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源義家と藤原清衡  作者: Harry
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第九話「阿久利川」

 天喜三年(1055年)九月三日。鎮守府将軍源頼義は、奥六郡の衣川館に赴いた。亘理郡司藤原経清と、安倍頼時の長女、有加の婚礼に臨席するためである。頼義と共に衣川館に赴いたのは、佐伯経範・大宅光任・藤原景通・藤原則明・藤原茂頼。他に、頼義の長男、義家と、藤原景季・清原貞衡が同行した。多賀城には、陸奥権守藤原説貞・和気致輔が、留守居役として残った。

 永承七年(1052年)に陸奥守に任官し、多賀城に赴任した頼義が、奥六郡の地に足を踏み入れたのは、今回が初めてであった。奥六郡の俘囚長安倍頼時は、この三年半の間、頼義に対し、表面上は誠心誠意相対したが、頼義の奥六郡検分については、言を左右にして、応じる気配を見せなかった。奥州制覇の野望を抱く頼義は、頼時に対し、鬱積した思いを抱えたまま、三年半という時間を過ごした。

 陸奥国の郡司であり、頼義の郎党でもある、藤原経清と安倍有加の婚礼は、頼義にとって、衣川を検分する絶好の機会であった。前陸奥守藤原登任は、永承六年(1051年)の伊具郡司平永衡と安倍奈加の婚礼に招かれたが、頼時に謀殺されることを恐れ、陸奥権守藤原説貞を名代とし、自身は多賀城に留まったままであった。

 しかし、源氏の棟梁、源頼義は、頼時の謀殺など少しも恐れることなく、わずかな郎党を引き連れただけで、堂々と奥六郡に足を踏み入れたのである。

 北上川を船で遡った一行は、昼過ぎには、衣川に到着した。衣川の街に入った頼義は、その活気に満ちた繁栄を目の当たりにして、感嘆せざるを得なかった。寺社仏閣を中心に、商人・職人の家々が、整然と立ち並んでいる。陸奥国衙多賀城の城下町や、東国は無論のこと、西国にも。これほどの賑わいを見せる街は無い。衣川に比定できる街は、最早、この国には、京の都しか存在しないであろう。

 今、頼義は、改めて、奥六郡の豊かさを痛感した。話には聞いていたが、実際に衣川に足を踏み入れてみると、安倍頼時の底知れぬ財力に、恐怖さえ感じる。逆に言えば、頼義が、この奥六郡の富を我が物にすることが出来れば、藤原摂関家の専横など、簡単に転覆できるような、錯覚にさえ陥る。

 衣川の街に入った一行を出迎えたのは、安倍頼時の三男、宗任と、頼時の婿で、伊具郡司の平永衡であった。

「おお、永衡殿。体調はよろしいのですか?」

清原貞衡が、永衡の許へ駆け寄った。義家と景季も、笑顔で永衡の方へ歩み寄る。

「ええ、激しい動きはできませんが、出迎えぐらいはできるようになりました。」

永衡は、心配そうな表情を見せる貞衡に、笑顔で答えた。

三ヶ月前、十三湊で重傷を負った永衡は、恐山の龍王の治療によって、奇跡的に一命を取り留めた。その後、二ヶ月の間、恐山で治療を続けていた永衡は、歩けるようになると、衣川館に移り、妻の奈加の傍で、傷を癒していたのである。

「長い間、多賀城を留守にし、申し訳ござませぬ。」

永衡は、頼義の傍らに膝を着くと、一礼して不在を詫びた。

「うむ。元気そうで良かった。」

頼義は、永衡の腕を取って立ち上がらせると、笑顔で返答した。永衡は、そもそも、息子の義家に同行して十三湊に赴き、重傷を負った。また、永衡の妻子は、奥六郡の衣川館にいるため、多賀城に戻らぬのも無理はない。故に、頼義としては、陸奥の在庁官人や、源氏の郎党達の前では、寛大な心を示す必要があった。

 しかし、実際には、頼義の胸中は複雑であった。永衡は、伊具郡司である。故に、本来であれば、妻の奈加と息子の成丸を、自身の館のある伊具郡か、多賀城下に住まわせるべきであった。だが、永衡は、親兄弟と引き離し、見知らぬ土地に住まわせるのは不憫だという理由で、妻子を奥六郡に置いたままであった。更に、それを理由に、永衡自身が衣川館に留まり、郡司としての職務が疎かになっている。

 永衡は、四年前の鬼切部合戦の際に、奥六郡に留まり、追討を受ける身となった。安倍頼時と共に、恩赦で罪を赦されたものの、仮に陸奥国衙と奥六郡が、再び合戦に及ぶことになれば、間違いなく、永衡は、伊具を捨て、国衙を敵とするであろう。頼義は、永衡が、獅子心中の虫になりかねないことを見抜いていた。

 しかし、頼義にとって苦々しいことに、永衡には、人望があった。特に、藤原経清・金為時等の親安倍派の在庁官人の他、息子の義家や、その従者の藤原景季・清原貞衡達からも慕われている。永衡を冷遇すれば、頼義の人望にヒビが入りかねない。また、娘婿として、安倍一門から絶大な信頼を勝ち得、無難に役目を果たしている永衡を、今更、奥六郡と陸奥国衙の調停役から外すことも難しかった。

 

 衣川館に到着した頼義一行は、安倍一門の丁重な挨拶を受けた。頼時の伯父の富忠、弟の良照・為元、息子の貞任・宗任・重任・家任・正任・則任に加え、頼時の従兄弟の時任・貞行の姿も見える。まさに、安倍一族総出による、鎮守府将軍の出迎えであった。

