前書
「わしのすむみやまには、なべてのとりはすむものか、おなじき源氏と申せども、八幡太郎はおそろしや」(『梁塵秘抄』)
源義家。八幡太郎の名で知られるこの人物は、清和源氏の祖、源経基の五世孫である。時は十一世紀。摂関家全盛の望月の世に陰りが見え始めたこの時代は、十世紀前半の承平・天慶の乱(平将門・藤原純友の乱)の後、兵の家と呼ばれる、軍事を生業とする<武家>が飛躍を遂げた時代であり、各地で群盗蜂起が発生する中で、自力救済のための私的武力が求められた時代であった。
また、一君万民を思想的支柱とする律令国家が瓦解すると共に、権門の荘園が全国各地に乱立し、私的財産としての土地所有を巡って、貴族・寺社、そして地方の武士団が、血みどろの争いを始めた時代でもあった。
時代は平安時代後期。坂東において、平将門が叛乱を起こした天慶二年(939年)から、百年後。そして、源義経が、衣川の館で自害した、文治五年(1189年)から、百五十年前。
長暦三年(1039年)、乱世の入り口と呼べる時代に生まれた源義家は、清和源氏の棟梁、源頼義の長男として誕生した。源氏の棟梁の名に相応しい武将に成長した義家は、東国の武士団を率いて、前九年の役・後三年の役を戦い抜き、真の<武家の棟梁>として、日本全土の武家の尊崇を集めた。
戦場における勇猛さと、傘下の郎党達に見せる温情は、<源氏神話>として語り継がれ、坂東武士団と源氏の主従関係は伝説と化し、彼の五世孫の源頼朝が成就した、日本史上最初の武家政権、鎌倉幕府草創の原動力となった。
冒頭の歌詞は、十二世紀頃に唄われた民衆歌謡である。源義家は、在世時は言うに及ばず、その死後も長きに渡り、<おそろしき>武将として、民衆の間で伝説化された存在であった。そして、坂東を始めとする東国の武士団にとって、不世出の英雄として神格化された、真の<武家の棟梁>であった。
鎌倉幕府を草創した源頼朝、室町幕府を樹立した足利尊氏は、間違いなく義家の直系の子孫であり、また、江戸幕府を開いた徳川家康も、義家の子孫を称したため、源義家は、八幡太郎の名と共に、武家政権がその終焉の日を迎えるまで、八百年余りの長きに渡り、武神として信仰された。
また、明治維新後の大日本帝国時代においても、天皇に忠義を尽くす、模範的な武人として、尋常小学校の唱歌にも取り上げられている。
源義家は、既に生前において、「虎賁猛将、勇威武略、通神神人也、弓馬達者」(『尊卑分脈』)、「武威天下に満つ、誠に是れ大将軍に足る者なり」「義家朝臣は天下第一之武勇之士也」「故義家朝臣、年来武士の長者として、多く罪無き人を殺す」(『中右記』)など、その神懸り的な武勇と武芸は、武家社会のみならず、公家社会においても遍く知れ渡り、天下の人々の畏敬を集めていた。
源義家の武勇は、前九年の役の戦いを描いた『陸奥話記』の中で、前半戦のクライマックスとも言うべき、黄海の戦いの段で、早くもその一端を垣間見ることができる。なお、この時、義家は数えで十九歳。黄海の戦いは、初陣であった。
「将軍(源頼義)の長男義家、驍勇絶倫にして、騎射すること神の如し。白刀を冒し、重圍を突き、賊の左右 に出でて、大鏃の箭を以て、頻りに賊の師を射る。矢空しく発たず。中たる所必ず斃れぬ。雷の如く奔り、風の如く飛び、神武命世なり」
黄海の戦い以前、義家の武勇は、所詮は、実戦を伴わない、武芸に過ぎなかった。しかし、義家は、初陣において、それも、豪雪荒れ狂う雪原の最中、致命的な敗北を喫し、主従七騎となって逃走するその瞬間において、神懸かり的な武勇を発揮したのである。まさに、義家こそは、戦うために生まれてきた、武神の名に相応しい武将であった。
中国史には、項羽・呂布・関羽・趙雲・尉遅敬徳・岳飛のように、数多の神格化された<史上最強>の武将が登場する。では、<日本史上最強>の武将とは誰であろうか?
