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ボクはチャイムの音に怯えている。

作者: 有澤准


 ボクはチャイムの音に怯えている。


 あの女性と付き合いだしたのはいつだっただろう。


 確か、寒かった冬の日。


 ボクから告白したはずだ。当時童貞だったボクは見境が無かった。というよりは、女性に耐性が無かったのだ。だから、少し身体を許されただけで告白してしまった。

 彼女は一ヶ月なら良いと言った。僕はそれを了承して付き合いだした。


 誰でも良かった、といえばそれまでだ。

 でも、付き合いだしてからは好きだった。好きだったのだ。



 ボクはチャイムの音に怯えている。



 あの女性にはもともと付き合っていた男がいて、その男に浮気されて別れていた。簡単な話、それがその女性にトラウマを与えていた。


 面白いのはここから。別れてからも彼女は男と毎日のように電話していたし、その男の家に泊まっては身体を重ねていた。純情だったボクはそれを付き合うというのではないか、と思ったものだったが今は違う。案外恋愛が絡まなくても男女の肉体関係というものはある。浮気、というやつも含めてだ。



 ボクはチャイムの音に怯えている。



 もちろん、彼女はボクと付き合いだしてからもその男との付き合いはやめなかった。友達だから、と女性は言った。

 でもボクは知っている。ボクと付き合いだしてからもその男と同じベッドで寝たことをボクは知っていた。

 だけれど、ボクはそれを追求しなかった。怖かったのだ。そのことを追求して彼女を失ってしまうことが。


 彼女はその男以外ともよく男と2人で飲みにいった。

 ボクは不安だった。そして、憤りを覚えた。ボクは嫉妬深い性格なのだとその時理解した。


 

 ボクはチャイムの音に怯えている。



 一ヶ月後、その女性とは遠距離になった。就職したのだ。


 そのときに、ボクは別れ話を切り出した。言われていた通り、一ヶ月経ったからだ。ボクは女性が遠距離恋愛が苦手なことを知っていた。だから、覚悟も決めていた。


 しかし、彼女は不思議なことにそれを拒否した。

 そして、ボクらの関係は継続されることになった。


 問題だったのはそれからで、彼女の本性は徐々に現れ始めた。

 生理前になると2週間ほど気性は荒くなり、何を提案しても否定される。気に入らないことがあると暴力を振るわれた。

 部屋は異常に汚かったし、化粧は薄い。

 自分の好きな物をやたらと押し付けてきて、ボクが興味なさそうにすると不機嫌になる。

 前も言ったが男癖は異常に悪い。


 そういえば、深夜に呼ばれて2時間かけて彼女の家についた時にはとっくに寝ていて、「ボクが来た意味ある?」と問いかけた時には逆ギレされて「じゃあ帰れよ!」と怒鳴られたこともあった。女心は分からない。


 

 ボクはチャイムの音に怯えている。



 そんなある時のことだ。


 彼女はボクの前で前の男と数十分にわたって長電話をしたことがあった。

 ボクはその間あまりに暇だった。ついでに言えば、それまで彼女がする話題の5割はその男の話だったこともあり、ボクの中でのその男のイメージは最悪だった。彼女とどこかにデートに行くたびに「ここ、元カレと来たんだ! 楽しかった!」なんて言われて不快にならない男もいないと思うが。


 まあそんなわけで、ボクはどこかに捌け口が欲しかった。

 だから、彼女が電話している間に適当にSNSで愚痴ることにした。


「彼女が元カレと長電話してるんだけど」


 確かそう呟いて、フォロワーの何人かと愚痴り合っていた。

「ないわ」「別れよう」そんな反応がほとんどだった。


 問題はその後だ。

 その呟きを見つけた彼女が激怒するのもまあ想像に難くあるまい。


「私が君の周りの人間に屑だって思われるじゃん!」


 しかし、ボクのSNSを監視していたらしい前の男からも「流石に可哀想」と言われて彼女はまあ、不貞腐れた。

 ただそのときはボクも流石にSNSにそういうことを書き込むのは浅はかだったと反省し、謝った。謝り倒して結局殴られて、別れ話まで切り出されたのだが。

 


 ボクはチャイムの音に怯えている。



 そのあたりからだったか。

 彼女の様子がおかしくなり始めたのは。


「元カレのSNSブロックしたから安心してね」


 ボクがそれを聞いて安心したのは確かだ。だけれど、そうした理由が分からなかった。今までボクがどれだけ言っても電話やチャットをし続けていたのに。会話履歴もわざわざ消されていて真偽は分からなかった。


 すぐに泣くようになったし、泣いている理由を聞いても答えない。


 元カレの話題は全部「あいつ殺したい」だけ。スタンガンの使い方を調べていた時には流石に引いた。

 そして、「死にたい」「死んであいつを困らせてやる」と頻繁に言うようになった。止めるのも大変だった。

 ボクに対しては「浮気したら殺す」と言うようになった。

 まあボクは浮気どころか付き合っている間は他の女性と遊ぶことも一切無かったので問題なかった。


 ただ、毎晩毎晩元カレに対しての恨み言を連ねられるのは流石にこたえた。

 ボクは浮気された心の傷がまた開いてしまっただけだろうと考えて、真摯に対応していた。

 

 そんなはずがないのに。



 ボクはチャイムの音に怯えている。

 