 また、仙北三郡の清原氏が、来賓として招かれている。宗家の光頼・頼遠父子は無論のこと、武則・武貞・武道・武衡、吉彦氏の秀武・秀彦、橘氏の貞頼・頼貞も出席していた。武則の傍らには、深江是則・大伴員季・藤原千任など、武則の郎党達の姿も見える。武則とその一族は、婚礼の祝いよりも、鎮守府将軍が出席することを聞き及んで、衣川に出向いたのであろう。

 過去に、有加に縁談を断られた武貞は、苦虫を潰したような表情を見せており、父の武則によって、無理矢理出席させられたのが、誰の目にもわかる。貞衡は、そんな兄を侮蔑の目で眺めていた。貞衡は、父と兄達に対して、軽く会釈をしただけで、全く言葉を交わそうとしない。まるで、親兄弟と思われるのが心外だと言わんばかりの態度であった。

 他に、藤原経清の母方の叔父、平国妙・師妙の父子が、親族の席に連なっていた。経清の従兄弟の師妙は、この年、二十一歳の青年武将である。既に、父と母を失っていた経清にとって、奥州における親族は、国妙・師妙の父子だけであった。


 六日後の九月九日。藤原経清と安倍有加の婚儀が、盛大に行われた。臨席した頼義と源氏の郎党達は、初対面の有加の美しさに、思わず目を見張った。鹿島派師範として、絶大な武勇を誇る経清も、婚儀の場では、緊張の余り、一言も口を利かなかった。

婚儀の後、盛大な酒宴が催された。主役の経清は、主賓の頼義の傍らに伺候すると、深々と叩頭し、婚儀出席の礼を述べた。

「鎮守府将軍様にご臨席賜り、恐悦至極にございます。」

「わしの片腕ともいうべき、大事な郎党の婚儀じゃ。出席せぬわけにはいくまい。経清、今後も、変わりなくわしに仕えてくれ。」

「もったいないお言葉。この経清、誠心誠意、鎮守府将軍様にお仕えいたします。」

頼義と経清が挨拶を交わしているところへ、頼時が近づいてきた。

「鎮守府将軍様、本日は、わざわざ、衣川までお越しいただき、誠にありがとうございます。代々の陸奥守・鎮守府将軍の中で、当館にお出でになったのは、頼義様が初めてでございます。今後とも、いつでもお立ち寄り下さい。」

「うむ。わしの前任者達は、奥六郡の地に足を踏み入れることを、恐れていたのであろう。わしは、陸奥守に任官した時から、衣川を訪問したかったのじゃが、頼時殿に、先延ばしにされてしまった。その結果、衣川入りは、義家に先を譲ることになったわ。」

頼義は、苦笑しながら、頼時に皮肉な言葉を投げかけた。

「なんの。鎮守府将軍様を、このような粗末な館にお迎えするとなれば、我が家の一大事。入念な準備が必要でしたゆえ。」

頼義の皮肉に、頼時は、額に汗を流しながら苦笑した。頼時としては、本音を言えば、頼義を奥六郡に入れたくはなかった。衣川の賑わいを目の当たりにした頼義が、前任の藤原登任と同様に、貪婪な欲望を抱く可能性があるからだ。しかし、陸奥国衙の郡司を娘婿に迎える以上、婚儀の場に、陸奥守兼鎮守府将軍を招待しないわけにはいかない。

頼時は、永衡と奈加の婚儀の際の登任と同様に、頼義が、謀殺を恐れ、名代を派遣すると読んでいた。しかし、頼時の読みは完全に外れた。源氏の棟梁の度量は、京の中級官人に過ぎない登任とは、比較にならなかった。

「わしも、今年一杯で陸奥守の任期が切れる。更に、来年には鎮守府将軍の任期も終わる。そこで、陸奥を去る前に、来年早々にでも、鎮守府胆沢城の検分をしておきたい。鎮守府将軍に任官しておきながら、胆沢城の検分をせぬまま、京には戻れぬからのう。その際には、頼時殿にも、協力をお願いいたしたい。」

「胆沢城の検分・・・。わかりました。将軍の検分が、滞りなく進みますように、我等も最大限、勤めさせていただきます。」

快諾しながらも、頼時の心には一抹の不安が生じていた。胆沢城の検分を行うということは、鎮守府将軍が、軍勢を率いて、胆沢郡に入ることである。胆沢郡は、奥六郡の玄関口であるため、仮に、頼義が、頼時と合戦するつもりであれば、胆沢城に兵を入れる時こそ、絶好の機会であることは間違いない。

「源氏と安倍氏が協力すれば、奥州は安泰じゃ!」

頼義は、不安そうな表情を見せる頼時に対し、上機嫌で杯を傾けた。

「それにしても、経清。美しい女子を妻にもろうたのう。しかも、武芸の腕も、男顔負けとか。一度、直子と、手合わせさせたいものじゃ。」

「確か、頼義様の奥方、直子様は、日本一の女武者とか。我が娘ではかないますまい。」

頼義の豪快な笑いに、頼時・経清も破顔した。三人が冗談を交わしている間に、周囲では、様々な出席者達が、輪を作って酒を酌み交わしていた。

 佐伯経範は、気仙郡司金為時と共に、頼時の伯父、安倍富忠と語り合っている。奥六郡の更に北方の地の話に聞き入っているようだ。富忠は、頼時の祖父、忠頼の長男で、本来であれば、安倍宗家を継承する立場にあった。

 しかし、庶子であったために、宗家の座を弟の忠良に譲り、奥六郡も忠良が継承した。そのため、富忠は、仁土呂志辺・久慈・糠部の北方三郡を与えられただけであった。経範と為時は、富忠の口ぶりから、彼が、弟の息子に過ぎない頼時の風下に立つことに、不満を抱いていることを感じた。

 また、藤原景通・藤原則明は、貞任・宗任・重任の安倍兄弟、義家・景季・貞衡・永衡の輪に加わっていた。武芸に秀でる者同士、相通ずる物があったのであろう。

 一方、大宅光任・藤原茂頼は、清原武則・武貞、吉彦秀武・秀彦と話し込んでいた。仙北三郡の清原氏の様子を探っていたのであろう。今回の婚儀は、源氏の郎党達にとって、奥六郡以外の有力者達の動向を把握するための、絶好の機会であった。

