年)七月十六日。平将常が、坂東の兵三千を率いて、多賀城に到着した。将常は、長元年間に坂東で叛乱を起こした、平忠常の弟で、武蔵国秩父郡を本拠地とする。かねてより、頼義の父、頼信に忠実に仕え、頼信の死後は、引き続き、頼義の郎党の中でも長老格として仰がれ、坂東における、源氏の郎党達を纏め上げていた。
頼義は、安倍頼時追討を決断した後、将常に使者を遣わし、坂東において、兵と兵糧を集める、奥州に下向する様に命じていたのである。将常と共に、多くの源氏の郎党達が、頼義の許へ馳せ参じるため、軍勢に加わった。
武蔵国からは、将常の三人の息子、秩父武基・豊島武常・小山田武任。相模国からは、平忠通の息子の三浦為通・鎌倉章名。彼等を出迎えた、頼義を始めとする源氏の郎党達は、久しぶりの再会を喜び合った。
「秋の刈り上げ時が過ぎれば、倍以上の兵を集められまするが・・・。」
多賀城内に入ると、将常は、申し訳なさそうに頼義に頭を下げた。
「それは無理であろう。坂東での合戦なれば、万の兵でも集められようが、ここは奥州の地。民どもとて、何ヶ月も田畑を放置することはできぬ。秋が過ぎれば、冬が来る。冬に奥州に留まれば、雪が溶けるまで、坂東に戻るのも難しい。無理に民を奥州に呼び寄せれば、田畑が荒れ果て、我等は坂東まで亡国せしめることになる。坂東は源氏の要じゃ。奥州のために、坂東の民どもを犠牲にすることは出来ぬ。」
頼義の言葉に、佐伯経範・大宅光任・藤原景通・和気致輔が、大きく頷いた。
「それにしても、問題は都じゃ。未だに安倍頼時追討の宣旨が下されぬ。」
頼義は、苛立ちを見せながら、深い溜息をついた。頼義が、安倍頼時謀反を京に報せ、追討の宣旨を願い出たのは、二月二日。既に五ヶ月以上が経過している。
「安倍一族が、朝廷に何か画策している可能性もありまするな。」
「その可能性も十分に考えられるな・・・」
景通の言葉に、頼義は、四年前の永承七年、鬼切部合戦の後の大赦令を思い出したかの様に、再び、溜息をついた。
「それにしても、金一族の裏切りは、痛手ですな。為行がこちら側に付いていれば、河崎柵は、戦わずに通過できたものを。」
「仕方なかろう。為行は貞任の舅だからな・・・」
致輔の悔しそうな表情に、頼義は、諦めた口調で応じた。四ヶ月前の三月、藤原良経が多賀城に赴任した直後、城下の金一族の邸宅が炎上した。一族の間で、陸奥国衙に従うか、安倍一族に加勢するか、意見が分かれて激論になり、遂には剣を抜いて、刃を向け合う事態になった。為行は、父の為尚の腕に傷を負わせた後、則行・経永・師道・依方と共に邸宅に火をかけ、奥六郡に走り去ったという。
「多賀城に残った、為尚と為時も、本心から我等に従うつもりか、怪しいものです。彼等は元々、安倍一族との関わりが深い。陸奥国衙に残って、こちらの情報を衣川に伝えるつもりかもしれません。」
なおも疑いが晴れぬと言いたそうな致輔に対し、頼義は、皮肉な笑みを浮かべた。
「わしとて、その程度のことは想定しておる。奴等には、日和見は許さん。安倍一族と縁戚にある、金一族と海道平氏の者どもには、頼時の首を刎ねるまで、先陣を務めさせる。我等と安倍、どちらにも良い顔をしながらの高みの見物などさせぬよ。」
「なるほど、奥州の奴等に互いの血を流させ、源氏が高みの見物ですかな。」
「安倍一族は、そう甘い相手ではない。特に、あの貞任・・・」
笑い声を上げる為通を、経範が嗜めた。
「安倍貞任。奥州隋一の使い手と聞きまする。先年の武術大会では、あの則明に勝ち、御曹司と引き分けたとか。」