古代では、坂上田村麻呂・平将門・源義経、中世では、楠木正成・武田信玄・上杉信玄・織田信長・徳川家康など、数え上げれば、枚挙に暇が無い。しかし、上記の武将達の多くは、あくまで、戦術的才能を発揮して勝利する、軍司令官としての最強であり、項羽・関羽のような個人的な武勇・武芸における最強の武将とは、その意味が異なる。
では、個人としての日本史上最強の武将は誰か?
戦国時代末期から幕末に至るまで、上泉伊勢守信綱・柳生宗矩・宮本武蔵・柳生十兵衛・千葉周作・近藤勇・沖田総司など、兵法者・剣客と呼ばれる存在が、綺羅星の如く出現した。しかし、彼等の多くは、剣術試合・治安維持など限定された戦場において最強だったのであり、殺し合いという真の戦場における最強とは、その意味は異なるであろう。
上記の戦術的天才・剣客を除けば、最強の名に相応しい武将の名は、著しく限定される。
<日本史上最強の武将>。筆者は、その称号は、本書の主人公、源義家にこそ相応しいと考えている。
なお、本書は、高橋克彦氏の『炎立つ』のオマージュ(尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を制作する事)と考えていただいて良い。筆者は、吉川栄治氏の『新平家物語』を読み終えた後、頼朝と義経による平家討伐と鎌倉幕府の樹立という、日本史上最大の逆転劇を可能にした原動力は何か、興味を覚えた。
頼朝と義経の父祖は、父の義朝・祖父の為義・曾祖父の義親と、何と三代に渡って、朝敵として討伐、もしくは処刑されている。謂わば、父祖伝来の朝敵の汚名を覆して、日本史上最初の武家政権の草創を実現した、坂東武士団の源氏への忠誠心の源は何か、清和源氏の歴史を遡って調査した。その過程で出会った作品が、『炎立つ』であり、出会った人物こそ、<武家の棟梁>、源義家(頼朝の曽祖父、義親の父)であった。
本書を執筆する上で、『炎立つ』に似ないように努力したが、特に安倍貞任・藤原経清を単なる悪役ではなく、各々の立場の理念と正義を持った人物として描くと、『炎立つ』に似た部分がどうしても発生してしまった。その点は、平にご容赦願いたい。
『源義家』登場人物
()内の俳優は、人物のイメージ及び希望。1993年の大河ドラマ『炎立つ』(高橋克彦氏原作)に出演した俳優を、世代を繰り上げて、敢えて配役している人物も多い。
・源義家(木村拓哉)・・・「武家の棟梁」八幡太郎義家。源頼義の長男。
・源頼義(佐藤浩一)・・・河内源氏二代棟梁。義家の父。源頼信の長男。
・源頼信(渡哲也) ・・・河内源氏初代棟梁。源頼義の父。源満仲の三男。
・源義綱・賀茂次郎義綱。源頼義の次男。
・源義光(小泉孝太郎)・・新羅三郎義光。源頼義の三男。佐竹氏・武田氏の祖。
・源義宗(小出恵介)・・・源義家の長男。
・源義親(城田優) ・・・源義家の次男。
・源頼季(杉本哲太)・・・源頼信の次男。信濃源氏の祖。
・源満実(池内博之)・・・源頼季の長男。
・源頼俊(沢村一樹)・・・源頼房(源頼親の次男)の長男。大和源氏。
・源頼遠(榎木孝明)・・・源頼親の三男。河内源氏の郎党。陸奥石川氏の祖。
・源有光(東幹久) ・・・頼遠の次男。河内源氏の郎党。
・源頼国(三浦友和)・・・摂津源氏三代棟梁。源頼光(源頼信の長兄)の長男。
・源国房(椎名桔平)・・・源頼房の六男。美濃源氏。
・平忠常(中尾彬)・・・・良文流平氏。平忠頼の長男。上総氏・千葉氏の祖。
・平将常(山崎努)・・・・良文流平氏。平忠頼の次男。忠常の弟。秩父氏の祖。
・平直方(武田鉄矢)・・・貞盛流平氏。平維時の長男。北条氏・熊谷氏の祖。