 光任と茂頼は、仙北三郡の在地有力者を積極的に娘婿に迎える武則が、宗家の座を狙っていると感じた。更に、武則は、中央志向が強く、朝廷の官位を望んでいる。そのために、鎮守府将軍に近づくことを望んでいるようであった。

 武則とその一族は、宗家の光頼と異なり、安倍一門とは親しくない。仮に、源氏と安倍氏が対立することになれば、清原一門は分裂しかねない。

頼義・頼時・経清が酒を酌み交わしている席に、経清の叔父、平国妙が割って入った。

「おめでとう。経清。これで、経清も、正真正銘、陸奥の男になったな。」

「叔父上。ありがとうございます。叔父上が、武則殿の娘婿として出羽に土着していなければ、亘理郡司職は、叔父上が継承していたでしょう。不思議な縁ですな。」

国妙の祝いの言葉に、経清は、丁寧に礼を述べた。

「国妙殿の武勇は、聞き及んでおる。出羽での合戦では負けなし。平不敗と呼ばれておるとか。出羽の住人ではあるが、わしも、ぜひ、そなたのような武勇の士を郎党に加えたいと思うておる。出羽で官職がなければ、多賀城にて、わしの側にて仕えてくれぬか。」

「鎮守府将軍様にそこまで言っていただけるとは、この国妙、生涯の誉れ。出羽では、官職を得ておりませぬ。領地は家人に任せますので、多賀城に出仕いたします。」

頼義の申し出に、国妙は、驚きの表情を見せながらも答えた。経清は、我が叔父が、源氏の郎党となったことに喜びを覚えながらも、何故か、一抹の不安を感じていた。


 翌月の十月十五日。安倍頼時の八男、則任は、多賀城下の陸奥権守藤原説貞の館にいた。説貞には、光貞・元貞の二人の息子の他に、一人の娘がいた。名は麗子。則任は、麗子と愛し合い、婚礼の約束を交わしていた。その日、則任は、説貞に麗子との婚礼の許しを貰うために、説貞の館を訪れたのである。

 兄の宗任と共に、父の名代として、多賀城を訪れる機会の多い則任は、二年程前、多賀城下の町中で、偶然、藤原説貞の娘、麗子と出会った。若い二人は、出会った瞬間から、互いに惹かれあった。十代の二人が恋に落ちるのに、時間は必要ない。やがて、二人は、将来を誓い合う仲になった。

 しかし、則任と麗子にとって、最大の障害は、麗子の父、説貞であった。説貞は、陸奥国衙の在庁官人の中でも、反安倍派の急先鋒であり、奥六郡の安倍一族に対し、憎しみさえ抱いていた。二人は、説貞に言い出せぬままに、秘密の逢瀬を重ね続けた。

 本来であれば、父の頼時に頼み、父から説貞に申し入れてもらうのが筋であろう。しかし、頼時の申し入れに対し、説貞が断った場合、その影響力は大き過ぎる。事は、則任と麗子の問題だけではすまなくなる。

 姉の安倍有加と、亘理郡司藤原経清の婚儀の日、則任は、説貞を説得する決意を固めた。陸奥国衙の在庁官人と、安倍一族との婚礼を、陸奥守兼鎮守府将軍が認めたのである。陸奥国衙は、二人の婚儀を祝福する雰囲気に満ちている。今ならば、藤原説貞も、娘と安倍一族の則任の婚儀を認めるかもしれない。

だが、則任と麗子の期待は裏切られた。

「この陸奥権守藤原説貞が、大事な娘を、俘囚の一族になど、やるものか!」

説貞の怒声が、屋敷中に響き渡った。おそらく、自室で結果を待ちわびている、麗子の耳にも届いたであろう。説貞の両脇には、息子の光貞・元貞が、仁王立ちしている。無論、二人共、麗子の婚儀には反対なのだ。

「私達は、互いに愛し合っているのです。我々は、互いを必要としているのです。どうか、我々の婚儀を認めて下さい。」

則任は、額をこすりつけんばかりに叩頭した。

「だまれ!人の妹を誑かしおって!俘囚に汚されたと知れれば、麗子はどこにも嫁ぐことができなくなるわ!」

光貞は、手を剣の柄にかけると、今にも切りかからんばかりの勢いで、怒声を浴びせた。

「帰れ!二度と、この屋敷の門をくぐるな!」

光貞と元貞は、平伏する則任の腕を掴むと、無理矢理、門の外へと連れ出した。則任の目の前で、門が冷たく閉じられる。

則任は、しばらくの間、その場に座り込んだまま、呆然と屋敷を眺めていた。ふいに、則任の頬に、涙が流れた。

「麗子。待っていてくれ。必ず、そなたを屋敷から連れ出してみせる。」

則任は、涙を振り払うと、固い決意を胸に秘めた。


 天喜三年(1055年)の末、一人の男が、多賀城を訪れた。ボロを纏い、乞食の様な身なりをした男は、門番に追い払われると、仕方なく、門の近くに座り込んだ。男は、一刻余りの間、門を行きかう人々を眺めていた。まるで、誰かを待っているようであった。

 そこへ、源頼義の側近、佐伯経範が通りかかった。男は、急いで経範の側へ駆け寄ると、何やら小声で話しかけた。男の顔を見た経範は、驚いた表情を見せると、男を鎮守府将軍源頼義の許へ連れて行った。