「うむ。則明とて実戦となれば、あの時以上の実力を発揮するであろうが、おそらく、殺し合いという意味では、貞任の方が上であろう。あの剣の動き、相当な実戦を経験していなければ出来ぬはず。その点、武術大会で引き分けたとはいえ、義家は、若さ故に人を切った経験が余りに少ない。戦場で出会えば、貞任が勝つであろう。」
将常の言葉に、頼義は、苦味切った表情で答えた。言葉にこそしなかったが、頼義は、貞任が、既に自分以上の剣の使い手であることを認めていた。それも、年老いた自分ではなく、全盛期の自分と比較して、だ。貞任を超える者がいるとすれば、義家以外にはあり得ない。しかし、奥州の戦いは、義家の成長を待ってはくれない。
「せめて、義家様が、あと五年早く生まれていれば・・・」
経範は、頼義の気持ちを察するかの様に、言葉を継いだ。
「仕方がなかろう。わしは、女嫌いであったが故に、五十近くまで、直子に出会うまで、子を作らなかったのじゃからな。」
自業自得。頼義は、そう言い掛けたが、口にはしなかった。
「そういえば、あの経清殿も、安倍頼時の娘婿になっておるとか。もしや、安倍一族と通じておるのでは・・・」
「そなたらも知っての通り、経清は、坂東の頃からの源氏の郎党じゃ!金一族や海道平氏の者どもと一緒にするでない!」
頼義は、声を荒げて、武基の発言を否定した。将常は、黙っておれと言いたげに、息子の武基を睨みつける。
「しかし、経清とて、喜んで舅と戦いたくはないでしょう。我等を裏切るとは思えませぬが、戦場で相手を殺せるかどうか。やはり、金為時・平永衡と同じく、経清にも先陣を務めさせた方が、いや、寧ろ、先陣の指揮官にした方がよろしいのでは?」
「そうじゃな・・・気仙と亘理、それに海道平氏の兵達に、先陣を務めさせるか。」
「あとは・・・義家様ですが、あのご様子では・・・。」
「義家が、あくまでも安倍頼時追討に反対するようであれば、合戦には連れては行かぬ。多賀城の留守をさせる。」
頼義は、親安倍派の官人達と引き離すために、義家を多賀城に残すことにした。
天喜四年(1056年)八月三日。遂に京より、安倍頼時追討の宣旨が、陸奥国衙多賀城に届いた。陸奥守兼鎮守府将軍源頼義は、追討の宣旨を受領すると、直ちに多賀城に陸奥国衙の官人を集結させ、奥六郡への進軍を号令した。
頼義は、国衙の軍勢を前軍・中軍・後軍の三軍に編成した。後軍は、多賀城周辺の兵を中心とする一千の兵で構成され、大宅光任にその采配が委ねられた。中軍は、頼義の本隊で、坂東の精兵三千によって構成される。
前軍を采配する指揮官は、藤原経清。安倍頼時追討宣旨と共に、朝廷は、藤原原経清を陸奥権守に叙任していた。頼義は、経清を奥六郡侵攻の前線指揮官とするために、相応の官職を与えてくれるよう、朝廷に推挙していたのである。これで、陸奥国衙には、藤原説貞と藤原経清、二人の権守が並び立つことになった。
経清の指揮する前軍は、経清自身が郡司を務める亘理郡の他、伊具・磐城・行方・標葉の海道四郡と、気仙郡の兵三千によって編成された。頼義は、藤原経清と平永衡、金為時などの親安倍派の在庁官人、特に安倍一族と血縁関係にある者達を、徹底的に先鋒として衣川に攻め入るつもりであった。
源頼義の長男、義家は、留守居役として多賀城に残された。留守居役とは名ばかりで、実際には、頼時追討に猛然と反対した義家を、戦場から遠ざけたのであった。義家は、父に対する憤然とした態度を隠そうともせず、藤原景季や清原貞衡を相手に、剣と弓の稽古に明け暮れる毎日を過ごすことになる。
九月一日。陸奥国衙の軍勢は、気仙郡を通過すると、北上川の東、衣川南東の河崎柵に到着。布陣した。河崎柵は、北上川の西、対岸の小松柵と連柵を成している。安倍頼時は、合戦を決意すると同時に、北上川を鉄の鎖で封鎖した。鎖は、小松柵と河崎柵の間、そして、衣川の手前に架けられたため、船で川を遡ることはできなくなった。
