表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
家族  作者: 鋒知 眞緒
4/4

家族4

家族 4




パトカーのサイレンだと彼が認識したのは、そのサイレンがまさに止むその瞬間だ

った。

二台のパトカーが、彼を挟み撃ちにするように、左右から迫ってきて止まった。

中から、制服警官が2名と私服の男が2人、降りてきた。


私服の男は刑事というやつだろう。

ドラマや映画ではよく見る。

芝居掛かったお決まりの台詞を言うのだ。

案の定、その刑事も自身の所轄と名前を告げ、彼を殺人の容疑で逮捕すると高らか

に宣言した。


そう、確かに彼は、駅のプラットホームから女性を突き落とし、故意に電車に轢か

せた。

絶妙のタイミングだったと我ながら思う。

逃げる暇も与えず、さりとてホームに入ってくる電車にぶつかる程度ではすまない

完璧なタイミングだった。

ドンと彼女を押し出した手の感触も覚えている。


「立て」と刑事が言った。

刑事を見上げ、彼は自分が座り込んでいることにやっと気がついた。

ミラーハウスの中だろうかと、そこでようやく周囲を見回した。

鏡も、壁も、天井も、床も、何も無い。

雑草に覆われた、土の感触だけが足と尻の下にある。


夢と現の間とは、今の彼のような者がいる場所のことを言うのだろう。

夢の遊園地、現のこの場所には何も無い。

ミラーハウスもジェットコースーターも、アイスの売店も、あの大きな観覧車も、

何一つ、そこにはなかった。


ガチャンと手錠を掛けられた音に驚いて、彼は目を戻した。

「刑事さん」

「なんだ?」

「遊園地は、どうなりました?」

「ここの遊園地か?」

「はい」

「廃園になって、もう何年も経ったと思うが…」

彼に手錠を掛けた刑事は首を捻り、若い制服警官に「おい」と声を掛けた。

「ここの遊園地、いつ潰れた?」

「さあ」

パトカーのドアを開けながら、制服警官は興味の無い様子で応え、直ぐに口を閉ざ

した。

潰れた遊園地の話など、警官たちにはどうでも良いことだろう。


彼をパトカーに押し込めて、隣に乗ってきた刑事に、彼はまた問いかけた。

「あの、俺の家族は、どうなりますか?」

刑事は深く眉根を寄せた。

「あんたは、あんたの家族のことを知って、それで、あの女を突き飛ばしたんじゃ

ないのか?」

「俺の、家族のこと?」

彼は首を傾げて、記憶の底を浚うように視線を彷徨わせた。



彼は今朝、夜勤明けの寝ぼけ眼のまま下りの電車に乗った。

自宅の最寄り駅で降り、そのままホームを階段に向かって歩いた。

そしてふと、正面に見慣れた女の姿を見て、驚いて足を止めた。

「何で、こんな所に、いるんだ?」

「あなたを待ってたのよ」


その女は、15年来の彼の愛人だった。

彼の妻に電話を掛けたり、嫌がらせの手紙を書いたりするような、粘着質な面を持

つ女だった。

だが、いつの間にか家に居場所をなくしていた彼の、唯一の居場所になってくれた

女でもあった。


「こんな朝っぱらから、どうしたんだ?」

そう問うた時点で、彼は嫌な予感がしていた。

なぜこんな早朝から、彼の自宅の最寄り駅に、彼女がいるのだろう、と。


これから一緒に自宅にいき、妻との離婚を成立させようとでも言うのか?