「お久しぶりです。ただいま、帰還しました。」

「おお。興重、長い間、ご苦労であったな。しかし、見事な変装じゃな。その格好であれば、誰も、わしの郎党とは思わんであろう。」

男の名前は、下毛野興重。かって、彦挟嶋を名乗り、安房・上総の一帯を席巻した群盗の首領で、今は、頼義に仕える郎党である。

「私も、名前を言われるまで、興重とは気付きませんでした。」

頼義の言葉に、経範も苦笑を禁じ得なかった。興重は、頼義の命令をを受けて、この二年もの間、乞食に変装し、奥州各地を探索していたのである。陸奥国内のみならず、隣国の出羽国、奥六郡・仙北三郡、そして、律令国家の圏外の地、久慈・糠部・津軽・宇曽利にも足を伸ばし、渡嶋の対岸にまで立った。

「して、首尾はどうであった?」

頼義は、興重の報告を待ち兼ねたように、身を乗り出して質問した。

「はい。奥六郡の安倍一門、仙北三郡の清原一門共に、一枚岩ではないようです。」

「安倍富忠と清原武則のことか?」

経範は、興重に問うと、頼義と互いに顔を見合わせた。

「ほう。ご存知でしたか。」

「いや。先日、経清の婚儀で二人にお会いした時に、何となく感じただけじゃ。」

興重の驚いた表情に、経範は、衣川館での出来事を説明した。

「さすがは、源氏の郎党の方々。鋭い観察眼ですな。仰る通り、長男の富忠は、弟の忠良が安倍宗家を継承した時、大いに不満を抱いたとか。更に、忠良の息子の頼時が、安倍の惣領になった後は、自領の中では、誰憚ることなく不満を口にしているようです。北方三郡の民は、誰でも知っているようでした。」

興重の報告に、頼義は、富忠への疑惑が確信に変わったことを感じた。

「で、清原の方は?」

「はい。ご存知の通り、光頼と武則は、実の兄弟ではなく、従兄弟同士です。武則は、清原宗家に養子に入ったために、光頼を兄と立てていますが、中央志向が強く、仙北三郡の俘囚長で満足し、安倍氏との共闘路線を採る光頼と、悉く対立しているようです。在地豪族とも積極的に婚戚関係を結び、今では、仙北三郡の豪族の半数は、武則を支持しているとのこと。仙北三郡の民は、いつ、武則が、光頼に叛旗を翻し、清原一門の内乱が起こるのか、戦々恐々としている有様です。」

「そうか・・・。清原一門は、そこまで分裂していたか。」

頼義は、腕を組んで沈黙すると、深く考えた後に口を開いた。

「富忠の所領は、仁土呂志辺・久慈・糠部であったな?」

「はい。奥六郡の更に北、朝廷の支配の及ばぬ地です。安倍一門は、日の本と同様、奥六郡の北の地を、幾つかの郡に分けて支配しているようです。」

「では、蝦夷を支配しているのは、富忠なのか?」

頼義の問いに、興重は、一瞬、返答に窮した様子を見せた。

「これは、確かな情報ではないのですが・・・。どうやら、奥六郡と仙北三郡を含め、北方三郡、宇曽利、津軽、そして、海を越えた北の島、渡嶋の蝦夷達には、一人の指導者がいるようです。」

「なに!安倍頼良や、清原光頼の他に、蝦夷の指導者がいるというのか?」

「はい。その者は、龍王と呼ばれる修験者で、宇曽利の恐山を本拠地としているそうです。それに・・・。」

頼義と経範の驚いた表情に、興重は、何かを言いかけて躊躇した。

「龍王・・・。どうした、続けよ。」

頼義に促され、興重は、重そうな口を開いた。

「先日、義家様は、十三湊に赴いた後、宇曽利の恐山で、龍王と対面したそうです。」

「なんじゃと!」

興重の言葉に、頼義と経範は、今度こそ、本当の驚愕の表情を見せた。

「義家様から、ご報告は・・・」

興重は、呆然とする頼義と経範に、恐る恐る問いかけた。

「ない。あやつめ・・・なぜ、わしに報告せぬ・・・。確かに、十三湊に行った後、宇曽利に寄って、傷を負った永衡を預けてきたとは言っていたが・・・」

「おそらく、義家様は、その龍王とやらと、貞任に口止めされていたのでしょう。貞任は、北の地で見たことを朝廷に報告しないことを条件に、義家様を十三湊に案内することを約束したそうですから。義家様の性格であれば、約束を交わした以上、親兄弟といえど、絶対に口外しないでしょう。何よりも信義を重んじる方ですから。」

「あやつめ。わしの理想通りの男に育ってくれたのは良いが、ここまで融通が利かぬとは・・・。困ったやつよ。」

経範の言葉に、頼義は、息子の顔を思い浮かべて苦笑した。義家に、信義を重んじる武家の生き方を教えたのは、他ならぬ、頼義自身なのだ。

「宇曽利には、経清・景季・貞衡も同行しているはず。彼等を詰問しますか?」

「よい。捨てておけ。やつらも、返答に窮するであろう。詰問したことを義家に知られれば、わしの父親としての立場がなくなる。」

頼義は、経範の提案を、苦笑しながら却下した。武家として真っ直ぐに生きる義家に、父親としては、誇りすら感じる。頼義は、これ以上、自分を貶めたくはなかった。

「で、その龍王とは何者なのじゃ?」

頼義は、義家のことは後回しにと考え、改めて興重に問い直した。

「しかとはわかりませぬが・・・。どうやら、役小角の流れを汲む、修験者の指導者のようです。一人の人物ではなく、代々、修験者の長が龍王と呼ばれるとか。」

「役小角・・・龍王・・・」

頼義は、どこかで聞いた話だと思い、記憶を辿ったが、思い出せなかった。

「頼義様。修験者であれば、京の陰陽寮に尋ねてみれば、わかるかもしれませぬ。」

「うむ。安倍章親殿に文をしたためておこう。」

経範の言葉に、頼義は、陰陽師の安倍章親の顔を思い出していた。安倍章親は、伝説的な陰陽師、安倍清明の孫である。安倍清明は、かって、頼義の祖父の満仲、伯父の頼光と共に、朝廷を脅かす物の怪たちと戦ったため、源氏とは深い繋がりがあった。