小松と河崎の両柵は、奥六郡の都、衣川を守る要衝の砦であった。この両柵を落とせば、衣川関に至る道筋には、琵琶柵しかない。小松柵を守るのは、安倍頼時の弟、良照。そして、河崎柵を守るのは、安倍貞任の舅、金為行であった。
この時代の「柵」は、ある意味、城と呼んでも差し支えない規模で、陸奥国衙多賀城も、元は多賀柵と呼ばれていた。無論、小松柵・河崎柵は、多賀城ほどの規模はないが、周囲を土塁と杭で囲み、望楼(見張り台)を四方に設置して、敵の侵入を防ぐことが出来た。小松柵は四千人、河崎柵は三千人の兵を収容することが可能である。
河崎柵は、元は気仙郡の支配者、金一族が、安倍一族の南下を食い止めるために築かれた柵である。しかし、安倍一族と金一族の交流が深まるにつれ、気仙郡と江刺郡(奥六郡の一郡)の境界は無意味となり、金一族は、安倍一族の同盟者として、牡鹿半島から三陸海岸に至る広大な土地を、一体的に実行支配していた。
本来、気仙郡は陸奥国衙の支配領域であり、江刺郡との境界は、奥六郡と北方の蝦夷に対する、律令国家の重要な境界線であった。しかし、気仙郡・江刺郡の民は、同族・家族が両郡に跨って暮らし、頻繁に往来を重ね、境界は、有名無実化していたのである。
九月二日。頼義は、藤原経清に、河崎柵の攻撃を命じた。前軍の兵三千の内、半数の千五百が、気仙郡司の金為時の兵である。対する河崎柵を守る兵達も、彼等の同族であった。これまで、金一族とその民にとって、陸奥国衙の支配領域と奥六郡との境界は、何の意味も持たなかった。しかし、今、陸奥守と奥六郡の俘囚長の間に合戦が始まったことで、彼等は、隣国の同族達と殺し合う立場に追い込まれたのである。
気仙郡の兵を率いる金為時は、弟の為行と殺し合いをする覚悟は出来ていた。しかし、兵達は、そう簡単に割り切れない。河崎柵の中には、彼等の親兄弟もいるはずであった。当然、兵の士気は著しく低い。同様に、守る河崎柵の兵達の士気も低く、彼等は、互いに矢を数本ずつ、単調に放つことで、見せかけの戦いを繰り返しているに過ぎなかった。
前軍の中で、気仙郡の兵達だけが、士気が低かったわけではない。亘理・伊具・磐城・行方・標葉の兵達の士気も、著しく低かった。兵達は、わかっていたのである。彼等の主が、安倍一族の縁戚であり、本心では、奥六郡と戦うことなど望んでいないことを。
特に、伊具郡司の平永衡は、安倍宗任との約束通り、頼時が、奈加との婚礼の祝いとし送った、銀の鎧を被って出陣していた。彼に戦意がないことは、誰の目にも明らかであった。永衡の周囲には、敵の河崎柵の兵達でさえ、矢を射掛けなかった。
馴れ合いの合戦を続ける中、前軍の中で、一人、指揮官の経清だけが焦っていた。
「頼義様は、為時殿や永衡殿が考えるほど、甘い御方ではない。このまま、前軍の戦いを見過ごすはずがない・・・」
とはいえ、経清とて、本気で安倍一族と戦いたいわけではない。自分自身が、戦いたくないと考えているのに、兵の士気を挙げることなど、出来るはずもなかった。しかし、頼義とて、前軍を親安倍派の官人達で固めれば、こうなることぐらい、予測したはずであろう。経清には、頼義の真意が図りかねていた。
九月二日の昼過ぎに始まった攻撃は、何の成果もないまま、夕暮れ時を迎えていた。暗闇での戦闘は、相手の姿が見えず、手探りになるため、敵味方に甚大な被害を及ぼす。経清は、攻撃中止を知らせるため、郎党の壬生行宗に、法螺貝を吹かせようとした。
