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家族  作者: 鋒知 眞緒
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家族3

家族 3




「じゃあ、俺が一番最初に行くね!」

娘を探しに行ったときからアイスを食べていた息子が、食べ終わると直ぐにミラー

ハウスの中に入って行った。

「あ~、弟のくせに生意気~! 次はあたしね!」

続けてミラーハウスに飛び込んでいく娘を見送って、妻が彼を振り返った。

「子供は元気ねぇ。それじゃあなた、私も先にいきますね」

優しいけれど、少し寂しそうな笑顔を残し、妻もミラーハウスに入って行った。


彼の手の中のアイスは、もう無残なほどに溶けて流れ、消えていた。

家族も、息子が、娘が、妻が、一人また一人と彼の前から姿を消し、ミラーハウス

の中に吸い込まれるように入っていった。

取り残された彼は、幸福感が家族の姿が見えなくなると同時に消え、冷たい寂寥に

とって代わられたことに気が付いた。


また、何度目か知れない疑問か頭をもたげる。


彼は、どうして遊園地に来たのだろう?

いつから子供たちと一緒だったのだろう?

昨日は、昨夜は何をしていた?

朝、彼はどこから、どうやって、この遊園地に来た?

なぜ、彼は遊園地に来たのだろう?


ミラーハウスの入り口で彼はしばらく逡巡する。


「お父さ~ん!」

なかなか入ってこない彼にしびれを切らしたのか、娘が大声に彼を呼ぶ声が聞こえ

てきた。

彼はパンと自身の頬を両手で叩いた。


子供も妻も、あんなに楽しそうにしているのだ。

疑問はあとで解決すればいい。


彼はミラーハウスに重い脚を運んだ。

ミラーハウスというのは神秘的で、少し怖くて、ドキドキする場所という印象が彼

にはある。

彼が実際にミラーハウスに入るのは初めてだった。


入って早速、彼は多角的に配された鏡に惑わされ、おでこをぶつけた。

その音をどこかで聞いているのだろう、妻の笑い声がした。

「あなたったら、本当にそそっかしいわね」

声のしたほうを振り向いて、彼らはポカンと口を開いた。



長い髪をゆるりと胸元にまで下ろした美しい女性が、鏡越しに彼に微笑みかけてい

る。

「俺と、結婚してくれる?」

若い彼の声が、彼女にプロポーズする。

彼女はくるりと彼に背を向けた。

そのまま、何も言わない。

彼女の表情が見えない。

彼は慌てて、言わなくてもよいことを口走る。


「あああ! でも! もし他にいい男がいるなら! いや、君は俺と違ってモテる

し、きっと、俺なんかと結婚しても幸せになれないだろうし、いや、幸せにしたい

と思ってるけど!」

だがまだ何も言ってくれない。

まるで彼女の背中に突き放されたように感じて、彼はがくりと肩を落とした。

「もし、プロポーズを不快に思わずにいてくれたなら、せめて、今まで通り、友達

でいて、くれない…かな?」


振り向いた彼女は顔を真っ赤にしながら、しかしお腹を押さえながら笑った。

「あなたったら、本当にそそっかしいわね。断るなんて、言ってないじゃない」

そう言って、彼女は彼に抱きついて、彼らは口付けを交わしたのだ。



あれから、何年経ったのだろう。

彼は懐かしく当時を思い返しながら、ミラーハウスというのは本当に不思議な場所

なのだと改めて思った。

彼の記憶を見せてくれるとは、思いもよらぬことだった。



鏡と鏡の間を通り、正面なのか横なのか、また良く分からない場所に赤ん坊の泣き

声が響いた。

それはもう、元気な赤ん坊の声だ。

「スゴイ声だなぁ」

彼の声が呆れたような、だがそれが嬉しくてたまらないというような、そんな調子

で、赤ん坊の声の合間から聞こえてくるる

「今は泣くのが仕事だもの。仕方ないわ」