「で、話を戻すが、安倍頼時、清原光頼は、その龍王の配下なのか?」

「どこまで深い関係かはわかりませぬが、蝦夷どもは、龍王を、頼時や光頼よりも上の存在と認識しているようです。」

「う~む。ともかく、その龍王とやらの正体がわからなければ、手の打ちようがない。まずは、安倍富忠と清原武則を味方に引き入れることで、奥六郡との合戦に持ち込まねばならぬ。興重、富忠の配下に、蝦夷はおるか?」

「はい。北方三郡の民は、ほとんどが蝦夷ですが・・・。」

興重は、頼義の意図がわからずに、怪訝そうな表情のまま、返答した。

「では、わしの書状を持って、富忠の許へ行け。そして、蝦夷の兵を、三十人ばかり借りてこい。できるだけ、誰が見ても、蝦夷とわかるような・・・そうじゃな。体毛が多く、彫りの深い兵どもが良い。」

「富忠から蝦夷の兵を借り受けて、どうするおつもりですか?」

興重のみならず、経範にさえ、頼義の意図が図りかねるようであった。

「ほう。そちにさえわからぬか。蝦夷の兵に、国衙の軍勢を襲わせるのよ。」

「胆沢城の検分!」

頼義の言葉に、経範は、何かを納得したように声を上げた。興重には、まだ、頼義の意図が掴めておらず、怪訝そうな表情のままであった。

「無論、それだけでは、頼時が、国衙の兵を襲わせた証拠にはならぬ。この策には、もうひとひねり、ふたひねりが必要じゃ。」

「なるほど。さすがは頼義様!」

今度こそ、興重にも、頼義の狙いが掴めたようであった。

「それと、武則を味方に引き入れ、仙北三郡の兵を自在に動かせるように、手助けせねばならぬ。南の多賀城と西の出羽の双方から兵を繰り出せば、奥六郡を落とすのも容易になるであろう。」

頼義・経範・興重は、互いに顔を見合わせると、勝ち誇った笑みを浮かべた。


 鎮守府胆沢城。延暦二十一年(811年)、征夷大将軍の坂上田村麻呂が、奥六郡最南の胆沢郡に築城した城柵である。平安遷都直後の朝廷は、胆沢城の築城後、多賀城の鎮守府を、胆沢城に移設した。以来、胆沢城は、律令国家最北端の軍事拠点として、奥州の蝦夷に対する守りの要として機能するはずであった。

 しかし、文室綿麻呂の征夷集結以来、二百年に渡って続いた平和と、廟堂の公卿達の事勿れ主義によって、胆沢城の鎮守府としての機能は形骸化した。そして、十一世紀に入る頃には、鎮守府将軍職は、遥任どころか代理さえも現地に赴任せず、胆沢城の守りは、陸奥・出羽両国衙の兵ではなく、奥六郡の兵達が担うようになっていた。奥州の蝦夷から律令国家を守るための城が、蝦夷自身の手で守られていたのである。

 鎮守府開府以来初めて、陸奥守と鎮守府将軍を兼任した源頼義は、天喜四年(1056年)一月十五日、鎮守府検分のため、胆沢城に入城した。頼義には、長男の義家をはじめ、佐伯経範・藤原景通・藤原茂頼など、源氏の主な郎党の他、藤原説貞・金為時・藤原経清・平永衡など、陸奥国衙の在庁官人達とその兵、三百が従っていた。

 鎮守府将軍の一行を出迎えたのは、奥六郡の俘囚長安倍頼時と、その一族であった。頼時をはじめ、良照・貞任・宗任・家任・則任などの安倍一門は、同月二十五日までの十日の間、連日連夜酒宴を催し、源頼義と郎党達、陸奥国衙の在庁官人達を饗応した。その余りの饗応の激しさに、頼義は、十日の間、一度も胆沢城から出ることができなかった。

 頼義の胆沢城検分は、鎮守府将軍としての職務どころか、本来であれば、鎮守府将軍に任官した時点で、胆沢城を本拠地に移す必要があったはずである。しかし、頼義は、陸奥守を兼任していたために、多賀城で陸奥国衙の政務を指揮する必要に迫られたことと、頼時の巧みな先延ばしによって、三年の間、胆沢城を見ることさえ適わなかった。そして、鎮守府将軍の任期の最後の年になって、ようやく実現したのである。

 しかし、頼義の本当の目的は、胆沢城の検分だけではなかった。最南とはいえ、奥六郡の胆沢郡に軍勢を入れることで、安倍頼時との間に摩擦を起こし、強引に戦端を開こうと企図したのであった。同時に、郡内の城柵の位置を探り、奥六郡に攻め入る際の偵察も兼ねていたのである。

 一方、安倍頼時は、頼義の狙いを察知していた。頼義が、強引に合戦に持ち込もうとするのであれば、頼時は、一分の隙も見せることなく、誠心誠意歓待することで、頼義に、奥六郡との合戦を諦めさせようとしたのであった。十日に及んだ饗応は、ある意味、源氏の棟梁と安倍氏の棟梁の、刃を交わさない、熾烈な闘争だったのである。

 その結果は、源頼義の敗北であった。頼義と源氏の郎党達が、酒に酔った振りをして、いかに暴言を吐こうとも、頼時と安倍一門は、微笑を返すのみで、ひたすら低姿勢で酒を薦め続けた。さすがに暴力を振るえば、非は頼義側に生じ、朝廷が、安倍氏追討を認めるはずもない。八日目を過ぎた辺りで、頼義と源氏の郎党達は、諦めたように酒を飲み続け、逆に、安倍一門の忠節に感心し、礼を述べるまでになっていた。陸奥権守藤原説貞だけが、苦々しい表情で、頼時を睨み続けていた。