その時、前軍を指揮する経清の許へ、陸奥権守藤原説貞が、息子の光貞・元貞を連れて、馬を走らせて近づいて来た。
「経清殿。頼義様は、何と言う不甲斐ない戦いぶりだと、激怒されておるぞ!」
説貞は、馬を降りるなり、経清に向かって怒声を挙げた。続いて、光貞・元貞の兄弟も馬を降り、父の背後に付き従う。
「敵方に内通する者がいるのではないかと、頼義様より、このわしが、前軍の軍監の役目を仰せつかった。今宵は、夜通し、柵を攻めよとのご命令じゃ。」
「軍監・・・。」
説貞の登場に、経清は、危惧していた事態が現実化したことを悟った。親安倍派の官人達の合戦の様子を、反安倍派の急先鋒である説貞に監視させるのである。前軍が、攻撃の手を緩めて柵を落とせなければ、軍規違反として、粛清するつもりであろう。
経清は、頼義の策謀に舌を巻いた。安倍一族や親安倍派の官人を憎む、説貞であれば、手心を加えるはずがないがなく、寧ろ、積極的に彼等を讒訴するに違いない。陸奥国衙の官人達との間に好悪の関係にない、源氏の郎党よりも遥かに厄介な相手である。
「それから、永衡殿をお呼び下され。軍監として、問い質したいことがある。」
「永衡殿を・・・?」
経清は、怪訝な表情を見せながらも、傍らの壬生行宗に、永衡を呼びに行かせた。
「報告では、攻める側も守る側も、互いに矢合わせをするだけで、柵に取り付く者は、一人もおらぬそうですな。矢合わせをしても、死傷者は皆無と聞いておる。前軍は、本気で合戦をする気があるのですかな?」
ない。と、経清は、思わず口にしかかったが、かろうじて抑えた。その時、行宗に伴われ、永衡が、銀の兜を被った姿で、経清と説貞の許へ近づいてきた。夕陽が、銀の兜を神々しいまでに紅く染め上げ、光り輝かせている。これならば、河崎柵内の金為時やその兵からも、永衡の位置が把握できることは間違いない。その永衡の姿に、説貞は、何かを確信した様な表情を見せた。
「永衡殿、報告によれば、貴殿の周囲には、全く矢が飛んで来ないそうですな。」
説貞の言葉に、経清と永衡の顔が、一瞬、青ざめた。
「永衡殿は、敵への内通の疑いがあるため、頼義様がお呼びじゃ。わしと一緒に、中軍の本陣まで同行していただく。」
光貞と元貞は、素早く、永衡の左右に回りこんで、両脇を固めた。
「頼義様がお呼びであれば、私も・・・」
「何を言っておる!経清殿は、前軍の指揮官なのですぞ!先程、夜を徹して柵を攻め続けよと、頼義様のお言葉をお伝えしたのを、もうお忘れか!」
経清は、説貞と光貞・元貞の様子に胸騒ぎを感じて、永衡に同行しようとしたが、説貞の一喝に阻まれた。そう言われてしまうと、返す言葉がない。
「経清殿。しばしの間、伊具の兵や、兄達を頼みます。」
永衡は、経清を安心させるためか、軽く微笑みを見せた。光貞・元貞は、まるで、罪人を連行するかの如く、永衡の両脇を固めたまま、頼義の中軍の本陣へと向かった。
「わかりましたな。経清殿。攻撃の手を緩めてはなりませんぞ。」
説貞は、吐き捨てる様に言い残すと、足早に息子達を追いかけた。経清は、激しい不安を感じながらも、永衡の後姿を、ただ、見送ることしか出来なかった。
やがて、西の空に夕陽が沈む頃、頼義の本陣へ向かう説貞父子は、永衡を連れたまま、唐突に、人気の少ない間に入り込んだ。永衡は、訝しげな表情を見せたが、三人に従う他はなかった。突然、振り返った説貞の剣の刃が、永衡の心臓を刺し貫いた。瞬間、永衡の目から、わずかな涙が零れ落ちたことに、説貞は気付かなかった。即死であった。
翌朝、夜を徹して河崎柵を攻め続けた経清の許へ、驚愕の事実が報告された。永衡の死である。経清は、激しく慟哭した。