 さて、そういえば一つ言わなければならないことがあった。


 彼女は二重人格だった。


 正確に言えば五重、いや、もっとかもしれない。 


 よくある空想的なものではなく、精神分裂症という立派な病気だ。

 深夜しか出てこないし、毎日出てくるわけでもない。

 でも、ボクはその何人かと会話する時間は嫌いじゃなかった。


 実際一番良く出てくる一人は彼女よりもよっぽどマトモだったし、理性的だった。ついでに言えばその子は彼女本人のことが大嫌いだった。

 生憎記憶については一方的なものになっているらしく、サブの人格達は本人の記憶を全て記憶しているが逆は違って、本人には全く自覚がない。だから、何を言っても本人に伝わることは無かった。

 

 問題は2人目以降だ。

 2番目に多く出てくるのはほとんど喋らなかった。ただ、いつもヘラヘラしていて首を絞めてきた。ボクはとてもこの子が苦手だった。


 でも3番目と4番目に比べればマシだ。


 3番目はまだ元カレと付き合い続けていると思い込んでいた。だから、ボクを見ると泣く。苦手だ。


 そして、4番目。たったの一回しか出てこなかったコレが僕らの関係を大きく変えることになる。


 彼女はボクに元カレとの会話らしきものを延々と語った。

 抑揚も無く無表情で、元カレに言われたことを延々と、延々と、延々と。

 

「あなたのことなんて嫌いですし今は俺にも彼女がいます。あなたとは付き合えません。二度と関わらないでください、でも自殺はしないでくださいね、俺が困るので」

 

 いつ言われたのかも分からないし、どういう状況かも分からないがボクは一つだけはっきりと分かった。


 あぁ、この女は、あのときこの男に復縁を迫ったのだ。


 あの長電話の数日後、様子が変になったのはコレが原因だったのだ。

 自殺したがったのは困らせてやるため。

 殺したがったのは憎いから。

 浮気するなとボクに言い続けたのは自分の浮気を隠すため。

 ブロックしたのは会話履歴がボクにバレないようにするためだったのだ。


 ボクの中の女に対する気持ちが一瞬で冷めたのが分かった。


 そして、ボクは次にこの女が別れ話を切り出した時に、女が言う通りに別れてやろう、と決めた。今までも何度も喧嘩するたびに別れ話を切り出されていたがボクは必死に食いついていたのだ。というか、もともとボクがそう言う反応をすること前提で別れ話をしていたのだろうから仕返しするとしたらそこしかないだろう。



 ボクはチャイムの音に怯えている。



 案の定、数日後に女が会社の先輩の家に泊まった件で喧嘩になった。もちろん男だ。

 そして、思い通り別れ話を切り出してきたから、ボクは言った。


「彼氏がいるのに元カレと復縁するような女はゴメンだよ」

 

 一応言っておけば、二重人格のことを完全に信用していたわけではない。

 もしかしたら違う可能性もあった。だから、カマをかけた形になるだろう。


 でも、たとえ復縁していなくてももうどうでも良かった。

 ボクは女の行動全てに辟易していたし、ストレスも異常に溜まっていたし、遠距離を毎週毎週出かけていって、その上で毎週毎週喧嘩する日々に苦痛を感じていた。

 だが、カマをかけたこれは実際に当たっていたようで、女は素直に肯定した。元カレと復縁できたら君は捨てるつもりだった、とも言われた。

 その日は女も怒っていて、素直に別れてくれたのだが、翌日からが大変だった。

 

「ねえ、ほんとに別れるの」

「泊まりにこないの」

「ごめんなさい、私が悪かった」


 一方でボクは全てを突っぱねた。

 ついでにSNSでさんざん悪口を書きまくり、悪評を広めた。

 さっさとキレて離れてくれ、とそう思っていた。 

 どうせ捨てるつもりだった男なのだから、さっさと諦めてくれと思っていた。

 

 でも、あの女は諦めなかった。


 だから、ボクは「二度と関わるな、死ね」と言って、すべての連絡先を着信拒否にした。

 そして、あの女に関わりのあるもの全てを捨てて、忘れようとした。


 だが、簡単には行かなかった。


 スーツで眼鏡で化粧の薄い女を見るたびにボクの心臓は萎縮した。

 彼女の車にそっくりなものを見かけるたびに顔がこわばった。

 女に関係のあるものを見かけるたびにフラッシュバックして嘔吐した。


 トラウマになってしまっていたのだ。

 ボクは、あの女に対し恐怖心を抱いてしまっていたのだ。

 中でも恐ろしかったのはわざわざ新しいアカウントを作ってボクに接触してきた時だ。容赦なく晒して着信拒否したが、次はどう出てくるか分からない。


 ボクはチャイムの音に怯えている。


 僕の住むアパートの駐車場にエンジンの音がした。

 このアパートに車を持っている人はいないのに。


 ボクはチャイムの音に怯えている。


 誰かが階段を上る音がする。


 ボクはチャイムの音に怯えている。


 誰かは、ボクの部屋の前で立ち止まった。



 チャイムの音がした。


今のところだいたいチャイムの音は宗教勧誘かクロネコヤマトです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。文章がとても素直で、すらすら読めました。 彼女との関係がいいのに怯えているのはどうして?と引き込まれます。 [気になる点] 彼女の場合、病名は精神分裂病(統合失調症)では…
[良い点] おおっ、恐かったです。 淡々とした語り口による、軽めの導入口。 気づけばどんどん重たくなっていく彼女との付き合い。 最後は、……! 面白い、というと語弊がありそうですが、面白かったです。…
[良い点] ボクはチャイムの音に怯えている。 という言葉が階段を上っくる足音のように聞こえてきてどんどん迫ってくるものを感じました。 [気になる点] それだけ気持ちが無くなったという事なのか、「自殺は…
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