 

 一月二十五日。鎮守府将軍源頼義は、胆沢城の一室に安倍頼時を呼んだ。頼時は、頼義から、どんな難題を持ち出されるのか、緊張した面持ちで、頼義と対面した。しかし、頼義は、機嫌の良さそうな笑顔で頼時を迎えた。頼義の傍には、佐伯経範囲・藤原景通・藤原茂頼が控えている。

「頼時殿。十日の間、本当に世話になった。そなたら、安倍一門の朝廷に対する忠節の心は、この十日間でよくわかった。また、胆沢城の守りも、頼時殿に任せておけば、何も問題ないであろう。朝廷にもそのように報告しておく。」

頼義の意外な言葉に、頼時は、思わず顔を綻ばせた。

「すべて、鎮守府将軍様のご威徳のおかげです。我等、これからも、将軍のため、朝廷のために、粉骨砕身いたす所存です。」

頼時は、深々と叩頭した。

「我等は、明日、胆沢城を引き払って、多賀城に戻るつもりじゃ。頼時殿。これからも、奥六郡とこの胆沢城を頼みますぞ。」

「明日とは、急なお帰りですな。まだ、皆様方へのお土産の品も揃うておりませぬゆえ、あと二、三日、ご滞留なされてはいかがでしょうか?」

頼時は、頼義の言葉に内心、安堵しながらも、その気持ちを悟られぬように、平伏したまま顔を上げなかった。

「いや、わしとて、そういつまでも、多賀城を留守にはしておけん。正月の除目で、藤原良経殿が後任の陸奥守に任官し、既に、京を発っておるはずじゃ。出迎えの支度もいたさねばならぬ。それより、胆沢郡の郡境まで、貞任殿に護衛していただきたいのだが、よろしいかな?」

唐突な頼義の申し出に、頼時は、一瞬、返答に詰まった。そして、

「わかりました。貞任だけでなく、私も、郡境までお見送りさせていただきます。」

頼時の申し出に、今度は、頼義が躊躇せざるを得なかった。

「いや、頼時殿には、連日連夜の饗応で乱れきった、胆沢城の兵達の士気を立て直してもらわなければならん。それに、頼時殿とて、いつまでも衣川を留守にしておけば、政務に支障をきたそう。奥州隋一の剣の使い手、貞任殿がいれば、我等も安心じゃ。」

こうまで頼義に言われてしまうと、頼時も、これ以上、食い下がることができなかった。ここで、頼義の機嫌を損じてしまえば、十日間の、否、この四年間の苦労が水泡に帰すことになる。

「わかりました。奥六郡には、鎮守府将軍様の一行を襲うような者はおりませぬが、貞任には、命に代えても将軍を守るように、申し付けておきます。」

「うむ。よろしく頼むぞ。」

頼時は、頼義の笑顔に内心、疑念を感じながらも、その場は大人しく引き下がることにした。貞任を同道させることに、どのような意味があるのか、頼義が、何を仕掛けてくるのか、頼時は、読み切ることができなかった。


 翌日の一月二十六日。鎮守府将軍源頼義と、その配下の兵三百余は、胆沢城を出発した。奥六郡の俘囚長安倍頼時は、頼義に莫大な貢物を捧げたため、それを運搬する荷駄は長大な列をなし、進軍は大幅に遅れた。頼義一行は、昼過ぎに胆沢城を出発したのだが、夕日が西の山々を赤く染める時刻になっても、未だに、胆沢郡からさえも、出ることができなかったのである。

「ええい、後ろの列は何をやっておるのだ!これでは、一週間以上かかっても、多賀城には辿り着けぬぞ!」

先頭を進む頼義は、イライラした様子で怒声を発した。頼義の周囲には、佐伯経範・藤原景通・藤原茂頼・藤原説貞の他、源義家・藤原景季・清原貞衡、そして、頼義を見送るために従った、安倍貞任・則任兄弟の姿があった。

「説貞!我等は、兵を連れて阿久利川まで先に進み、野営の準備をしておく。そなたは、貞任殿・則任殿と共に、荷駄の列を連れて後から参れ!」

「私が、貞任殿と則任殿とですか?」

唐突な命令に、説貞は、困惑した様に頼義の表情を伺った。説貞が、陸奥国衙の在庁官人の中でも、反安倍派の筆頭であることは、貞任と則任も知っている。説貞にしてみれば、源氏の郎党達から離れて、安倍氏の兄弟と馬を並べることは、身の危険すら感じる。特に、相手は、安倍一族の武闘派、貞任なのである。

「そうじゃ!そなたは、陸奥権守であろう。頼時殿が、国衙に治めるために寄越した貢物じゃ!源氏の郎党達に任せるわけにはいかん!わかったら、さっさと行け!」

「はっ。」

頼義の剣幕に、説貞は、恐れをなして馬を返した。頼義の言う通り、確かに、頼時は、頼義個人にではなく、鎮守府将軍兼陸奥守に対して、貢物を捧げたのである。経範・景通・茂頼などの源氏の郎党達は、頼義の私兵であって、国衙の在庁官人ではない。

 故に、源氏の郎党が、頼時の貢物を運搬すれば、頼義が国衙への貢物を横領したと言われかねない。また、貢物を運搬しているのは、頼時が雇った、蝦夷の人足達であった。貞任・則任が、彼等を指揮するのは、当然と言えよう。

「貞任殿・則任殿。頼みましたぞ。」

頼義の言葉に、貞任と則任は、一礼すると馬の向きを変え、何の疑いもなく、説貞の後を追って、後列に向かった。直後、頼義が、経範と視線を交わし、不敵な笑みを浮かべたことに、傍らにいた義家でさえ、気付かなかった。