彼は警戒した。

彼女は、そのくらいのことは平気でやりかねない女だと、彼は思っていた。

だが、彼女は彼の予想を遥かに上回る行動を取っていた。


「あそこに、煙が見える?」

彼女が指差した方角に、一筋立ち上る白い煙。

彼は訝しげに眉をよせ、遠くを見通すように目を細めた。


「あなたの家よ」


サーと全身の血が引くような音が、彼の中で聞こえた。

そのほかの音は、頭の中で鳴り響くガンガンとうるさい音にかき消された。

駅から発車していく電車の音も、ホームに滑り込んでくる音も、構内に流れるアナ

ウンスも、何も聞こえない。


「話し合いに行ったけど、解決しなかったから」


なのに、女の声だけが、やけにハッキリと、彼の脳に突き刺さるように聞こえてく

る。


「あなたの息子さん、足は動かなくても一応男だし、大変かと思ったけど、まだ寝

てたから一番楽だったわ」


この女は、何を言っているのだろう。


「奥さん殺ってるときに、物音に気が付いて起きてきた娘さんが厄介だったわ。髪

は掴むし引っ掻くし、てんで教育が成ってなかった」


呆れた様子で肩をすくめた女を、信じられぬもののように彼は見た。


「でもこれで、あなたは独り身になったし、私と結婚、できるわよね?」


散歩に行けるかと尋ねるくらいの、極々あっさりとした口調で、彼女はそう彼に尋

ねた。

その冷静さ、冷淡さ、冷酷さ、本来ならば恐ろしく感じてもおかしくない目の前の

殺人者に、彼は恐怖は一切感じなかった。

ただ、憎いと、そう思った。


下り電車が入ってくると、駅のアナウンスが聞こえた。

雑踏のざわめきも、近くの空を飛んだ飛行機の音も、駅の傍を通る幹線道路の車の

音も、彼の耳は完璧に拾った。


「火をかけたのか? うちに?」

静かに問いかける自身の声も、彼はしっかりと聞いていた。

他人の声のようだと思いながら、耳が拾っていた。

「ええ」

胸をそり返して誇らしげに答える女の声も、ハッキリと。


電車が入ってくる。

プアーンと警笛を鳴らしながら、ホームに滑り込んでくる。

彼は女の肩を力いっぱい押した。

女は後ろ向きに電車の前に飛び出した。


ビシャッ、と彼の顔に生暖かいものが掛かった。

だか直ぐにそれは冷たくなった。

彼はそれが何かなど気にもせず、反対ホームに停車していた上りの電車に乗った。

ちょうど発車間際だった電車は、彼を乗せると直ぐに走り出した。


車内に、一つ先の駅で一時停車するとアナウンスが流れた。

彼の自宅の最寄り駅の名を告げ、そこで事故が起きたため、しばらく停車するとア

ナウンスは続けていた。


彼は一つ先の駅で降り、改札をくぐって外に出た。

遊園地が、その駅の傍にはある筈だった。



「刑事さん、遊園地、行ったことありますか?」

彼は記憶を追うことを止め、隣に座る刑事に聞いた。

「勿論あるよ。ガキの頃は親に連れてってもらったし、一人でも行けるようになっ

てからは友達と行ったり、恋人といったこともあったな」

刑事は少し笑った。

彼も笑い、頷いた。


「刑事さん、子供さんは? 結婚、してるんでしょ?」

「してたけど、去年別れたよ。子供もいるよもう大人だけどな」

「何で別れたの? 浮気?」

「まさか。浮気なんてしてる暇ねぇよ。暇がなさ過ぎて、家族サービスも滅多に出

来ないし、それで女房と喧嘩が絶えなくて別れたんだから」


苦笑いする刑事に、彼は更に疑問を投げた。

「子供を、遊園地に連れてってやったこと、ある?」

「子供が小さい頃は、疲れてても我慢して連れてったりしたけどね。今はもう、あ

いつら友達と勝手に行くし、小遣いだけ持たしてやるくらいだね」

「寂しいね」

「まあ、子供が大人になるってのは、そういうことだろうから、仕方ないね」

「外に女を作って、居場所を造りたいとか、思わないんだ?」

「だからそんなヒマねぇって」


刑事は笑ったが、直ぐに真顔になって彼の方に顔を向けた。

「俺はあんたのこと、まだ殆ど何も知らないが、外に居場所なんか作らねぇで、あ

んたは、そもそもあんたの居場所だった家族と、ちゃんと向き合わなきゃいけなか

ったんじゃないか?」

彼も刑事を見た。

もし彼がそうしていれば、彼は家族をこんな形で失わずに済んだのだろうか。


彼はパトカーのリアウィンドゥから、遠くに離れてゆく観覧車を見た。

そこにもう、ある筈の無い観覧車は、妻と娘を乗せて回っている。

観覧車の直ぐ傍を回転するジェットコースターには、息子が乗っている。


「子供たちを、遊園地に連れてってやればよかった…」


時間が戻せるなら、子供たちが幼かったあの頃に、遊園地が廃園になる前に、家族

で遊園地に来ていれば、何かが変わっていたのだろうか。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