赤ん坊を白い手が抱き上げて、あやすようにぽんぽんと、その背を軽く撫ぜるよう

に叩いた。


「あなた、眠れる?」

振り向き彼を気遣う妻は、まだ十分に美しかった。

むしろ新婚の頃よりも、彼女は美しく見えた。


だが、その頃の彼は、今の彼のような余裕はなかった。

連日の娘の夜泣きで寝不足だった。

妻に当り散らしたくはなかったが、イライラすることも徐々に増えていた。

このままではいけないと、彼は夜勤を多くした。

夜勤の方が給料も多くなったし、同僚にも喜ばれた。

そして早朝、家に帰って眠る。

娘は夜よりは幾分マシなようだったが、それでも朝を昼と問わず、何かあるごとに

ぎゃんぎゃんと泣き喚いた。


彼は残業も増やした。

夜勤明けに残業で更に仕事を重ね、昼食を取る食堂で眠ることを覚えた。

自然に、妻と過ごす時間は短くなった。



二人目の子供、息子が産まれる頃には、娘の夜泣きはなくなっていた。

だが、夜勤を多くする勤務体系と生活習慣は簡単には治らず、彼は相変わらず夜勤

が多く、家にあまり居ない夫になっていた。


「パパは?」

小さな娘は彼をパパと呼んでいた。

妻のエプロンのすそを握り、心細そうに見上げる姿が鏡に映っている。

娘を見下ろした妻は細い腕に生まれたばかりの息子を抱き、やはり不安そうな、悲

しそうな表情をしている。

「パパはね、お友達のところにお泊りしているの」

「お友達? まりちゃんのところ?」

「それは、幼稚園のお友達でしょ?」

くすくすと笑い声を立てながら妻は窓の方を見た。

夜のガラスは鏡のように妻の表情を映す。


目をつり上げ、歯を剥いた、夜叉のような女の顔。


「ひっ」

彼は短く悲鳴を上げて後ろに下がった。

ドンと鏡がその背に当たる。

振り返った彼は、驚きと恐怖に震えだした。


恐ろしい形相の妻が、彼を睨みつけている。

「今日、電話があったの。あなたとお付き合いさせていただいてますって」

妻の静かな声の中には、震えるほどの怒りが込められているように感じる。

「私、別れてなんかあげないわよ。あんな女のために、あなたと別れもしないし、

別居もしないから。あなたはちゃんと、この家に帰ってきて。いいわね」

彼はガクガクとうなずいた。



「俺、野球選手にはもうなれないけど、絵とか、作文得意だし、小説家とか漫画家

になろうかと思うんだ」

明るい少年の声に、彼は救われたように振り向いた。

鏡には、居間で寛ぐ妻と娘、息子の三人が映っていた。

それを、彼はキッチンで一人夕食をとりながら聞いていた。

「あんた絵上手いし、いけるんじゃない?」

娘もあえて明るく調子を合わせ、妻も頷いた。

「作文も上手だし、なによりストリーを作り出すのが上手だもん。できるわよ」

「ね~」

と娘が妻と顔を見合わせ、首をこくんと曲げて同意しあった。


「オヤジは何て言うかな?」

不意に声のトーンを落として息子が言った。


俺はここにいると、彼は叫びたくなった。

おまえたちのいる居間の直ぐに隣にいて、この話だってちゃんと聞いている。

父親として、息子の将来を相談されれば、それに応える準備だってある。


だが彼のその思いは言葉にならなかった。

その前に、娘がヒンヤリと、ひどく冷たい声で言ったのだ。

「何も言わないよ。だいたいさ、あの人に聞いたって、どうせ分かんないよ。あの

人、あんたの作文なんか一回も読んだことないじゃん」


子供の通知表すら、見たことが無かったことを思い出し、彼は全く味のしない夕食

を砂を噛むような気持ちで噛みしめた。


「お父さんなんか、いてもいなくて同じだよ」

娘がとどめを刺すように放った言葉に、彼は深く傷つき、固く目を閉じた。



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