 頼義一行は、後列を気にせずに馬を走らせ、完全に日が沈む前に、阿久利川の河原に到着した。ちょうどその頃、藤原説貞の長男、光貞が、父の説貞からの伝言を携え、頼義の前に平伏した。説貞の報告では、貢物を運搬する荷駄の列の遅れはひどく、阿久利川に到着するのは、夜半過ぎになると言う。

頼義は、黙って頷くと、人目を憚るように周囲を見回した。野営の準備のため、頼義の傍らにいるのは、経範しかいない。

「光貞。貞任殿と則任殿は、説貞と一緒か?」

頼義は、何故か小声で、光貞に問い質した。

「はい。頼義様のご命令通りです。」

「では、説貞の許へ戻って伝えよ。貞任殿・則任殿に、胆沢城へ帰ってもらえと。見送りは、ここまでで良い。挨拶もいらぬ。絶対に、そのまま帰らせよ。ここまで来させるでないぞ。これは、わしの厳命じゃ!よいな。」

「はっ。」

光貞は、頼義の命令に疑問を抱いたが、あまりに厳しい表情と口調のために、問い返すことができなかった。

「興重を呼べ。」

光貞が去った後、頼義は、背後に控える経範と共に、笑みを浮かべた。


 光貞は、既に薄暗くなった道を、馬を飛ばして父の許へ戻り、頼義の命令を伝えた。

「どういう意味なのでしょう?」

「わからぬ・・・が、命令であれば、従うしかない。」

光貞の問いに、説貞も困惑した。頼義の命令の意図がわからない。貞任と則任を無理に追い返そうとすれば、間違いなく、説貞が恨まれるであろう。それとも、わざと、貞任を挑発しようとしているのだろうか?説貞は、安倍氏にとって、最も信用できない相手なのである。説貞は、光貞ともう一人の息子、元貞を連れて、荷駄の運搬を指揮する、貞任と則任の許へ向かった。

「貞任殿・則任殿。頼義様から、そなたらは、胆沢城へ帰れとの命令じゃ。見送りはここまでで良いとな。」

説貞の言葉に、貞任と則任は、訝しげな表情を浮かべ、顔を見合わせた。

「では、頼義様の許へ、ご挨拶に。」

「いや、挨拶もいらぬとの仰せじゃ。このまま、胆沢城へ戻られよ。」

貞任が言いかけた言葉を、説貞が間髪入れずに遮った。

「馬鹿な!鎮守府将軍の護衛のためにここまで来たのに、挨拶もせずに帰れるか!」

有無を言わせぬ説貞の言葉に、貞任は、怒気を含んだ声で言い返した。則任が、不安そうな表情で兄を見つめる。

「頼義様は、挨拶はいらぬと、私に直々に仰せになった!私が信用できぬと申すのか!」

貞任の剣幕に、光貞も、興奮して怒声を発した。

「なんじゃと!」

貞任は、今にも剣を抜かんばかりの勢いで、光貞を睨みつけた。恐怖を感じた光貞は、思わず、刀の柄に手をかけた。

「兄上。ここは、説貞殿の仰せに従いましょう。挨拶もせずに帰城した非礼は、後から、父上に書状で詫びてもらいましょう。」

貞任と光貞の一触即発の雰囲気に、則任が、何とか兄を宥めようとした。

「そうじゃ。我等は、頼義様のご命令に従っておるだけじゃ。ここは、大人しく胆沢城に引き返して下され。」

説貞は、貞任を敵にしては勝ち目がないことを理解している。故に、光貞を宥め、この場は穏便に解決しようとした。

「わかりました。この場は引き下がりましょう。」

貞任は、不承不承ながら、気持ちを落ち着け、説貞に従うことにした。

「ところで、説貞殿。麗子のこと、考え直してはいただけませぬか?」

別れ際、則任は、もう一度、説貞に麗子との婚儀の許しを得ようと問いかけた。

「くどい!先日も言った通り、大事な娘を、俘囚になどやれぬ!」

今度は、説貞が、苛立たしげに怒声を発した。

「なんだと!」

説貞の言葉を聞いた貞任は、激怒すると、刀の柄に手をかけた。

「兄上、落ち着いて下され。」

則任は、今にも切りかかろうとする貞任を、必死に抑えようとした。

「わかりました。いずれまた、多賀城に伺います。」

則任は、説貞・光貞・元貞に一礼すると、未だに怒りの治まらぬ兄と共に、胆沢城の方角へと去っていった。既に、周囲は、闇に包まれ始めている。説貞は、安堵と憎しみがないまぜになった表情で、二人の後ろ姿を見つめていた。

「光貞、頼義様に、貞任殿と則任殿が無事に帰られたと伝えよ。」

父の言葉に頷くと、光貞は、再び、阿久斗川に向かって馬を走らせた。既に日は落ち、河原では、野営の準備が着々と進み、松明に火が灯され始めている。光貞は、頼義の姿を探して、野営地の中を歩き回った。

「光貞殿ではないか!」

不意に呼び止められた光貞は、声の方向に、経範の姿を認めた。その後方には、探していた頼義の姿が見える。

「どうした?そなたは、荷駄の列と一緒に来るはずでは?」

「はっ。先程、貞任殿と則任殿が無事に胆沢城に引き返したことを、父が頼義様に報告せよと申したので・・・。」

経範の言葉に、光貞は、馬から下りると、片膝をついて答えた。

「そうか。で、貞任殿の様子はどうであった?」

「頼義様にご挨拶を申し上げると言って、父の制止を振り切ろうとしましたが、頼義様の命令であることを告げると、納得のいかぬ様子ではありましたが、帰って行きました。」

「そうか。ごくろうであった。後列に戻り、説貞殿と元殿を手伝うが良い。」

頼義の言葉に、光貞は、再び馬に乗って、荷駄の列へと引き返した。光貞の姿が見えなくなると、頼義は、経範と顔を見合わせ、笑みを浮かべて呟いた。

「これでよい。間違いなく、今夜じゃ・・・」


 その夜半。ようやく、全ての荷駄が、阿久斗川の河原に到着し、陸奥権守の父子は、自分達の天幕に入った。最後に到着した説貞達の野営地は、一番後列で、軍勢で言えば、殿の位置にあたる。天幕の周囲には、説貞配下の郎党達が、焚き火を囲みながら、遅すぎる夕食を口にしていた。誰の顔にも、疲労があった。と同時に、誰もが油断していた。自分達任務は、荷物の運搬であって、合戦ではないと。