・平正盛(竹野内豊)・・・伊勢平氏。河内源氏の郎党。平家の祖。平清盛の祖父。
・平永衡(堺雅人)・・・・伊具郡郡司。安部頼良の娘婿。
・大宅光任(大杉蓮)・・・駿河の武家。河内源氏の郎党。敏達天皇の末裔。
・大宅光房(反町隆)・・・駿河の武家。河内源氏の郎党。光任の息子。
・佐伯経範(宇津井健)・・相模の武家。河内源氏の郎党。藤原公光の娘婿。波多野経範。
・佐伯経秀(伊原剛志)・・相模の武家。河内源氏の郎党。経範の息子。
・藤原景通(村上弘明)・・相模の武家。河内源氏の郎党。鎌倉章名の娘婿。
・藤原景季(柳場敏郎)・・河内源氏の郎党。景通の長男。義家の武芸指南役。
・藤原則明(高橋克典)・・河内の武家。河内源氏の郎党。景通の従兄弟。後藤氏の祖。
・藤原季俊(哀川翔)・・・京武者。河内源氏の郎党。滝口季方。
・兵藤正経(中村トオル)・三河の武家。河内源氏の郎党。
・伴助兼(永井大)・・・・三河の武家。河内源氏の郎党。兵藤正経の娘婿。
・三浦為継(筧利夫)・・・相模の武家。河内源氏の郎党。三浦為通の息子。
・鎌倉景正(坂口憲二)・・相模の武家。河内源氏の郎党。鎌倉景成の息子。
・首藤資通(速水もこみち)・相模の武家。河内源氏の郎党。藤原基通の正体。
・安部頼良(渡辺謙)・・・陸奥国奥六郡の俘囚長。安部忠良の長男。改名して頼時。
・安部良照(宇梶剛士)・・安部忠良の次男。頼良の弟。
・安部貞任(阿部寛)・・・陸奥国奥六郡の俘囚長。頼良の次男。厨川次郎。
・安部宗任(稲垣吾朗)・・頼良の三男。鳥海三郎。
・安倍富忠(國村隼)・・・津軽の俘囚長。安部頼良の叔父。
・藤原経清(東山紀之)・・亘理郡郡司。藤原頼遠の長男。安部頼良の娘婿。
・藤原清衡(妻夫木聡)・・奥州藤原氏初代。経清の息子。清原武貞の養子。
・清原貞衡(渡部篤郎)・・奥州清原氏の惣領。改名して真衡。武則の六男。
・清原武則(松方弘樹)・・出羽国仙北三郡の俘囚長。清原光頼の弟。
・清原武貞(萩原流行)・・武則の長男。貞衡を養子とする。
・清原武衡(劇団ひとり)・武則の五男。
・清原家衡(中尾明慶)・・武貞の長男。藤原清衡の異父弟。
・清原成衡(勝地涼)・・・平永衡の長男。清原真衡の養子。
・吉彦秀武(村田雄浩)・・出羽国仙北三郡の豪族。武則の娘婿。
・藤原千任(鹿賀丈史)・・出羽国仙北三郡の豪族。家衡の養育係。
・藤原頼通(柄本明)・・・関白。藤原道長の長男。
・藤原教通(渡辺いっけい)・ 関白。藤原道長の五男。
・大江匡房(上川隆也)・・文章得業生。権中納言。大江成衡の長男。
・安倍章親(中井貴一)・・陰陽師。安倍清明の孫。
・後三条天皇(高嶋政伸)・後朱雀天皇の第二皇子。藤原氏を外戚としない天皇。
・白河天皇(成宮寛貴)・・後三条天皇の第一皇子。
・敦明親王(近藤正臣)・・三条天皇の第一皇子。小一条院。
・平直子(天海祐希)・・・平直方の娘。源頼義の妻。義家・義綱・義光の母。
・源雪子(石原さとみ)・・醍醐源氏源隆長の娘。源義家の妻。義宗の母。
・藤原徳子(比嘉愛未)・・藤原北家真夏流有綱の娘。源義家の妻。義国・義忠の母。
・安部有加(水野美紀)・・安部頼良の娘。藤原経清の妻。清衡の母。
・安部奈加(釈由美子)・・安部頼良の娘。平永衡の妻。成衡の母。
・月読命(柴崎コウ)・・・皇家の守護神。
・夜叉王(京本政樹)・・・鬼。天龍八部衆、夜叉一族の王。
なお、上記登場人物の内、筆者が創作した架空の人物は、月読命・夜叉王のみで、他の人物は、『陸奥話記』をはじめ、何らかの史書に名前が登場する。また、平安時代の女性の多くが、父の名のみ記録に残っているため、下の名前は、筆者が創作した。