夜空には、満月が浮かんでいるが、雲が多く、月の光が、見え隠れを繰り返していた。そして、大きな黒い雲が、月を完全に覆い隠し、光が失われた瞬間だった。突然、十数人の集団が現れ、焚き火の周囲にいた郎党達に襲い掛かった。

夜の闇を突く絶叫が木霊し、そこかしこで血飛沫が上がった。

「何事じゃ!」

天幕の中で食事をしていた説貞・光貞・元貞の父子は、驚きの声と共に、外へと飛び出した。そこには、刀を手にした男達の姿があった。男の一人が、松明を手に取り、説貞父子が出て来た天幕に投げつけた。

「何者じゃ!」

光貞は、刀を鞘から抜くと、男の一人に切りかかった。それが合図になったかのように、説貞、元貞、そして郎党達も、次々と刀を手にして反撃に出た。そこかしこで斬り合いが始まり、剣戟が周囲に木霊した。

後列の野営地の異常に気付いたのか、前・中列の野営地でも慌しい音が聞こえる。しかし、襲われているのは、後列だけのようで、数多の武家・兵士達が、陸奥権守の野営地に向かってきた。

「何事じゃ!」

真っ先に駆けつけて来たのは、源義家であった。義家は、男の激しい攻撃に苦戦する説貞の姿を認めると、走り寄って、一撃の下に男を切り倒した。続いて、義家の鋭い刃が、二人目の男の刀を弾き飛ばす。

「こやつら、何者だ?」

義家は、肩で息をする説貞に問いかけた。

「わかりませぬ。突然、暗闇の中から現れ、襲い掛かってきたのです。」

義家に続き、景季・貞衡、そして、他の源氏の郎党達が現れ、次々に男達に襲い掛かる。その時、口笛の音が、響き渡った。それを合図に、男達は、一斉に後退し始めた。

「やめよ!深追いはならん!」

謎の襲撃者達を追おうとする武将達を、いつのまにか現れた、頼義が制止した。

「敵が待ち伏せしているかもしれん。迂闊に動くでない。」

頼義の言葉に、源氏の郎党達は、口惜しそうに、敵が去っていった闇の中を見つめた。頼義と経範は、義家が討ち取った男の死体の傍らに近づくと、松明を掲げた。死体の顔は、濃い顎鬚で覆われ、堀が深い。

「こやつら・・・蝦夷じゃ。」

「なっ・・・。」

経範の言葉に、周囲の郎党達は、騒然となった。驚いた義家は、死体の側に寄ると、松明を近づけて、自分自身の目で確かめようとした。確かに、死体の特徴は、十三湊への旅の途中、奥六郡の更に北方で見た、蝦夷達と酷似していた。義家の背後では、景季と貞衡が、最早、肉の塊となった男を凝視している。三人は、顔を見合わせると頷いた。

「間違いない。北方の地で見た、蝦夷だ。しかし、なぜ・・・。」

「なぜ、この野営地を襲ったのじゃ・・・」

光貞は、息を切らせながら、誰に問いかけるでもなく呟いた。

「貞任と則任じゃ!あやつらが、わしらを恨んで襲わせたに違いない!」

説貞が、何かを思い出したように、憎憎しげに叫んだ。

「馬鹿な!貞任殿や則任殿は、そのようなお人ではない!」

義家が、今にも掴みかからんばかりの勢いで、説貞に詰め寄った。

「やめよ!義家!」

頼義が、義家の前に立ち塞がって、息子を制する。

「なぜ、貞任殿と則任殿が、そなたたちを恨むのだ?」

「今日、我等は、頼義様のご命令で、貞任殿と則任殿を、胆沢城に引き返させました。しかし、貞任殿は、納得がいかなかったようで、光貞と切り合いになる寸前でした。更に、あの則任めは、わしの娘の麗子を誑かし、結婚させてくれと迫ったのです。

無論、我等は、俘囚如きに大事な娘はやれぬと断りました。それに、我等父子が安倍一族と不仲であることは、陸奥では誰もが知っていること。あの無法者の貞任が、今日の一件で、我慢ができなくなって、襲ってきても不思議ではありませぬ。」

「そうか。なるほどな。確かに、貞任のようじゃな。」

説貞の言葉に、頼義は、納得したように頷いた。

「違いまする!貞任殿であれば、こんな闇討ちの様なことはせずに、白昼堂々と、一撃の下に説貞殿を切捨てまする!」

義家は、睨みつけるように頼義にくってかかった。

「くどいぞ、義家!そこに転がっている死体が、蝦夷であることが、何よりの証拠じゃ!仮に、貞任の命令でなくとも、蝦夷が国衙の野営地を襲撃したことに変わりはない。俘囚の長の頼時の責任は免れぬ!」

「しかし・・・」

「まあまあ、義家様。首謀者は、いずれわかります。しかし、鎮守府将軍の行列を、蝦夷が襲撃したのです。国衙としては、何らかの手は打たねばなりませぬ。対策は、多賀城に戻ってから、慎重に吟味いたしましょう。」

なおも食い下がろうとする義家を、経範が優しく宥めた。

二日後の一月二十八日、多賀城に到着した頼義は、鎮守府将軍兼陸奥守の名で、奥六郡の俘囚長安倍頼時に安倍貞任の引渡しを命じた。奥州の動乱は、目前に迫っていた。

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